1998 Jan.後期 (Arcana 18)

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Jan. 21th (Wed.)

最近、早起きなもので午前中に起床。 午後からBKCへ。今日はなんのデューティもないので気楽な出勤。
雑事がない時に研究室に行くのはとても楽しい。 読もう思っていて放ったらかしにしていたあの論文を読もう、 いや、去年仕事で作ったコードに久しぶりに手を入れよう、 そうだ、Linux Box にあのツールをインストールしようと思ってもいたのだ、 メイルで提出してもらってるレポートを自動的に整理する スクリプトを書いてもいいな、 と出勤途中には色々と計画が浮かぶのだが、 結局はその内の一つ二つやったらもう夜になる。

昨日の宴会での話題なのだが、数学のアカデミックポストについて。 大阪大のK先生、N先生などによると、 阪大の数学の大学院でも、大学に就職できるのは、 良くて一年に一人だそうだ。 正直に言ってこの数字に僕はかなり衝撃を受けた。 天下の阪大で年一人となると、他大学は推して知るべしだろう。 その原因としては東京大学で数学の学位を取る人が一年に 三十人ほどもいて、その皺寄せが他大学に回っていたポストまで 圧迫しているという理由が主だと思われているようだ。 しかし、実際には東大で学位をとっても大学に就職できるのは、 一年に十人くらいと言われている(もっと少ないかもしれない)。 確率論は他の数学の分野に比べると、連帯感が強いこともあり、 ポストが用意されやすいと思われているが、 昨日の宴会では東大のN先生が確率論でも若手が就職できないことを 「確率論分野の危機的状況」として強く主張していた。 中心になるような花のある若手が二三人、 それからしっかりした研究をできる人、十人くらいが一世代として 育ってくるようでないと一つの分野自体が滅亡する、 今の確率論はこの数字が危機的だ、というのだが、 他の分野はもっと酷いらしい。
僕は確率論に関して言えば、中堅層が悲観するほどには状況は 悪くないと思っているが、 ではどうするべきなのか、ということになっても良くわからない。 なにが悪かったのだろうか、 文部省か?大学院構想か?理系離れか?高校教育か? それともただ弱いものが滅びる自然選択なのか?

そういう状況の中で僕は大学に職を得ることができたが、 まず民間に職を得て、 大学の職をあきらめた頃にバタバタといくつかオファーがあり、 結局、今の立命館大情報学科に決まったという経緯だった。 立命の情報は確率論の大御所I大先生がいるものの、 全体的には完全にホンモノの情報科学科なので (ニセモノがあるのか、というと実はある。 情報と言って実は半分くらい数学科という所がたくさん)、 職が決まるに至っては、民間での仕事がかなり評価されたこともあって、 複雑なプレッシャーを感じている。 以下かなり正直な僕の気持だが、 多分僕のことをI先生肝入りの(しかも、不相応な) 抜擢と思っている人は多いだろうし、 一方では大学としては暗号、セキュリティの基礎研究で 中心的な働きをするために、基本的な業績を早く上げてくれ、 と思っているだろう。 僕はかなり俗な所があるから、民間との縁もそう簡単には切れないだろう。 会社も無駄に給料を払っているわけではない。 そういうわけで、いろんな所から「もっと一所懸命にやってくれよ」 と思われつつ、あれもこれもと自分では思い、 きちんとした仕事へのとっかかりが得られないで一年が経ってしまった。 (私生活が複雑なせいもあるが、それは言い訳だろう)。

そういうわけで、 極楽蜻蛉すちゃらかちゃんの道楽人生のように思われるかもしれませんが、 いつも誰かにせっつかれているようなプレッシャーは感じているのです。 本当ですってば。 三個所懸命くらいの心意気ではあるのです。 本当ですってば。


Jan. 22th (Thurs.)「お姐さん超入門」

さて、この前会食したO嬢が着物についてなど話していたのでそのこと。 以下に書いてあることは着物通の人から見れば、とんでもない! と眉を顰められるかもしれないが、、、

