1998 Aug. 後期 (Arcana 18)

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過去のお言葉


Aug. 21th (Fri.)

早起きして、チェロのおさらいをして、 あわてて膳所にレッスンに行ってみて、日を間違えたことに気付く。 レッスンは明日だった、、、

瞬間の怪談。第三夜。

彼女が風呂場で髪を洗ってると、後でぺたん、って何かが落ちた音がしたんだって。 なんだろうと思って振り返ると、 赤ん坊のみたいなちっちゃな手の平が落ちてた。 そのまま頭がおかしくなっちゃって、 ついこの前、自分の手をメスで切り落として死んじゃったよ。

Aug. 22th (Sat.)

今日こそチェロのレッスンで、膳所に向かう。 ロングトーンから始めて、一指だけを使う課題、 二指、三指まで使う課題、全部を使う課題と進む。 運指については音程がはずれているようだと ちょっと注意されるくらいだが、 右手のボウイングについては色々と丁寧な注意を下さる。 こういったエチュードは音楽的にはつまらないなあ、 と自分で練習しながら思っていたのだが、 先生がお手本を示すと、非常にメロディックで美しい曲に聞こえるので、 やはり弾く人によって大変な違いがあるものであるな、 と(当然のことながら)感心したことであった。

僕が大学生になって最初に下宿した頃の話だが、 夜中にスイッチを切ったステレオのスピーカーから、 囁くような声が聞こえる。 薄気味の悪いものだが、これは電磁気誘導が起こす自然現象で、 スピーカー自体が、 携帯電話かアマチュア無線か、 そんな電波を拾って音にしてしまうのである。 それはわかっていたのだが、
「もし、ここで僕の名前を突然呼ばれたら恐いな」
と一度思ったら、その囁きを一人で聞いているのが急に怖くなって、 僕はそのスピーカーを捨ててしまった。 恥ずかしいことである。

Aug. 23th (Sun.)

いつもと同じ一日。

第五夜

表を歩いていると、いつの間にか頭が大きくて首がやたらに長い 小さな男の子がずっと隣りを歩いてくる。 首をぐらぐらさせながらこっちをじっと見つめながらついてくるのだ。 どんどん歩いても、いつまでもついてくる。 時々、
「うわああ」
と奇妙な声を上げる。我慢できなくなって、喫茶店に入ってみたが、 それでもついてきて隣りに座る。 店員もまるで気にしないようだ。 そういえば、表を歩いている時も、どんな奇声をあげても、 俺以外は誰もこの小憎のことを気にしていないようだった。 俺はじっと、この頭の大きな首がやたらに長い男の子の顔を見つめた。 男の子は相変わらず首をぐらぐらさせながら、 うわああ、と叫んでいた。

Aug. 24th (Mon.)

いつもと同じ一日。

第六夜。

背中に背負っている赤ん坊がだんだんと重くなって、 それが怪だと気付き捨てて帰るという怪談は諸国にあるが、 その意味を良く考えると恐い話である。
僕の聞いた話。
ある女が赤ん坊を背負って明り一つない水田の畦道を歩いていた。 すると背中の赤ん坊がだんだん、だんだんと重くなる。 いけない、これは怪しである、と気付いたが、 もう歩けないほどの重さになっていた。
「ああ」とその赤ん坊が言った。
「俺を殺そうと思ったな」
女は背中に乗った怪しのものを水田に振り捨てて、村まで戻った。 翌朝、赤ん坊の死体が水田で発見された。

Aug. 25th (Tues.)

かなり遅れていたのだが、今日丸一日をかけて、 C 言語演習のテキストを完成。疲労困憊。

第七夜。

これは本当に僕が目撃した話。
大学に入った頃、僕は久我山に住んでいた。 久我山の駅の近くにハンバーガー屋がある。 僕はそこの二階で遅い昼食を取りながら本を読んでいた。 二階には僕以外に東南アジア人風の女性が一人だけで、 彼女は窓から下の通りを見下ろしていた。 すると突然、その女性が奇声を上げ、ひきつけのような状態になって、 椅子から転げ落ち、痙攣をはじめたのである。 僕は突然のことに、はじかれたように立ち上がったものの、 傍にいった方がいいのか、 下におりて店員を呼んだ方がいいのか、三十秒ほどためらっていた。 すると、一階から白衣でもなく、警官服でもない、 見たことのない制服を来た男達が四人駆け上がってきて、 有無を言わせず、まだ痙攣を続けるその女性を引きずるようにして、 連れていってしまったのである。 窓から下を見ると、救急車などの特別の車ではなく、 ごく普通の車にその女性が積めこまれて運ばれていく所だった。 一階で店の人に聞いても、四人が入ってきて上の客と一緒に帰った、 くらいの認識しかない。
一体、あれは何だったのだろうか。

Aug. 26th (Wed.)

