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日時計 1998年12月 日記

本を読んでいるうち、いつのまにか日が傾いてしまっている・・・なーんて生活いいなア!

<1998年> 9月 10月 11月 12月 <1999年> 1月


981231(木)  
  購入本:   なし

 一応まじめにおせちらしきものの残りを製作。黒豆を煮なおし、栗きんとん、いり鶏、たたきごぼう、人参の煮物、その他2,3品普通に食べられるものを用意する。今年は娘が塾の「正月特訓」とやらで、冬休み中は元日のみが休日のため、みんな家に足止めなんである。ただひとり息子のみが2回もスキーへ!(来年は塾、おまえさんの番だかんね。>年子)

 あわてて多少なりともという感じで掃除をし、同居人の作ったてんぷらで年越しそばを食べる。
 あやつのテリトリーに私の(やつから払い下げの)コンピュータや机とかがあるので、本の山の惨状に業を煮やしたやつが、私が台所方面の片づけをしている間に、山を撤収して段ボールに詰め込んでしまった。おーいおい、読みかけの本はどこじゃ。おまけにただの山々と見えてもそれなりに分類されていたのに、訳わからなくなってしもた…。「あいや、しばしのお待ちを」と言う間もなかったのぢゃ。でも鬼の居ぬ間にまた造山運動してやるからいいもんね!

 さて、そんなことをやっている間に年越しである。新しいカレンダーは、雨田光弘の日フィル版(音楽と遊ぶ猫たち)とプライベート版、それとイバラードの世界などである。雨田光弘のはもう何年来も愛用である。水墨画タッチの猫たちが、楽器を演奏したり、歌ったり踊ったり。人なつこくて実にカワイイやつらである。イバラードは今年の新顔。
 さて新しい年、どんな日々が刻まれて行くだろうか。

 今年最後の読了本は『わがままな魔術師』であった。

981230(水)  
  購入本:   なし

 夕方、気がつくと群れ飛んでいた雲がすっかり飛び去り、晴れやかな夕空が見られた。窓から見る木々の梢ごしに低く明るく光るものあり。鳥か?飛行機か?いや、やっぱり金星かなと思いシェアウエアの星空観測ソフトで確認したら当たり(確かめないとわかんないって、はずかしいー)。このところずっと、帰宅時には木星が目についていたが、空がこんなに明るいときに見る金星なんて久しぶりだ。冬至も過ぎ、年が明けるとじきに寒に入るが、昨今のこの暖かさ。年末の感興をそぐ一因かと思う。

 若干半日ほど、意を決して掃除モード。大掃除とは言わない。年末年始用の買い物は生協の配達でだいたい済ましてしまったので、今日は補充程度、帰路ようやく鏡餅と玄関のお飾りを調達する。

 母なんぞは何年も前から真空パックのお鏡を愛用?しているが、どうもあれはよくない!で、必ず昔ながらの普通のを買うのだが、これが結構値が張る。子どもの頃は父がかなづちで鏡開きをしたあと、かちかち、ひびひびになった鏡餅を水につけ、いわゆる水餅にしてからおしるこで食べたものだが、どうも自分でそれをするようになって勝手が違う。ひびひびになったのを割るところまでは同じ。ところが、ほとんどそれ、食べるところがないのだ。割るとそこは、かび。削っても、削っても、まだ、かび
 大学時代、かび毒が専門の教授がいたので、かびはどうも苦手である。お米のかび、ピーナツのかびなんてごめんだ!(発ガン性が高いんだ!!)
 それもあってか、手間をかけて削ったり、水につけて柔らかくしたりしても、どうもだめである。水餅にしたって結局またかびが増えるだけだし。高かったのに、毎年泣く泣く捨てることに…。

 そもそも、昔は鏡餅はこんなにかびなかったのではないか、と思うのだ。やはりわれわれの子供時代に比べ、住居が格段に暖かくなっているに違いない。気候自体がもちろん、確実に暖かくなっているのは間違いない。今年の気温は観測史上もっとも高かった、というふうに報道されていたし。あーあ、来る1999年は、いったいどんな年になるのだろうか。
 例の恐怖の大王とは経済恐慌に違いない、と言う説もあり、そう言われれば当たってるかも、と思う。しかしまた、思いもかけない事が起こるかもしれない。その時にはそうとはわからなくても、あとで思い返して、あれが恐怖の大王だったのか、てなことになるのかもしれない。
 はて、どのようなところにわれわれは希望を持ったらよいのだろうか?21世紀が来たらこの世紀末的閉塞感は雲散霧消するのだろうか?
 いっそ少女パレアナみたいに、白痴的楽天主義でゆきますか!?(おっと、なんと「白痴」って一発漢字変換できなかったのだが、これも顰蹙用語なのかいな?)

 たらたらと『わがままな魔術師』の続き。ジャイノート=ナチのシンボルのワシが出てきたところ。

981229(火)  
  購入本:   なし

 昨晩おちびと一緒に、というより、先に討ち死にした私。今日は朝ねぼうをしてよろよろ起き出したが肩から頭が痛く、食べたパンものどにつかえるようでどうにも不調である。寝床に戻ってそのまま一日ひたすら寝る。
 「朝寝して、夜寝するまで昼寝して、ときどき起きて居眠りをする」をその通り行った一日である。ただし合間に黒豆を煮たので勘弁するように。これがまた、おいしいのである。

 ときどき起きているときに『いさましいちびのトースター』読了、のちSFM2月号の高野史緒「エクス・オペレ・オペラート」その他、スペルシンガー・サーガ4巻『わがままな魔術師』などを交互に読む。SFMはやたらに厚い(通常のきっかり2倍とのこと)ので寝ながら読むのには難あり。気がつくとばったり取り落として昼寝の世界であった。

 夜中起き出して、まる二日しなかったメイルのチェックとWebの巡回。意外にどちらもそれほど活発でないのは、年末モードというわけか。

981228(月)  
  購入本:   W・ヒョーツバーグ   『ポーを巡る殺人』   扶桑社ミステリー
      P・K・ディック   『ウォー・ベテラン』   教養文庫
      IN☆POCKET 12   講談社

 ようやく今年も仕事納めである。今日もフルに仕事だったので、くたびれー。 

 『IN☆POCKET 12』の表紙に「本と闘う人々」とあり、つい購入。週刊誌感覚みたいな本?表紙は前から見てはいたんだけど買うのは初めてである。鼎談のメンバーのそれぞれの闘いぶりに我が身を引き比べる。しかし本を生業とする人たちはスゴイ。自分の机周りの山と見比べて、こちらはかわいいもんだと。

 今日は本を携帯しなかったので職場の本置き場から、ディッシュ『いさましいちびのトースター』(ハヤカワ文庫SF)を引き抜く。ハードカバーを買いそこなったので文庫で買ったもの。半分ほど読む。

981227(日)  
  購入本:   なし

 大掃除に取りかかれるように、そこらを片づける。ていうのはどういうことだかね?

 悲しいかな、返却期限が来てしまったので、せっかく借りた『パヴァーヌ』と今日でお別れ。名残惜しいよう。都下T市S図書館は、大事に管理するように。間違っても不要図書にしないこと(お願い)。

 片づけの合間のつれづれに、ブッツァーティ「コロンブレ」「海獣コロンブレ」の読み比べ。
 人のお奨めもあり、国書刊行会『現代イタリア幻想短編集』所載の「コロンブレ」から先に読む。やや硬質な文が、簡潔な印象で好ましい。
 後者「海獣コロンブレ」は河出書房新社『石の幻影』所載である。一見読みやすそうな訳文であるが、実は意外にこなれていず違和感がある。漢文の読み下し文を読んでいる感じと言ったらよいか。終盤で誤訳ありという情報を頂いたが、確かに文脈からすると誤訳と思われる。ただし残念ながら、イタリア語もフランス語も(これはイタリア語、これはフランス語とわかる程度にしか)理解しないのであくまでも「だろう」としか言えないが。
 てなわけで、軍配は文句なしに「コロンブレ」に。

 さあて、明日はもう一日出勤だあ。生き物の世話があるので、一週間の休みが限度である。たぶん暮れに一回様子を見に行くことになるだろう。めんどいけれど仕方ない。プスン、プスン。

