1998 Feb.前期 (Arcana 18)

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Feb. 1st (Sun.) 本日より店頭公開

この「秘法十八」も今日から完全一般公開の運びとなりました。 今まで読んでいてくださった御贔屓筋の旦那様、奥様、お嬢様方も、 今日初めて読んでくださった方も、 これからよろしくお願いします。 以降はお好きにリンクをして下さって構いません。

午後二時起床。疲れがたまっていたのか、やたらに良く眠れた。 朝食は(とっくに午後だが)、珈琲二杯、サンドウィッチ、ビスケット。

表に出る気もしないので、家で試験の採点をする。 まともに採点してると半分くらいD(不可)なのだが、、、 追試するのも嫌だしなあ。

今日の読書。「文章読本」(谷崎潤一郎)。
恥ずかしながら初読。昭和九年という昔に書かれたもので、 上品なお爺さんにやんわり説教されているような文章だが、 非常に勉強になった。僕はこの内容に一部、はたしてそうかな、 と疑問を持つところもあったが、王道とはこうしたものであろう。


Feb. 2nd (Mon.) 詰将棋と Chess Problem

起床後、珈琲を入れてメイルをチェック。 昨日から公開日記を復帰したので、歓迎もあり、 鐘に太鼓でやめておいてサマにならんとのお叱りもあり。 昼食に月見饂飩、午後からBKCへ。 通勤途中は久しぶりに二手詰の Chess Problem を解きながら。 情報学科ドメインのネットワーク管理グループ会議に出席して後、 夜まで試験の採点をしていた。

チェスプロブレムは将棋で言う所の詰将棋。 チェスでは自分と相手の手を合わせて一手と数えるので、 二手詰は将棋で言うと三手詰にあたる。 詰将棋で三手詰なら簡単すぎるが、 プロブレムの場合は一般的な詰手数で、 その理由は詰将棋と違って毎回王手をする必要がないので、 相手がどんな応手を返しても、その次で詰みになるような、 キームーヴを探すことが主題になるからだ。

プロブレムには驚くべき分野がある。 なんと「一手詰」問題があるのだ。
僕が初めて読んだチェスプロブレムの本の一番最後に、 その「一手詰」問題が二題載っていた。 一番最後ということは、一番難しい問題が出ているのではないか? その盤面を見てみると、どうやっても詰まない。 そもそも王手すらできない。 一手詰と言う以上は、どれかの駒で王手して、それで終りのはずなのに。 印刷ミスなのか、ルール違反の悪戯問題なのか、 と悩んだ末に大きな疑問符が残ったまま、 僕はその本を閉じた。
その夜、寝入り際に、もしや、と頭に囁くものがあった。 飛び起きて、その問題集を開いてみると、まさしく。 アンパサンで一手詰だったのだ。 アンパサンとは、直前の相手の手がある条件を満たした時だけ、 次の手で歩(ポーン)が斜めに進むことができると言うルールだ。 すなわちこの「一手詰」は直前の相手の手がまさにその条件を満たしたことを、 逆解析して証明する問題だったのだ。 もう一題はキャスリングで詰みだった。 キャスリングも特別なルールで、 王が今まで一度も動いていない事などが条件になる。 その事実を今の盤面から逆に辿って証明するのだ。
今からプロブレムをやりたい人にはネタバレだったかもしれない。


Feb. 3rd (Tues.)

午前九時起床。なんだか頭痛がする。 ついに来たか、、、(うそ)。 朝昼食に卵のサンドウィッチを作り、珈琲とミルクを沸かし、 メイルとニュースのチェック。

午後からBKCへ。 O先生の所の学生がPGPを使った禀議システムを開発しようとしているのだが、 それを種に僕を研究代表者にしてどこかから資金をふんだくろう作戦会議。
その後、研究室で十四時頃から試験の採点の続き。 棄権者を除き、全員で271名の採点が終わったのは午後十八時過ぎ。 不合格者は悩んだ結果、38名。 先輩の某昭○大学のHさんのように、半分だったか三分の一だかを不合格にして、 事務に泣きつかれたと言う豪傑もいるが、流石にそんな度胸はなかった。 そう言えば、僕が学生の頃のT師匠の確率論の講義は、 合格者二名 だったような気がするが、絶対真似をしてはいけない。
その後、一時間ほどで秘密文書を TeX で作成。 この期限は来週頭だが、今やらないと今週は多忙に過ぎる。

夜、ちょっとお腹が減ったので、フスィリとか言うマカロニを茹でて、 トマトソースで食べる。 さらに、納豆とごぼう揚を胡麻油で炒めて、ワインを飲む。 と、色々食べながら、今週末の某ア○セス社での講義の内容を整理する。

ところで、僕は、小食ですかと聞かれることが多いが、よく食べる方である。 でも、某アク○ス社の天才プログラマK氏ほどではない。 ちょっと寒気がするな、、、饂飩でも茹でるか。


Feb. 4th (Wed.)

