ニムの木かげの家日時計 2001. 7月

 
2001 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 Index

日記へのリンクは<http://www.mars.dti.ne.jp/~gmotaku/diary2001/hdkmm.htm#mmdd>へお願いします。

▲最新の日記▼読了本
>bk1書籍検索

1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

2001.0701(日)
購入本
ゼイディー・スミス/『ホワイト・ティース 上』/新潮クレストブックス

 白っぽいチノパンがないないと連れ合いが騒ぐので、午前中に帰るつもりで出かける。が、やっぱりなんだかんだで戻ったのは3時近く。いやはや、暑い!イチジククリームのミニシューが、試験勉強真っ最中の上の子たちへのおみやげだ。

 今朝の読売新聞の書評欄で見た『ホワイト・ティース 上』を買う(記事はWebには載っていない)。ラシュディらが推薦、ディケンズにロンドン、ジャマイカ生まれ、時間を行き来する、とあっちゃ、これを買わないでか。これを買うぞという目的で本屋に来たのだが、そうとは知らぬ上下2冊だったので一瞬ためらったのも事実だ。

 『壁のなかの時計(ルイスと魔法使い協会)』というのはしばらく前から目についてはいたのだが、ハリポタくさいように思って敬遠していた。しかしなんと、『霜のなかの顔』のベレアーズの作品ではないか。うーん、どうしよう。逡巡したものの、今日は金欠病のため見送る。明日も昼休み、暑いと銀行に行くのをためらってしまうぞ。

 PhotoshopElementのお勉強。あどべのソフトはなじみがないので、よくわっかんなーい。これからはそうも言っていられないのでン十の手習いてところかな。今日も本読めず、実は欲求不満だ。

2001.0702(月)

 『昔、火星のあった場所』読了。あとがきで作者本人が書いているように、気がついたら終わりに来ていたと言う感じ。『クラゲの海に浮かぶ舟』よりさらにつかみ所がないように感じられた。そのシーンそのシーンは全然違和感なく読めるのだけれど、そのモザイクの位置関係、立体構造が把握できない。なにか糸のはじっこを掴めれば、するするとほどけていくような気がしてもどかしい。「2001年宇宙の旅」のイメージが邪魔しすぎているのかもしれない。石臼は?とか、イガ栗は?とか余計なことを考えてしまう。火星名物のたぬきまんじゅう〜(謎)。要再読。

2001.0703(火)

 『われはフランソワ』読了。クリュニー美術館の、「一角獣と貴婦人」のタピスリまで出て来ちゃったよ(なかなかこの画像がないのだ)。このなかのウサギの遠い子孫が、クッションになってうちのソファに転がっている。悪だ、悪こそ美だと言っている割に、このフランソワはいいヤツだなあ。何かに動かされるように人生を歩んだヴィヨンを、一人称を用いながら、べたつかずどこかさらりとした感触で語っている。絞首刑を辛うじて免れたあと行方不明となった詩人(史実)は、やっぱりそのあと漂泊の人生を歩んだのだろうか。山之口さん、ご自身がなんと言ってもロマンチストだと思うぞ。

 研修だミーティングだと言って実質的な仕事時間が異様に少ない今週。困る〜。

2001.0704(水)
購入本
ジョン・ベレアーズ/『壁のなかの時計(ルイスと魔法使い協会)』/アーティストハウス

 なんなの、この暑さは。いや、熱さ、と書くべき。オーヴンのドアを開けたよう。灼熱というか。銀行方面に用があって仕方なく昼休みに外に出たが、日傘の下でもものすごい日光に、視界はまっちろけ。サングラスかけるんだった。

 昨晩から『ホワイト・ティース (上)』読み始め。饒舌で、これは面白い。読む前から、題名に、黒人の笑った口からこぼれる歯の白さを想起したのだったが、やっぱり19歳の黒人の少女クララが登場。しかし痛快なことに、2階の階段から印象的な現れ方をした彼女は、こぼれる白さも何も、なんと前歯がないのだった。

2001.0705(木)

 『ホワイト・ティース (上)』には、つい『夜ごとのサーカス』を思い出してしまう。いや全然違うんだけれど、繰り出しても繰り出してもまだ止まるところを知らないその素敵な饒舌。登場人物の一人・サマードは、年がいってから父親になり、「子どもに感染して」しまった。それと同じような具合に、こういうたちの自然な(と見える)饒舌は読者に感染する。実際に書く文章に症状が現れると言うわけではなくて、ものの見方・感じ方に症状が現れる、と言う感じ。その饒舌はとても意識をリラックスさせてくれるタイプのものなのだ。

2001.0706(金)
購入本
寮美千子/『おおきくなったらなんになる』/鈴木出版
中村融・山岸真 編/『20世紀SF 5 1980年代』/河出文庫
エルサ・ベスコフ/『ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん』/福音館書店
 〃 /『おりこうなアニカ』/ 〃
 〃 /『おひさまのたまご』/徳間書店
坪倉優介/『ぼくらはみんな生きている』/幻冬舎

 今日bk1から届いていた中の『ぼくらはみんな生きている』を手に取り、引き込まれて読む。サックス博士とかああいう内容にやや近い興味を抱いて入手したのだが、もちろん専門家が書いたわけではなく、どこかの評にもあるように、アルジャーノンばりの文章から始まる、交通事故で重度の記憶喪失になった18歳の青年の手記である。しゃべることは出来るが、読むことはおろか、そもそも食べるということがわからない、味というものがわからない、ものの名前も意味もわからない、人の顔が識別できない、人間という集合が良く理解できない、などなど、様々なレベルでの外界の認識に困難がある。著者が、赤ん坊か幼児のような状態から少しずつ新しい感覚を得、経験を積み重ねて、次第に新しい人間関係を築いてゆくさまが描かれてゆく。新しい感覚の獲得のさまは、状況を思えば悲壮であるが、その一方いわばみずみずしさにあふれ、その新鮮さに揺さぶられて涙をうかべる。赤ん坊や幼児が、語る手段を持っていたなら、こんな風に表現するのだろうか、と。…では、続きを読みます。