981226(土)  
  購入本:   なし

 なかなかな上天気である。朝から息子がスキーに出かけるためお弁当作り。いったい尾瀬戸倉、雪、あるのかしらね。(「55センチ」という声。それでも全面滑走可だって、ほんとけ?)今年の春休みにこの子はしっかり(大人の)2級を取ってきたので、めざすは1級である。次の春休みはスキーに行けないから、いつ取れるだろうか。

 夕方から早稲田・穴八幡うらの早稲田奉仕園スコットホールにて某アマチュアバロックアンサンブルのクリスマスコンサートを聴きに行く。同居人が一応出演者として朝から出かけていっており、子供が生まれる前しばらく私もちらっと参加していたので、久しぶりに聴きに、というか打ち上げに合流しに、というかどっちつかず。
 若干迷いそうになりつつもなんとか到着。通り道の穴八幡は金融関係に御利益があるらしく、ありがたーいお札を下さるらしい。歳末と、このご時世とで結構賑わっている様子である。道を尋ねたおじさんも「地元のものじゃなくて穴八幡に来たのでよくわからないけど…」と言いつつ方向を教えてくれた。

 この、早稲田奉仕園スコットホールという聞き慣れない名のホールは、地下鉄の駅を降りたときから目につくたくさんの看板の「アバコブライダルホール」、その同じ敷地内にある。日本キリスト教団の関連団体か。
 敷地内には中庭に面してかなり大きなビルと、ほかにいくつかの建物があるようだが、目指すスコットホールは年代物の木造のチャペルであった。
 入り口を入るといきなり会堂ではなく、もう一つドアがある。子連れには有り難いことに2階席へ上る階段があり、私たちは遠慮して2階席に。でも結果的にこちらで正解。南池袋の自由学園のホールを思い出させる雰囲気を持つ建物だ。木の部分が濃い茶色、壁は漆喰の白。天井が三角形の屋根の形のままたいそう高く、ヴィオラ以下の低弦がよく上がってくる。細長く丈高い窓、正面には小ぶりのパイプオルガンもある。古い建物の匂いがして、クリスマス時期にぴったり。あとで地階にも下りてみたが、ホントに古い、一種かびくさい匂いが懐かしかった。
 帰宅後検索してみると、
ヴォーリズの建てた建築のひとつであるという。思いがけない建物がヴォーリズの手になるものと知った。

 曲目は前半がヴィヴァルディ、後半がコレルリの「クリスマスコンチェルト」とエルガーの「弦楽のためのセレナーデ」であるが、私たちはちょうど休憩が終わり後半が始まる直前に到着した。
 コレルリはとても好きな曲なので、まだ連れていったおちびが飽きる前で良かった。エルガーの方は、プログラムに入っているという認識がなかったので思いがけず嬉しいクリスマスプレゼント。これもなかなか聴く機会のない、素敵な曲である。演奏の上手下手はこの際あまり問わない。と言ってもアマチュア、セミプロ、プロといろいろいるのでまあ練習時間を考えればそれなりです。
 終了後、イタリアンレストランで打ち上げ。ううむ。

 深夜、9月のプロムス・ラストナイトコンサートの録画をBSでやっているとの情報が。ライブ中継時、てのは日本時間で早朝、録画したがそれきりちゃんとみていないので、いそいそテレビをつけてへばりつく。ちょうど盛り上がっているラストの部分。指揮者のアンドルー・デイヴィスのスピーチが、またいいんだ。おきまりの曲何曲かのうち、最後から2番目に演奏される「エルサレム」、この曲が好きで、これを聴くために見るようなものと言ってもいいかも。パリー作曲、詩はなんとブレイクなのだそうだ。一番最後の曲は国歌、お開きになって「蛍の光」の大合唱で幕が閉じられる。いいなあ!楽しかったぁ!!!

 この何日か体調不良のためか、受動的な日々。既にもう年末の休みモードだが、じつは月曜日が最後の出だというのを忘れそうである。がんばんべー!
 集中力に欠けるので『すぐそこの遠い場所』、『尾崎翠』など、2,3冊をあちこち並行読み中だが、「…ときどき起きて居眠りをする」状態である。反省。

981225(金)  
  購入本:   志村ふくみ   『色を奏でる』   ちくま文庫
      稲垣足穂   『ヰタ マキニカリスI & II』   河出文庫
      小松左京   『時の顔』   ハルキ文庫
      SFマガジン 2月号   早川書房
      母の友 2月号   福音館書店

 職場の近所に、「御殿場高原ビール」のビヤホールが出来たので、職場の友人たちと行くことに。なぜか、同居人と子供たちも来ると言い出したので私はかけ持ち状態である。上の息子が明日からスキー、娘は今日だけ塾がお休みと言うわけで、大晦日まで夕食時5人がそろうのが今日しかないという哀しい有様なのだ。
 風情もない店ではあったが、びいると、食べ物は結構おいしかったので許す。

 『ゾッド・ワロップ』ようやく読了。

981224(木)  
  購入本:   なし

 同居人が今夜は一晩泊まりで不在。明日の朝ツリーの下にプレゼントを出現させるべく準備をしなくてはならない。
 息子1,息子2と3人でいい加減な夕食後(でもきりたんぽだから暖まっておいしかった)なんとかおちびを早めに寝かせて、長男とプレゼントにつけるカード書き。娘は塾(と称して)11時になっても帰宅せず。また「クリスマスだから」とか言っちゃって、お友達や先生とだべってるんじゃないのかなあ?(ピンポーン!でした)

 東京生まれと言ってもイナカだったから、都会生活はどうもワケわかんない。夜の11時過ぎに女子中学生が出歩いていても平気なんだから、安全なんでしょうねと言ったらいいか。こんなの絶対おかしいと思いつつ、夜の部の塾通いをさせている現状である。
 非常時に備えてといくつか約束をした上で父親所有のケータイを持たせているが、やはりおあそびにばっかり使うので先日お取り上げ処分にした。近くの商店街にちょっと文房具を買いに行く、なんていうのにもケータイをお持ちになって友人やらボーイフレンドやらとピコピコやっている模様。取り上げを申し渡してすら「何でよ!」と(表面的には)反省の色ナシ。みんな持ってる、みんなやってる、みんな行ってる、て、具体的に「みんな」の名前と人数を挙げてごらん。「ひとり、ふたり、たくさん」の世界である。頭痛ーい。なんか勘違いしているぞ、中学生!

 世の中クリスマスだが、相変わらず風邪のため低空飛行でへろへろ。きのうケーキ食べちゃったし、おとうはいないし、クリスマスって言っても何だかなあ…。夕方早退して2時間寝たが、寝ないよりまし、程度か。
 昼休み読んでいる『ゾッド・ワロップ』佳境にさしかかっているが、気がつくと胸に抱いたまま昼休み終了であった。

981223(水)  
  購入本:   山之口 洋   『オルガニスト』   新潮社
      沢村 凛   『ヤンのいた島』   新潮社
      妹尾ゆふ子   『風の名前』   プランニングハウス

 こ、声が出ない。生来が寡黙なので、支障はないが、電話とドアホンの応対に困る。子どもを叱るのにも迫力ないしなあ。風邪が目にも来てしまって、朝起きたら片目が真っ赤に充血していた。

 今日は家でおとなしくしていようと思ったのだが、同居人が、傷んできたコートの替えを見に行こうというので文句も言えず(声が…)ご一緒する。今朝はひたすら寝坊したので、なんだかんだと用が済むともう3時近い。今日は池袋西武がメインだったので最後に本屋によりファンタジーノベル大賞関連を物色する。『青猫の街』も手に取ったが、横書き・アルファベットたくさんのこの表記は今日の私の状態では目がちかちかするばかりで、目を通す気にならず後回しに。

 さいごに目白に、注文して置いたケーキを取りに行き、ついでにお茶する。本当に今日はあまりに暖かく、クリスマスらしくも、師走らしくもない。やっとコートを脱いですっきりして一休み。
 後、目白駅近くのパン屋さん(ケーキも売っている)で明日のパンを調達。レジで待っていると、隅の方で高さ50センチくらいのお菓子の家ないしパンの家と格闘している店員あり。セロファンに包んで、大きい紙袋に入れようとしているのである。うわあ、売り物だ。外に張ってある予約用のチラシを見たら、「ケーキハウス大8000円、小1500円」で、今のはどう見ても「大」。豪勢です。どうやって食べるのだろうと人ごとながら心配する私であった。中からカギ鼻のおばあさんが出て来そうではありませんか!

