1999 June. 後期 (Arcana 18)

「秘法十八」に戻る トップページに戻る
過去のお言葉

June 21th(Mon.)

飲んだ次の日、朝早く爽快に目が覚めるという方が、 他にもいらっしゃったようです :-) その方が言うには、初めて同意してくれる人に出会ったとのことですが、 やっぱりある程度は一般性があるのではないかなあ。

本当にかして下さい…

午後から大学へ。雑務をまとめて片付けて、 その後、確率論ゼミ。クーポンコレクター問題の論文の紹介を聞く。

久しぶりに読書。一部で絶賛されているストーリーテラー、 R. ゴダードの「日輪の果て」。 ゴダード得意の主人公像「骨のあるダメ男(?)」が今回も活躍。

June 22th(Tues.)

午後から BKC へ。 精密検査の結果が出ていた。 結果は「特に異常なし。ただし急激な体重の減少が見られるため、 体調に少しでも変化があれば、どこそこに連絡してうんぬん」など。

「数学解析」の講義。 今日はフーリエ解析の応用ということで、 フーリエ級数を使って羅針盤の誤差を修正する話をしたり、 熱方程式を物理的な考察で導き、それをフーリエ変換して解く方法など。

今日の講義で、アンケートをとった。 講義については賛否両論(笑)で、 おおむね「面白い」「わかりやすい」という意見が多かった一方、 否定的な意見もいくつかあり。

そもそも、教科書も指定せず、ノートも持たず、講義をする、 というスタイルに違和感があるらしく、 それが悪く言えば「不真面目」、 良く言っても「不親切」に見えてしまうらしい。 教科書もないし、ノートもない、板書も計算間違いが多いでは、 何も信用できないではないか、というのだ。 一瞬、どういう意味なのかよく分からなかったが、 しばらく考えて何となく分かったような気にはなった。 少なくとも、僕が講義だと思っているものと、 彼等が講義だと思っているものとの間には齟齬がある。

思わず、「今時の若いもんは」的な発想に流れそうになったので、 頭を振って不吉な考えを振り払い、講義の後は教授会。

June 23th(Wed.)

午後から BKC へ。 卒研の暗号ゼミをやって、大学院の暗号ゼミ。 対称暗号を使った通信の問題点とか、差分攻撃法とか。

S.キングが交通事故で重体とか聞いたが、経過はどうなっているのか。 ところで、 テレビの CM で「ゴールデンボーイ」の映画の宣伝を見たが、 やはり最近アメリカで起こった事件などの予言的内容と捉えて、 映画化が実現したのだろうか。 昔、新潮文庫から出た「ゴールデンボーイ」の翻訳(昭和63年発行) の後書を見てみると、 リチャード・コブリッツ製作、アラン・ブリッジス監督、 ニコール・ウィリアムスン、リッキー・シュローダー主演によって、 1987 年夏に撮影に入った、とされている。 その後、まったく噂を聞かなかったような気がするのだが、 その話が継続していたのか、それともまた新たに製作されたのか、 どういう事情だったのだろうか。

June 24th(Thurs.)

今日も雨。時折は激しく振り、梅雨らしい一日。 午後から BKC へ。 期末試験の問題を提出したり、色々な雑務をこなして、 夜は某ミーティングに参加して帰宅。

Stephen King の事故後の経過は良好の模様。こちらがオフィシャルサイトの 病状報告。 教えて下さった方、情報をありがとうございました。

簡単な確率論の問題。
A が起きるという条件の下で A と B が共に起きる確率と、 A または B が起きるという条件の下で A と B が共に起きる確率は、 どちらが大きいか? まず直感で答えてから、計算してみてください。

June 25th(Fri.)

「確率・統計」の講義。 最尤推定法の話など。 その後、夜まで学系関係の会議。

A と B を合わせた集合の中で A と B の共通部分が占める割合と、 A の中で A と B の共通部分が占める割合が占める割合を考えると、 明らかに後者の方が大きい。これを確率の言葉におきかえればよい。 すなわち、結論として、 「A または B (またはその両方)が起きると知っている下での A と B 両方が起こる確率より、 A が起きるとだけ知っている下での同じ確率の方が大きい」 しかし、 相当数学の訓練を受けた人でも、 この反対の不等式を反射的に答えてしまうことが多い (実は私もそうだった)。 ちょっと冷静になれば答はすぐにわかるのに、 何故このような間違いをするのかは僕も良く分らない。

June 26th(Sat.) 27th (Sun.)

チェロ購入。 しばらく清貧生活に入ります。

最近、テレビを見ることが多い。 というのも雑務があまりに多いので、 家に持って帰ってテレビを見ながらだらだらと処理しているのである。 で、気付いたこと。

半年前くらいになるだろうか。 テレビフリークの某 T 部長とバーで飲んでいる時に、 「最近のテレビ番組ってどんなの?」 という質問をしたことがある。 「まず似非ドキュメントっすね。 それからとりあえず芸能人をいっぱいタバでスタジオに集めて、 だべってるのが多いっす」 という明解な答をいただいたのだ。しかし、 僕はほとんどテレビを見ていなかったので、 「似非ドキュメント」の意味がわからず、 「それってカワグチヒロシ探険隊とか、ユリゲラー特集みたいなの?」と、 見当違いの質問をしたあげく説明されても結局よくわからなかった。