 『おおきくなったらなんになる』読了。一見あまり好きなタイプの絵ではなく、出だしもどちらかというとまあ普通という感じを受けたが、後半が素晴らしい。彼女独特の宇宙的広がりが、やっぱりいいよねえ…。一挙に空の高みに上ったような、遙かな視野を与えてくれる。改めて「おおきくなったらなんになる?」と顔を見合わせるラストは、自らの可能性を知った子どもたちの喜びと満足の静かな爆発を秘めている。そう感じて最初に戻ると、一見普通の出だしが違うメッセージを帯びてくるのだ。

 昼休み本は『ホワイト・ティース (上)』、情事が子どもたちにばれたと思いこみ、その姿が目の前にちらついてたまらないサマード。昼休みで誰もいなくて良かった、喜んでしまいましたあ。まだ下巻がたっぷり残っているとはなんと嬉しいことでしょう。

 夕食後睡魔におそわれようとしていたら長男が「ジョニー・デップ出てるよ」と教えてくれた。「ナインスゲート」である。うっとりー。ジョニーさまにうっとり、そして本!建物、風物、みんな素敵ー!古書が整然と収められた広大な書庫のガラスのドアが開かれる、うわあっ、本の匂いが…!得々と語られる「本」の魅力。ものとしての本という形は本当に好きだ。この書庫の持ち主の蔵書家が語るように、その形態の中に中味がずっしり詰まっているということが必要条件であることは言うまでもない。束見本や「白い本」もそれなりに魅力はあるが、そこにどうしても活字の幻を見てしまうのが、一種の本ふぇち。映画の中で、大事な古書を扱いながらやたらに煙草をすっているのにはハラハラし通し。別の蔵書家である男爵夫人が、煙草を吸おうとするジョニーを「ここは禁煙」とぴしりと制する場面があったが、どうなのだろう、その道では、とくに、超高価な古書を扱うときはすべからく禁煙と言うことにはなっていないのだろうか?そして目当ての本が次々と火の中に投げ込まれて焼かれるのは、実に辛い。お願い、映画とは言え、本を燃さないで。

2001.0707(土)

 星の見えない七夕。次男に、「学校で七夕さまやった?」と訊くと「やらないよ」と言うので、「あ、学童でやったのね?」と言えば「やらない」と答える。そ、そうだったのか?なんて怠慢な学童保育<うちでやれよ。今年はつい暑さに負けて笹飾りも用意しなかったため、先週近所の公園でやっていた短冊作りをさせただけの、気の入らない七夕に終わってしまった。ごめーん。

 『ぼくらはみんな生きている』読了。脳というネットワークの不思議さに打たれる。いくら説明されても全く思い出せなかった事故前の記憶が、ほんの一言がトリガーとなって鮮やかに甦る。満腹感もわからずに食卓に出されたものすべてをおなかに詰め込んでしまうのに、そのいっぽう、(たぶん)一見普通に会話をする。こうした様々のレベルの情報や、感情はどのように脳の中に格納され呼び起こされるのか。記憶とその引き金とはどういう仕組みになっているのか。私はどちらかというとこのような視点と興味が先立って読んだが、全体としてどの辺に焦点があるのか今ひとつ絞り切れていないように感じた。母上の手記が途中数回にわたって織り込まれているが、妙にあっけらかんとした印象を拭いきれない。決してそんなはずはないのだけれど、母上のキャラクターと言うより、編集サイドの踏み込み不足か。「普通」の、しかももっとも身近な人の証言としての意味合いが強いので、これで構わないと言えば構わないのではあるが。これも含め全体として、前述のように焦点が絞り切れていないのか、あるいは非常にプライベートな題材でもあるためにこのようないわば妥協点に落ち着いたのか、いずれにせよ、あれ、こういう風に終わるものだったのかなあ、という感じは否めない。もちろんこれは本としての持って行き方の話で、著者自身や家族らのそうした経験の重みを軽んじる意味の感想ではない。著者は記憶喪失の原因となった事故から十数年経過した現在、染織家として独り立ちしているとのこと。

 一日なんだかんだ家の片づけをする。その途中で、終わりまでもう少しという所で行方不明になっていた山口ヒロミ『天音』(あまね)を発掘し、読了。著者は重度の身体障害者の娘を持つ母親で、「天音」は娘の名だ。天音の16歳頃から、19歳で亡くなるまでの間に書かれたエッセイがまとめられている。脳性麻痺の天音は医学的には目も見えず耳も聞こえない、一日中両親か介護者にだっこされていないと眠ることすらかなわないほどの重度の障害を抱えている。だから著者は『ぼくらはみんな生きている』の著者の母上とは違って、自分の子どもの命すべてを預かっているに近い立場にあり、天音が実は何を感じているのかを本人の言葉としては知り得ない状況にあった。病気と障害の区別が付きにくいような天音が、それでも発揮している生きようとする力を、著者夫婦は信じ、感じ取ろうとしている。それは希望ではなくて現にあったものに間違いない。そんな天音との日々を、非常に美しく昇華させて描いているが、こうした状況は私にとっては想像を絶するもので、その日々の重み、命の重みをただ頭を垂れてずっしりと受け入れることしかできない。数多く配された著者の銅版画が、彼ら親子3人の精神世界を表すかのように、不思議な味わいを醸し出している。

