1999 April. 前期 (Arcana 18)

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過去のお言葉

April 1st(Thurs.)

夕方から京都を訪れている O さんの歓迎会に参加。 大阪の T 部長、M 君、KM 氏を交じえてと五人で寺町で夕食。 さらにその後、三条の「アンデパンダン」で飲んで帰宅。

数学の中でもちょっとした等式とか不等式とかに感心することがありますね。 昨日、読んでいた論文で、
2\sin nt = (2\sin(t + \pi/n))(2\sin(t + 2\pi/n))...(2\sin(t + (n-1)\pi/n))
という等式が出ていた。 例えば n = 2 の時には良く知られた倍角公式で、
\sin 2t = 2\sin t \con t = 2\sin t \sin(t + \pi/2)
となるから、 もちろん正しいことがすぐわかる。 一般の n について正しいことを証明するには、 例えば帰納法を使えば証明できそうだが、論文には以下の非常に巧い証明が出ていた。 数学者にとって、
z^n -1 = \prod_{k: \mod n} (z - e^{ik \pi /n})
は、ほとんど自明であるが、 ここで、両辺の絶対値をとって、z = e^{-2i t} とおきなさい、と。 あたりまえのことなのだが、非常に感心した。 こういうちょっとした気の効いた数学に感心するのも、 数学的感性の一つであるな、と思った次第。

April 2nd(Fri.)

朝から大学へ。新入生のガイダンスで挨拶をするため。

前期に初歩の確率と統計の講義を持つので、午後はその準備など。 確率空間と確率変数をどう説明するか、頭を悩ませる。 今でこそ何とも思わないが、昔のことを思い出してみると、 自分でもまるで分かっていなかったのだった。 僕の頃は高校の数学で「確率・統計」という科目があって、 一応そこで確率変数という言葉も習った。 例えば、サイコロを一回振るという状況を考えよう。 このとき 1 の目が出たら 1、2 が出たら 2、3 が出たら 3 という 数字をわりあてる変数が確率変数だ、と無茶な説明で習った記憶があるのだが (その説明も今思えば嘘ではないが)、 一体それにどういう意味があるのかさっぱり分からなかった。

今では確率変数とは確率空間の上の関数のことだ、 というだけのことしか感じなくなっていたのだが、 昔高校で初めて確率変数というものを習ったときの当惑を思い返してみるに、 ここには非常にデリケイトな問題があるのではないか。 専門的に言うと具体的な確率空間の上に直接確率というものが入っていると思うのか、 全ての起こりうる可能性の根源としての抽象的確率空間が、 具体的な問題より先にあって、 その上で問題に応じて定義される確率変数の性質として確率を考えるのか、 ということは同じようで同じでない。 今、自宅にある確率論の入門的な教科書を色々見てみた所、 神戸大学の樋口先生が書いた教科書だけが、 はっきりと後者の哲学的立場を表明していた。 それによれば、 確率空間とは全ての未来の可能性を表現できるもので、 確率空間の一点を指定することで世界の歴史の全てが決定するのだ、と。 しかしこれから考えたい問題にとってはこの空間は広過ぎる。 これからサイコロを投げてどの目が出るか考えたいだけなのに、 世の中の全ての可能性を考慮する必要はない。 したがって、この全知全能の確率空間の上にこのサイコロの目のことだけを 考える確率変数を導入するのである、ということらしい。 なるほどねえ。

April 3rd(Sat.)

昨夜、遅く携帯電話にメッセージが入っているのに気付いた。 まだ京都にいるらしい O さんからのお誘いだったので、 昨日に引き続き KM さんと三人で再び飲みに行く。 先斗町から木屋町へ抜ける路地裏にある BAR という名前のバーに行く。 BAR は路地に面する民家の勝手口のような普通のドアの前にある インターホンでお伺いをたてると、中から鍵を開けてくれ、 さらにそこから狭い階段を上がると、また何も書いていないドアがあり、 その中がバーになっていると言う怪しげな店である。 単に「怪しげ」なだけで本当に怪しいわけではないので、御安心を。

三日(土曜)。 午後はびわ湖ホールに P.ドゥクフレ演出の舞台「シャザム!」を観に行く。 「シャザム!」はドゥクフレが演出したカンヌ映画祭50周年記念セレモニー を発展させた劇場版。 あらかじめ録画して加工した映像、現在のカメラ映像、 実際のダンスと鏡を使ったその鏡像などを、 半反射半透過スクリーンで重ねあわせたりと、 「魔術師」ドゥクフレの面目躍如の楽しい舞台だった。 まさにファンタスティック。 次に日本に来てくれるのは何時かわからないが、 機会があったら観て絶対損はないと思います。

April 4th(Sun.)

