1999 March 後期 (Arcana 18)

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過去のお言葉

21th(Sun.)

以下で映画「CUBE」の内容の中の数学的部分について言及しますので、 未見の方は御注意下さい。

京都は今日も雨。 チェロを弾いたり、数学を考えたり、ヴィデオを見たり、 とにかくずっと家にいた。

ヴィデオで「CUBE」を見る。
男女五人が立方体の部屋に閉じ込まれられる。理由は不明。 立方体の六つの面、前後左右上下に一つずつ出口があって、 そこからまた同じような立方体の部屋につながっている。 各部屋には安全な部屋と、罠のある部屋があって、 罠がある部屋に入ると様々な方法で殺されてしまう。 彼等は脱出することができるのか? というようなお話。

で、このお話の数学的な部分は、 各部屋についている三つの数字が、その部屋に罠があるかないか、 またその脱出への情報を表わしているということである。 この映画を見ただけでは完全にはわからないのだが、 僕が推定したからくりは以下のような感じ。

まず、この建造物自体も立方体で 26*26*26 の小部屋に分かれている。 そして各部屋にはその位置を三次元座標で表わした番号がついている。 例えば (2, 3, 2) とか。 これが初期状態なのだが、各小部屋は移動していて、 移動するたびに部屋の番号が変更される。 その変更の法則は移動する度にその移動方向の座標の数字に 26 が足されるのだと予想するが、そこまではわからない。 そしてその部屋に罠があるかどうかは、 その三つの数字の素因数の個数に依存して決まる。 どう依存しているかまではわからないが、 例えば素因数の個数の和が奇数なら罠がある、とかだろう。 部屋の移動がどういう法則なのかはよくわからない。 順列と関係のあるようなことがほのめかされているが、詳細は不明。

22th(Mon.) - 23th(Tues.)

22日(月)は卒業式。 南草津駅に着くと、そこは猛吹雪。 教員から学生達に送る言葉でも、 今日の天候が君達の未来を暗示している、などというかわいそうな ことを言う先生もいたり。 夜は謝恩会に出席。 学生達を見ていてやはり卒業式はいいものだなと思った。 僕は大学の卒業式にも卒業写真撮影にも、 大学院の学位授与式にも出なかったのだが 勿体ないことをした。 帰りの電車で数学科の同僚 A 君と一緒になり、山科で一杯飲んで帰る。

23日(火)は振替で BKC 全体が休校なのだが、 会議のため登校。 会議が終わると I 先生が部屋の整理のために来ていらしたので、 一緒に帰る。山科の喫茶店で雑談して帰宅。

24th(Wed.)

明日から学会で出張しておりますので、次回更新は次の月曜日になります。

今日の読書。「数学の基礎をめぐる論争」。
The Mathematical Intelligencer という雑誌で起こった有名な二つの論争、 基礎論の大御所マックレーンのエッセイ「数学の健康」から発した論争と、 才人スチュアートの書評から発した「直観主義 vs. 形式主義」論争 がまとめて読めるようになっている。その他、 基礎論入門的な読み物や、 スメイルによる「二十一世紀の数学の 18 の問題」なども収録。

基礎論にあまり興味のない僕としてはどうでもいいような論争なのだが、 どうでもいいような論争ほど他人としては面白いということもある。 「直観主義論争」というのはそもそもは昔々1920年頃、 直観主義を掲げ背理法を拒絶したブラウエルと 形式主義を唱えるヒルベルトが起こした論争で、 アインシュタインなどはこの論争にあきれて、 「数学者同士のカエルとネズミの論争」と言ったとか言わなかったとか。 今の数学者はほぼ全員、(少なくとも公けには)形式主義者であろうし、 背理法を認めない数学者はほとんどいないと思う。 ただ気分として、ある定理が背理法で示されたとき、 「ちょっと物足りないなあ」と思う人はかなりいるかもしれない。 そのあたりはあくまで気分であるが、 存在証明がすぱっと決まったときのかっこよさと、 構成的証明の実際に数学的対象を手で触っているなという実感の、 どちらをより好むかということであろうか。

25th.(Thurs)- 28th(Sun.)