 『童話物語 上』が幻冬舎文庫文庫から出たようだ。これは大変面白かったのだが、うーん、私は好きではなかった。どうせ文庫版を買うんだろうからまた読んでみるか、うーん(苦)。いやならやめればいいのだが、絶賛する人も多いので、うーん。文庫化を思いださなけりゃよかった。

 あっ、上橋菜穂子『虚空の旅人』が出るのね!守り人シリーズの外伝だそう。キャッ。

2001.0708(日)
購入本
澤井繁男/『イタリア・ルネサンス』/講談社新書
阿辻哲次/『漢字道楽』/講談社選書メチエ
向山貴彦/『
童話物語 上』/幻冬舎文庫
MOE 8月号』/白泉社

 仕事用の書籍を探しに池袋へ。本当はジュンク堂探索に行きたかったのだけれど、暑さと時間的制約のため東武・旭屋へ。長男は行方不明、娘は期末試験の最中、連れ合いはこの炎天下おテニスなので、行き場のない次男を餌で釣って連れてきたのである。餌は、先日次男が旭屋のレジ近くで引っかかっていた、新手のブロックである。「この前のブロック、先に買おうか?そしたら、帰る帰る、って言わないよね?」「うん!」レジで袋に入れてもらった獲物を手に取るなり、「帰ろう…!」(;.;)

 帰宅後、先日入手したベスコフの絵本3冊を読む。いいなあ、たのしそうだなあ、アニカになりたい。牛に引きずられるのはヤだけど。

 購入本のうち『漢字道楽』は新聞の書評で見たもの。著者の名字の「辻」の字は、点がふたつあるほうのしんにょうに「十」を書く字。ATOK14で二つの部首を組み合わせて検索するが、これが、ないのだ。もしかして本文中でこの点について言及があるのかな?

2001.0709(月)

 『ホワイト・ティース (上)』を読みながら知らぬ間に次男と沈没。職場で見るからに一日眠そうに動いている同僚がいるので、「眠いの?」とニコニコ声をかける。自分を棚に上げている訳じゃなくて、同類がいて嬉しいのだ。中は冷房、外は酷暑で、だるさ全開である。こんな気候だから、からだが睡眠を欲しているのよ!というわけで、眠気には抵抗しない方針で行く。

2001.0710(火)

 一種の持ち帰り仕事をする。『ホワイト・ティース (上)』は昼休みだけながら順調に消化中。どこにでも属していながらどこにも属していないものの悲哀を感じるサマードの息子、移民に2世なんかない、いつでも1世だと言い切るサマード、次第に話は佳境へ…って、ずっとさいしょから佳境と言ってもいいんだけど。クララのかげが薄いのはなぜだろう。

2001.0711(水)

 昨晩の夜更かしのせいで一日頭痛がとれない。夜更かしの元のヤツ=ジョーシは、けろっとしたものだ。人が心配しているのにまったく〜。長生きしろよ。

 本屋にはハリポタの新刊が、柱のように、と言うかダルマ落としのように、というか、えらく高く積んであった。2作目も読んでいないので、倒さないようによけて通る。上橋菜穂子の新刊は見あたらず。たむらしげるの新刊もまだかな?

 やっと梅雨明け宣言が出た。天気予報よりずっと先に体感している。葵やひまわりはとっくに立派に咲いている。以前次男が学校から持ち帰って来た朝顔の苗2本のうち1本は、しばらく前から毎日律儀に花を咲かせているが、やや成長の遅れているもう一本は、いっこうに花芽がつかない。葉の元から花芽らしきものが出ても、翌日にはつぼみではなくて新しい蔓だと言うことが分かる。ただの緑の蔓が支柱に絡まっているのも、それはそれで夏らしくていいのだけれど。でもってうちの女子高生は長かった期末試験が終わり、たががはずれたようにただいま何やら奇声を上げている最中。試験が終わるとともに夏物セールも終わっちゃうのだ、ハハハ(きんけつびょう)。

2001.0712(木)

 この猛暑というか酷暑というか熔暑というか<造語(*^_^*)のまっただなか、職場から一年生の次男の学校の保護者会へ行く。お日様ご勘弁くだせえと唱えつつ、日陰を選びながら、なるべく汗をかかないようにそーっと自転車のペダルをこぐ。しかしそんな努力もむなしく、小学校に到着したとたんどっと吹き出る汗また汗、拭いている間に全体会は終わってクラス懇談会へ。これがまた、だめ押しのように暑い。担任が言いたい放題あれこれまくし立てるうち、あまりの暑さに気分が悪くなってきた。石原さんよ、我慢が大事と言ったって、昔の夏と今の東京の夏では暑さが違いますがな。こんな環境で勉強しなさいと言ってもそれは無理です。

 担任曰わく、親は連絡帳にモンクを書く前に、「済みませんが」とか「申し訳ありませんでした」とか枕詞を書きましょうね。転んで泥だらけになったようなときに学校から服を借りて帰ったら、返すときにはどうしたらよいかおわかりですね?常識ですから言うまでもありませんが、新しいのを買って返しなさい、と言うことですね。1学期に給食のお皿が17枚割れました。36人いるから、二人に一人はお皿を割っていると言う計算ですね。うんぬんかんぬん、一方的に言うこと言うこと。あまりの暑さに聞き違えたのかと思うようなことを担任だけが山ほど言いまくっておしまいになったこの保護者会、いーったい何だったんだ。

2001.0713(金)

 6月なかばから懸案だった仕事がひとつ片づき、すっきりする。ちょっと行き悩んでいてくさっていたのだ。

 『ホワイトティース 下』、移民の子どもたちによる、あるいは故郷の喪失、あるいは故郷の発見。登場人物それぞれが「こんなはずじゃなかったに」と各々の現況に対していわば無力感を抱く中、アイリーは、自分のルーツ・ジャマイカを見いだす。

