1998 Aug. 中期 (Arcana 18)

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過去のお言葉


Aug. 10th (Mon.) - 15th (Sat.)

「展開としての麻耶雄嵩」

避暑休暇。 チェロ以外に何も持っていかなかったので、 すっかり充電(放電?)させていただきました。 もちろん仕事も勉強もまったくせず、 美味しいものを食べたり、読書したりと、 のんびりした良い休日でした。 お忙しいのに相手をしてくれた貴方にはありがとう。

休暇中の読書。
「パズル崩壊」(法月倫太郎、講談社ノベルズ)再読。 「夏と冬の奏鳴曲」(麻耶雄嵩、講談社文庫)再読。 「名探偵に薔薇を」(城平京、創元推理文庫)。 「パズル崩壊」の中にポロックをテーマにした短編が入っていて、 ふとキュビズムをテーマにした「夏と冬の、、」を思い出したので、 続けて読んでみた。「名探偵に薔薇を」はずいぶん評判がいいようなので。

以下では「夏と冬の奏鳴曲」の読書感想文(夏休み課題図書)を書きます。 未読の方への配慮もしたつもりですが、 作品の本質的な部分に触れますので御注意下さい。

「夏と冬の奏鳴曲」を以前、初めて読んだ時、 私はこれが驚くべき傑作だと思った。 ミステリ好きの友人にも「すごい傑作だ」と勧めた。 しかし、しばらくすると「どこが傑作の所以だったのか」 自分でもわからなくなってしまったのである。 あれほど驚愕したはずの内容も次第に薄れてきてしまった。 今回、文庫版でこの本が再刊されたこともあって、 自分がどこにそんなに感心したのか、確認するために再読することにした。

再読して改めて確認したことは、 この作品は一読、通常のミステリとして全く成立していないということだ。
まずこの作品で起こる殺人事件は、 雪原の中で死体が発見されるが犯人のものと思われる足跡がないという、 言わゆる「白い僧院」問題である。 まさに本格ミステリの不可能趣味だ。 ところが何と、最後に示されるその解答は「奇蹟が起こったから」 なのである。 次にこの連続殺人を起こした犯人の設定は、 まったくアンフェアなものであり、何の手がかりもない。 さらにこの事件を最終的にあやつった人物が、 最後の最後に三ページだけ登場する探偵によって明かされるが、 その解答は余りに陳腐かつ平凡である。 したがって、この作品のミステリとしての核心は、 何故このような事件が主人公の前で起こっているのか、 本当に起こっていることは何なのか、 ということだと思われるのだが、 それもアンバランスで不徹底である。

主人公の前で起こる謎の事件、 その背景はキュビズムにおける「展開」の概念の暴走であることが、 謎とその解答として示される。 もし、この方針が徹底されていたならば、 この作品は島田荘司的な典型的傑作になっていただろう。 次々と奇妙な死体を演出し死体の一部を持ち帰る狂気の犯人、 それは昔「殺した」和音という偶像を「再展開」するためだった! 最後に御手洗潔が犯人のパピエ・コレによる作品を発見するシーンまで 目に浮かぶくらいである。そして最終章では本当は和音が存在しなかった、 という驚愕の事実が石岡君に語られるだろう。 (そして探偵は女性と偶像について警句の一つもつぶやくかもしれない)
しかしこの作品では、この企みは背後に完全に隠され、 読者にとって実際に起こる事件は、 終末も近づいた頃にパピエ・コレの材料が一つ奪われるのみである。 この隠蔽はある登場人物によって行われており、 それが殺人の動機でもあるのだが、 作者が何故こうまで控え目にしかこの謎と解答を扱わなかったのか。

大胆に言ってしまえば、当時「その力量がなかった」のかもしれない。 後に書く「鴉」などの作品の完成度を思えば、その可能性はかなりある。 この作品も「鴉」と同じ麻耶雄嵩の刻印が押されてはいるが、 未熟な書き手にありがちなように色々と積め込みすぎて、 拡散して崩壊してしまったということなのだろうか。 では、昔の私があれほど感動した理由はなんだったのだろうか。 その理由かもしれないものに今回の再読で思いあたった。
それはこの作品自体が麻耶雄嵩の「展開」である、という事実だ。

麻耶雄嵩の作品では主人公は平凡な青春の悩みを抱えていながら、 突如奇怪な奇蹟の中に放り込まれ、 本人の予想しない形で、事件の歯車の一つとして組み込まれてしまう。 それは本格ミステリの文法を踏襲していながら、 奇蹟と不幸の交わるある種の運命論が、その文法を蹂躙する。 よく本格ミステリに対し「人間が書けていない」論争が起こるが、 摩耶作品では人間がそれとは全く違う意味で不可解に抽象化される。 人間が大きな物語の中に取り込まれ、否応なく記号的存在として、 役割を振られ、果たしてしまうリアルな不可解さだ。 青臭い悩み、奇蹟と啓示、古典的ミステリの文法に沿った謎、 不可能趣味、誰かに操られているような眩暈感、 最終的な物語の破綻と崩壊、その後に残る「展開」の中心、 無としての本格推理の骨格。 「夏の冬の奏鳴曲」は麻耶雄嵩的なる概念の「展開」として、 次々にある視点から見た麻耶雄嵩の一部が同じキャンバスに、 刻みつけられ、また作者本人がパピエ・コレされる。 我々は麻耶雄嵩の不可解さの中で、麻耶雄嵩という概念、 時間軸を持ち、全ての方向と内側から見た、その本質まで明らかにした、 全体像を直観する。 そのような作品の内と外の両方で、 キュビズムの方法がシンクロナイズする効果が、 企まれたものなのか、偶然によるものなのかは分からないが、 それが感動を呼んだのだと思う。

この作品の主役はこの不可解さであり、 この不可解さが麻耶雄嵩という作者を通して、 この作品で「展開」されてしまう。 したがって、この作品はやはり傑作なのであると思う。

Aug. 17th (Mon.)