 帰宅後仕方なしに年賀状作成に専念する。今日は本読みはあきらめ。

981222(火)  
  購入本:   なし

 土曜の夕方から声が嗄れてきて、きのうは悲惨な声に。でもほとんど痛みはなかったのが、今日になったら痛がゆいやら咳は出始めるやら、いよいよ風邪である。でもって、もうすでに金曜日の気分ナリ。

 最近、ドッペルゲンガーとか二重人格とか、分身であるとかの題名・題材の本が目につく。といってももっぱら個人的に目についたというだけの話なのだが、この前読んだ長野まゆみの『雨更紗』がそうだったし、先日本屋である一角に平積みになっていた本のいくつかがその手のものだったし、その時は角川文庫『ドッペルゲンガー奇譚集』も目についたが、手を出しかけてやめた。また今日も国書刊行会の書物の王国シリーズの次回配本が「分身」だと言うことを知った。
 実は、理由は不明だが、このドッペルゲンガーって私なぜかとても怖いのである。夜中にたまーにトイレに起きて寝床に戻るとき、すでにそこに私が寝ていたりして……。うわー、こわいっ!
 
何かむかしそう言う題材の本を読んだせいだろうとは思うのだが、これと言って特に記憶にあるわけではない。前述のようなイメージを持つようになったのは割合最近なので、トイレから戻るその一瞬だけこわいっと思うに過ぎないのだが、こうして次々と「ドッペルゲンガー」という字が現実に目につくとなんだかちょっと夢(ナイトメア)が現実に忍び込んだかのように思われなくもない。何かの予兆か?なーんて、やだなあ。
 そういえば少し違うが、確か魔法の国ザンスシリーズだったかに、ベッドの下の怪物が実体化したものが出てこなかったっけ?

 『ゾッド・ワロップ』半分くらいにさしかかる。昼休み、椅子にそっくり返って読んでいると隣の席の人が表紙を見て「『ゾッド・ワロップ』。こわい名前。」と感想を述べていたが、英語国民でないわれわれにも、内容の雰囲気をよく感じさせる語感の題(造語らしい)である。中味はなかなかいいぜぇ。確かにデ・リントが好きそう。

981221(月)  
  購入本:   なし

 去年、引っ越しを機に、子どもたちのリクエストに応えてクリスマスツリーを大きいものに買い換えた(180センチ)。本体の値段ははさほど高くなかったが、お飾りが結構かかるのである。「シンプルに行こうね」なんていって、オーナメントの類は最小限買い足すだけにとどめたが、やはり欠かせないのがイルミネーションである。色の付いていない、チェイシングタイプのもの(8パターン光り方が変えられる)を選んだ。ところが、これが思いのほか高い!本体と同じくらい、とは言わないけれど、5,6割くらいだったか?
 さて今年も12月の声を聞き子どもたちがツリーを引っぱり出して一挙にクリスマス気分である。というか、一挙に部屋が狭くなった。部屋の電気を消してイルミネーションがひかひか、くるくる静かに光り続けるさまは何とも心奪うものがある。何かよく知っているものと共通した感じなのだが、何だろう?とずっとひっかかっていたが、ふと思い出した。これ、廻り灯篭なのだ。線香花火、遠くの花火などとも似て、無音で見ているとつい時のたつのを忘れる。
 ところが、3日目になったらなんとこれが、点かなくなってしまった。1シーズンしか使ってないのに、もう断線か?ひどーい。コントロールボックスもこじ開けなければ開かない作りである。哀しい…哀しすぎる(娘)。

 おととい池袋のロフトに寄ったときに、ちょうどツリーの売場を通りかかったので訊いてみたが、店員のおにいさんたち故障の原因がわからない。3人バトンタッチして、ようやく「たぶん電球が切れて…」でも1個切れて全部点かなくなるかなあと訊くと「いやあ、わかる者がいないんですが…、回路がそういうふうにできていて…」等々のお返事。
 最初に学校で「わからない!」と言う思いを抱いたのが小学校の理科の電気で、それ以来電気だけは(あと三角関数と複素数、それと力学も。念のため、微積は得意だぜ)苦手を持って任じている私なので、ここはおにいさんにつっこめない。ともかく帰宅して報告すると、同居人が息子に点検を命じ、いっしょに豆電球150個を端からチェックする。すると、ややっ、ニャンと3個、抜け落ちているではないか。50個ずつの直列が3列並列になっていて、その各系統に1個ずつ抜けている箇所あり。このくらいならわかるのだ私でも。息子が捜すとしっかり3個、床に転がっておりました。と言うわけで、一件落着。無知というのは恐ろしいという、実例のひとつである。

 『ゾッド・ワロップ』再開。好みだー。夕食後読もうと思ったら、ありゃ、職場に置いてきてしまった。
 そこで昨日ちらちら読みかけた『すぐそこの遠い場所』をまたちらちらと読む。副題「The Dictionary of AZOTH」と言い、アゾットという世界に関する事典というわけだ。だから各項目が1ページから3ページ位ずつの分量なので、小間切れの時間でもオッケー。最近までこれを全く知らなかったのは迂闊。長野まゆみ関係のページで知ったものであるが、長野まゆみと言うよりどちらかというと井上直久のイバラードにより近い世界である。いきなり好み。で、今日のお言葉を(p.42から)。

睡魔とは、われわれが最もなれ親しんでいる悪魔なのである。

 折しも親しく誘われたので、肩を組み寝床へ向かうことにする。

981220(日)  
  購入本:   クラフト・エヴィング商会   『すぐそこの遠い場所』   晶文社
      ディーノ・ブッツァーティ   『タタール人の砂漠』   松籟社
      西崎 憲 編   『看板描きと水晶の魚』   筑摩書房

 冬のにおいのする、武蔵野らしい上天気。ただしこのあたりって狭義の「武蔵野」に入れてもらえるんだろうか、と思う。
 むかし国立にいた頃は、立川までは一応武蔵野、そこを過ぎれば田舎。という明快な区切りがあった(どういう定義だか)。たしかに中央線で立川を過ぎると、景色が明らかに変わるのだったから。もうひとつ田舎と都会の区切りがあって、それは三鷹である。氷雨の降る夜、都内から中央線で帰ると、三鷹にさしかかると雪に変わる。こういった天気の区切りの線て確かにあって、国道の向こうは雪でこちらは雨とかいうことがよくある。ひとつには国道沿いにたまる排気ガスなどが原因なのだろうか。そう考えると恐ろしいものがある。

 今日も昼から買い物である。息子が年末にスキー、年始に雪山キャンプ兼クロカンスキーというので装備をさがしに神保町へ。荷物になるだろうと思い同居人運転の車で行ったら、皆考えることは同じで、駐車できそうなところはいっぱいである。一足先に降りて、フリースの上下とか、防寒下着とかを捜すが、ちょうどサイズがもっとも中途半端なときなのでなかなか見つからない。そのうち車を止めた同居人が合流して、なんとか寒くないようなものを捜し、靴、ザックも買ったら結構な額になってしまった。うううっ、寒い。

 「三省堂の向こうの方」に車を止めたというので「行きたいなー、三省堂」とつぶやいたら、「お茶飲んでるから行ってくればー」とあきらめの境地の同居人と息子。アリガトー。でもホントは三省堂一カ所っていうのは最低ラインで、あっちゃとかこっちゃとか、せっかくだから古本屋さんがのぞきたかったんだけど、絶対私時間を忘れると思って百歩譲ってあげたのだ。有り難く思うように。
 『タタール人の砂漠』って入手不能かと思ったらちゃんとイタリア叢書のひとつとして棚に並んでいた。1992年出版であった。この会社からはシュティフター作品集全4巻として『石さまざま』なども出ていると知った。
 『看板描きと水晶の魚』は、「英国短編小説の愉しみ 全3巻」の1巻として出たもの。ほかに『ダスト』とか『オルガニスト』とか、あれとかこれとか、いろいろ欲しいの虫が騒ぐのだが、さっき買った山用荷物を思い浮かべて、本屋さんにはさようなら…。