25日(木)の午前に新幹線で東京に移動。 学習院での日本数学会に行く。確率論の午後の特別講演から聴く。 今回の特別講演の一人は白井君。 グラフ関係の話をまとめて聞いたのは実は初めてだった。 もちろんそれぞれの話は全部それぞれに聞いたことがあったが、 やはり発展の流れを聞くというのはまた別のことらしく、 個人的には非常に勉強になった。 その後、白井君も含め会場で一緒になった O 大の S さん、 S 大の H さんと四人で食事に行く。

26日(金)も午後から学習院へ。個人的に興味のあったイタリア人の話を 聴きに行ったのだが、どうもぴんとこない話だった。 丁度会場に白井君も来ていて、その後一緒に春期賞受賞講演などを聴く。 こちらは非常に刺激的で面白かった。 夕方、懇親会に出席する白井君と別れて、僕はホテルに帰る。 さっき講演で得たばかりのアイデアを確認してみるとやはり、 僕の問題にうまく働くようだったが、 それは結局今まで使用していたアイデアの言い換えであって、 それだけで全て解決というわけにはいかないようだ。 でも一応、一歩前進。関係なさそうな話でも聞いておくものだ。

そうこうしていると電話があり、 友人と渋谷の「黒い月」で待ちあわせて、一緒に飲む。 翌日土曜は銀座の山野楽器で楽譜を見たり、イエナで本を買ったりして、 夕方新幹線に乗って京都に帰る。自宅着は夜九時過ぎ。

日曜は大学に休日出勤して、雑務を片付ける。

24日の日記について、 マックレーンは基礎論というより他の分野の大御所であるとか、 「直観主義 vs 形式主義」という対立図式は現代の基礎論の立場からは正しくない、 など、色々とメイルで御指摘を頂いた。 ありがとうございました。 普段まったく反応がないので、たまにメイルなどもらうと嬉しいのです。 (しかし日記に反応がある、というのもおかしな話かも…)。

29th(Mon.)

午後から大学へ。会議に参加のため。 その後、即帰宅して、夜はチェロのレッスン。

自宅にシュレッダーが欲しくなったんですけど、 オフィスにあるようなでっかいのじゃなくて、 個人用のコンパクトなシュレッダーってあるのでしょうか。 もし御存知の方がいたら、教えてください。 実際に、自宅などでプライベイトに使用している方がいたら、 その使い心地なども。

どうも三十歳になってから、身体が変わったようで、 疲れやすくなったり、または疲れがとれにくくなったり、 風邪を引きやすくなったり、今まで縁のなかった肩こりが重くなったり、 と情けない状態であるなあ。 と思う一方で、偉い人の偉さというのは、 やっぱりスタミナというか体力だな、とも思う今日この頃。

30th(Tues.)

午前中はチェロの練習をして、午後から大学へ。 今年もらった研究費の報告書を作成したり雑務をする。 I 先生が部屋の最後の整理に来ていた。 部屋にあったものを遠くに移動するのが面倒ということもあって、 僕が大きなテーブルと椅子を数脚引きとることにした。

I 先生は僕が立命館に来たことについて、 「いやあ、巻きこんじゃってすまん」と笑っておられたが、 大学に職のない所を呼んでもらえてこちらこそ頭の上がらないことである。 ただ一つ僕が申しわけなく思うのは、 I 先生が立命におられる間に、 数学の成果を思うように仕上げることができなかったことだ。 自分の怠惰と無能を本当に情けなく思う。 「これからは同僚ではないけど、 お互い数学者としてしょっちゅう会うだろうから」 と最後におっしゃっていたが、 「これからは同僚ではないから、原さんではなく原君と呼んで下さいよ」 という折角用意していた冗談もうまく言えなかった。

31th(Wed.)

午後より大学へ。白井君の院生時代の荷物を宅急便で T 工大に送ったり、 その他、雑務を色々。 その後、ミルナーが負曲率曲面の歴史について書いた論文を読んだり。

最後の手続きや挨拶なのか、I 先生がスーツにネクタイ姿で大学に来ていた。 退職記念に夜、二人で一緒に飲みに行く。 特別な日であるからか、先生はいつもにましてよく飲まれ、そのせいか饒舌で、 日本の確率論の歴史と現状、これからの課題をゴシップなどを交じえながら、 様々な面から語ってくれた。数学的な問題についても、 これもやらないといかん、これもやらないといかん、 と宿題を山ほどくださった。 I 先生と毎日、普通に会えて様々な話を聞けたのは特権的な ことであったのだなあ、と再認識すると同時に、 明日からは学校で会うことはなくなるのか、と思うと寂しい気持がした。 残念ながら先生が在職中にはろくな仕事ぶりを見せてあげられなかったが、 せめてこれから先生からもらった宿題を少しずつでも片づけていこうと思う。


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