「例えば、芸能人が CD 出そうとして頑張ったりするんですよ。 いろいろクリアしなきゃいけない条件があって、その悪戦苦闘ぶりをですね…」
「そりゃ、歌手は CD 出そうと頑張ってるだろうけど?」
「クリアできないとそのユニットが解散させられたり、 メンバが脱退しなきゃいけなかったり罰があるんですよ」
「?そういうルールのゲームをするってこと?」
「まあ、そうとも言えますね。 それをドキュメントとして追っていくんですよ」
「でも既にそれで番組として放映されてるし、既に彼等は芸能人なんでしょ。 それって何のためのドキュメント?」
「ま、そこが似非の似非たる所以でして…他に社交ダンスしたり…」
「社交ダンス?そりゃまたなんで」

とか、 とんちんかんな会話に終始した記憶がある。 しかし、最近、夜のテレビを見ていると、 まさに彼の言う通りだった。 どこのチャンネルをつけても、と言ってもいいくらい、 どこでも芸能人が主人公の似非ドキュメントで、 しかもスタジオに芸能人がいっぱい集まって、素人をたまにちょっと配して、 井戸端会議みたいなのをやっていた。 何故にこういう二つのスタイルが支配的になったのか、 TV フリークの T 部長にあらためて分析を聞いてみたいものである。

June 28th (Mon.)

昨日は長岡京の工房に新しい楽器の調整に行ってきた。 弦を今まで使っていた CG 弦をガット、AD 弦をスチールの組み合わせにかえ、 ガット弦を使う関係でテイルピースを変えてもらう。 調整をしてもらいながら職人さんと色々楽器談議をするというのも、 日常のなかの小確幸(「小さいながらも確かな幸福」) の一つだろうか。

午後から京大数理研にゼミに行く。 僕が名大の A 先生のプレプリントを紹介したり、 K 君が最近の模索について話したり。

昨日の読書。「法月綸太郎の新冒険」(法月綸太郎)
隙あらば悩んでいる、という噂の苦悩のミステリ作家法月綸太郎の 久々の新刊。 作品は雑誌に出た短編ばかりだが、僕は全て初めて読んだ。 あちこちに欠点はあるが、どの短編も全て非常に楽しめた。 特に「身投げ女のブルース」が非常に巧い。 最新作の「リターン・ザ・ギフト」も、 最後に明らかになる動機の設定にツイストが効いている。 のりりん、ついに何かふっきれたのだろうか。

しかし、タイトルから「クイーンの新冒険」が連想されてしまうために、 クイーンとはりあうほどの作品集かな、と意地悪く考えてしまう。 まあ誰かみたいに、中身すかすかの短篇集で、 ずうずうしくも国名シリーズを引き継ぐような厚顔さも、必要かもしれないが。

June 29th (Tues.)

朝から BKC へ。午後一で秘密会議に出席し、 その直後、「数学解析」の講義。今日のテーマはラプラス変換。 そのまた直後、会議。その後、数学科の A 氏と色々と打ち合わせている内に、 夜も遅くなってしまったので、 同じく数学科の K 氏を誘って三人で山科で飲んで帰る。

弦楽器を作る時に、 過去の名器をその形はもちろん傷跡や汚れ具合まで正確に再現することを 「コピー」と呼び、 その形は写しとるがその変奏として楽器を作ることを 「モデル」というそうだ。 例えば、ストラディバリなんとかのコピーとか、 ガルネリなんとかモデル、などと言う。 僕が最近、買った楽器はイタリアの名人が18歳の時に作ったという楽器を、 日本人作家が写し取った「モデル」である。

コピー、という段階があり、モデル、という段階があり、 さらにオリジナルという段階がある。 段階とは言うが、それぞれの間に切れ目があるわけではない。 それらは勉強の過程の各段階という面もあるが、 一方ではこの順序で偉いということでもない。 それぞれの段階にはそれぞれの段階の価値があり、 その楽器を求める人がいる。

June 30th (Wed.)

午後から大学へ。 暗号ゼミで一方向ハッシュ関数などをやり、 確率論ゼミでクーポンコレクター論文をやり、 暗号ゼミ2で RSA が解けたら素因数分解のアルゴリズムが出来てしまう、 などという話をやる。 夕食を生協で食べて、雑務の書類作り。今日が締切だったのだが、 終わりそうにない。続きはまた明日やろう。

子供の頃に、「数学ってスゴイなあ」と感じる問題などに触れて、 それがきっかけに数学者になるにいたってしまう、ということもある。 僕の場合、それがきっかけとは言えないが、 やはり子供の頃に激しく感動した問題をいくつか覚えている。 もちろん僕はそれらの問題を解くことはできなかった。 その解答の素晴しさに感動したのである。

一つはこんな問題であった。
「平面上の任意の一般の位置に、n 個の黒い点と、n 個の赤い点がある。 この時、この配置がどうであろうが、 黒い点と赤い点が両端になるように線分で結んで、 しかも、それらの n 本の線分がどれも互いに交わらないようにできる。 これを証明せよ」

もう一つの問題はこう。
「三次元空間内に任意の閉曲線がある。 この閉曲線の四等分点であって、 しかも同一平面上にあるような四点が閉曲線の上に存在する。 これを証明せよ」


冒頭へ戻る
「秘法十八」に戻る