 連れが先に行っていたすずらん通り地下の紅茶「Takano」でお茶。ダージリンセカンドフラッシュのナントカいうややチャイナ系の香りのストレートティを飲む。うーん、おいしかった!帰りに同じくセカンドフラッシュの別な茶葉を買って帰る。

981219(土)  
  購入本:   夢枕 獏・作、たむらしげる・絵   『羊の宇宙』   講談社

 午後よりおちびののクリスマスグッズを仕入れに、娘と池袋へ。
 歳末商戦まっただ中…と言うほどでもなかったように感じた。混んではいたのだが、予想したほどではなかったのは不況のせいか、気のせいか。おもちゃ売場なんてバブルの頃はもう混んじゃって混んじゃって、レジに並ぶのがいや!と言うくらいだったが、いつもの日曜よりやや混んでいるくらいかな?
 おちびが今年サンタさんにお願いしたのは、ウルトラマンガイアのひこうき。思ったより小さかったので、娘の発案でフードをかぶるとガイアになるパジャマをつけてやった。これなら外に着ていくっていわないぞ、と。

 その前、荷物がないうちに目白の某コーヒーやさんに寄り、クリスマスケーキを注文した。ここのケーキはほんとに美味。窓辺でやや年配の女性が焼いている、いわゆる「焼きケーキ」のファンで、おととしの春知り合いに連れられて入ったのが最初である。みんなにふれて回りたい位なのだが、もったいないので言わない。
 そして大荷物でもやっぱり本屋に寄るのを忘れない私であった。

981218(金)  
  購入本:   各務三郎 編   『世界ショートショート傑作選2』   講談社文庫
       同   『 同  3』    同
      ピーター・S・ビーグル   『最後のユニコーン』   ハヤカワ文庫FT

 先日SFMにむかし掲載されたアーシュラ・ル=グウィンの短編について触れたが、u-kiさんから正確な情報を頂いたので転載。ありがとう!

 トイレでヴィオラは77年10月号のSFMヒューゴー賞特集の「ニュー・アトランティス」です。 「サンディエゴ・ライトフット・スー」はその前9月号のネビュラ賞特集号掲載です。 おしい!(中略)
 ちなみにその9月号にはゼラズニィの「ハングマンの帰還」(後略)

 今日、昼休みに『パヴァーヌ』の第六旋律読了。エリナーに、マーガレットに、寄り添って読んでしまうので、本から現実に戻るときにすごく疲れる。ほとんど苦痛に近い。のち、夕方手の空いたときに終楽章(短い)をちらっと見たらそのまま抜け出せず、ずずずっと読み終えてしまった。ううう…。
 小さいものだが誤訳というよりミスプリント?に類するようなものが見受けられる。と思うので、確認するには原典に当たればよいのでしょうが、ここらも含めていい加減に復刊されないだろうか。キース・ロバーツはほかの作品もほとんど訳されていないから早くどこかで出せー!
 美智子皇后のおかげで『日本少国民文庫』(新潮社)も復刊したというのに。これつい欲しくなってしまう私。

 年賀はがきをまだ買っていなかったので、同居人が「買っておくように」と言い置いて出張。仕事で出す分が大半であるが、600枚という量である。数と言うよりこれは量であるとは買って気づいた。200枚で4〜5センチ、それが3包みとなると結構な量である。今日買わないと土日に制作できないのであせって郵便局へ走った(コンビニじゃ600はないからね)。
 すると、普通の無地のは「売り切れです」と一言。「へ?」だって去年なんか駅とか地下道とか、なんかとんでもないところにまで郵便局の出店が出て年賀はがき売ってたじゃない。
 無地なら今年から出たインクジェット用のしかないという(早く言えよ)。ふーん、印刷屋さんて年末大分暇になったんじゃあ?

 郵便局から出るや否や前の古本屋にすすっと吸い込まれる。今日の購入本は此処にて。ビーグルは布教用。講談社文庫は、1がなくて2,3のカバーなしで、それでも各300円である。
 2は「クライム&ミステリー」「怪奇&幻想」「コント」などに分けられ、ブラウン、ダール、シェクリイ、ギャリコ、ダンセイニ等々。ジェローム・K・ジェロームが入っているのはもうけ。
 3はまた違って、コリア、ビアス、イェーツ、チェーホフなどの名が見える。
 『パヴァーヌ』の次はこれにしよっかな。それとも…。いずれにせよ次に来る本はちょっと不運です。お気の毒さま!

981217(木)  
  購入本:   なし

先々週、順番の回ってきたラボ・ミーティングが私以外の要因で(強調)今日の4:30からに延びた。準備不足なんだから2週間分勉強すればいいのに結局そのまま。
 と・こ・ろ・が。朝職場に着くと、皆の机の上にピラッと紙切れが。ボスからで、ミーティングの前に管理職の会議があるため、もし時間が食い込んでしまったら再び延期にするとの内容だ。
 実はちょー眠くて、紹介する文献の内容の復習をしようにも頭がぐるぐるしちゃってつ・つらい。今日もひとり早退して人数が少なくなるので、「せんせえー。○○さんもいないから次回にしましょう…」と言うと「あんまり延ばすと、忘れちゃうでしょ!」と鋭いご指摘。うえー、もうとっくに忘れてるよ〜。
 でも日頃の行いがものを言って、お見事!会議が長引いてめでたく延期となった。でも。来週かと思ったら、次回は年明け7日だって、やだなぁそれ。

 『パ』ついに第六旋律へ。昼休み、ゼミの準備もものかわ、いとおしむように読む。

981216(水)  
  購入本:   群ようこ   『尾崎翠』   文春新書
      A・A・ミルン   『赤い館の秘密』   集英社文庫
      星新一   『ホシ計画』   廣済堂文庫

 昼休みは今日も読書にいそしむはずだったのだが(『パ』、ね)、いきなりカレーを食べに行くことになったので、読書準備(帰路に本屋に行くこと)に変更。


 私の家は私鉄の駅とJRの駅のおおよそ真ん中にあるが、どちらの駅のそばにもカレー屋があり、それがいずれもランチタイムバイキング(ナン、チャイ、ヨーグルトつき)850円、なのである。このスタイルと値段は、はやりなのでしょうか?片方はインド人がいっぱい、ことばいまいちつうじにくーい、他方は一応日本人、でもインド人がひとりいて日本人の料理人とインド語でしゃべっていーる。インド語って、これ正確に何語かは知りませんが。この、日本人がいる方の店が職場に近いほう。それなりにそこそこおいしくて、やっぱりタンドールで焼いた焼きたてのナンはおいしいですね。
 こういうインド系のお店って大抵それらしい民族音楽をBGMに流しているが、ここ、今日聞いた話によると、いつかそれをうるさいから止めろと言った客が居たそうだ。すると、店の人が客のテーブルの皿をサッとさげて「お帰りください」と言ったのだって。その場に居合わせた同僚が言うのだからホントの事だろう。残念、私もそこに居たかったなァ!

 『尾崎翠』は、群ようこ、結構しっかり取材したみたいかな?実は私は最近尾崎翠の全集本を買ったには買ったが、彼女の作品て文庫版のちくま日本文学全集で、出たとき(1991年)と、しばらく前との二回読んだだけなのである。しかし彼女はそれ以上にそうたくさんの作品を残しているわけではないから、その大半を読んだと言っても嘘にはなるまい。「歩行」、「アップルパイの午後」、そして「第七官界彷徨」などがそれである。不思議に透き通った、独特の視点で展開される世界。これらが昭和の初めに書かれたなど、驚きである。必読。最初に読んだときは私は入院中であったから、入院時の独特な精神状態に呼応しただけかもしれないと言う危惧がないでもなく、そのため、すごく面白い!と思ったものの一応評価はペンディングにしておいたのだが、やはり再読してそれは危惧にすぎないとわかった。
 その作品にはなんだか一種映像的な性格があると感じた。たしか尾崎翠本人を題材にした映画があったんじゃなかったかな。

 最近になって再評価されている人にほかに金子みすゞがあるが、これはいつの間にやら教科書にも載っているのを発見。娘が授業でやったと言って教科書を見せてくれた。でもみすゞ人気って、やたらに例の「みんな違って、みんないい」とか言う部分だけがその手の(どの手の?)おばさんたちに気に入られて都合良く解釈されちゃってるみたいで、をいをいなんかそれは違うぜ。ちゃんと読んでみなせえ。この人なんか、離婚に際しての子どもに関するトラブルで、幼い子を残してすっぱり命を絶ってしまった人なんである。
 金子みすゞにしても尾崎翠にしても、また最近その人となりに評価の変わってきている宮沢賢治にしても、作品は作者の手を離れたときに独り立ちするものであるが、やはり作者その人に対する理解が作品理解の一助になるのは確かなことであるのだから、いくら作品の解釈は自由と言ったって、作者のとじぇんじぇん違う文脈で「みんな違って、みんないい」ってお手々つないでに使われてもねえ。

 『パ』第五旋律。ここからがまた長く読みでがあるのだ。!!