2001.0714(土)
購入本
ポール・スチュワート/『崖の国物語1 深森をこえて』/ポプラ社
正高信男/『子どもはことばをからだで覚える』/中公新書
妹尾ゆふ子/『チェンジリング 赤の誓約』/ハルキ文庫
 〃 /『チェンジリング 碧の聖所』/ 〃
アルフレッド・ランシング/『エンデュアランス号漂流』/新潮文庫
恩田陸/『三月は深き紅の淵を』/講談社文庫
老舎/『駱駝祥子』/岩波文庫
C・S・ルイス/”The Lion, the Witch, and the Wardrobe”/講談社英語文庫

 昼から池袋にて大江戸さん、MAKIさん、まこりんさんと酷暑オフ。話題はあれこれだったのだが、しばしば飛び交う「あっ、その本、ツボ!」「あっ、それはツボだった!」の、「ツボ」っていったいなんだろう、どこが「ツボ」なんだろう、というまこりんのつぶやきが気になる。自分のことばでそれがきっちり言い表すことが出来たら!もう一つ、『童話物語』の、面白いことは面白いのだがイマイチもイマニも腑に落ちない、もやもやする、と言う点を、解明できたら!と言っても解明するために精読するつもりにはならないのだけれど。

 充分以上食べて話してから、そうだ、ジュンク堂に繰りだそう!ということになって、ジュンク堂急襲。この暑さにもかかわらず、結構客が多い。児童書売り場を手始めに、分散して後刻集合のはずが、結局うろうろする場所はみんな似たような所。ちはらちゃんを見つけてご挨拶。暑い穴蔵でごくろう様です。4人でしばしお茶にしてまたあれこれ喋る。お三方へ、それはここです>有里さんのプチbk1用リンク作成支援ツール

 解散後、7時頃自宅近くにさしかかり、連れ合いと次男が行っているという、近所の盆踊り会場に寄る。結局保育園仲間と話が弾み、8時半過ぎに盆踊り終了後、話し足りずにファミレスに流れる。暑かったよう、荷物も重かったよう(本買いすぎ)。ジュンク堂とファミレスとで普段飲み慣れないコーヒーを2杯飲んだので、何だか気持ち悪い。

2001.0715(日)
購入本(旭屋池袋店)
マヌエル・リバス/『蝶の舌』/角川書店
トニー・パーソンズ/『ビューティフル・ボーイ』/河出書房新社
重松清/『エイジ』/朝日文庫
マーク・トウェイン/『完訳 ハックルベリ・フィンの冒険』/ちくま文庫
(bk1)
田沼靖一/『死の起源 遺伝子からの問いかけ』/朝日選書
国立科学博物館皇居生物相調査グループ/『皇居・吹上御苑の生き物』/世界文化社
アレッサンドロ・ボッファ/『おまえはケダモノだ、ヴィスコヴィッツ』/河出書房新社
南条竹則/『猫城』/東京書籍
小野不由美/『華胥の幽夢』/講談社文庫
エルサ・ベスコフ/『おもちゃ屋へ行ったトムテ』/福音館書店

 狂ったように暑い一日。外に出たら「暑い」ということを意識しないに限る。ちょっと暖かいけど、気のせいよね、といった具合。そうすると汗もあまりかかないような気がする。…気がするだけで、やっぱり駄目である。

 気合いを入れて、日曜の度に夏休み映画を消化するぞ!と決心したのも束の間。午前中にA.I.を見て、午後は娘の「あれ買ってこれ買って」におつきあい、と思っていたが、一番早い回が11時始まりでは遅すぎ。終わってから買い物につき合うのでは夕方何時になるか分からない。明日は楽しい月曜日、夕方は早めに帰宅して体力を温存したいではないか。早くも気分は夏ばての私は、一日に二つ用事を済ませるのをやめることに決め、いとも安易に映画のほうをあきらめて、今日でおしまいの夏物セールにつき合うのであった。しかし池袋に向かう間も「なんで朝もはよからパルコに来なくちゃならない」「なんで毎日稼いだお金をアンタのおようふくに使わなきゃならない」と文句たれっぱなしである。極めつけは、10時20分に、娘ご希望のP'parcoに到着したのに、なんとドアは固く閉じていたこと。そう、開店は11時だったのである。

 旭屋で娘が参考書を買うと言うので、その間どれどれ私も、と見て回ったら、いつのまにか昨日目に付かなかった本を抱えていた。あたりが真っ白になるほどの暑さの中帰宅してみると、bk1からどさっと一山届いていた。思わず眩暈が。しかしめげずに『ホワイトティース 下』読了!続いて『壁のなかの時計(ルイスと魔法使い協会)』にとりかかる。ちょっとギャップを感じないでもない。

2001.0716(月)

 昨日おとといの本買いを反省して昼休みは外に出ないで過ごす。じつは暑すぎて外に出る勇気がないだけである。その甲斐あってか、帰宅後しばらくしてベレアーズ『壁のなかの時計』読了。同じ作者の『霜のなかの顔』(ハヤカワ文庫FT)再読にかかる。今さっき『壁のなかの時計』の終わりの方で出てきた「栄光の手」がいきなりプロローグ3行目に出てくるし、それに続いて「月蝕を起こすことこそできないが」などとある。初読は昔のことなのでもうすっかり忘れた。ちなみに『壁の〜』は1973年作、『霜の〜』は1969年作で、シリーズとしては全く関係ない。