着物を着てみたいという女性は多いと思うが、なかなか縁が遠くて、 本気で着てみるつもりにはならないものらしい。 それには色々と誤解があるのではないか、と思う。

まず、基本的に日本人は着物が似合う。 それにどんな体型でも着られる。背が高いと駄目だとか、 凹凸のある西洋人体型だと駄目だとか言う人もあるが、それは嘘だ。 たっぱのある人がすらりと着物を着ているのは素敵なものだ。
それから、着物が似合わないと思っている人は、 成人式や正月にぞろぞろ表を歩いているああいうのが着物だと思ってしまっている ことが多い。あのダサダサのツルツルのピカピカしたのを、 あんな着方をして、変な白いふわふわした奴(あれ何なんだ?)を首に巻いてれば、 滑稽で醜いのも当然だ。 素敵な着物というものは、美しい洋服を選ぶのと同じセンスでいい。 私は着物を見る目がない、とか心配する必要はない。 美は普遍的で、かつ個人的なものだ。自分のセンスに自信を持とう。 着物だっておんなじだ。
それから着物は着るのが難しいと思っている人もいるが、それも違う。 やってみればわかるが他人に着付けるのは簡単だ。 難しいのは全部一人で自分に着付けることだが、 それも訪問着などの正式な着物の場合だけで普通は簡単だ。 タオルとか補正具を中に入れないと不格好だと、熱心に主張する人もいるが、 そんな変なものを着物の下に詰めこんでるセンスが不格好だ。
着物は高価、というのはある意味では正しいが、 それは洋服でも高価なものは高価なので、安い物を着ればよい。 一番良いのは、人からもらうことだ。 お母さん、お祖母さん、親戚あたりに聞いてみよう。 お年寄りからは思いもよらぬ程、現代的なセンスの着物をもらえることだろう。 次に良いのは古着屋だが、これは京都、金沢、東京など着物を着る人が たくさんいる所でないとなかなかない。 呉服屋は初心者は行かない方がいい場所だが、 もし行くなら小物を買ったりして樣子を見て、店の人と着物談議をすると良い。 気にいった店が出来たら、希望を伝えよう。 絶對に初心者は高価な着物を買わないように。

最後に注意することをいくつか。 一つは着物の畳み方。襟首のあたりをつまんで、両袖を背中側にそろえるように、 半分に折る。そして袖の部分を折り、出来た縦長の長方形を適当に二つか三つに折る。 着物はあの帯になっている反物を切った長方形を並べて縫ってあるだけなので、 基本は長方形で、それを壊さないように長方形を並べるつもりで畳む。
帯の結び方は家の中で着ている分には *どうでもいい*。 半幅帯という普段用のを適当に後の方で結んでおけばOK。 (これで随分、気楽になったでしょ?) 綺麗な結びをしたくなってから勉強しよう。 普通、家で気楽にというと「貝の口」と言う締め方だが、 まあそんなことは着慣れてからでいい。テキトー、テキトー。 何か一つと言うと太鼓結びだろうが、 低い位置で小さ目に作るくらいの気分で締めるといい(これは僕の好み)。 他には、角出しはちょっと粋、後見はきちんとした感じで、 これくらい締め分けられると既に自慢していい。
それから、着物を着出すと慣れることだが、袂のあしらい方に気をつけよう。 食事の時なんかに、味噌汁に袂をつけてしまったりする。 襟の抜き具合なんかも綺麗に着られるかどうかのポイントだが、 それも自分がいいと思うようにすればいい。 芸者じゃないんだから抜きすぎるのは却って不粋と思うが、 いやどうしても「堕ちていく気怠い遊女風がアタシの美学なの、、」 と言い張るのならそれでもいい。
兎に角、自分の審美眼を信じよう。 洋服を着る時にだって、逆さまに着てたりすると流石に変だが、 それ以外はどう着たって文句は言われないだろう。 着物だって自分の好きなように好きなものを着ればいい。

最近、僕は朝起きた時に、寒いし、すぐに外出する服に着替える元気もないので、 セーターとかを一つ着て、 その上からウールの着物に半纏を羽織ってうろうろしています。 帯は巻いて、一つ結びにしてるだけです。 この格好にベロアのマフラーを巻いて、近くのコンビニに行ったこともあります。 きっと祖母に見られたら、 「あんたはまたスイなことして、、、」と叱られるかもしれないが、 本人は快適だからこれでよし。


Jan. 23th (Fri.)