981215(火)  
  購入本:   なし

 『パヴァーヌ』第三旋律を経て第四旋律。「古い人々」がいよいよ姿を明らかにしてくる。 表紙を取り込んでトップに持って来ちゃった。ハ、ハ。

 先日(7日)の「雪虫」はやはりそれで良く、ところにより綿虫などとも言うそうだ。少し検索してみたところ、主に北海道方面やりんごのできる地方などに多く見られるようだ。葉に群がって樹液を吸うアブラムシ(ゴキブリではない)の仲間だとのこと。アブラムシの羽根(と毛玉)のあるバージョン。東京の府中での目撃記事も見られた。私、国立方面で育ったけれど見たことないなあ。なんか単純だけれどすごくいろんなイメージを持った名前。

981214(月)  
  購入本:   なし

 『パヴァーヌ』第一、第二旋律を終わり、第三旋律にはいる。この作品の、どこに私はそんなに惹かれるのか?その一つは舞台かもしれない。いまと違う歴史を歩んでいるイギリスである。似たような設定にはほかにもキングスリー・エイミス『去勢』とか、クリストファー・プリースト『ドリームマシン』などがあって、これらも気に入り本である。ピーター・ディッキンスン『キングとジョーカー』もそう。
 だからどうしてその舞台がいいの?と問われると困ってしまう。やはり、子どもの時に受けた「岩波の児童文学」の洗礼のためだろう。なんといってもイギリスの古典的な児童文学の多くを、岩波は出してきたから。小三の頃の夏休み、初めて新宿の紀伊国屋に連れていってもらったときの嬉しかったこと。プークマやメアリー・ポピンズや、ドリトル先生や、その他諸々、たくさんの岩波の愛蔵版が平積みになっているのを見て、目がまん丸からお皿状態になってしまってひたすらサーチ!あのときの感動は、今本屋で好きな本を発見したときのトキメキの原点ですね。そう言うわけでイギリスものなら文句なしに手に取ることになる。

 この本の解説には「パヴァーヌ」の意味などについて少々触れてあるのみだが、この作者は音楽方面にはどういう関わりがあるのか、知りたいところである。
 かなり以前、SFMに訳されていたル・グウィンの短編に(同じ号に「サンディエゴ・ライトフット・スー」なども一緒に載っていたような気がするが今手元にないので不確か)ヴィオラ奏者の女性が主人公であるものがあり、トイレの中でヴィオラをさらうシーンが妙に印象的だった。ル・グウィンはほかに『オルシニア国物語』の一編として、非凡な才能を持った不遇な作曲家を主人公とした作品を書いており、音楽が身辺にある人でないと書けないのではと言う感触を持ったので、彼女の音楽方面の背景についても興味あるところなのである。

 ル・グウィンと言えば「女だてらに」パイプを吸うので有名である。
 一方、人生なんて、幻想と誤解でできあがっているのよ、というのが私の持論であるが(?でも言えてるでしょ)、この「幻想と誤解」のなかに「思いこみ」とか「既成観念」とかいうのも含まれうるわけだ。
 最近よく男性性女性性というけれど、それを規定する概念はどんな土壌から生まれたか?この言葉を使う使い手が、なにをこの言葉に込めているか?
 そもそも言葉の意味とは文化や、歴史によって規定され、あたかも話し手と聞き手の共通の概念であるという前提で用いられるわけだが、すでにその時点でじつは共通の意味を持っていない可能性をはらんでいる。
 なんてワケワカメなことを言っちゃって何の事やら。つまり「男性性」「女性性」と言ってみたって、少なくとも今の時点でこれらの言葉を規定しようとすると、非常な困難があるだろうなと思うのだ。いわゆる男社会の規範から規定しようとするとすでにそれは時代遅れなのではと。しかし依然としてその規範で規定され使用されるケースが一般的だろうなと思うのだ。しかし、いまや心ある人は謙虚にこれらの言葉に代表される言葉・価値観を自分の中で検証し規定し直すべき時期だと思う。しかしリベラルな考えを持とうとして、なおも意外に因習や習慣にとらわれた考えをしてしまうのがわれわれであろう(私だけか?)。そんな思いこみのくびきを解き放つ一助になる本・人を思いだしたのである。
 やや古い本だが内容・主張はまったく時代に先駆けている。伊藤雅子『女のせりふ』『女のせりふ120』(未来社)である。著者は長いこと国立市の公民館員として女性問題講座などを手がけてきたひと。女性問題に限らず様々なものの見方に非常に多様で柔軟な視点をあたえてくれ、自分がいかに硬直したものの見方しかしていないか、さらに社会の枠組みにいかにとらわれているかをまざまざと感じさせられる。

 ある主張を述べる文を読むとき、いわゆる女言葉で述べられているものと、男言葉で述べられているものとがあったら、わたしはニュートラルにその内容=主張をその両者から正しく読みとれるだろうか?うーん。全く自信ない。
 そういえばうちの娘はもっぱら男言葉による主張を試みているようだ。あー疲れる。

981213(日)  
  購入本:   レオ・レオーニ   『平行植物』   ちくま文庫
      ロバート・アスプリン   『大魔術師も楽じゃない!』   ハヤカワ文庫SF

 知り合いから1年近くチェロを借りっぱなしにしていたのを返しに出る。借りて間もなくいわゆる主婦湿疹が悪化しだして、指先が使えない状態が続いていたのだ。このところやや好転してきたけれど油断大敵である。ヴァイオリンもそんなわけでご無沙汰、去年一念発起してレッスンを再開した矢先、本格的に悪化しだしてしまった。で、やむなくお返しする。うーん、やっぱりチェロもいじりたいな。サイレントチェロという手もあるが、高いし。もう少し手の様子と相談して考えよう。

 ついでに寄った本屋で上記を購入。2冊買って1785円。値段を見ずに買ったので目が点状態である。あとで確かめたら『平行植物』が本体1100円で、このせいと判明。そうか、図版がカラーなのね、と中を見るが、何だモノクロだ。文庫で手軽に読めるだけ、良しとするか。

 歳末の売り出し時期とて、商店街も福引きなどで賑わっている。アーケードの真ん中あたりに福引き所があり、はっぴ姿のおじさんおばさんたちが通行の邪魔をするような形で買い物客を引き留めている。焼きそばや綿あめなどもあるみたい。
 近くの電気屋でうろうろしていると息子「外ににゃんまげがいるよ」そーお、と生返事をしてふと見ると、げげ、
風野さんもびっくり、例のにゃんまげ(実物大)が、子供らと握手なんかしているではないか。ひえー、やだー。なしてこのような所に。おちびがふらふらとそちらの方の綿あめに引き寄せられていったので近くを通過すると、子どもたちはしっぽを引っぱるやら、握手するやら、おでこをたたくやら、いつ誰がにゃんまげに飛びつくかと気が気でなかった。改めて見るとおじさんたちが着ているはっぴは商店街のではなく日光江戸村ので、そばの机の上に並べてあったのは何あろう、にゃんまげ(小)、にゃんまげ(座布団付き)、にゃんまげTシャツ……。
 早々に逃げ帰り事なきを得る。って程でもないけど。

 しばらく前にキース・ロバーツ『パヴァーヌ』がやっぱりまた読みたくなって図書館にリクエストしておいた。
 これはかれこれ10年近く前にやはり図書館経由で捜してもらったもの。区内の図書館に所蔵していないと、都立図書館、国会図書館と遡って捜すのが通常の経路で、たとえば隣接区に問い合わせるといったことは基本的にはしてもらえないのだそうだが、そのときも国会図書館にもなくて一旦は借りられずじまいになった。しかしそのあと、担当の司書さんがたまたま研修にいった都下の某図書館で見つけたからという連絡があって、幸運なことにそのころすでに一種幻であったこの本を借りることができたのである。最近、偶然その市の図書館員の非公式ホームページを発見したので問い合わせたところ、まだ所蔵しているということなので、これは何かの縁かと思い再び借りることにしたのである。
 その『パヴァーヌ』が入ったというので今日借りてきた。お久しぶり!昨晩真夜中から『ゾッド・ワロップ』を読み始め、これは超好み!とほくほくして3時近くまで読んでしまったが、ちょっとお待ちいただいて先に『パヴァーヌ』を読むべい。む、ふ、ふ。