午前九時起床。BKCへ。朝から会議。 夕方帰宅。チェロをさらい、夜はプログラミング。

第八夜。

真夜中に道で子供に会ったりすると妙に恐いが、 老人も恐い。
和歌山市から南下していく国体道路に非常にいやな感じの場所がある。 何度も通ったことがあるが、 いやな感じはいやな感じとしか言えない。 どしゃぶりの雨の深夜には、 そこを四つ這いになって走る老婆を見かけるそうだ。 それは幽霊でも妖怪でもなく人間の老人であると言う。 ただし老婆というだけで、顔をはっきりと見た人はいない。
また別の話だが、僕が子供の頃、 友人の家に深夜遅くに毎夜必ず老婆が訪ねてくるという。 全く見知らぬ老婆なので、毎夜、家人が追い返す。 ただそれだけなのだが、僕はその話がとても恐しかった。

Aug. 27th (Thurs.)

午前九時起床。BKCへ。朝から会議。 ストレスのあまり、寺町で 3COM の Palm III を買ってしまう。 家に帰って、linux とデータのやりとりが出来るように セットアップしているうちに夜。 何やってるんだか、、、仕事しないと。

瞬間の怪談。第九夜。

妖怪の正体みたり枯尾花、という言葉があるが、今日はそういう話。
また水田の話で、ある女が夜の畦道を歩いていると、 水田の中で呻きながらうごめく怪しのものが月の光に緑色に光るのを見た。 あまりの恐しさに転げるようにして家に戻ったが、 明日の朝、親にともなわれてその場所に行くと、 それは妖怪のたぐいではなく、泥酔して水田に落ちた男の死体であった。
ただし、その死体には数百千という緑色の蛭が、 体中にびっしり吸いついていたのであったが。

Aug. 28th (Fri.)

午前九時起床。午前中はチェロの練習をして、 午後はプログラミング。

第十夜。

今日で怪談はおしまいにするが、ちょっと思い出話など。
僕は周りを水田で囲まれた小さな村で生まれ育ったので、 恐怖の原風景として、 やはり月夜にどこまでも水を張った水田が続いているような、 昔は日本のどこにでもあったであろう景色が思い出される。 昨日、妖怪の正体見たり枯尾花、という言葉を書いたが、 枯尾花というのが芒(すすき)のことであることを知っていただろうか? 私の実家は紀ノ川の堤防のすぐ近くにあるのだが、 堤防まではずっと水田が続いていて、 秋になると堤防の土手は目の届く範囲、ずっと向こうから向こうまで、 一面の銀色の芒であった。 堤防のはるか上には巨大な月が青白く輝き、 真黄色の穂の海が続く向こうに、 長い長い銀の幕のような芒の原を照らしてた。 水田を知らない人たちは静かなものだと思っているかもしれないが、 水田はざわざわと稲がなり、虫や小さな生き物達の声でうるさいものだ。 耳の奥底から響いてくる地鳴りのような声と、 煌々と輝く月の下で、稲穂の海とその向こうの銀色の芒の巨大なうねり、 今もそんな風景を夢にみる。
とても美しい風景なのだが、 それがどこかとても恐しいのだ。

Aug. 29th (Sat.) - 30th(Sun.)

あいかわらず多忙な毎日。

今日(30日)は非常に幸福な一日だった。 少し未来のことを考えて、夜を過ごす。 もうすぐ2000年なんだな。

Aug. 31th(Mon.)

午後からBKCへ。会議を二つ。

多忙の中、暇を盗んで、今日の読書。「ラモーの甥」(ディドロ)。
今の自分に大きな影響を与え、 今の自分の一部を形成しているような書物を挙げるというのは、 恥ずかしいものでもあり、自分のネタ帳を開陳するようで好きではないのだが、 僕にとってのそのような一冊に、 「超人の午餐」(ルイ・ポーヴェル)がある。 この本はフランスの神秘学者と言っていいのか、 思想家と言っていいのか非常にあやしげな人物によって書かれたもので、 その内容はある平凡な主人公とその友人である天才との、 昼食における会話である。 その雑談のテーマは思想、哲学、神秘学、超人、天才などに及ぶ。 作者の言うこの本のキャッチフレーズが、現代の『ラモーの甥』、 というものだった。
実はこの「超人の午餐」を読んだ時点で「ラモーの甥」を僕は知らなかった。 ディドロっていうと百科全書派がどうしたこうしたと世界史で習ったような、、、 という程度の認識だった。 その後、しばらくして「ラモーの甥」が岩波文庫に入っているのに 気付いて、ずいぶんと大人になってから読んだ。 こちらを先に読んでいれば、もっとまっとうな人間になっていたかもしれない。 この現代においては、先にパロディの方を知ってしまう、 ということが悲しいかな、珍しくないものだ。


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