1998 June 前期 (Arcana 18)

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過去のお言葉


June 1st (Mon.)

朝はゼミの準備とチェロの練習。 午後から京大数理研へ。 T師匠と院生のK君とゼミ。

ゼミ終了後、百万遍で食事をしてから、 三条の本屋をちょっと見て、Cafe Riddle で一服して帰る。

T部長、 日記終了か。 淡々とした味が好きだったのだが。 でも今日(6月1日)から新企画で再登場とのことなので(公約によれば)、 乞う御期待。
あ、そうそう。予約して下されば大体はOKなんですよ、 大体は。それから御隠居部部長は禅譲させて頂きます、、、 後は任せた。

何かちょっと、精神的に疲れ気味かな。
と、思ったので、夜にも関らずチェロの練習をしたり。 初心者であるとは素晴しいものだ。 毎日ちょっとずつ確実に進歩して楽しい。 楽器はいいですよ、本当に。触っているだけで幸福になれる。

June 2nd (Tues.)

午後からBKCへ。 暗号ゼミ。 今日は Shannon の完全守秘性についての定理についてなど。

京都は梅雨に入ったらしい。 表にさえ出なければ、雨は好きだ。 涼しくて良く眠れるし。 梅雨が終われば京都の猛暑か、と思うと少し憂鬱。
あ、でも鴨川の川床が始まるな。 今日も暑かったなあ、、などと言いながら、 夕方、川床で鴨川を眺めつつ、豆腐で冷えたビールを飲む。 日が落ちても暑いけど、川に微かに吹く風は少し涼しい。 遠くに四条の南座の明かりが見える。 浴衣を着た女の子もたくさんいて、、(以下、三十分妄想)

June 3rd (Wed.)

午前10時起床。チェロの練習をする。 いつもの通り、スケールをいくつかと、 ロシア民謡の「燭(ともしび)」など。
昼御飯は、鯵の開きとだし巻卵と納豆。

午後は三条に出て、楽器屋でチェロの弓用のケースを買ったり、 本屋を周ったり。

夜は「旅の終わりの音楽」(エリック・フォスネス・ハンセン)を読む。 タイタニック号沈没時に演奏を続けていたという、 伝説の楽団員達七人の生涯を虚実ないまぜに語る。 舞台となるタイタニック号事件については綿密に調査したらしく、 きちんと史実にもとづいて見てきたように生き生きと書かれているが、 主人公の楽団員達についてのストーリーはフィクション。 主人公達はそれぞれに才能がありながら、 それぞれに事件や過去を抱えて人生を踏み外し、 夢破れて傷付き、 運命の航海にしがない楽団員として乗りあわせることになる。 タイタニック号事件自体、ヨーロッパ文化の衰退と滅びの象徴であり、 そういう大きな滅びの美学を背景に、 七つの人生がタイタニック号の楽団に交錯するストーリーの巧みさや、 細々したさりげないが美しいエピソードたちも感動的。

これは傑作。読むべし。 特に「負犬の美学」、「滅びの美学」系に弱い人は必読。

June 4th (Thurs.)

蒐集家との別れについて

久しぶりに IRC で、こんなものも持っている、あんなものも持っている、 という感じのコレクター話をしていて、 ちょっと懐しいような気持に襲われた。

人間には収集欲みたいなものがきっとあると思う。 犬や猫も自分だけのお気に入りのコレクションを持っていることを、 飼い主だったら知っているだろうし、 鴉だって光るものを集める。 また人の持っていない物を持っていると自慢する喜びというのも、 きっとある。

僕はある種の本や絵の蒐集を大学に入った頃から始め、 大学院を終えるころには相当の量のコレクションを持っていた。 実際、ドローイングを続けて二つ買った時には、貧乏学生の身分で 毎月十万から十五万の借金を合計で一年くらい続けたこともある。 だが、ある時から急に嫌悪感が茅生えて、 蒐集癖もおさまり、そういう方面とのつき合いもやめてしまった。

それには色々と複合的な理由があったのだが、 その根底には、やはり蒐集という人生の態度自体が間違っているのではないか、 と深い疑いがうまれたからだと思う。 微妙な所だが、所有欲を批判しているのではない。 いいものを愛するのはとても良い、と思う。

小説のように美しい実話、とか映画のように感動的な体験とかいう比喩があるが、 もちろんこれは倒錯的な言葉使いで、 本来なら本当の人生のように美しい小説、 とか実体験のように悲しくみずみずしい映画、というべきなのだ。 我々は、というと語弊があるかもしれないので、 私は、と限定するが、 私は自分の人生をきちんと味わうことが出来ないために、 一旦それを小説や映画や音楽や、兎に角、人が作りケースに収めたものを 鑑賞し、その中に鏡に映すように自分を投影して、味わい直す。 しかしそれは私に勇気がなく、非力であり、凡庸であり、 そして根本的に弱いからである。

残念ながら私が本当に体験でき、味わえるのは自分の人生だけだ。 それがどんなに嫌でも私には私しかない。 そうだとしたら、他人の人生の一部をコレクトしている私は何なのか、 と思ったことが蒐集に嫌気がさした原因だと思う。

相変わらず、主旨の通っているような拡散しているような駄文だったが、 言いたかったことは、 私は配られたカードで一回きりの勝負をするしかないのであるから、 他人の手を茶化したり三味線を弾いて楽しくゲームをするのも良いし、 陰鬱に自分の手をじっと見つめてカードを引くのもまた良いが、 せめて真剣にやった方がいい、ということだろうか。
他人の手を後ろから見て楽しんでいるだけなんて、 いくら楽しくても、何と言うか、、、味が薄過ぎると思う。

June 5th (Fri.)