午後から大学に行って、研究室で数学を考えたり。 日曜の大学というのは人がいなくて閑散とした感じが、 すがすがしくてわりと好きです。

夜も自宅で数学を考える。 あまり名案も浮かばないので、明日のゼミ用には 読み直しておくべきだろうと思っていた論文をフォローしたり。

April 5th(Mon.)

午後から京大数理研へ。ゼミのつもりでいつもの時間にいったら、 誰もおらず、しょうがなくそのまま帰る。 三条で本屋などをまわって夕方、自宅に着く。 あとでメイルを見たら T 先生からで、 先生はその後30分ほど遅れて大学に来たらしく、入れ違いになったようだった。 今日はちょっと進展があったので話を聞いてほしいところだったのだが。

私が愛用している喫茶店 Cafe Riddle の最近のメニューに 「八朔(はっさく)のジュース」があって気に入っている。 というのも、僕にとって非常に懐かしい味なのである。 子供の頃、八朔は非常に身近な果物だった。 八朔の皮を全部とって砂糖をかけ冷蔵庫で冷やすだけ、 というデザートをよく食べた。 大変美味しいのだが、あまり人からは聞いたことがないのは、 我が家のオリジナルだったのだろうか。 ちなみに八朔とは「八月一日」のこと。 どうして蜜柑の名前にこの日がついているのかは知らない。 誰か御存知の方は教えて下さい。

April 6th(Tues.)

午後から大学へ。会議一つに出席して、研究室で数学を考え、 また夕方から会議。 夜は数学科の友人 A 君と、 今年からこの大学の数学科に来た K さんの二人を誘って山科で飲む。 A 君からコロンビア大学でのファイナンス学会の土産話を聞いたり。

A 君の部屋に行ったら、グロタンディークの「数学と裸の王様」 があったので貸してもらう。 この前編の「数学者の孤独な冒険」は僕の愛読書の一つなのだが、 どうしてもこの続編「数学と裸の王様」が見つからなくて困っていた。 A 君のおかげで読むことは可能になった。 多分、絶版になってしまっているのだと思うが、 もし古本屋などで見つけた方がいらっしゃったら是非僕のために 買っておいてください。出版社は現代数学社です。 お礼させていただきますので。

April 7th(Wed.)

午後から BKC へ。会議を一つ済ませた後は、 数学をゆっくり考えようかと思っていたのだが、 色々と雑務が飛びこみあまり時間は取れなかった。

逃避というわけでもないのだが、お酒の話。
今日のテーマは 「ローズのライムジュースで作ったギムレットは本当に美味しいのか」です。

言うまでもなく、 これは「長いお別れ」に登場する呑ん兵衛の神様(?)テリー・レノックスの 「ほんとのギムレットはジンとローズのライムジュースを半分ずつ、 ほかには何にも入れないんだ。マルティニなんかとてもかなわない」 という蘊蓄に対する質問である。 僕はマティーニとギムレットを場合によれば飲むくらいで、 あまりカクテルは飲まないので、確信はないのだが常識的に考えて、 このレシピは某氏の名文句を借りれば 「ギムレットには甘過ぎる」と思う。 さらに瓶詰めのジュースなんて…と眉をひそめる 呑ん兵衛の方々もおられよう(某 A 社の K 氏とかね)。 その通りだと思う。僕の理想的ギムレットは、 もちろん本物のライムを絞り、最高のジンと氷をシェイクし、 うっすらと氷片が浮くくらい冷えているが、水っぽくなくきりっと締まっている。 大きい氷と一緒に細かい氷も少し入れて手早く振るのがこつだと聞いた。 多分、ジンとライムの割合は半々よりジンの方がかなり多いくらいだと思う。 これが正論というものだと思うが、だがしかし、 しかしひょっとしてテリーのレシピだけは別なのではなかろうか。 あんまり我々が似非本物指向というか似非高級指向に流れ過ぎているのであって、 本当に本当のギムレットはちょっと俗に甘い感じもあって、 ローズのライムジュースを使うと、そして半々にジンと混ぜると、 絶妙のギムレットが出来たりするのではないだろうか。 しかし、実際バーでこの通り頼んで作ってもらうとやっぱり がっかりするだろうとも思う。 試してみたいような、試してみたくないような… ローズで作ったギムレットを飲んだことがある方、 一体本当はどうなんですか?