 ほかに職場では池内了『科学は今どうなっているの?』をほんのちょっとだけ。

 次男に明日の用意をさせなくてはならないのに、本読みの宿題をしていたと思ったがいつの間にか消えた。長男の部屋だと思い、何遍も呼ぶが返答なし。しばらくして再度「おーい」と呼ぶと長男が現れ、私の寝部屋をみて「あれっ」と言ってほほえむ。「寝てるよ…」煌々とついた電気の真下で、ばったり寝ている人約一名。昨晩も、夕飯直前に連れ合いから「もうすぐ帰る、みんないるの」と電話が入ったとき、「うん、一人は手伝い、一人はずーっと昼寝、もう一人はさっきそこでブロックを…あれっ、もう一人は…ソファのかげで寝てるわ」という具合に、討ち死にしていたのである。今日は一学期最後のプールだったし、あまりの暑さに消耗するのだろう。

 きゃーこれは何?おお安房直子!どどど、どうしよう。「天窓のある家」は『だれにも見えないベランダ』(講談社文庫)収載。

2001.0717(火)

 いやーん、昨日の記事は『霜のなかの顔』だわし。霜と霧を取り違えるとは。加藤隆史さんご指摘ありがとうございました(赤っ恥)。直しました。で、やっぱり『壁の〜』より、こちらのほうがいきなり面白いのであった。プロスペロとロジャー・ベーコンの魔法使いコンビ、奇抜な仕掛けの時計や精巧な模型の船、解読できないことばで書かれた写本、などなど、この世界のなかにしっくりとはまっている。

 今年のお中元のダブり:ハム詰め合わせ4件/1週間、サクランボ1kg箱4件/1週間、ジュース2件/1週間、同じゼリー詰め合わせ2件/1週間。しかもハム攻めとサクランボ攻めは同じ週だったのだ。サクランボはともかくとしても、ハムは当分見るのもいやです。松坂牛1kgはダブってもいいんですが世の中うまく行かない。

 山之口さん『われはフランソワ』直木賞残念でした。

2001.0718(水)

 『霜のなかの顔』読了(再読)。すーっかり忘れています。溢れんばかりの魔法アイテム、ゴシックホラーな部分とユーモラスな部分とがブレンドされて独特の味わいだ。『壁の〜』でも同じだが、「何となく」感じられる(敵の魔法の)気配の描写に優れている。その反面、その同じ点が、独りよがりというか、一人称的な書き方なので、話の筋が何となくわかりにくいということにもなる。子ども向けより大人向けの作品の翻訳を望む。

 続けて『崖の国物語1 深森をこえて』にとりかかる。イラストのクリス・リデルとの共著の形を取っているのは、二人の共同作業によってこの世界を構築していったからということらしい。『童話物語(上下)』みたい。

2001.0719(木)
購入本
上橋菜穂子/『虚空の旅人』/偕成社
ローズマリー・サトクリフ/『小犬のピピン』/岩波書店
井川洗涯、千葉幹夫/『猿蟹合戦』/講談社
ジャンニ・ロダーリ/『二度生きたランベルト』/平凡社
ノア・ゴードン/『ペルシアの彼方へ 上』/角川文庫

 予算の獲得交渉というか根回しに、同僚と頭を悩ます。タヌキおじさんたちが相手なので、話がころころ変わるのだ。ねえおじさんたち、ガキンチョみたいな意地の張り合いは止めてね、予算緊縮なんだからさ。

 帰宅すると『虚空の旅人』ほかがbk1から届いていた。この本は結局予約本にならなかったのだが、予約本にするかどうかはどういう基準で決められるのか、聞いてみたいところ。『崖の国物語1 深森をこえて』にはちょっとお待ちいただいて、さっそく『虚空の旅人』を開く。イラストがこれまでの二木真希子から佐竹美保に変わっている。佐竹美保は大好きなのだけれど、このごろ多すぎるのと、二木真希子の、より植物的なところが気に入っているのとで、ちょっとがっかり。佐竹美保に否定的ということではないのだが。守り人シリーズの外伝というふれこみのこの作品は、海の民の描写から始まる。青く広い海原、海と境目なく続く天蓋。水や植物を描かせたら天下一品の上橋菜穂子だもの、馬鹿暑い現実世界から一気に物語世界へ!ナルニアで、ユースチスたちがこちらの世界で朝開き丸の絵を見ているうちに、絵の中へ引き込まれていきなりナルニアの海に落ちるシーンがあるが、あんなふう。この猛暑に、いいタイミングで出版したものだ。

 明日は「夏休み映画」の消化に努めようと思うのだが、なにせ千と千尋の初日だから、どれが混んでいないか、悩むところ。

2001.0720(金)

 先日行ったワーナーマイカルシネマに、「A.I.」と「千と千尋の神隠し」を見に行く with 息子二人。10時10分頃到着、この間と同じ映画館とは思えないような混雑で、長い行列にうんざりしつつも30分ほど待って、11時からの「A.I.」と、1時40分からの「千と千尋の神隠し」のチケットを買った。同じマンションの知り合い一家とか、最寄りの図書館のお姉さんとかを見かける。

 中味の方はと言うと、「A.I.」はもうボロ泣き。ママがデイヴィッドを思わず突き飛ばしてハッとするあたりからもうダメ。理屈抜きで、うちにもデイヴィッドに近い年齢の男の子がいるんだもの、いったんぐさぐさっと来てしまったらあとはもういいも悪いもない。泣きっぱなしで、鼻も目もすっかり真っ赤っかになってしまった。ジゴロ・ジョー、ナニー・ロボット、他の様々なジャンクロボット、浮かぶ月、海に沈むマンハッタン。2000年後のシーンは、「2001年宇宙の旅」の、特に終わり近くを思い出させる。ピノッキオが下敷きになっている点、ブルー・フェアリーへのこだわりなどは、何だかしっくり来ないのだが、そうした、「分かっていてもツボを押す」という特技をスピルバーグはいつもしてくれちゃうので、仕方ない。