正午に家を出て、BKCへ。
TeX で秘密文書の作成完了。ソースだけを PGP でくるんで残し、 他の作業ファイルはワイプ。 その他、たまっていた事務的な雑務を片づける。 現在入試採点中のため、夜、学系内部で慰労のささやかな呑み会があり、 僕も今週の採点にはあたっていないが、ついでにビールを少し頂いて帰る。

今日の帰宅は九時。だんだん遅くなってくるなあ。 工学部の人たちは僕が育った環境と違って、 夜遅くまで研究室に残り、泊まってしまうことすら平気みたいだ。 僕もだんだん良くない習慣に毒されてきたのだろうか。 大学院生なんかも徹夜の作業などは日常茶飯事で、 どこの院生室にもごく普通にベッドがある。 あまり良いことではないと思うのだが、、、

そう言えば、昨日の日記で○和大のHさんが、 学生の半分か三分の一を不合格にしたという話を書いたら、 本人からメイルがあった。落とした人数は 六割だったそうだ。 最近は人間が丸くなって、四割程度しか落とさない、と言う。 豪傑である。


Feb. 5th (Thurs.)

午前中に起床。昼食をとってから、RIMS に向かう。 ゼミまでしばらく時間があったので、 図書館で最近の論文誌をチェックしたり。 お、Prob.Th.Rel.Fields に興味深い論文発見。(Lion-Qian)
十五時からT師匠と院生のK君とゼミ。 今日は二人ともいわゆる「今後の方針」ゼミで、 これからどういうことをする、という方針報告みたいなものだった。 そう言えば、駒場時代には色々と伝説のゼミがあったよな、、 「メタファーゼミ」とか、「屋上に人影ゼミ」とか。 「今後の方針ゼミ」も名前を冠された伝説のゼミの一つだったらしいが、 今では標準用語となったものだ。

ゼミ終了後、新幹線で東京に移動。 のぞみは速すぎて、中で仕事をすると酔うのでひかりに乗る。 新幹線の中ではビールを飲みながら、明日の仕事の資料に目を通す。 が、実際はほとんどぼーっとしていた。

思いだしてみると、昔、T師匠は本当に恐かった。 ゼミの前日は悪夢にうなされたものだ。 ゼミ当日、院生室に集まってみると、誰もろくな進歩はなく、 今日はどんな順番で誰がしゃべるか浅知恵をしぼったものだ。 完投宣言のエースがあっさり15分でつぶれたり、 けなげな四人継投作戦が一時間も持たなかったり、 けっこうサスペンスフルだったが。


Feb. 6th (Fri.)

午前中に起床。 下北沢の喫茶店を梯子しながら、今日の講義の組み立てを考える。 夕方から某ア○セス社で講演。 公開鍵暗号系入門とその応用、また法律的諸問題へのコメントなどを、 二十人くらいの技術畑、営業畑の社員の方々を相手に二時間ほど話す。 その後、副社長のKさん、研究開発室のSさん、法務担当の方と、 特許の問題などを打ちあわせ。 研究開発室のSさんと、少し雑談をしてから帰る。

下北沢の某珈琲屋に挨拶に立ちよってから帰宅。

「お話にでてくる数学の教授は、たいてい放心癖を持っている。 彼は公衆の前に両手の雨傘をなくした姿であらわれる。 彼は黒板に向かい、学生に背中をみせて立ちたがる。 彼は a と書き、それを b と言うが、 実はそれを c のつもりで言っているのである。 しかしそれはほんとうは d でなければならない」
(「いかにして問題を解くか」(ポリア)の「伝統的な数学教授」の項より)


Feb. 7th (Sat.)

