開業6ヶ月後
この頃からASTELのCS設置の法則が「先を見越しての設置」と受け止めるか、「この程度の設置で充分ユーザーニーズを満たす」と勘ぐるか意見の分かれる所ですが、PHSのCS設置状況が天国状態の東京から江戸川を渡った千葉県では、この頃「ASTELCSバス停の法則」が明確になりつつありました。SASTELでも「南部小バス停CS」などと勝手に名前を付けてやり取りをしていました。
SASTELの住人玲人さんの予想では、郊外地域では人が集まるであろう場所を押さえた後、高出力CSで全面を覆う作戦に出るだろうとの予測も出たりしました。その高出力CSも市川霊園近辺で96/08に発見され、SASTELの浜田さんにより写真がアップされたものの、私自身我慢できず実際に見に行ってしまいました。
玲人さんの予想通りに各地に続々面で覆うように計画され設置されていくようになっていきます。日刊工業新聞などでも、ユーザのPHSに対する不満は「住宅地で使えない事」という内容も報道され、その記事の中にASTELも住宅地展開を急いでいると載っていました。しかし、この高出力CSが曲者で送信は強いものの着信レベルが貧弱でバーが2本立つにもかかわらず、着信不能などトンでもない状態へと突入していきます。(ちょっと話がそれてしまいました)
この頃に配布された第3版に相当するマップには2つの特徴があります。
1つめは、それまで設置計画は3段階で表現されていたのが、実績と6ヶ月後までの計画しか載せてありませんでした。これは、急激な方針転換を行った証拠とであろうし、高出力CSの準備へ不安を持っていたのでしょう。実際に東京電力へ電柱のてっぺんへの設置の承諾をお願いしたり多く動き回っていた時期でした。
2つめは、エリアマップの下に「このエリアマップは理論上想定されたエリアを円で示したもので、実際に計測したものではありません。(屋内・建物の物陰・一部の通りなど通話できない場合もあります)」
と大きく書かれるようになりました。この事はDDI-Pのように実測部隊による確認へは手が回らず机上論だけで展開していた事を物語っています。(現在のASTELはしっかり実測しています)
この頃のASTELの方針は大きく転換を余儀なくされ、おそらく経営シュミレーションをやり直し、如何に多くのアンテナを設置できるかを考えあぐねていたように思います。結論としては98年(来年)から携帯電話の加入の伸びは減少し、PHSは衰える事無く伸びる事が多くの事がらから予測されており、「強気に攻める」事が決定したように思います。これも資金力が物を言う所でしょうか。この当時から出遅れた事など考慮もしない純情なお客が、お店で他社のヘルパーから「ASTELだけはやめた方がいいですよ。使えませんから。」と言われ、この時期はアンテナ稼動も遅れ気味でひどい所では6ヶ月以上遅れているCSが殆どという事態にあったASTELは反論できる材料も無く、悪い噂が噂を呼び、いまだに「ASTELは使えない。ASTEL使っている人はださい。」という事を信じている人が多数いる事は事実です。
しかしこの時の方針転換は見事であり、開業1年半後の今日(97/03)は一番使えるPHSとの評判が各地で聞かれるようになりました。もっともこの当時はNTTの都合によるCS稼動の遅延もうまくコントロールできる体制はなく、苦しい展開を強いられていました。
この頃のエリアマップのキャッチフレーズです
’96/04〜’96/08までのエリアマップ
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