 ほとんど休みなしに続けて見た「千と千尋の神隠し」のほうは、とにかく画面はきれいだし、宮崎アニメの美点満載で十二分に楽しんだ。あちらの世界へのトンネルシーンでは「後宮小説」を思い出した。わき役たちがいつもながら楽しく、小型ムーミンみたいな坊ねずみがエンガチョをするところ、特別出演のまっくろくろすけ(すすわたり)が金平糖に狂喜するところなど、かわいい〜!ただ変身したハクの顔が、もののけ姫の山犬のような顔だったのは、ちょっと頂けなかったかな。次男は「ハクって、かっこいいんだよね!最初見たときからそう思ってた」って。ハク、本当の姿でまた千尋に会えますように!連れあいを引っ張ってもう一度見に行くかも。

 お昼抜きだったのでスタバでお茶して、帰宅したらなんともう6時。なんともはや、立派な夏休み初日であることよ。それでもしっかり『虚空の旅人』の続き。いっそう話は緻密に織られてゆく。上橋さん本業をこなしつつ一年でよくこんなに書かれたと驚く。すごいよー。とても興に任せて読み飛ばす、と言うわけには行かず、はやる気持ちを抑えながら読み進む。さっき読んだ、ナユグが現実の世界にだぶってくるシーンは素晴らしいよう…!こういう部分は、ある程度一気に書かれたのかもしれない。ナユグが、乗り移っていたのじゃないか。

2001.0721(土)
購入本
ルーシー・M・ボストン/『ふしぎな家の番人たち』/岩波書店
タッド・ウィリアムズ/『黄金の幻影都市2』/ハヤカワ文庫SF
久美沙織/『ドラゴンファーム1 竜飼いの紋章』/ハヤカワ文庫JA

 連休というのに、11時から長男の三者面談。早く言えば通信簿をもらいに行くのである。お昼を食べたり、ノートがないから買えと言うのにつき合ったり、ヤマハに寄ったり、池袋リブロに行ったりしていたら結構遅くなってしまった。

 昨夜から、ADSLに変更したのに伴って、FTPができなくなってしまった。ファイル一覧は取得できるのだが、転送できない。どうやらルータの設定を直さなくてはならないらしいと言うところまで分かったが、そのやり方が、マニュアルを見ても分からない。DTIとルータのメーカーにヘルプメイルを出し、DTIからの返事を頼りに、メンテナンスマンがあれこれ試行錯誤を繰り返すが、アドヴァイスされた設定変更を、どこで行ったらよいのか全く分からない(メーカーからは返事なし)。これから様々なレベルのユーザーが使うであろう機器だけに、紙版にせよオンライン版にせよ、もっとわかりやすいマニュアルを用意して欲しいものである。ADSLにしてFTP出来なくなるなんて、聞いたことなかったぞよ。一生FTP出来ないのか…。そんなあ〜、と深く落ち込む。

 『虚空の旅人』読了。すっかり没入してしまい、自分もナユグの水の匂いとその蒼いうねりに引き込まれてしまったような感覚を抱いた。静と動のダイナミズムがいつもすばらしい上橋菜穂子さんだが、今作はいつにも増して、その振幅が大きい。登場人物の心の動きも含めて、動のほうに針が振れている。ジェンダーに囚われない女性性、男性性(と言って良いなら)が非常に興味深い。振り返ってみると、全体を通して表題は実に二重三重に象徴的で的確なものだと思う。ラスト部分がまたそれにぴったり呼応していて素晴らしい。チャグムよ、どうか、あなたらしい道をしっかり選び取ってください。早くも続編希望!

2001.0722(日)

 なんだかんだとメンテナンスマンが試行錯誤してくれたおかげで、FTPが出来るようになった。ありがとう〜。やはり原因はルータの設定だったが、設定のし直しが非常にわかりにくく不親切だった。まあトラブルが起きるといろんなことを勉強できる、という良い面を見ることにしましょう。とは直ったから言えることかも。

 連れ合いと次男は品川にサメを見に行った。午後から待ち合わせて「点子ちゃんとアントン」恵比寿ガーデンシネマに見に行こうかなーと思ったのだが、あまりの暑さに挫折する。

 家中ごちゃごちゃしていて暑い上にも暑苦しいので掃除、しかし汗だく。ついに冷房を入れて、となるとやはり座って読書ということになるのはただの怠慢か。『ふしぎな家の番人たち』と『小犬のピピン』を続けて読了。英国のこのおばさま方には感嘆するのみ。前者は例のマナーハウスが舞台で、都会に引っ越してきて居場所がなく田舎を懐かしんでいるトムが、近所の古いふるいマナーハウスに忍びこんで出会ったいくつかの出来事。ちょっと怖い。グリーンノウシリーズしかり、ピアスの『トムは真夜中の庭で』しかり、心底から何かをもとめる心には必ず呼応するものがあるのだ。後者は犬好きのサトクリフの愛情一杯の掌編である。これも話の内容こそ違え、全く同じ、小さなチワワのピピンと飼い主というよりマミーの、呼び合う心が起こした奇跡…というより、二人にとってはある意味当然のような結果だろう。

 『崖の国物語1 深森をこえて』を半分くらいまで読んだ。主人公が危険な深森を一人で旅する道々、次々となじみのない動植物や独特の何々族たちと遭遇する。なんかそれだけ。どれもグロテスクなので、読んでいて心地よくない。ちょっと辟易して中断し、本棚から、おのりえん『メメント・モーリ』を引っ張り出す。

