1999 March 中期 (Arcana 18)

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過去のお言葉

11th(Thurs.)

チェロの練習をして、午後から大学へ。 後期入試関係の会議に出て、その後、研究室で I 御大と雑談。 研究室の整理は大体目途もつき、 来週末の金曜に退職の記念講演があるのだが、 その準備などをなさっているようだ。 この三月で K 大の W 先生も同じく退官され、 日本の確率論にとって一つの時代が終わるのではないかなあ、 とぼんやりと思ったりして。 同時に W 先生が最近注目しておられる Filtration の問題が、 次の世代の新しい潮流の一つになるのではないか、 とこれもまたぼんやりと感じる。 というのも何となくだが、確率論の対象としての「ランダムさ」が、 ガウス的なもの、ベルヌーイ的なものとほぼイコールだった 時代が一段落つきつつあるというか、 ガウス的な対象のもつ豊かさがほぼ収穫され尽くした、という感じ。 いや、偉そうにそんな論評をする前に、 自分の仕事をしないといけないんですけどね…

12th(Fri.)

午後から大学に行き、PhotoShop を使って I 御大の講演用の「お絵描き」をする。 Draw 系のソフトも研究費で買っておけばよかったなあ。

夜は友人と三条、祇園で飲む。文学話とか。

近所の小さな本屋で都筑道夫の「七十五羽の烏」が復刊されているのを発見。 また都筑評価が高まっているのはファンとして嬉しい限りである。 「七十五羽の烏」は都筑の最高傑作の一つですから、 未読のミステリ好きは是非読んでみて下さい。

DTI も APOP に対応したんだなあ。

13th(Sat.) - 14th(Sun.)

土曜の夜も祇園に飲みに行く。 日曜、チェロの練習をしてから大学へ。 金曜に続き「お絵書き」の仕事をする。

どういう「お絵書き」をしているかといいますと、 曲面の上の運動をどう作るか、というお話の挿絵。 まず、平面の上の運動(曲線)はまあ当たり前のものでしょう、と。 じゃあ、曲面の上にそれをコピーするにはどうすればよいか、 と言うと、その曲面を平面の上にくっつけて曲線に沿って転がせばよろしい。 イメージ的に言うと、まずテーブルの上に曲線をインクで書いておいて、 白いボールをその曲線に沿って転がしていくと、 そのボールの表面にインクが写って曲線が描かれていくでしょう。 これで平面上の曲線が球面上にコピーできた、と思うわけですね。 まったく逆の操作として、球面の上にインクで曲線を書いておいて、 そのボールを白い紙の上で転がせば紙の上にインクが写って、 平面の上に曲線が描かれます。 こういう風にして、平面上の運動と曲面上の運動は一対一に対応するのですね。 これをブラウン運動のようなランダムな運動についても考えることができる、 というようなことの「お絵書き」をしてました。

15th(Mon.)

午前は膳所にチェロのレッスンに行く。 雨の中、チェロを担いでいったので、 弾いている内にどんどん音程が変わってしまうのに苦労した。 特にガット弦は湿度の影響を受けやすいので、 雨の中から除湿機のある部屋に入ると、あれよあれよと思う間に、 軽く半音から全音くらい高くなってしまう。