 昔々読んだ安房直子『ハンカチの上の花畑』、久しぶりに文庫で再読→読了。安房直子はたくさん書いているので、昔からそれと知らずに読んでいることに最近気がついた。この人の物語ってどれも透明で繊細で、硝子細工のように良くできている。同時に、空の向こうの虚無とでもいうようなものを感じてしまい、こわい。

981212(土)  
  購入本:   なし

 久しぶりに子どもたちの学校が休み(第2土曜)なので、寝坊する。土曜と言えど、なんだ・かんだでいつも通りに起きることが続いていたので、あーのんびり。
 昨夜長男が、「明日は早起きをして6時半集合で部活に行く」旨、言っていたが、9時近くになってやっと目が開いた私も同居人も、「あいつ、行ったのかなあ?」「さあ?行った気配ないけど?」なんて、暢気なもんである。珍しく親より早く起きたおちびに、寝床の中から「ニニがまだいるかどうか、見ておいで」と言うが、廊下も、ニニの部屋も暗いので、へっぴり腰で帰ってきて「いるかわかんない」とのお返事。結局、感心なことにちゃんとひとりで(なにやら食べて)そろっと出かけていったようだ。
 でもその理由というのがちっともお利口でないのである。どこかの高校に試合に行くらしいのだが、たぶん電車なら遠回りなので40分くらいかかる所を、運賃が高いという理由で、自転車ならともかく、みんなで歩いていくというのだ。いったい何分かかると言うんじゃ?偉いというかオバカというか…中二の男の子たち。

 ポスペ2001のデイジーセット、ゲット。でも私、新規参入者なのでいったいどうしたらよいのかわかんなーい。も一つ専用のアカウントを取得せねば。
 帰宅した息子「なにこれ、ゲーム?」というので「違うよ、メイルソフトっていうか、メイルをペットに持たせてやりとりするんだけど、尋ねてきた子をお世話してやったり、かわいがったり、たたいたり、ペットがよそでなんか拾ってきたりとか、ペットが勝手にお手紙を…」と説明しかけていると「じゃゲームだ」と断定。あんたは偉い。

 郵便物が山。その中に、ほぼ正方形の硬い封筒あり。私あて、王子の北とぴあからである。もしや、北とぴあ音楽祭のアンケートでまたなんか当たったんじゃあ?昨年は行きそびれたのだが、一昨年はアンケートを書いてサイン入りCDが当たったのである。
 そのシーズンはあたりで、会員になっているある呼び屋(もとい、音楽事務所)のやはりアンケートだったかで、これもサイン入りCDが当たるなど、2,3いいことがあったのだ。
 いそいそ開けてみると…
おおっ、やはり!!ヒロ・クロサキのサインだあ!(ごめん、ロンドン・フォルテピアノ・トリオのみなさんのサインだあ。)どうして、どうして??!厳正に2回当たっちゃったわけ?ラッキーだね!むふふふ。宝、宝。

 高校受験の娘の志望校が一応決まり、あとは滑り止め(全然感心しないというのが本心)に行かずに済むように、せいぜい彼女なりにがんばってもらうしかありましぇん。ガンバレー!
 
その先の進路のことと同時に、またはそれに優先して、娘の個性がつぶされないような所と言うのを基準に考えてきたのだが、どこでもオッケーと言うような出来ならともかく、そこそこの成績なのでなかなか難しい。その中にひとつ、ここ!と言うところがあって、私としてはまだ未練たらたらなんだけれど、今回から募集人員が極端に減ってしまったので、ちょっと難しいでしょうと。もう一つの候補の所と試験日が一緒なので、やむなく没。でも今日ですっぱり、あきらめます!あとはきみ次第だからね。やたらに夜更かしするなよ!これって、自分のことか。…ちょっと参ってるかも>私。

981211(金)  
  購入本:   なし

 ちびちび読んでいた森絵都『カラフル』読了。「あっちがわ」の小林真が「こっちがわ」の真になっちゃったとか、あとの人生もこの世に「ホームステイ」してるだけと思えば楽、なんて言うところが中学生に受けるのかな。彼らの皮膚感覚にはぴったり来るのかもしれない。筋と言うよりそう言う細部の描写や感覚が。カラフルという題名がちょっととってつけたような感じ。

 数日来の寝不足がたたって、死にそうに眠いのでとりあえずここまで。

981210(木)  
  購入本:   尾崎喜八
ジョルジュ・デュアメル
  『わが庭の寓話』   ちくま文庫  
      ポール・ギャリコ   『猫語の教科書』   ちくま文庫  
      池上永一   『バガージマヌパナス』   文春文庫  
      ウィリアム・W・スペンサー   『ゾッド・ワロップ』   角川書店  
      長野まゆみ   『夏期休暇』   河出書房新社  
      ディーノ・ブッツァーティ   『石の幻影』   河出書房新社  
      カルヴィーノほか   『現代イタリア幻想短編集』   国書刊行会  
      荻原規子   『西の善き魔女』3薔薇の名前
&4
世界のかなたの森
  中央公論社C★NOVELS  

 重い重いと思いながらようやっと帰宅したが、書いてびっくり浦島さん。昼休みに上4冊を買って、収穫だーと戻ってきたのだが、午後急に用事ができて早退して池袋を通過することに。その帰り思いの外早かったので西武リブロへ寄る。ぞろぞろと欲しい本が目につく日で、今月のお言葉も空しく、ぼーなすだからいーじゃん?と本買い虫のささやきに従う(喜んで)。

 恥ずかしながら、ブッツァーティの名前はちいとも知らなかった。でも何かすごーく面白そうな予感である。わくわく。河出と、国書刊行会と、両方買ってしまった。ほかのも捜したいな。
 『ゾッド・ワロップ』は、チャールズ・デ・リントがべた褒めだそうで、これもわくわく。題名からして、なんかありそうです。この翻訳本には、原文のテキスト以外のものを載せるなという出版契約のため、訳者の解説(浅倉久志)が小冊子の形で挟み込みとなっている。
 『バガージマヌパナス』は、表紙タイトルが縦書きで、『バガージマ/ヌパナス』と改行してあるのだが、これってそう?沖縄方面のひとに訊かなくちゃ。そう言えば駅のアナウンスなんかにもあるでしょう、「○○行きの電車がまいります」と電車がを強調して言うのが。来るものは電車に決まっているのだからして、「○○行きの電車がまいります」なんだよ。……話がずれた。

 『年刊SF傑作選3』『カラフル』『ハンカチの上の花畑』ちゃんぽん読み中。つい、軽く読めるものとか短編に手が行ってしまうこのごろ。長野まゆみでちと疲れましたか。

981209(水)  
  購入本:   マイケル・マークス   『黄金のりんごの王子』   新書館  
      安房直子   『ハンカチの上の花畑』   講談社文庫  

 先日の職場の忘年会の会場のすぐそば、ということは職場のすぐそばに、もう一軒古本屋があったので、行ってみた。古いウインドウにじっと座る猫あり。「作り物?あー、動いた」などと、通りがかる人たちが言っている。大きくてゆったりした、美猫である。
 売り物の整理はあまり良くなくて程度もさして良くないが、上記を発掘。マークスって、マークス・寿子さんの夫だった人。寿子さんは離婚後もその姓を名乗っているわけである。安房直子のは、実家にハードカバーがあるが、ちょうど安房直子のほかの作品のことを人に尋ねられたところで、ぱっと目にはいったので、久しぶりに読んでみましょうと。並べてある本の上をしずしずと猫たちが歩いて行くのが何とも。私は好きだけどね。