正午起床。よく寝た。メイルのチェック。 白井君から数値計算プロジェクトに初の御依頼あり。 非常にチャレンジングな良い問題のようなので、 三月に少しまとまった時間をとって考えてみよう。 手伝ってくれる学生がアサインできると良いのだが。

近所の店で本を読みながら昼食。
午後はなじみの珈琲屋で読書などして、 夜は友人と食事の予定。

下北沢は院生時代を過ごした街で、やっぱり一番懐しい。 駒場の院生室に毎日行って、みんなで下らない雑談をしたり、 たまには数学を考えたりして、夜は白井君と珈琲屋に行き、 これまた下らないおしゃべりや、 たまには数学の問題を議論したりしたものだ。 それだけだったのだが、その時代に蓄えたものが一番豊かだった。

時間がない、そう思うようになった時に一番懐しく思うものが一番、 大事なものなんだろうな。


Feb. 8th (Sun.)

正午起床。近くの喫茶店で昼食と読書。 なぜか、「詩的私的ジャック」を再読。一時間くらいで読了。 以前に読んだ時よりも、良い作品に思えた。なぜだろう。

夕方に友人が訪ねてくる。 色々と相談をするが、結着は得られず。 結局、三月の結果待ちか。 夜もかなり遅くなってから、一緒に食事にでる。

今日、多分生まれて初めてだと思うのだが、「男っぽい」と言われた。 僕は自分ではかなり女性的で女っぽいと思っているのだが、 実はむしろ普通より古典的な意味で男性的であることに 気付いていないんだそうだ。
そうなのだろうか?御意見求む。(誰に?)


Feb. 9th (Mon.)

朝五時半に起こしてもらい、東京駅へ。 新幹線で京都に向かう。 最近、また何故か自分の中でチェスがブームで、 新幹線の中では "Hypermodern Chess - Games of Nimzovich" で Nimzovich の棋譜を読む。 雪のせいで少し遅れたが、十時に京都駅着、 直接BKCに向かい、十一時からの会議に間にあった。 会議は大学院入試問題のレヴューで、 僕の作った問題は少し難し過ぎないか、との突っこみもあったが、 記述部分の採点は「正しい日本語が書いてあれば満点をつけます」 と答えて再提出は切り抜けた。

僕は碁も将棋もチェスも実戦はあまり強くない。 数学者の中にはやたらに強い人もいて、 某奈○女子大のS君などは将棋、 確か碁は二子置いてプロを負かすと言う人までいたはず。 昔、二枚だか四枚だか落ちで某○和大のHさんと将棋をしたのだが、 あまりに華麗な負かされ方をしたので、 この人は段違いに強いらしいと言うことがしみじみと分かった。 大体において、強い方からは相手がどれくらい弱いかが良く分かるのだが、 弱い方からは強い人が一体どれくらい強いものか見当がつき難い。 ただあまりに、作ったような美的な盤面で負けると、 段違いの三乗くらい以上は差があるらしいと分かる。

こういうゲームの心得があって良いことの一つは、 棋譜を読む楽しみがあるということだろう。 これは非常に楽しい。僕は碁は秀策のもの、 チェスは色々持っているが、 それぞれに個性的で一種芸術観賞の趣きがある。 Nimzovich のチェスは一言でいうと「陰険」だと思う。 こまかいことを言うと、前衛的な人を食ったプランとか、 ナイトを使う巧みさとかがあるだろうが、 気分として盤面から冷笑的なユーモアが漂っていて、 そこはかとなく「陰険」なのである。


Feb. 10th (Tues.)

午前九時起床。 朝食を作り、メイルをチェックし、 夜の間に計算機が調べた DES の鍵のブロックを送り、 新しい未踏破のブロックを受けとる。 RSADSI の DES チャレンジも予想解読時間の半分を越え、 賞金は半分になったが、まだ解が見つかっていない。 Number Cracker の同志諸君、精進が足りん。 大学で後何台か暇そうにしてる計算機を見つけるか、、、

午後からBKCへ。 今日は雑務の日で、ある申請書のドラフトを作り、 追試のレポート問題を作成し事務所に届け、 さらに、、、というような一日。
夕方になって、I御大が部屋に雑談しに来てくれて、 ちょっと数学の話をしたのが唯一の憩いの時間だった。

「一年始有一年春、百歳曾無百歳人、能向花前幾囘醉、十千沽酒莫辭貧」 (崔敏童)
それに答えて、
「一月主人笑幾囘、相逢相値且銜杯、眼看春色如流水、今日殘花昨日開」 (崔恵童)


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