どうも長い日記が続いたから、今日は簡潔に。 緊張感のある身を切ったネタを求めているのに、好好爺みたいな日記で退屈、 との意見を数少ない読者からもいただいたので。 好好爺は、僕の人生の目標なのだが。

午前中に起床。 午後からBKCへ。 O先生から電話で呼ばれ、何事かと思ってかけつけると、 「情報実験」(中身はCプログラミング演習)でカンニング疑惑発生とのこと。 実際、提出物を見ると他の学生のほぼ全くのコピー。 その疑惑の学生を呼びだして、事情を聞いたり。
僕自身はこういうのは仕方ないなあ、、と思っていて、 あんまり目鯨立てるのもどうか、とも思うが、 事実は「情報の盗難」であり、コピー屋に単位をあげることは 大学側の学生評価の信頼性を下げることにもなるわけで、 試験における不正行為と同じとみなし、厳しく指導することになっている。 特に立命館情報は「情報倫理」に力を入れているので、 このような指導が教育でもあるわけだ。

僕はあんまり気にしていなかったのだが、 全くのコピーのまま提出されると後で発見された時に面倒になると思い、 メイルで提出してもらっているレポートのヘッダをカットして、 二つづつ差分をとるスクリプトを Perl で作成。
うーむ、Perl って便利。


Jan. 24th (Sat.)

朝、九時起床。 ダイニングキッチンに ThinkPad を取りに行って、 寝床で夜の間に届いたメイルを読む。 (朝八時ちょっと前に、crontab でメイルを取りに行くように設定してある) 特にニュースらしいニュースはない。

十時近くなって、ようやく寝床から起きだす。 着物と半纏を着て、顔を洗い、コーヒーをいれ、 ビデオで「ザ・インターネット」("The Net")を見る。 サンドラ・ブロック主演。 大学のある情報倫理系の授業でこの映画を観せて、 感想文を書かせるというものがあるらしいので、一応観ておこうと。
内容は結構下らなくて、あまり教育的とも思えなかったが、 楽しめたことは楽しめた。

今日の読書。古典ミステリ再読計画。久生十蘭「平賀源内捕物帖」。
僕の三大捕物帖と言えば、岡本綺堂「半七捕物帖」、 久生十蘭「顎十郎捕物帖」、都築道夫「なめくじ長屋捕物騒ぎ」である。 十蘭の顎十郎は老後の愉しみのために、長い間、 未読のまま置いてあったのだが、最近下北沢で誘惑に負けて読んでしまった。 素晴しい作品群で、やっぱり老後のために置いておけばよかった。 久生は平賀源内捕物帖も書いているが、顎十郎の方がおもしろいと思う。 とは言え、そこは十蘭であるから何を書いても、 博蘭強記十横無尽、無傷完璧の「見てきたような嘘をつき」で、 楽しませてくれるのである。

夕方から三条に出る。寺町で買物をして、丸善をひやかし、 河道屋銀華で鴨なんばを食べ、先斗町の「我留慕」で飲んで帰る。 呑んでいる内に雪がちらほらと壷庭に降ってきた。 邦楽業界のスキャンダルと孝夫の襲名騒ぎを肴に杯を重ねて表に出ると、 狭い先斗町の路地の暗闇に静かに舞うように、 雪がひらひらと降ってくる。 黒い着物の芸舞姑達とすれ違いながら、 先斗町を抜けて三条大橋に向かう。 粉雪の中を山科の自宅に到着するも、 今日も私の愛する人からの返答はなし。


Jan. 25th (Sun.) 一掛け、二掛け、三掛けて、仕掛けて、殺して、、、

今日も九時起き。 寝床でメイルの読み書き。 あ、京大の切り裂き系院生Rからまた貢ぎ物が。

昨日、寺町でした買物というのは実はキーボードなのだが、 結構調子が良くて嬉しい。 フルサイズのキーボードは大きすぎて場所をとるし、 テンキーの部分もカーソルの部分も全く使わないので、 アルファベット部分だけの小型キーボードを購入(Elecom 社の製品)。 タッチも好みの感触で使いやすいので、 持ち歩こうかと思うくらいだ。 これが二つ折りできるといいと思うのだが、 そういう「携帯キーボード」は売ってないのだろうか? それから一つ不満なのは、日本語キーボードなので、 配列が違うこと。キーボードはほとんど見ないので、 キートップの表示と実際タイプされる文字がずれていても問題ないのだが、 ちょっと気持ち悪い。 誰か、英語版の小型キーボード売ってる場所しりませんか? 二つ折りできるとベスト(それはないって)。