 数日前から、たまたま職場の本置き場から掘り出したジュディス・メリル編『年刊SF傑作選3』(創元推理文庫、1968年)を合間あいまに読んでいる。ラファティ、ポール・アンダースン、ブラッドベリ、ゼナ・ヘンダースンなど14編のアンソロジーで、1962年発表の作品である。
 やはり、懐かしいという感触。安心して読めると言ったらよいか。そして、まあ古さでもあるのだけれど、素直に驚きを驚くことができるとでもいう率直さが好きだ。ラファティの「恐怖の7日間」とかアンダースン「生贄の王」、ブラッドベリ「世にも稀れなる趣向の奇跡」などそれぞれに印象的である。その中の一編、ジェイムズ・ホワイト「クリスマスの反乱」に出てくる子供たちが、まるで今のわれわれのようじゃないかと思った。って、Webで遊んでいる私たち。

981208(火)  
  購入本:   なし

 職場の友人たちと、青梅線の沢井にある小澤酒造の豆腐料理屋「ままごとや」に行った。参加者は5人だがばらばらに1時半集合。私と隣の席のオネエサマとは、御獄駅まで行って川井玉堂美術館をのぞく。
 晩秋から冬の絵が展示してあり、晩年住んだこの地ではきっと雪が多く見られたのだろう、晩年の作品が多いのに気づく。楽しんで描いたらしいラフでのびのびした線が、日本画にありがちな形式美をはみ出しており、凝った肩をもみほぐされるような心持ちがした。

 多摩川上流沿いのこの地は、まだかやぶき屋根が点々と見受けられる。小中学校の時は遠足コースだったが、立川から青梅あたりまではすっかり変わってしまったという印象が強かったのに、さらに奥の方に入って山がちになってくると、基本的に昔とあまり変わっていないという感じ。
 日向和田(ひなたわだ)、軍畑(いくさばた)、さらに先に行くと古里(こり)、鳩ノ巣、終点の奥多摩など、なじみのある名前が並んでいて、高校の同級生がいたっけ、とか、中学の先生がこの駅だったとか、一挙に思いは過去へ。奥多摩はたしか、昔、氷川って言う名だったのでは?

 都合で朝早く出ることができなかったため、あまり歩き回る時間はなかったが、御獄から沢井まで、多摩川沿いの遊歩道をくだった。このあたりはカヌーのトレーニングポイントとなっているらしく、カヌーが陸揚げしてあるのが何カ所か散見され、実際にトレーニングしている人も3,4人見られた。沈してパドル(っていうの?)を流され、自分も急流にどんどん流されている人もあり。カヌー本体はどこ行っちゃったのかな?ウェットスーツにスカート状のものが付いているのが、かわいいね。寒そうだけどやってみたいな!!

 天気は回復するといいながら、ずっと曇天だったので、山には低く雲がかかり、なかなかな眺めである。比較的暖かいので歩くにはちょうど。
 沢井の小澤酒造・清酒澤ノ井の醸造元に、ちょうど時間に到着。
 澤ノ井がやっている料理屋ままごとやの、6000円のコースと5000円のコースはどこがちがうか。福生在住の知人によると、5000円は相部屋。6000円は個室で川が見える部屋。料理は同じ。と、前日訊かされたがほんとかな?借景料1000円かいな。ちなみに我々の会費は6000円だよ、とほほ。

 しぼりたて(新酒)は喉ごしがよく、新酒独特の酸っぱいような香りが食欲をそそる。あと、生酒と大辛口を。食事と一緒だと新酒は特に甘いわね。うーん、料理はね、甘みが勝っていて、飽きて来ちゃった。関西風に甘いのでなく、甘辛って言う感じ。おみやげに、吟醸生酒を一本仕入れた。

 部屋から見る多摩川の対岸にはお寺(名前忘れた)があり、時々鐘の音が渡ってくる。鐘楼を覆う大きな木々の葉が、風で一斉に散るのが雪のようでなかなかな風情である。
 あたりには雪虫(ゆきむし)というのか、小さい羽虫でおなかに3、4ミリの真っ白い綿毛をつけたのがちらほら舞っている。今日のような曇り空の日によく飛ぶのだという。本当は何というのだろう?

 電車が混む直前に帰れてよかった。青梅線ではずっと寝てしまった!初冬のリクリエーションでした。

981207(月)  
  購入本:   星野道夫   『アラスカ 風のような物語』   小学館文庫  
      たむらしげる   『サンタのおもちゃ工場』   メディアファクトリー  
      たむらしげる   『サンタとふしぎなながれ星』   メディアファクトリー  

 きのう『ヴァインランド』(新潮社)をゆっくり見られなかったので、職場近くの本屋にあるかと見に行くが、やっぱりこの店にはなーい。ううむ、客層のせいか、店のせいか。かわりにきのう横目で見送ったたむらしげる本があったので、やっぱり購入。シーズン逃すと見かけなくなりそうなので。星野道夫のは、大きい本をいずれ買おうと思っていたが、文庫も昼休みに読むのにいいなと思って。それに表紙が星野さんの写真なんだもの。置いて帰れない。

 ばかなことをひとつ。12/5にも書いたRead Meのことだが、どうも登録終了のパスワードが送られてこないと思ってパスワード取り寄せというのをしてみたら、ニャンと「アカウント未登録」という返事である。どうしてじゃ。入力するとき、3回も見直したのに、私の入力ミスか?問い合わせたら何のことはない、「再登録してください。」ブー。というわけで、再登録しました。細田さん、管理人が明らかにおバカなときは減点ですね!もうほんとに、知る人ぞ知る、私のおバカ加減を。ブッ、ブー。

 そう言えばきょうは、はやばやと職場の忘年会であった。お魚づくしだったので期待していったのだが、まアそれほどでもなかった。八海山も最近どこでも見るし、幻の酒なんていうものも、かつて幻と言われた酒、と言うのが当たっているのだろう。

981206(日)  
  購入本:   浜 たかや   『龍つかいのキアス』   偕成社  
      森下一仁   『現代SF最前線』   双葉社  
      長野まゆみ   『八月六日上々天気』   河出書房新社  
       〃      『星降る夜のクリスマス』    〃  
       〃   『クリスマスの朝に』    〃  

 久しぶりに寝坊をして、カーテンを開けるとまぶしい朝の光に「わあ、いい天気!」と思わず声が出る。
 ところが娘が朝から咳き込んで、一旦起きてきたものの「塾休むから」とまたベッドに戻り、そのままずうっと眠っている。疲れているようだ。何もしないのに夜中まで何となく起きていることが多く、寝不足からの疲労がたまったせいで風邪につけこまれてしまったようだ。
 本当は午前中から年中行事の一つ、「銀座の伊東屋にカレンダーを買いに行く」というのをしたかったのだが、断念。むっすー。しかし、昨晩泊まりの仕事だった連れ合いが予定より早く昼前に帰り、それじゃあ幾分でもすいている今日のうちにやっぱり行ってしまおうと言うことになり、娘のお許しを得てみんなで伊東屋へ。ついでにやたらに厚い2冊を含む上記を購入(伊東屋でではないよ)。『龍つかい〜』と『現代SF〜』はその厚さを争うのだ。あー、重かった!

 きりたんぽをしたあと、日曜洋画劇場「Xファイル Max」をみんなで観る。こわいですね〜。

981205(土)  
  購入本:   荻原規子   『西の善き魔女』1
 
セラフィールドの少女
  中央公論社C★NOVELS  
       〃   『西の善き魔女』2
 
秘密の花園
   〃  

 起床時からなかなか明るくならず、しっかり雨が降っている。少しは降ってくれなくちゃと思っていても、いざ降るとなると「また雨だ!」と言う反応になってしまう。土日に降られると洗濯やふとん干しに差し支えるし、家中うっとうしくていやです。平日降ると、チャリ通ができない(傘さして自転車に乗れない)ので、やっぱりいやです。夜降って朝あがってくれい!