April 8th(Thurs.)

午後から BKC へ。雑務を少々の後、数学を考えたり。

なるたけ大きな素数を見つけたものに高額の賞金を出すというイベント が行なわれてるらしい。 どういう意味があるのかなあ…と数学者としては思うが、 まあ面白そうだからいいじゃないですか。 実際、インターネット上にセキュリティを確保する際には (例えば Web でお買物をするときとか)、 ほとんどの場合 RSA というシステムが使われていて、 そこでは非常に大きな素数の計算が実際に行なわれている。 ここで「非常に大きい」というのは大体十進法で数百桁くらいのことだが、 今回の素数探しではさらに桁外れの大きさの素数が求められている。 僕の知る限りでは、1980 年代の中頃には、 2^216091 - 1 が素数であることが知られていた(十進法で約6万5千桁)。 今はもっと記録更新されていると思う。

ある数が素数であるかどうかを判定するのは非常に難しい問題である。 実際に RSA に用いる素数を生成する時は、 本当に素数を判定している時間はないので、 確率的素数判定という方法を用いる。 つまり本当に素数であるかどうかはわからないが、 限りなく 100% に近い確率で素数であろう、と判定するのは かなり速くできるのである。 しかし、今回のイベントでは確率的判定では駄目で、 本当に素数であることを確定せよ、ということなのでかなり難しい。 高速な素数判定法も色々知られているのだが、 今回の要求は数百桁どころか、一億桁というようなレベルなので、 ちょっとやそっとでは見つからないと思う。 ちなみに今まで知られている巨大な素数は全て、 メルセンヌ数と呼ばれる 2^n -1 の形をした数であるが、 それはこの特別な形の場合には高速な判定法が知られているのが最大の理由で (それに計算機に乗りやすそうだ)、 他にはメルセンヌ数自体が大昔から数学者を魅きつけてきた色々な性質を 持っていることもあるだろう。 例えば、自分自身を除く約数の和が自分自身になる数を 完全数(*1)と言うが、 メルセンヌ数 2^n - 1 が素数なら 2^{n-1}*(2^n -1) は完全数になる ことが簡単にわかる(これはユークリッド原論に出ている)。 さらに偶数の完全数はこの形に限られる(オイラーが証明した)。 メルセンヌ型の素数が無限に存在するのかどうか、 つまり偶数の完全数が無限に存在するのかは現在でも不明。 また、奇数の完全数(*2)については、 その存在すらわかっていない。


(*1)完全数
例えば 6 = 1 + 2 + 3 や 28 = 1 + 2 + 4 + 7 + 14 など。 大昔から(おそらく神秘的な数として)強く興味を持たれた。 例えばギリシャ時代には最初の四つの完全数 6, 28, 496, 8128 が既に知られていた。

(*2)奇数の完全数
奇数の完全数が存在するとすれば持つべき性質は、 たくさん調べられているのだが、 その実例は現在に至るまで一つも知られていない。 二百桁の数までには存在しないことが計算機の助けを借りて確認されているそうで (もちろんこれは全く根拠にはならないが)、 おそらく存在しないと予想されている。 存在しないものの性質が熱心に調べられているのは不思議なことかも。

April 9th(Fri.) - 11th(Sun.)

ニュースで京都のイノダコーヒー本店が火事で全焼したと聞いた。 ちょっとショック。元通りに復活してもらいたいものだ。

九日(金曜日)。 午後から今学期の初講義。 二回生対象の「確率・統計」。 第一回は素朴な確率の考え方から、コルモゴロフの確率空間の定義へ。 大講義室に聴講者がおそらく200人以上いた。 今学期は方針として 「教科書なし。出席は取らない、レポートはなし、成績は学期末試験のみで評価。 試験時には本・ノート・コピーの持ち込みは全てオーケー」 ということにしてみた。

夜は草津のイタリア料理屋で新任の先生の歓迎会。 ワインで相当出来上がっている上に、さらに二次会、三次会と続き、 (いつものことだが)、新任の先生はさぞかし驚いたと思う。

十日(土曜日)。 京都は春の嵐。猛烈な雨と風が吹く。 ずっと家でチェロの練習をしたり、数学を考えたり、本を読んだり。

十一日(日曜日)。 午前は膳所にチェロのレッスンに行く。 膳所駅までの帰り道にキムチの専門店が出来ていたので、 早速買って帰り、昼御飯に食べてみる。 大変美味しかったので、近所に住んでいる人はお試しあれ。 海老を漬けこんだ濃厚白菜キムチがお勧め。


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