1998 July 後期 (Arcana 18)

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過去のお言葉


July 21th (Tues.)

午前九時起床。BKCへ。午前中は会議。 午後も会議。

会議の後、自分の部屋で脱力していると、白井君からメイルで、 重要なプレプリントを発見とのこと。 早速、ダウンロードしてざっと眺めてみると、
「ちょーぢうやう」。(< 部屋の中での独り言)

今日のお言葉は、名作「長いお別れ」の中の名文句。 こんなに美しくバーを描写した文章はいまだ知らない。 特別な言葉は何もない簡明な文章なのに、 思わず夕方、お気に入りのバーに駆けこみたくなるような名文だ。 「長いお別れ」ではマーロウを食ってしまっている名脇役(いや、主役だ)、 (*1)テリー・レノックスにあこがれない 酒飲みはいなかろう。 テリー・レノックスにただ一つ文句を言うなら、 あのレシピは「ギムレットには甘すぎる」。 残念ながらこのジョークは僕のオリジナルではないが。

(*1):テリー・レノックス
レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」に登場し、 探偵マーロウと不思議な友情を結ぶ、 やたらに酒に詳しく蘊蓄をたれる謎の男。 億万長者の娘と結婚して、離婚して、また結婚。 なぜか白髪、顔の片側に目立つ傷がある。 イギリス風の礼儀正しさと妙な自尊心と、 気力のなさをともなった酒飲み。

July 22th (Wed.)

おや、 まだ禁酒中でしたか、、、

別にあてつけではないのだが、 アルコールの最初の一杯は非常に良いものだ。 暑い日の夕方、少し涼しくなってきた頃に、 始まったばかりのバーに行って、 ギムレットを飲む。もちろん、 腕のいいバーテンが作った、 本物のライムジュース少しと冷凍庫で冷やしたサファイアボンベイのジンを、 わざと大きさを不揃いにした氷で振ったやつで、 見惚れるようなグラスにぴったりと注がれ、 その表面には薄い氷がかすかに浮かんでいる。 さっと、グラスの周りに霜がつく。
さあ、バーに行きたくなったでしょう?

午前九時起床。 朝は翻訳の仕事をちょっとして、チェロの練習。 午後も翻訳の仕事を続け、また合間にチェロの練習。 夜は2回目のチェロのレッスン。 今日は開放弦を一通りロングトーンで鳴らす練習。 こうやって楽器に良い音を覚えこませて行くんだそうだ。 シュレーダーのエチュードを少し始める。
関東一キュートなY嬢に、きっと綺麗な先生についたのだろう、 と言われたが、先生は「おじさん」です、、、

July 23th (Thurs.)

午前九時起床。BKC へ。 来期の情報処理演習に関する打ち合わせ会議。 僕がテキストを作るはめになり、また一仕事増えてしまった。

さっさと家に戻って、チェロの練習をしたり、本を読んだり。 「長いお別れ」読了。 何度読んでも感心する。こんな作品が書けるのなら、 悪魔に魂を売り渡してもいいと思うような傑作だと思う。 チャンドラーの作品のどこかにちょい役で出てくる、 エリオットの詩を愛読する黒人の執事が気になっていたのだが、 この作品だった。執事というのは僕の思い違いで、 運転手だったが。 こういう2、3ページしか登場しないほんの脇役でも、 心にずっと残るのがチャンドラーの巧さの一つかもしれない。

夜はデュ=プレの弾くエルガーのチェロコンチェルトを聴いたり。

July 24th (Fri.)

昨深夜四時くらいに電話があって、しばらく話したせいか、 起きるのは遅かった。 珈琲を飲んだ後、チェロの練習をして、昼食を作る。

午後は翻訳の仕事をしたり、読書したり。
読書は「五つの箱の死」(カーター・ディクスン)を再読。 ちょっと寝台に横になったら眠くなり昼寝までしてしまった。

お、拝大人 から暑中見舞い。と言っても送ってくれ、と注文しておいたのだが。 これが噂の篆刻ですか、、、渋い御趣味だ。

July 25th (Sat.)