 洗濯やさんにどうしても行かねばならないので、お昼前におちびと出かける。こいつも上手に傘を差して歩けるようになったので、雨の日の外出もよほど楽になった。
 上の子たちのお昼を調達した後、近所の本屋さんをのぞく。柄にもなくパソコン関係の雑誌を物色し、おちびにはウルトラマンガイアの出ている塗り絵・切り張り絵本を買わされる羽目になった。ふだんあまり見ないノベルスの棚を見ていたら、荻原規子の作品があったので、購入。確かもうCまで出ているはずである。

 雨の日の午後、本当は家中の掃除などをしなくてはならないのだが、持病の一つが低気圧病*なので、だらだらスキャナーやなんかをいじくって過ごす。
 
*)低気圧病:低気圧がくるとそれを口実にだらだらしたくなる病。やりたくない病の一。

 そうそう、10日ほど前、よくわけわかんないまま、Read Me に登録したきり忘れていたのだが、今日、細田さんのところの「新作おすすめサイト」で良い評価をされていることを知らせてくださるメイルを頂いた。あらら、びっくり。うれしいな。

981204(金)  
  購入本:   カレル・チャペック   『山椒魚戦争』   ハヤカワ文庫SF  
      ジェイムズ・L・ハルペリン   『天才アームストロングの
 たった一つの嘘』
  角川文庫  
      小林章夫   『物語 イギリス人』   文春新書  

 目覚まし時計が鳴らなかった!いつもと違うところに置いたときにスイッチにさわってしまったらしい。ほとんど遅刻状態。きのうの帰りに氷雨に降られたので、自転車は職場に置いてきてしまったから、悲しいことにたくしい出勤である。今日の運転手さんは道を知っていたのでワンメーター、よかった。

 昼休みに宝くじ売場を通りがかったので、つい年末ジャンボを購入。ここの売り子さんのひとりが、職場では「どらえもんのおばさん」と呼ばれていて、ホント声がそっくり。買うときは、「当たり券ください」って言って買うんです私。
 どらえもんのおばさんは、にっこりして「当たりますように〜」って、どらえもん声で言ってくれるので、なんだかひとときほんわかしてしまう。その割に当たらないわね。

 帰宅時、6時を回ってしまい、これは保育園のお迎えには中途半端な時間である。
 5時から6時までを「特例保育」と呼び、これは保育料のうち。6時から7時まで(最終)は、「延長保育」となり、月々保育料のおよそ1割くらいをよけいに払う必要がある。6時を過ぎると、「延長」の子供たちは、軽いおやつを食べるのである。おせんべいとお茶とか、クッキーと牛乳とか、ミカンと牛乳とか、その程度。
 6時頃に職場をでると、ちょうどこのおやつが始まる時間なのである。10人かもう少しの人数の異年齢の子供たちが、一つテーブルを囲んでおやつが運ばれてくるのを待っている。そんなときにお迎えに行くと、「食べてからかえるー」と椅子にへばりついたり、「おむかえ早かったー」と恨めしそうな顔をされたり、どちらにしろ動かない。中には食べかけでもお母さんの顔を見ると「いらない!」とおやつを放り出して帰る子もいるが、うちの子は前者。いいんです、食べてかえって。し・か・し!うちの子はチョー遅いのだ!食べるのが!1歳も2歳も年下の子がとっくに終わっているのに、まーだ半分も食べていないって言うのが、ざら。タイミングが悪いと10分も20分も、そばでいらいらいらいら待つことになる。一刻も早く、と自転車をとばして帰ってきた母の心なんて、わかってくれないのよねェ。
 だものだから、6時を過ぎてしまった今日は(ホントはいけないのだけれど)、ちょっと図書館によって時間調整してからお迎え。保育園の手前、100メートルほどの所の通り道なので、まあいいでしょ。リクエスト本がはいったとの電話もあったし。

 借りたのはアルフレッド・ランシング『エンデュアランス号漂流』(新潮社)、森絵都『カラフル』(理論社)である。
 『エンデュアランス〜』はシャクルトンによる1914年の南極大陸横断旅行の詳細な記録である。10年ほどまえ、どういうきっかけだったか、アムンゼンやスコットらの探検記をいくつかまとめて読んだことがあり、それが思いの外面白く、出会って良かったと思った。最近出版されたこの本は、「星野道夫が愛読した本」というのがキャッチコピーである。これをつけるとより売れると目論んだのだろうし、実際そうだと思う。しかし私としてはこれはない方が良かった。この本自体の中身で勝負させてやりたかったのだ。と言ってもまだ読んでない訳だが、間違いなく面白いと思う。やたらに売ろうなんて思わず、こういう重みのある記録はしっかり(絶版なんかにせず)ちゃんと残しなさい新潮社さん。出版社としての責任だと思うぞ。リキ入れてないで、早く読めって。
 『カラフル』はちょうどその年頃の子もいることだし、なんでもとても人気があるって、そういう興味で、私には珍しい動機である。でもちらちらっと見たらなんだか面白そう。ほかのより先に読んじゃおうかな。

 おちびが先日借りた『ナージャとりゅうおう』を気に入って、きょう3回読まされた。なかなかいい絵である。

 職場の美術館友だちが、「ハイ、誕生日祝い」と植島啓司『宗教学講義』(ちくま新書)を手渡してくれた。なんだこりゃ?副題「いったい教授と女性とのあいだに何が起こったのか」とある。あんた誰?と言いつつ、裏表紙の著者紹介など見ると宗教学専攻の方である。なんでしょうこの本。

981203(木)  
  購入本:   なし

 ミーティング(ゼミ)の当番のため、ドロナワではあるが、半日かかって論文を読んでレジュメを作って……目がしょぼしょぼ、冷たい雨が降り出したのも気づかなかった。ところが!えーん、えーん、せっかく今回は延期することもなくちゃんとまじめに間に合ったのに、5人の室員のうちひとりはボスに連絡なく早退。ひとりは突然実験の虫。ひとりは「そんなもん、あったけえ」状態。残ったボスと私、顔を見合わせて憮然、である。「じゃあ、管理職の会議の連絡事項だけにしようか。ゼミは延期」よかったような、ソンしたような。「黙って帰った人にこそペナルティ、だよね」とボスの有り難いお言葉、ついでに私のゼミ、免除してくれると嬉しい。無理か!

 帰宅後、コンビニから帰ってきた息子「みぞれって言うか、雪だよ」に、いそいそ窓を開けて外を眺める。いやー、電燈に照らされて白い物体が降っている。寒い筈です。理科のお勉強の息子は「固体が降ってる」ハイハイ、そうです。

 先日、『我が青春のマリアンヌ』をやるのを発見し、あわてて録画セット。むかし原作の古本があったのに、姉のだったものだから処分されちゃったのだ。それ以来手に入らず、いつかお目にかかりたいものと思う。イメージとしてしか記憶にないのだが、うん、ちゃんと録画できていて良かった。『モーヌの大将』もよかった。映画の題は何だったか…。
 昨日は日中、ジョン・ベルーシの『ネイバーズ』を録画した。これは初めてである。確認のため出だしをちらっと見たが、いやあ、ベルーシ、若い!がっかりしたことに、これは吹き替えなんである。昼間だからしょうがないのかしら。さてこの2本、いつゆっくり観られるかな?楽しみ、楽しみ。

 懸案のクリスマス本の頁をやっと制作し終えた。見てね。

981202(水)  
  購入本:   なし

 寒い!あしたのゼミの準備がまたまたできていないので、今日もまともな日記が書けまへん。あしたね。

 そうそう、今日、アルバイトの女の子が帰りにビックカメラに寄るというので、ポスペのスペシャルパック・デイジーセットを注文してきてもらうことに(彼女はすでにチューリップセットを注文したのだ)。まだ、あるかな?

981201(火)  
  購入本:   百々祐利子   『児童文学を英語で読む』   岩波ジュニア新書
      西山 清   『聖書神話の解読』   中公新書

 寒いのあついのと言っているうちに、今年も師走に突入。馬鹿陽気である。本屋はすっかり家計簿のオンパレード。先月は本を買い込みすぎたので、気をつけなくっちゃ。と言うだけは言ってみよう。

 ビックカメラに電話して、ポスペのスペシャルパック(4種類のフィギュアつき)を電話予約できるかと訊いたところ、12月25日発売の通常版しか受け付けないと言われた。スペシャルは「ご来店でのご予約」になるのだそうだ。うーむ、一日考えよう。それにしてもビックカメラパソコン館の交換の女の子は、「ポスペ」と言って通じず、「ポストペット」と言ってもわからず、しょうがないので「ソフトを扱っているフロア」と言ってやっと通じたのだが、まさか「iMac」と言って通じないとか…ないよねえ。

 長野まゆみ『雨更紗』読了。

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ニムの木かげの家
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最終更新2001.02.04 16:52:38