休暇気分も昨日で終わり、今日からまた仕事。 朝チェロの練習をし、午後は翻訳とかテキスト書きとかコーディングとか。

ところで、僕は グィネス・パルトロウ という女優が大変好きなのだが、 周りの人にそう言うと全くと言っていいほど、同感の声を聞かない。

「最近、どういう女優がいいと思う?」
「もう断然、グィネス・パルトロウですね」
「誰それ?」
「ほら、『エマ』で主役やってたし、『大いなる遺産』にも出てたし、、」
「わからないな、、、」
「えっとじゃあ、『セブン』で主役の刑事の奥さん役やってた」
「『セブン』は観たんだけど、印象薄いなあ、、、」
と、この調子だ。

知らないのはまあいい。それは許そう。しかし、 ブラッド・ピットの元彼女だったとかまで知ってるくせに、 「陰が薄い」「幸、薄そう」「印象が薄すぎ」 「何度見ても顔を覚えられない」「見るたびに顔が違う」「とにかく薄い」 などどさんざんな言われようだ。
僕には絶世の美女に見えるのだが、僕の好みが歪んでいるのですか?

Aug. 18th (Tues.)

午後はずっと自宅で仕事をし、 夜は古文書資料研究に旅まわりに出るというIさんを送る会に 参加のため大阪へ。 参加者はIさんとT部長と僕で、 T部長の推薦で大阪駅近くの商店街の中の「パパラギ」で飲む。 Iさんは 22 時過ぎの高速バスで旅立つ予定だったのだが、 バス乗り場を間違えたために乗り遅れ、 次のバスをぎりぎりで確保し、なんとか四国方面へ旅立っていった。

Iさんからは、 僕は(*1)「いざなぎ流の宇宙 -- 展示解説図録」 という資料を貸してもらい、 T部長は「猫目小憎」などを貸してもらうなど、 旅立つ相手からもらってばかりで申し訳なかった。 四国から始まって、山陰、九州と次々と移動するらしいが、 お身体に気をつけて頑張って下さい。

(*1)いざなぎ流:
高知県物部村に伝承されている民間信仰。 いざなぎ流の継承者は「太夫」と呼ばれ、様々な宗教的儀式を取り行なう。 陰陽道、修験道、仏教、神道などが交じりあって成立したものと思われる。 各地で滅びた民間信仰と異なり、 現在でも一つの巨大な体系を持ったまま残っていること、 呪詛、呪いの技術を持っていることなどで貴重。

Aug. 19th (Wed.)

今日もいつもと同じ一日。 しばらくこの調子なので、 何も書いてなかったら、午前起床、チェロの練習、 午後自宅で仕事、夜読書、の日々好日と思って下さい。

京都はまだまだ暑い。 夏と言えば怪談。お約束的瞬間怪談小説その1。

わたしは後を振り返らずに歩いていく。 川端のこの道は街燈もないが、 川の中の月を追いかけるようにして。 後から、からんからん、 というゆっくりした下駄の音と彼の声が聞こえる。
「ええように使われてるだけやなあ、てわかってたんやけど、 阿呆やなあ、それが嬉しかったねん
「そやさかい、別に恨んでるわけやない。 むしろ良かったなあ、思うねん。 つくせる内につくせるだけつくしたったしなあ」
わたしは浴衣の裾を乱暴に割るようにして、 足元の石を浅瀬の川の中に蹴りこんだ。
「それだったら、今さら何しにくるの」
川の中の月が目の中に熱く滲むように思われて、 後を振り返ると川端の柳だけが風に揺れていた。 川の中の月と同じように。

Aug. 20th (Thurs.)

いつもと同じ一日。 ちょっとクラスの設計方針に迷いが出たので、 丸善に資料("JAVA Cryptography", Knudsen, O'Reilly) を買いに行く。 やっぱりこんなレベルまで合わせ切れないし、 これは僕の仕事ではないな、と勝手に決め打つことにして、 java.math.BigInteger と同じレベルで楕円曲線上の点のクラス をつくるという当初の方針に帰る(今ごろ、、、)。

瞬間怪談小説。その2。

映画でね、誰かが部屋に忍びこまないか確かめるのに、 ドアの所に髪の毛を唾で貼っておくってのを見てさ。 冗談で家のアパートでやってみたのね。 そうするとさ、家に帰ってくると髪の毛が落ちてるのさ。 一人暮らしだよ。親とも何年も会ってないし、 大家も合鍵もってないしね。 唾じゃ弱いと思ってさ、糊に変えて、 それから毎日やってるんだけど、 ちょっと家を開けただけでも必ずなくなってるか、 切れてるんだよ。 毎日だよ。
君もやってごらん。


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