「ハルモニア」。ふうむ、あれが時価数億円のチェロか、、、 もう少し長く演奏を聞かせて欲しかったが。

午前九時起床。チェロの練習と翻訳。
午後は読書。「死の病原体プリオン」(リチャード・ローズ)。 並のホラーより恐いドキュメンタリー。 カート・ヴォネガットの「猫のゆりかご」に出てくる (*1)「アイス9」の概念が、 狂牛病の本質を予言していたとは驚愕。

そろそろ比婆セミナーの準備しないとな、、、(って、遅すぎ)。

(*1) アイス・ナイン:
カート・ヴォネガットのSF小説「猫のゆりかご」に登場する概念。 氷はもちろん水が結晶化したもので、 地球上の氷の結晶構造は全て同じである。 しかし、それは現在世界中の氷が全てこの結晶構造 (これをアイス・ワンと呼ぶ)をしているから、 すなわち、水が結晶化の仕方としてこの構造しか知らないから、 というだけで可能性としては別の構造の「結晶の種」があれば、 別の結晶構造を持つ別の氷になることもありうる。 「猫のゆりかご」では、融点が55度という「九番目の氷」が、 一滴、合成されたために、世界中の水がアイス・ナインとして凍りつき、 地球の終末をむかえる。

July 26th (Sun.)

午前中はチェロの練習と翻訳の仕事。 午後は三条にチェロを修理に出しに行く。 扱いが悪くて駒(チェロの胴体真中あたりで弦を支えている木製の部品) が少し曲がってしまっていたのだが、 厚さが薄っぺらいし、ちょっと高すぎると先生にも指摘されたので、 いっそ交換してしまうことにした。

「五つの箱の死」(カーター・ディクスン)読了。くだらない、、、 相変わらずのカー節ではある。 どうしてもドタバタを入れなければ気がすまないのだろうか。 下着姿の HM 卿が果物を一杯入れた台車を押している所を警察車にはねられ、 溝に落ちるという「名探偵登場シーン」はどう考えても、 無理矢理という気がするのだが。とってつけたようなロマンスも健在。

夜は比婆セミナーの準備など。 音楽はドヴォルザークのチェロ協奏曲。チェロはフルニエ、セル指揮。

July 27th (Mon.)

午前中は翻訳の仕事。チェロを修理に出しているので練習はなし。 次の日曜日まで寂しいなあ、、、

午後の読書は「音楽のつつましい願い」(中沢新一、山本容子)など。 (*1)ボロディンの章がおもしろかったかな。

明日から土曜日まで広島の比婆での確率論ヤングサマーセミナーに 参加しておりますので、日記更新をお休みさせていただきます。 日頃ご愛顧の貴方にはまた日曜日にいらして下さいませ。

(*1) ボロディン、アレクサンドル:
ロシアの作曲家。五人組の一人。 「イーゴリ公」の中の「韃靼人の踊り」が有名。ほか「弦楽四重奏曲一番」など。 化学者であり医学者であり、女性解放運動家でもあったため、 作曲の時間はほとんどなく、事実ほとんど作品を残していない。

July 28th (Tues.) - Aug. 2 (Sun.)

28日(火)、11時半梅田出発のバスで広島へ向かう。四時間をかけて、 東城に到着。そこから迎えのバスに乗りかえて、 比婆の山奥にある施設に到着。自然に包まれたすごい田舎。 三日目のリクリエーションで帝釈峡を山歩きしてさらに思ったが、 日本にもまだこんな所があったのか、と思うほどの秘境だった。

毎朝七時半起床、八時朝食、九時から十二時までセミナー、十二時昼食、 午後一時からセミナー、六時に夕食、夜はミーティング(と称する呑み会) が朝方まで続く、という毎日を送る。
こうして、スタミナのある数学者が育てられていくんですね、、、(違う)。

毎日の呑み会では東工大のM先生の相変わらずの独演が今回も聞けたが、 他にはT研の兄弟弟子にあたる(今は指導教授が変わったが) O君が大活躍で、 (*1)「Oの択一問題(Otobe's selection Problem)」 (*2)「O拡大(Otobe's Extension)」 などの話題を提供。拡声器付きゴシッパーとしての地位を確立していた。

一日(土)、正午に出発して JR で東城から岡山、岡山から新幹線で帰宅。 さすがに疲労困憊。
二日(日)。久しぶりに正午まで寝て、 午後は修理に出していたチェロを引き取りに行く。

(*1) 「Oの択一問題」: X と Y のどちらにより恨みがあるか、という選択問題。 択一問題に見えて実は「一意定理」なのではないか、という予想もある。
(*2) 「O拡大」: 写像の値域でゴシップの意味が確率 1 で狭義に拡張される性質。

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