今日は休日らしく、家事をしたり、近所の西友に食材を買い出しに行ったり、 本を読んだりしていた。
今日のビデオ。「必殺!」。六文銭のやつ。
なぜ「必殺!」かと言うと、片岡(元)孝夫を観ようと。 孝夫の上方言葉が耳に心地良い。 くう、、泣かせるいい芝居しはるなあ、、 どうもまだ孝夫って言うてしまうけど、襲名舞台を観てへんからやろうか。
今日の読書。久生十蘭の短編。
「海豹島」、「無月物語」などは生涯で一度でもこういうのを書けたら、 作家冥利に尽きるだろうと思うような完成度だが、 そういうのがごろごろしているのが十蘭の短編で、 誰かが言っていたが我々十蘭ファンの悩みは、 「これほどまでに豊饒な美酒を我々のみが独占して良いのだろうか」 という贅沢なものらしく、 そう言いたくなるのも分かるほど良いったらないのだが、 ジュウラニアン以外はそうは思ってくれないところが マイナリティの運命なのだろう。

夕飯は茹でソーセージと法蓮草、ペペロンチーニ、パン、 あ、酒切れてる。明日要購入。


Jan. 26th (Mon.)

今日も早起き。寝床でメイルを読み、いくつか応答する。 朝昼兼食はベーコンエッグ、パン、ミルク、珈琲。
午後からBKCへ。 通勤中の読書は、「初めてのPerl」(シュワルツ)が終わったので、 今日から「曲線・曲面と接続の幾何」(小沢哲也)。 どうもいつまでたっても接続の概念が肌で分かったという感じがしないので、 具体例が一杯のっている簡単な教科書で復習するつもりで。 午後からは、情報実験の成績評価会議。 そういえば、「数学解析」の試験の採点もしなくてはいけないのだった。 ちなみに試験を受けた学生は274名(泣)。

夕飯に四川担担麺の元と鷹の爪と大蒜を大量投入して、 真赤な色のラーメンを作ってみた(ベースは博多棒ラーメン)。 ちょっと辛いがまだまだだな、、、今一つなのは高菜がないせいだろうか。 今週は九州大学の研究会に参加する予定なので、向こうで勉強してこよう。

個人研究費が10万円ほど余っているので、何か買わなくてはいけないのだが、 いいアイデアが浮かばない。 本をちょっと買って、 ネットワークカードとかあっても困らないようなハードをいくつか買おうかな、 それとも旅行用の携帯端末を一つ買うか。

僕の妹って可憐さんと同じ誕生日だったんだな、、


Jan. 27th (Tues.)

午前中に起床。 朝食はベーコンエッグとパンと珈琲、ミルク。 午後からBKCへ。 雑務をいくつかこなしてから、教授会。 今日も長い。 教授会終了後、I大先生と一緒に帰る。

夜食、法蓮草と卵のサラダ。パン、今日六杯目くらいの珈琲。

教授会は今日も人事問題だったので、ふと思った。 人事ではなんとなくぱっとしないのだが、 着々と仕事もしてるし、論文も書いてるし、 人物も真面目そうだし、、、と言うような感じの人が有利な気がする。 人事は非常に慎重に扱うべき問題だから、 そうなるのも分かるような気もするのだが、 なんだか面白くない。
以前から思っていたのだが、 たまに「ブライトネス」とでも言うか、特別な雰囲気を持っている人がいる。 特に猛烈に仕事をしているとか、才能があるとか、頭が切れるとか、 ではなくて、何となくその人の周囲では物事がうまく行きそうな、 特別な感じがあると言うか、明るい雰囲気があると言うか、、難しいな。 陽気だと言うのでもない、明るいと言うのとも違うのだが、 静かなのに花があると言う感じ。 ああ、この人はなにか特別な人なのだな、、、 と屈託なく自然に思ってしまうようなとでも言うか。 そういう人は、放っておいても結局どうにかなるような雰囲気があるし、 実際、結構放ったらかされて、どうにかなっちゃうのだが、 もっとそういう何かを持っている人を積極的に集めた方が いいような気がする。いや、、そんな人ばかりでも困るかな。


Jan. 28th-29th. (Wed.-Thurs.)

すみません、 金沢のKさん 、しばらくずっと1月25日でした、、、 ミッチーブームはもう終わったんでしょうか。 最近は旦那様へのおのろけが多くて、楽しみにしています。

