1999 July. 前期 (Arcana 18)

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過去のお言葉

July 11th (Sun.)

休日。本を読んだり、チェロを練習したりして、夕方から三条へ。 本屋をまわって、Cafe Riddle で一服。数学を考えたり。

今日の読書。「木曜の男」(チェスタトン)再読。 何度読んでも面白いなあ。

さらに、「人類の子供たち」(P.D.ジェイムズ)を読む。
イギリスミステリ界の女王、 P.D.ジェイムズが SF 的設定で描く異色のミステリ。 何故か世界中で子供が生まれなくなって25年が過ぎた近未来。 世界が絶望と退廃に静かに侵されていく中、 イギリスの独裁者の従兄弟の主人公が、 次第に反体制組織と関わり、独裁者と対立していく、というお話。 多分、傑作。お勧めします。

P.D.ジェイムズは内容が重厚過ぎて、敬遠しがちだったのだが、 やっぱりこの人の作品は読んでおくべきだろうなあ、と反省。 ずいぶん昔のこと、確か誰かが P.D.ジェイムズの「黒い塔」 をミステリの到達点として絶賛していて ((瀬戸川先生の「夜明けの睡魔」でだったかな?)、 「おお、それは読まねば」と早速ポケミスで買って読み始めたのだが、 あまりの重厚さに途中で投げだしてしまったということがあり、 それ以来「女には向かない職業」とか「ナイチンゲールの屍衣」 くらいしか読んだことがなかった。
「人類の子供たち」は読み易いし、ジェイムズ入門としても 良いのではないでしょうか。

July 12th (Mon.)

モンテカルロの数学者

以下で島田荘司の新刊「ラスト・イグジット」の内容に 言及しますので未読の方は御注意下さい。

午前中は膳所でチェロのレッスン。 午後は京大数理研に確率数値解析のシンポジウムを聞きにいく。 夕方から京都はどしゃぶり。梅雨はまだ明けていないのだろうか。

島田荘司氏の久方の御手洗潔シリーズ新刊 「ラスト・イグジット」今日購入、読了。
横浜の石岡の元に、ハインリッヒ・フォン・レーンドルフと名乗る人物から、 キヨシの危機に関することで今すぐストックホルムに来るように、 との英文の電報が届く。 時を同じくして、レオナ松崎からストックホルムで進行中の 新作映画「ラスト・イグジット」の撮影見学にこないか、 という誘いも。 爽やかな夏のスウェーデンで石岡を待っていたのは、 御手洗潔が未知のウィルスに感染してストックホルム大の研究室 に意識不明の重体で隔離されているという最悪のニュース。 その意識不明の御手洗が世界一厳重なバイオハザードのシールドを毎夜潛り抜けて、 「ラスト・イグジット」のハリウッド撮影隊キャンプで殺人を繰り返している、 と言う驚愕の事件がレオナから石岡に告げられる。 石岡とレオナは御手洗を救えるのか…

冒頭の謎の提出は、これでこそ島田荘司、という島田節だが、 御手洗潔が意識不明で重体という設定のため、 石岡・レオナのコンビの活躍となるのがファンには消化不良。 彼等の活躍が探偵小説というよりも、 石岡の冒険活劇とレオナの恋愛小説を混ぜたようなものになってしまっている。 もちろんそれが、大がかりな企みの伏線になっているのだが、 これだけの謎を論理的に解決しなければならないため、 どうしてもこのからくりが読者には(少なくとも僕には)予想されてしまう。 とは言え、最後の章にいたってようやく、御手洗潔が二人の前で 「おや、君達は結婚でもしたのかね?」と目を覚ましてからの、 御手洗潔の快刀乱麻のベッド・デテクティブと 怒涛の解決に至るスピード感は久しぶりの御馳走だった。 でも、この最後の幕切れは、 これが御手洗最後の事件だとほのめかしているのだろうか…

嘘です。すみません。こんなのが読みたいなあ、とつい。

July 13th (Tues.)

午後から大学へ。「数学解析」の最終講義。 ラプラス変換の存在定理など残していた部分をやる。

夜は四条のフランス料理屋で、この三月で引退した I 大先生に、 同僚の S 先生、T 先生とともに御馳走になる。 豚の頭を使った前菜が美味しゅうございました。 二本目に飲んだワインも美味だった。

明日、補講を二つやらねばならないので、今日はこのへんで失礼します。

July 14th (Wed.)

