秋野豊先生略歴
History of Yutaka Akino


(伊藤孝之先生寄稿「秋野豊小伝」
 秋野豊追悼文集「脅されず踊らされず踊る」収録より抜粋)

1950年7月1日  北海道小樽市入船で生まれる
           6人兄弟の5番目(姉2人、兄2人、弟1人)
           父は日本を代表するスキーヤー(武夫氏)

           量徳小学校、住吉中学校卒
           高校時代は柔道部で活躍、全道大会4位
           高校3年の時に「プラハの春」報道に接し衝撃受ける

  69年      潮陵高校卒業
           同志社大学入学〜退学
           早稲田大学政治経済学部入学
           柔道部所属、全東京都大会3位になるも腰を痛めて
           ラグビーに転じる
           その後、スキー・パワーリフティングと共に
           生涯の愛好スポーツとなる

  74年      北海道大学法学部に学士入学
           同年8月洋子夫人と結婚
           中古車・オートバイを乗り回し、渓流釣りやグルメ楽しむ

  76年      北海道大学大学院法学研究科進学
           国際政治学専攻、チェコスロバキアに関心
  77年 4月   長女さやかさん誕生

  78年 8月   法学修士号取得、博士後期過程に進学
           国際政治学専攻、チェコスロバキアに関心、チェコ語勉強

  79年 8月   ブリティッシュ・カウンシルの奨学金を得てロンドン留学
           ロンドン大学スラブ東欧学部所属し、公文書館に通い
           第二次世界大戦中の英ソ関係に関する未公開文書を調査

  81年 2月   帰国
      8月   北海道大学法学部助手に採用
  82年 2月   次女ひかるさん誕生
      4月   スラブ研究センター研究員兼務

  83年 3月   博士号請求論文
          「独ソ開戦と英対ソ政策-偽りの同盟から大同盟への道-」
           北海道大学法学博士号授与
    ハハ 11月   在モスクワ日本大使館に専門調査員として出向
           赴任の半年前からロシア語勉強
           滞在中に研究関心が歴史から現状分析に移り
           ソ連の公式報道や東欧大使館筋からの情報に基づき
           ペレストロイカ前夜のソ連の内政外交分析

  83年12月   帰国、北大助手復帰

  86年 9月   筑波大学社会科学系講師、つくば市に移住
  88年11月   助教授に昇進
           国際関係学類のカリキュラム委員として各種改革に尽力

  90年     「世界は大転回する」(講談社)
  91年     「欧州新地図を読む」(時事通信社)
  92年     「ゴルバチョフの2500日」(講談社)
           (このころ、新聞・TV等の解説者として活躍)

  92年 9月   東西研究所(本部NY)との共同プロジェクト参画
   〜94年11月 大学での授業の傍ら、この間に14回もプラハ出張
           住居もつくば市から札幌へ移し、往復の繰り返し

           研究関心がロシアからコーカサス、中央アジア、
           中露国境地帯、モンゴル、朝鮮半島など
           旧ソ連の周辺地域に転じる
           〜文献中心主義から実態調査を重視する方向へ
           〜寸暇を惜しんで、しばしば自弁で紛争地域へ出張
           〜次第に中央アジア専門家として認められる

  (大学内)   「新国際システム特別プロジェクト」での中心的役割
  (大学外)    北海道大学スラブ研究センター・日本国際問題研究所・
           総理府・アジア経済研究所・NIRA・笹川平和財団・
           平和安全保障研究所・21世紀政策構想フォーラム等

  96年12月   日本国際政治学会事務局長代行任命

  97年 9月   日本ロシア東欧学会理事に選出

  98年4月20日ハハ 筑波大学から外務省に転勤
           政府の依頼によって4ケ月の予定で
           国連タジキスタン監視団(UNMOT)政務官として
           単身で首都ドゥシャンベに赴く
    (現地時間)
     7月20日ハハ 反政府派指導者との交渉を終えて帰る途中
           ドゥシャンベ東方170kmの山岳地帯で襲撃され
           3名の国連関係者と共に帰らぬ人となる

                                  以上


△Back to Hyperion Island

Created by Asano Enterprises Inc.

asanos@mars.dti.ne.jp