そうですね、、KMソフトウェアの経営最高責任者の KMさん、 確かに「3の7のポーンでチェック」(by 天災少女、西之園萌絵) なんて言う人は普通いません。 常識的には「Pc7+ (ポーン、c7 でチェック)」もしくは、 「PQB7+ (ポーン、クイーンズファイルのビショップ列の7でチェック」 でしょう(後の言い方は古典的)。 彼女達二人だけで分かれば良いと言えばそうですが、 チェスを我流で学んだのではないでしょうか。 なんにせよ、ポーンが第7列まで進んでcの筋でチェックと言うのは驚くべき局面で、 おそらく相手側のキングはクイーン側にキャスリングして、 さらに一つ端のb8に移動したところに、 d8 にいるルークとのフォークのチェックがかかったのではないでしょうか。 応手としてはKc8など、西之園さんはPxd8でルークを取り、クイーンに プロモーション(成り)したと思われますね。 手元に原典がないので、適当な推理ですが。
そう言えば、僕は白井君と電話で碁(しかも19x19の正式)をしたことがあります。 それも何度か。若さって無謀(笑)。

さてここからは28日(木)からの日記。
朝八時起床。 京都駅に向かい、九時過ぎの「のぞみ」で博多に向かう。 九州大学での「確率論と計算機数学」の研究会に参加のため。 正午博多着。あれ、のぞみってこんなに速かったのか。 広島以西は (*1)「事象の地平」 の彼方かと思っていたが、、、

午後の部から講演を聞く。 疑似乱数の問題とか、ブラウン運動のシュミレーションの話とか、 結構興味深い。この方面にもいずれ進出したいものだな。

言うまでもないが、夜は飲みに行く。 九大御用達の箱崎の居酒屋で飲み呑み、、、 メンバは九大のSさん、Hさん、神戸大のFさん、阪大のI君など。 公務員の体制批判をやっていたが、 この場で公務員じゃないのは僕だけだぞ。
ホテルに帰って倒れるように就寝。

翌日、29日。朝八時に起床。箱崎の九州大学へ。 昼休みを狭んで、一方向性関数と暗号学的安全疑似乱数の発生法の 関係についての講演を聞く。知っていることではあったが、 具体的な証明を聞いたのは初めてだったので、なかなか興味深かった。

大学構内の公衆電話から、プロバイダに PPP接続して、私用のメイルを ダウンロードして、ホテルに帰る。 今夜はホテルでおとなしく「日頃の人生に対する態度を反省」して、 明日の午前中に京都に帰り、午後はBKCで会議に出席の予定。

(*1) 「事象の地平」(Event Horizon): 特殊相対性理論の要請によって、(光速を越える移動は出来ないので)、 現時点から原理的に到達不可能になる時空間上の点の集まりと、 到達可能な点の集まりの境界のこと。 現時点を出発した光の運動の作る四次元空間内の円錐型の集合になるため、 「光錐」(Light Corn)とも言う。 例えば、今、この場所を中心に考えると、 一秒後での事象の地平の切口は半径30万kmの球面になる。 それより遠くは、 どうしても原理的に到達できない「事象の地平の彼方」である。


Jan. 30th (Fri.) 桜と槿の庭

博多駅でラーメンと餃子と明太子御飯の昼食を食べて、 新幹線で京都に帰る。そのままBKCに行き、学系会議に出席。

今日は移動して、会議して、疲れて寝るだけなので、 日記のネタがない。というわけで、また昔話。

僕は、人間はできることなら苦労しない方がいいと思う。 苦労して偉くなった人というのは、 どこかが卑しくなることが多いような気がする。 特に若い時はそうで、子供の時分に辛い思いをしたり、悩まずにすむなら、 その方がずっといい。苦労は買ってでもしろ、というのは多分嘘だと思う。 上質に甘やかされて育った人と言うのは珍しいが、 確かに存在していて、屈託のない我儘をのびのびと言ってのけて、 こちらが苦笑してしまう。ああいうのはとてもいい。 (ただ、悪く甘やかされた人は結構多くて、こっちは本気で嫌なものだ)。 だから不幸にも苦労しなければならなくなってしまった場合、 大事なことは絶対に「卑しくならない」と言うことだ。 それにはこの苦境で自分を磨こうなどと思ってはいけない。 したたかな生き様(そんな日本語はないが)、 なんてものは決して身につけないように。 こんな話をしていると二つばかり思い出すことがある。 一つは歌舞伎の「吉田屋」、 もう一つは僕が会った、ある「お姫様」のことだ。