角度が正しい世界地図

午後から大学へ。 補講二つを続けてやる。 補講は試験範囲にしないから、聞きたい人だけ来なさい、 といったら、本当に十人強くらいずつしか来なかったので、 まったく自分勝手に話したいことを話させていただく。 「数学解析」では曲線と曲面の古典論として、 曲線のフレネ・セレ枠を使った曲率、捩率の定義、 曲面の第一基本形式、 その応用として球面から円筒への等角写像としてのメルカトル図法、 第二基本形式とガウス曲率をちょっとだけ紹介。 「確率・統計」ではランダム・ウォークの破産問題と、 鏡像原理を使った最大値の計算などを紹介。 とにかくこれで今期の講義は終わり。ほっとした。

講義が終わったからと言って、 仕事はいっぱい残っているのだが、 なんとなくくつろいだ気分になってしまって、 夕方からゆったりと過ごす。 今日の読書「不自然な死体」(P.D.ジェイムズ)。 今日の音楽「無伴奏シャコンヌ」のサントラ。

今日は、ビールでも飲んで寝よう…

July 15th (Thurs.)

午後から大学へ。 数学科の A 氏と東工大の N 氏と一緒に昼食。 N 氏はこの四月から某I○M社から東工大に助教授で移った俊英。 疑似乱数の仕事が有名なのでその専門家かと思っていたら、 数理ファイナンスが専門であることを今日知った。 N 氏の噂はよく聞いていたが、実際会ったのは初めて。 頭脳明晰ですごく楽しい才人である。

確率論ゼミ。今日は大学院入試対策で、 京大の工学部の院試から数学の選択問題を解く。 学生に質問されても全然解けなかったらどうしようと心配していたのだが、 なんだかやけに簡単で安心した。 学生もちょっとヒントを与えれば難なく解けていたので、 ほぼ満点を取らないと合格しないということなのかもしれない。

その後、今日から正式オープンらしいサイバー・ディーリングルーム とやらの開室式とそのパーティーに A 氏、N 氏らと出席。 なんでも 1000 人規模でヴァーチャルな市場(いちば、じゃなくてシジョウ) の実験をするだとか。 僕も巻きまれているようなのだが… パーティの後、A 氏の研究室で雑談して帰宅。

July 16th (Fri.)

午後から BKC へ。 「確率・統計」の定期試験。 受験者数はいつもの大教室二つ分が満杯になるくらいで、 こんなに登録者がいたんだなあと感心した。

ちなみに以下が私の試験の問題です。
問題1
「R大学の食堂ではAランチとBランチの二種類の定食メニューがあり、 毎日 100 皿ずつ用意されている。 A、Bランチの人気は半々、すなわち定食メニューを頼む人は、 AかBのどちらか一方を確率 1/2 でランダムに選ぶものとする。 A、Bのどちらかが売り切れた時、もう一方は何皿残っているか。 その期待値を求めよ」
問題2
「R君はある資格試験を受けた。受験者数は1000人、 合格者はその上位30パーセントであることがわかっている。 合格発表はまだ先だが、わけあってR君は自分が合格しているかどうか、 何らかの基準で推測したい。 模範解答は既に発表されているので、 R君は自己採点で正確な自分の得点を知ることができた。 さらに、R君は同じ試験を受けた友人 10 人に連絡をとって、 彼等の自己採点の結果も知った。 R君はこれらのデータからどのように合否を推測できるか。 統計的手法を用いて、できるだけ詳しく論じよ」

以上、2 問。試験時間は一時間。持ち込みは本、ノート、コピー等、 全て許可。試験監督をしながら見た感じでは、 あんまり出来ていなかったようだが…

July 17th (Sat.)

京都は祇園祭の真最中。 きっと市中は賑やかなのだろうが、 あまりの蒸し暑さに自宅静養。

昼寝、チェロの練習、読書などなど。 ああ、一年中が休暇ならなあ。早く引退したい(老人趣味)。

今日の読書。「ある殺意」(P.D.ジェイムズ)。
シンプルかつ何のてらいもない。 題名 "A Mind to Murder" まで、そっけない。 初期の作品なので、今やジェイムズ印になった 息苦しい程の重厚さもまだ発揮されていない。 似非インテリ好みの衒学が散りばめられるわけでもなく、 奇抜な趣向もない。 しかし非常にすっきりと、しかも精密に書きこまれた傑作と思う。 最後のひねりの効かせ方は、 ミステリへの穏かな皮肉とも受けとれて興味深かった。 これを書いた時はジェイムズは駆け出しの新人だったはずだが、 既に老大家の風格がある。 ああ、こういうのが読みたかったのだと思い、 久しぶりにミステリの読書を堪能した。

今日の音楽。オレグ・カガン演奏によるライブ版、 バッハのパルティータ一番、二番。

July 18th (Sun.)