午後からBKCへ。 夕方から学系会議。

今日はパスワード変更日。 僕は一年に一回くらい不定期に、 あちこちのパスワードを変更することにしている。 リモートで安全にパスワードを変更する手段のないサーバについては、 その場に行ってするしかないので、また今度機会があった時に。

さて、皆さんはどんなパスワードをお使いだろうか。
ネット上のセキュリティの危機で起こる可能性が最も高く、 そして案外、当の本人達がそれほど気にしていないのが、 パスワードの盗難であろう。 手口は簡単で、コツは「いつも盗んでやろうと注意している」 ことくらいである。 一番簡単なのはショルダーサーフィン、 本人がパスワードを入力している所を肩ごしに覗くのである。 また、パスワードを忘れないように何かに書き留めている人は結構多い。 しかも大抵身の周りに置いているので、 本人がいない間にデスクの周囲を探せば見つかる。 最悪の場合、パスワードをポストイットに書いて、壁に貼っていることもある。 手帳などに書いて持ち歩いている場合でも、 年度が変わる季節にゴミ箱を漁れば手に入る。 思った以上に劇的な効果があるのがソーシャルエンジニアリング、 これは簡単ななりすましの詐欺だが、例えば本人に電話して、 「会社のサーバ管理者ですが、(ごちゃごちゃごちゃ)、 というような理由で至急あなたのパスワードを確認したいのです」 などと言って聞き出す。 また、高級な手段だと、ネットワーク上を立ち聞きすれば、 telnet, ftp などで入力したパスワードが流れているのを見つけられる。

また、パスワードは推測しやすい。 本人について良く知っていればかなりの確率で推測できる。 ぴたりあてなくても、何度でもチャレンジすればいいのだ。 コンピュータを使えば、百万回 login してみるのもすぐだ。 自分や恋人や好きなタレントやスポーツ選手の名前、 誕生日に電話番号、住所、本人の趣味に関係の深い固有名詞、 love, peace, god, sex など普通名詞、 などなどを、逆から並べたり、並び変えたり、 一部を数字に変えたり(例えば L を 1、O を 0 に)、 頭や尻尾に記号を一つ加えたり、 とまあ普通の人はこれくらいの範疇に収まってしまう。

注意としては、
(1)辞書に出ている単語や、その変形は使わない。
(2)英小文字だけではなく、大文字、数字、記号を混ぜる。
(3)自分の個人情報や趣味嗜好とは無関係に決める。
(4)人が見ている可能性がある所でパスワード入力しない。
(5)紙にもファイルにも、兎に角自分の頭の中以外にはパスワードを残さない。 少なくとも、そのままの形では残さない。
これくらいだろうか。 わりと勧められているのは、長い台詞や言葉の頭文字を取ることだが、 それも自分の好きな文句を選びがちなので、危ないかもしれない。 これくらい気を使っても、パスワードの寿命は一年未満だと思った方がいい。 パスワードにもっと神経質になろう。 ネット世界において、 パスワードはあなたがあなたであるアイデンティティの全てなのだから。

June 6th (Sat.)

朝は寝台でW先生が書いた確率解析のショートコースを読んだり、 起きてチェロの練習をしたり。
チェロは何となくブラームスの子守唄に挑戦してみるが、 やっぱりハイポジションを押さえると、 唯一置ける第一ポジションまで狂ってしまって、 音程が滅茶苦茶になる。 もっと第一ポジションを固めて、 スケールでポジション移動を訓練してからでないと無理だな。

副作用として弦楽器のパズル的な面白さを発見。
当たり前のことなのだが、同じ音階を別の弦でも出せるし、 また押さえる場所が同じならどの指で押さえてもよいので、 弾きたい曲に対して、ものすごく指使いの自由度がある。 あちこち移弦するのも嫌だし、 しょっちゅう上下にポジションを移動するのも困るので、 なめらかに左手が曲を奏でられるように選ぶのは、 クロスワードパズルの趣きがある。
また右手の問題もある。弦楽器は左右に弓を動かして弾くのだが (押弓 down-bow、引弓 up-bow と言う)、 音符は短いのも長いのもあり、スラーだと方向は変えられないし、 弓の端まで行くと戻るか弓を返すしかないので、 どうすれば滑らかにつながるか、 どこで押してどこで引くのかが問題になる。これもパズル的だ。

午後、ビデオで「ライムライト」を観る。 昔一度は観ていたはずだが、内容はかなり忘れていた。 やっぱり感動の名作ではあるなあ。

夕方から三条に出て、CDや本を買ったりして、 Cafe Riddle で一服して帰る。

June 7th (Sun.)