 「A.I.」は、長男は全然「泣く映画じゃないじゃん」と醒めている。私がどこに感情移入したかと言うと、デイヴィッドじゃなくて、モニカ(母親)のほうらしい。デイヴィッドについてはむしろ、ずいぶん赤ちゃんだなあ、こいつ学習/成長しないのか?というふうに感じる部分が多かった。そこはそれ、おとぎ話だからその手の疑問は一時停止させて…。反面、デイヴィッドと二人だけで過ごす長く短い一日、モニカの方はどうだったのだろう、その方にむしろ寄り添って見ていたように思う。もう一度見たいかと言われるとすんなりハイという言葉は出ない。でもほんとにこのデイヴィッド型ロボットは、もし当初の目論見のまま親と何年も過ごすとしたら、精神的にも肉体的にも成長・成熟という点ではどうなるはずだったのだろう?大きくなっても「マミー、愛してほしいのよ〜」を続ける気だったのだろうか。それはこわいわ。

2001.0723(月)

 長男は豊島園プール、娘は塾(;.;)、次男は学童(午前中は学校のプール)、それぞれに夏休みだ。いいなあっ!親の方は日中のあまりの熱さに、室内でなりを潜めて過ごす。仕事が捗るというか何というか。例年だと、一日一回は暑さに触れないと体調が変になる、といって頑張って外に行っていたのだけれど、今年はだめだァ。

 『メメント・モーリ』読了。冒頭の一行から、「やられた!」と思う。猫の姿が窓の外の木の枝に移ってゆくあたりからすっかり心を許し、それはそのままずっと裏切られなかった。テーマと登場人物と舞台がうまく釣り合いがとれているのが成功の大きな要因だろう。良い意味で脚本になりそうな、舞台のワンシーン、ワンシーンといった感じの構成も、先へ、前へ、次へ、と気持ちを引きつける。細やかな心の動きを的確に捉えて、皮膚感覚として伝えてくれる。一方それだけに、理屈で語るせりふの部分に、もっとこの人なら書きようがあるはず、と高望みをしてしまう。登場人物に直接理屈を語らせずにうまく読者の胸に物事をすとんと納める書き方があるはずと思う。ともかく、作者おのりえんについて予備知識が全くなかったのも今回は良い方向に働き、ひとつの収穫と思えた。こういう成長物語というか、自分を肯定的に見る視点を与えてくれるような類のものはどうも女の子向けばかりのような気がするが、男の子向けといったらどういうものになるのだろう。こういう年代の男の子にはそう言うものは別段望まれないのか。モーリ自身は10歳。まあ翼ある空の鬼ヨロイは一応おとなということになっていて、モーリよりむしろヨロイや、水の鬼フロー・ヒールのほうが問題を抱えているのではあるけれど。さらに言えば登場人物皆がそれぞれに実は自らの問題を抱えている、その辺の描き方の按配がよかったということも言える。ああ、これは忘れちゃいけない、ぺらぺらの小鬼たちが、とーってもキュート。絵も好きでした。この小鬼たちや、太めの天使とか。

 次『鳥類学者のファンタジア』にしようか、『丘の家、夢の家族』にしようか、逡巡しているところ。そろそろまた(また、って言うほどか)英語モードに戻りたいんだけれど。なぜなら、頭の上の棚で猫が呼んでる(Diana Wynne Jonesの本)、その他。

2001.0724(火)

  『鳥類学者のファンタジア』を読みはじめる。私には初めての作家なのだが、文章の書き方が妙になじみ深い気がする。困ったな。

2001.0725(水)
購入本
『SFマガジン9月号』/早川書房
『芸術新潮 8月号 イタリアの歓び』/新潮社
『活字倶楽部 2001夏号 上遠野浩平、十二国記特集』/雑草社

 久しぶりに昼休みに外に出る。出るとなったら、銀行、本屋、郵便局、とまとめて用事を済ますので汗だく。外回りの人は本当に大変だ。

 『鳥類学者のファンタジア』にようやくなじんできてスピードアップ。うんうん、光る猫…。他の作品も読まなくちゃだめなのね?

2001.0726(木)〜28(土)
購入本
瀬名秀明/『ロボット21世紀』/文春文庫
乙一/『天帝妖狐』/集英社文庫
P.L.Travers/"Mary Poppins in Cherry Tree Lane/Mary Poppins and the House Next Door"/Coolins

 娘、次男と3人で新幹線で義母の所へ行く。いつもなら家族全員でお盆の頃に行くのだが、今年は娘がそのころ塾、また今週から来週は長男が学校のサマー・セミナー、連れ合いは仕事、なので一家離散というわけ(*^_^*)。先頭車両だったので、下車したホームでそのまま、新幹線の発車を見送る。次男が運転手さんに手を振るが、なかなか気付いてもらえないままゆっくりと動き始めてしまう。と顔を上げた運転手さんがハッと次男に気付き、体を横にして大きく窓に身を乗り出すようにして、喜色満面で盛大に手を振ってくれた。おいおい運転は大丈夫?運転手さんや車掌さんは、手を振る子どもがいると大概にこやかに挨拶を返してくれるものだが、今回ほど嬉しそうに手を振り返してくれたことはない。なんか運転手さんと心が通じちゃった気がする!