名器は名人が鳴らしていたから名器

昨日遅くまで本を読んでいたので、正午くらいまで寝てしまった。 外は雨なので、ずっと自宅で本を読んだり、チェロを弾いたりしていた。

弦楽器を「弾き込む」と楽器自体の音が良くなる、というのは本当なのだろうか。 逆ももちろんあって、下手な人が弾いていると良い楽器も鳴らなくなると言う。 正しく上手に恒常的に鳴らされていると、 楽器自身が「正しい発声」を覚えるというのである。 そんなことがありうるのだろうか。 楽器が実際に音を覚えるのかどうかは別として、 そのように感じられる現象は確かに起こるようだ。 例えば、開放弦やハーモニクスの重音のロングトーンをしつこく弾くと、 その直後、楽器が良く鳴るように聴こえる。 これは本当は楽器が音を覚えたのではなくて、 人間の方が良い音を覚えたのだろうとも考えられる。 つまり楽器ではなく人間の方がウォームアップされただけなのだ、と。 管楽器だと、中の空気の温度が安定することが重要なので、 楽器のウォームアップの効果が本当にある(というより、絶対に必要)と聞いた。

実際、自分の楽器を先生にしばらくがんがん鳴らしてもらってから弾くと、 楽器が弾き易く、よく鳴るように感じられる。 しかし、これは僕が先生が弾くのを目の前で見ているので、 その間にイメージトレーニングがされていて、 ヴァーチャルなウォームアップがされているのかもしれない。 また、僕はチェロを習い始めた頃、 駒に非常に近い所を強く(しかし押しつけず)弾いて、 弦を大きく振動させて、楽器全体が大きく共鳴するように鳴らす、 という練習をずっとやらされていた。 「こうすると楽器が良く鳴るようになるのだ」と教えられたのだが、 確かに急速にチェロらしい音が出るようになった。 しかしこれもイメージトレーニングとしての方便であって、 僕の腕と手と指の筋肉の方が正しい弾き方を覚えたのかもしれない。

というわけで、今の所、短期にも長期にも、 はたして弦楽器が発声を覚えるのか、という問題は私にはよくわからない。 私の個人的印象では、ウォームアップの効果はありうると思う。 すなわち、 良い振動の仕方を弦が短期的に覚えるということがありうるのではないか、 と思っているのだが、 楽器全体が正しい鳴り方を長期的に覚えるというのはあやしく思える。 でも確かに言えることは、「弾き込むと楽器自体がよく鳴るようになる」 ということを、方便としてでも信じると、 色々な練習に筋が通り、実際の効果があるということか。

また違う話ですが、 「その人の顔を見ると楽器の音がわかる」 「本人の声と弾く楽器の音は似る」などという伝説もあります(笑)

July 19th (Mon.)

午後から京大数理研へ。 明日が休日のために火曜定例の関西確率論セミナーが月曜に移動していたので、 そちらに出席。

というわけで、今日は BKC に行かなかったら、 自分のことについて状況が動いていた模様。 半年と言われていたのだが、ひょっとすると一年間逃亡生活が出来るかも。 こういう時に限って明日は休日かい(泣)

July 20th (Tues.)

カスパロフ vs アマ三段

大家さんの号令で、外出前にバルサンを仕掛けていく。 ゴキブリ対策らしいのだが、この毎年の燻蒸の効果なのか、 ここに移ってきてから一度もゴキブリを見たことがない。
午後から BKC へ。休日出勤で雑務を片付ける。

ふと書店で「将棋世界」の表紙にカスパロフの名前を見つけて、 手にとってみる。 ディープブルーとの闘いについてのインタビューだったのだが、 特に面白かったのは、 カスパロフがアマ三段のインタビュアーを相手に、 初めて日本将棋を指すところ。 カスパロフは簡単に負けていた。 相当に時間をかけて考えた所もあったようだが、 アマ三段にかなりゆるめてもらって、ころりと負けていた。 僕はこれを非常に面白いと思った。 史上最強と言う人もいる大天才カスパロフであるならば、 もちろん日本将棋のルールをその場で完全に理解しただろうし、 何手でも好きなだけ読むことが出来ただろう。 それでも、いとも簡単にそれほど強くもないアマチュアに負けたのである。 僕は非常に面白い現象を見つけた科学者のように、 夜までずっとそのことを考えていた。

例えば、小説の登場人物がいかに頭が良いか、ということを示すのに、 ルールを覚えてすぐに将棋の名人に勝った、 などというエピソードが使われることがあるが、 あれは実際には絶対にあり得ないと思う (最近、そういうエピソードを現実に聞いた。 彼は東大数学科のある年度の伝説的天才で現在為替ディーラーらしい)。 それは正しい意味では、個人対個人の闘いではないからだ。 それと同じ意味において、 カスパロフは将棋でアマ三段に負けたのだし、 それと同じ意味において、 カスパロフはディープブルーに負けたのではないか、 とふと閃いた。


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