日曜は溜った家事を色々と片付ける。

夕方になって、三条に外出。 いつものように、丸善、駸々堂など本屋を周って、 Jeugia で CD などを探す。

Jeugia の音楽関係の書籍売り場で、 「新しいチェロ奏法〜身体に優しいチェロ演奏のために」(セイザー) という新刊を発見して、ついつい手に取ってみる。
「ヴァイオリンやヴィオラと違ってチェロは左手や左腕で楽器を 支えることはありません。したがって、 チェロを弾くことは親指の接触を常に必要としません」 ふむふむ、なるほど、、そう言われてみればそうだな、 と思ってぺらぺらと立読みを続けるが、 ちょっと革命的過ぎ(笑)

通常、弦楽器はネックを左手でつかむように持つ。 すなわち親指がネックの裏側にまわり、他の四本の指で弦を上から 指板に押さえつけることによって音程を作る。 僕は音楽のことは全く知らないが、常識的に考えて、 これ以外の弾き方をするなど思いもよらなかったが、 この革命的手法によると、親指を解放し、四本指を弦と弦の間に差し入れ、 弦の側面に横から触れるようにして、 音程を押さえるのである (いや、押さえないのだ)。 ううむ、、これで本当に音が出るのだろうか。

と、思い実験をしてみたら、確かに弦が指板にくっつくまで押さえなくても、 横から圧力を加えるだけで押さえたのと同じ音が出るみたいだ。 フラジョレット(ハーモニクス)を横から強めにやる感じで、 普通の音が出る。確かに力は全然入らない。指の健康に良さそうだ。 しかし、こんなことで良いのだろうか、、、 他の弦楽器、例えばギターなどではこういう奏法はあるのだろうか。 音楽に詳しい方の御意見をまたしても求む。

June 8th (Mon.)

午後からBKCへ。 今日は研究室見学の日とかで、 僕の所属する研究室ではT先生がOHPで講演をしていた。 他の研究室は何だかインターネットがどうとか、 ヴァーチャルリアリティがどうとか、 ハイテクっぽいことが出来て見せ物もできるだろうが、 このあたり数学は辛い。素人にちょっと見てもらって、 興味を引く素材がない。

某A社のSさんから、先日の日記に対し、 パスワード変更の時期を教えるのも問題であるとの御指摘があり、 ごもっともである。 また、Uさんからの情報として、 ログイン名とパスワードの入力画面をCGIで作って ネット上に置いておくだけで何故かパスワード集めが出来る、 という冗談のような必殺技を教えていただく。 いや、冗談だと思うのだが、 本当にやってみるとパスワードを入力する人が結構いそうな気がして、 ネット上のセキュリティ問題を論じる意味があるのか、 と脱力感に襲われる。インターネットの夜明けはまだまだ遠い。

研究室で論文など読んでいると、T師匠からメイル。 先日もそうだったのだが、 なんだかまたひらめいたことがあるらしい。 だらけていると先に全部考えられてしまいそうだ。 僕ももっと時間をとって考えよう。

June 9th (Tues.)

午前中はチェロの練習と、数学の勉強。
午後よりBKCへ。 暗号ゼミ。 今日はエントロピーの導入とハフマン符号化について。

エントロピーとは、、、と語り出すと切りがないのだが、 (実際僕は良く知らないし)、 一言でいうと情報やランダムネスを計るようなある数学的量である。 通俗科学の説明では、「系の乱雑さ」を計る量と言われることが多く、 エントロピー増大の法則とセットで語られる。 熱力学的エントロピーと情報理論的エントロピーは違うものだが、 乱雑な方向というか、情報量の少ない方に、 偏りの少ない方に系が進むというイメージは正しいかもしれない。

かつてトマス・ピンチョンは正体を出版社にも明かさない、 と言われた謎の現代作家だったのだが、 その頃の作品にその名も「エントロピー」という短編があった。 理由はわからないが世界がエントロピー最大の状態、 すなわち「熱力学的死」に急速に向かっていることが、 パーティ会場を舞台に描写される不思議な小説だったと記憶している。 こんな作品を書いたせいか、ピンチョンはMITの科学者チームの ペンネームなのだ、とかいう憶測が飛びかっていた。 僕はピンチョンの中では「競売ナンバー49の叫び」が特に好きで、 昔はあれを超メタ・ミステリとして理解していた (今はそんな狭い枠組で考えていないが)。
素直に白状するが、 実は伝説の長編「V.」は未だに最後まで読んでない。

June 10th (Wed.)

午前中に起床。チェロの練習。 ロシアの古い歌らしい「燭」。だいたい指が置けるようになってきたので、 ちょっとは音楽らしく聞こえるように色々と運弓を探究。

午後は雑務を少し家でやってから、京都駅へ。

今日から週末まで出張しますので、日記は来週月曜までお休みいたします。 日頃のご愛顧感謝しております。 また来週会いましょう。


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