吉田屋は大店のぼんぼんが紙子(かみこ)の着物を着るまでに零落して、 花魁のところにやってくる話。主人公は、 育ちはいいが、頼りなくて、めそめそ、うじうじと女女しくて、 だけどひたすらに優しくて、女には滅法だらしない。 江戸の感覚ではどこが二枚目なんだ、という感じだが、 上方ではこれが 「つっころばし」と言って典型的な二枚目である。 この零落したぼんぼんの名台詞で、 重たい俵材木でも牛馬が負うては珍しうない、、、 丁度わしがこのような紙子一枚で、 七百貫目の借銭負うてびくともせぬが伊左衛門。 そこで、「われは総身が金じゃゆえ」 と見栄を切る。 脳天気で頼りないぼんぼんのあっけらかんとした見栄に、 客は「しょうのないぼんやなあ」と苦笑して、 でもしみじみとこの男に幸せになって欲しい、 幸せになるだろうな、と予感する。 (まあ、江戸ではウケない男だろう。ちなみにこれは元孝夫の当たり役だ)

さて、「お姫様」の話。僕は本物のお姫様に会ったことがある。 しかもお手を取らせていただいた。 高校生の頃、韓国で李方子さんに会ったのだ。春のことだった。 方子さんの家の庭には片方に桜の林、片方に槿の林があって、 桜は丁度満開の頃で雪のように花びらを庭に降らせていた。 槿は咲いていなかったが、一日で咲き、その日の内に萎み、 決して花は散らないのだそうだ。 その庭に向かう縁側の所に彼女は立っていた。 背筋のぴんと伸びた、優しい笑顔をした小さな老人であった。 僕が彼女の手を取った時、彼女が僕の目を覗きこむようにした。 李方子さんは日本人であるが、李王朝の最後の末裔である。 皇族として生まれ、幼くして李王家に日本の朝鮮支配のために政略的に嫁いだ。 その後、日本の支配は終わり、政変がなんども起こり、 王朝は滅び、政治の体制が変わる度に、 彼女の人生は濁流の朽木のように浮沈した。 どちらの国からも石の礫を投げられ続けたような、 苦難と言うにはあまりに苛酷だったはずの、 彼女の人生は僕には全くはかりしれない。 しかし、今でも僕は彼女の目を思いだす。 確かな、静かで穏かな目で微笑んでいた。 苦労知らずのお姫様の目だった。 その数年後、彼女は昭和天皇が死んだすぐ後に亡くなった。

なんとなくこの二つの話を思い出したので、ぽんと書いてみたが、 なにか教訓を導きたいのではないし、 どういうことを僕が言いたいのか自分でも良く分からない。 ただ苦難の最中にも、その後にも、 彼等のようにあっけらかんと、または気高くあることは大変なことであろう。 人間を最終的に規定するものはその精神の高貴さであると思う。 その高貴さはある時は無邪気となってあらわれ、 ある時は鋼のような気丈さとなってあらわれるが、 本質的には一つのものだと思う。


Jan. 31th (Sat.) 久しう生きとらん

昨日家に戻ると、一乗寺の怪しい本屋、 恵文社の中にあるギャラリー「アンフェール」からFAXで、 山口椿から手描きの扇子を預かっているから取りに来いとのこと。 洗濯と洗い物をすませてから、午後外出。 一乗寺で人前ではかなり開きにくい危な絵の扇子を受けとる。 「はら君にぴったりのを取っといてあげる」と言っていたが、 宮廷風の衣裳を来た女の子二人の片方が、 足を持ち上げている相手の足の間に舌を入れている絵だった。 (どこがぴったりなのか、今度聞いておこう)。 その後、河原町で本屋を回り、先斗町の「我留慕」で一杯飲んで帰る。

おや、金沢のKさんは、僕の妹と同じ誕生日でしたか。

香港のXさんもお仲間と見受けられますな、、、 僕がジュウラニアンになったのは、 昔、社会思想社教養文庫の久生十蘭傑作選IV「昆虫図」を買って以来で、 この短編集は、 舞台がいっぺんに根刮ぎひっくり返るような鮮かながんどう返しの「予言」、 最初から最後まで一人の女が電話でしゃべっているだけで 複雑な男女関係の物語を構成する超絶技巧の「姦」、 国際短編コンクール優勝の「母子像」、 ショートショートの先駆のようなホラー「水草」、「骨仏」など、 読みやすい傑作短編ぞろい。 私は、大人になったら小説家か科学者になりたいなあ、 などと馬鹿なことを思っていた子供だったが、 これを読んで「ああ、こりゃとてもかなわん」と脱帽、 以来科学者の方を目指すことにしたことであった。 こんな超絶技巧と博覧強記を惜しげもなく短編に書き散らせるようでないと、 物書きにはなれないのだな、と一人合点したのだったが、 実際には最近巷にあふれる小説たちを見るとそうでもないようだが。


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