 車中で『霧のむこうのふしぎな町』を読了。たしかに「千と千尋〜」はこれにインスパイアされたようだ。「仕事をしないもの食うべからず」とか、おっかない下宿のおば(あ)さんとか。「千と千尋〜」では、油屋の庭や豚小屋の方に通じる植え込みに、しゃくなげやあじさいなどの花がにぎやかに咲いていたのが印象に残っているが、この作品でも四季折々の花が家の周りに常に咲き誇っているという光景が印象的で、主人公のリナも知らず知らずそれが気に入ってしまうのである。話の筋がまるきり違ってしまっても、こんな所に色濃くそのイメージが生きている。またひどい恥ずかしがり屋の男の子が、リナと向き合うのにひょっとこのお面をかぶると言う手段をとるが、これは「千と千尋〜」ではカオナシ。これは全く違うキャラクターとなって残っている。ピエロの顔の握りのついた水玉模様の傘、などは(子どもの時に読んだとしても)ごめんこうむりたい。ざんねんながら、この作者とは、他の作品でもいまいち舞台装置の趣味が合わないのだが、ストーリー自体は大変読みやすいし、メッセージもわかりやすく好感が持て、人気があるのもうなずける。

 『鳥類学者のファンタジア』は結構好きかも…!あっけなくネタがばらされるが、と思ったら主人公フォギーは夜汽車に乗ってどこへともなく…。

 結局義母宅方面はものすごく涼しくて、ああこりゃまさに避暑だー、と言っていたら、帰って来た東京もそれに近いくらいくらい涼しかったというソンしたような話。

2001.0729(日)
購入本
梨木香歩/『西の魔女が死んだ』/新潮文庫
篠田節子/『斎藤家の核弾頭』/ 〃

 義母宅は新幹線停車駅から車で数分なのに、期待の新潮文庫の新刊は駅近くの書店ではとうとう見つからずじまい。昨夜帰宅し、今日はどこかで探すぞと思っていたがなぜかまた一日映画三昧だ。一足先に連れ合いがワーナーマイカルシネマ板橋にチケットを取りにゆき、次男のピアノを終えたところで我々が追って合流(娘は友人と遊びに)。ぜひ連れ合いに「千と千尋〜」を見せたいし私ももう一度みたいのと、加えて「猿の惑星」が目当てなのだ。結果、今年の「夏休み映画」は「千と千尋〜」と「ジュラシック・パーク3」(もちろんまだ見てないけどやっぱりハラハラ面白そう)で決まりか?というところに落ち着く。「猿の惑星」では終盤、ええっうっそー、でもそうなっておしまいなの〜?と思いきや、いかにも簡単にあらまあ、となり、するとそこはなんと××というオチに。ありゃバットカーが突っ込んだゴッサムシティのビルのシーンと一緒じゃーん。面白かったような面白くなかったような、でもティム・バートンだから許す。あの大きなゴリラは「グリーンマイル」の彼だったのね。

 本当にきれいな「千と千尋〜」のしゃくなげ、あじさい、つつじ、びようやなぎ(だと思う)などの花!そう思うと、花の匂い、食べ物の匂い、ヘドロの匂い、海の匂い、など、匂いに満ち満ちた作品でもある。後ろの席の小学生くらいの男の子たち、やたらに感想をその都度反射的に口に出すので少々うるさいな、と思っていたが次第に静かになり、終わってから、「泣いちゃったよ…!時々眼鏡はずしてたの、分かった?泣いちゃったんだよな…!」としきりに言っていた。ええとハクの本当の名は「にぎはやみこはくぬし」でいいのかな。

 でもってしっかりマイカルの下の階の書店(ビブロス)で『西の魔女が死んだ』を発見した。きれいな表紙である。小学館版、楡出版版と比較検討予定。

 徳間書店より、大魔法使いクレストマンシー『魔法使いはだれだ(仮題)』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ(野口絵美訳 佐竹美保絵)が8月下旬に出るようです(27日配本、28or29日に店頭に)。シリーズが訳されるようなので、ダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンは喜べ〜!って私のpaperbackはどうなる(;.;) 

2001.0730(月)

 舞い込む、舞い込むウィルスメイル。職場で、アンチウィルスソフトを入れてない人がこんなに多いなんてぇ。例のsircamで、被害は結構広がっているようだ。ところがアンチウィルスソフトを知らない人の多いこと。「アンチ…って、なにそれ」には脱力。常識、ていうかパソコンを使う人の義務でしょう。でも、私は職場でも家でもNorton AntiVirusを入れているのだけれど、そのどちらもウィルスメイルはすんなり通過してしまった。ウィルス定義ファイルは毎週更新しているんだけど、おっつかないのかも。やだねー。おお怖。所内での発信元が副●長だというのは嘆かわしいのか、ありがちなのか(こういう方々は得てしてパソコンに全然詳しくないから)。

 ドイツのどこか厳冬の島に連れ去られた主人公、酷暑よりずっといいとおもう>『鳥類学者のファンタジア

2001.0731(火)

 同僚が、添付ファイルを開かなくとも本文を読もうとしただけでいっぱいファイルを作ってしまうウィルスメイルを受信。何が楽しうてそんなものを流すのか。

 『鳥類学者のファンタジア』読了。いやー、よかったー。わあ、終わったぁ、という心地よい満足感と虚脱感を味わう。語り口も、物語も、始めも終わりも良かった〜。なぜか都合良くあれこれ役に立つ佐知子ちゃんをはじめ、超常現象も何も、説明されないところがなんと言っても良い。ジャズを言葉で表現するもどかしさはどうしてもあるけれど、にもかかわらず伝わってくる昂揚感や音楽の宇宙的広がり。一貫して透明で空間的広がりを感じさせる、心地よい作品だった。何てったってパパゲーノ…光る猫…猫たちのと酒盛り…うーん、素敵。どうしようもなく一所懸命な男性たちが、滑稽だ。

 25日からサマーセミナー(合宿形式の夏期講習)に行ってきた長男、なんと1週間で4キロ増えたとか。4キロ/1週間てことは、16キロ/ひと月か?脳みそ使って来なかったんぢゃないの。

▲ページトップへ


2001 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 Index
 
ニムの木かげの家
ニム(Nimh) soraminist@nifty.com メイルフォーム  
 
最終更新
2001.12.31 01:11:46