一旦家に戻るが食事をしている時間はなく、昼抜きでそのまま大学へ。 会議に出席して、他に雑務などで、食事をとる隙間がなく、 結局夜になってしまった。

昨日の話で、 球面のような曲面を平面上の曲線に沿って転がすという手続きで、 平面上の曲線を曲面の上にコピーすることを development と言う。 直観的には非常に分かりやすいのだが、 数学的に定式化するのはちょっと面倒である。 今のモダーンなやり方では、 曲面上の全ての点に平面がくっついているような より高次な構造を作っておいて、 その構造の中の曲線を考え、その射影として曲面上の運動を構成することが 普通のセンスになっている(まあ、おんなじことなんですけど)。 前者はより素朴で直観に基づく構成的な考え方であり、 後者はより抽象的かつ形式的な考え方である。 この二つのアプローチのうちで、 数学者は一般に後者の考え方の方を「すっきりしている」 と思う傾向にある、と思う。 曲がった空間の難しさはある場所とすぐその近くの場所の性質が 違っているということで、それをどう数学の言葉にするかが問題である。 曲面の各点に一旦は勝手勝手に平面がくっついているとしておけば、 その難しさがひとまずは回避されるわけで、 その高次な空間の中である法則で曲線を作るのは易しく、 それを下の曲面にすとん、と影で落としてやれば、 曲面の上の曲線が出来上がり、と。うん、綺麗だ、と思うのではなかろうか。 もう一歩進んでいうと、 「曲がっている」という分かっているようでよく分からない概念に、 ある点にくっついた平面と別の点にくっついた平面との間の関係のことである、 という明晰かつ単純な定義を与え、そのことで問題を解決しているところが 数学者好みである、ということかなあ。

16th(Tues.)

午後から BKC へ。会議の後、教授会。 朝から調子が悪いと思っていたら、風邪を引いたらしく、 猛烈に悪寒が高まってきたので、 早々に帰ることにする。

バスで南草津駅についたら、なんと地震で電車が止まっていると言う。 復旧の見込みはまるでなし。まさに弱り目に祟り目。 結局、二時間以上駅で待たされ、乗った電車は時速 15 キロ以下の徐行運転。 しかも押し寿司なみの寿司詰め。 陽のある内に帰る予定だったのに、家についたら九時過ぎだった。 悪寒と疲労で足をがくがくさせながら家に這うようにして帰宅。

雑炊を作り、温めたワインを少し飲んで寝る。

17th(Wed.)

昨日、早く寝たので目が覚めるのも早かった。 まだ体調は本調子ではないが、動いている内に治りそうだったので、 出勤を決意。 午前はチェロの練習をし、午後から BKC へ。 ちょっと数学を考えたり。

夜は研究室の卒業宴会に参加。 みなさん、御苦労さまでした。

18th(Thurs.)

一日ぽっかりと暇になったので、三条、四条をぶらぶらしながら、 数学を考える。ハーフコートを来て出かけたのだが、 京都はまるで初夏のような暖かさで、 コートとカーディガンを両手に持って歩くことになってしまった。

最近、「七十五羽の烏」(都筑道夫)を読み返したのだが、 やっぱりこれは画期的だったと思う。 派手流行りの今では、少々派手さにかけて華がないような気もするが、 瓢々とした洒脱な雰囲気や都筑道夫が当時提唱していた 「モダンディテクティブ」としての欠点のなさ、 特にミステリにおける「フェア」とは何か、 ミステリにおける「ロジック」とは何か、 ということについて徹底して反省されていることが分かる。 と、僕の都筑礼賛はいつものことだからおいといて、 この復刊された光文社文庫版の解説で西澤保彦が、 倉知淳の「星降り山荘の殺人」が「七十五羽」にインスパイアされた、 平成本格を代表する快作である、 とまで誉め倒しているのはどういうこと? どう甘めに考えても比較の対象にもならないと思うのだが…

19th(Fri.) - 20th(Sat.)

十九日(金)、I 先生の最終講義。 他の学科の先生方や学生達にも来てもらうとのことで一般向けの易しい講義で、 最後の部分では少し専門的な話をしたものの全般には、 ランダムとは何か、 数学者はどんな風にランダムというものを数学にしてきたか、 といった感じの話。 最後の質問の時間で、数学科の D 先生からの専門的な質問があった後に、 某学生から「数学者としての人生で一番良かったと思うことはなにか」 という質問に対して、 「(Ito や Maruyama のような)独創的な研究者の仕事を真横で見て来られたことだ」 と答えておられたのが印象的だった。

その後、草津のホテルで I 大先生の送別会。 さらに I 先生も交じえて二次会があり、 さらに三次会まで出席して帰る。

朝起きたときには気付かなかったが、風邪が悪化したようで、 銀行に電話しようとしたら声が出なくて驚いた。 お粥を作って、薬を飲んで、今日は安静にしていることにした。


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