1998 March.前期 (Arcana 18)

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March. 1st (Sun.)

アシモフに「迷子のロボット」という短編があって、 子供の頃に読んだのだが強烈な印象が残っている。 アシモフの未来世界では、 人間と同等以上の知能を持ったロボットが存在しているのだが、 ロボットには三原則があって、 第一にロボットは人間に危害を与えてはならない、 第二にこれに反さない限り危険を見過ごして人間に危害を与えてはならない、 第三にこれらに反さない限り自分自身を守らなくてはならない。 全てのロボットにはこの三原則が人工頭脳に最優先に組みこまれている。 ところが、危険な環境で人間と一緒に働くロボットがこの三原則を 完全に守ってしまうと、作業に支障が出てしまうため、 このルールの内、第二原則を外したロボットを作ったのだが、 この変形ロボットが逃げ出してしまい、他のロボットの中に混じってしまう。

ここで問題だ。どうやってこの迷子のロボットを探しだせば良いか? 最初の計画としては、 ロボットにとって危険な領域の中にいる人間の上に大きな石が落ちてくる のをロボット達に見せれば、普通のロボットは身を賭して人間を守るだろうが、 迷子のロボットは第三原則に従って動かないだろう、と思った。 ところが、迷子のロボットは非常に知能が高いので、 その計画の主旨を見破って本当はロボットにとって危険な領域でないと推理、 他のロボットと同じタイミングで人間を助けようとするのだ。 人間以上の知能を持ち、こちらの作戦を見破ってくるこのロボットは、 どういう実験をすれば見つけられるのか? 手がかりは第二原則を持たないということだけなのだが、、、 と言うような筋書き。

僕はこの短編をSFでなくミステリとして大変感心したのだが、 その理由は、 まずミステリの謎の舞台設定は、読者との暗黙の了解などではなく、 全て作者が設定し明言できるものであり得るということ、 その世界のルールは非常に単純であっても、面白い物になり得るということ、 つまり完全にフェアなミステリがあり得ると感じたことだったと思う。


March. 2nd (Mon.)

昨夜の内に新しいマシンの環境もほぼ整った。 自分で買い集めた部品なので素性が完全に分かっているため、 まったく問題は生じなかった。 やっぱり広々とした画面は快適。 環境も研究室とまったく同じだし。

午後からBKCへ。 情報学系のネットワーク関係の会議に出席。 四月からのネットワーク増強についての議論で、 3時間くらいもかかって疲れた。また明日も教授会の後、 さらに細かい設定までつめることになった。

ちょっと数学の方で考えている問題の状況証拠を集めるために、 計算機を使おうと思っているのだが、問題の性質上、 C などより Prolog か Lisp でプログラムするのが良いかと思い、 突然 Prolog の処理系をインストールして勉強を始める。
これも逃避なんですけどね、、、


March. 3rd (Tues.)

午後からBKCへ。 まず、暗号関係のセミナーに参加。 というか、僕が主催だったみたいだ。 その後、教授会で二時間ばかり拘束。 さらにその後、ネットワーク関係の会議に参加。 疲労困憊。

夜は、情報系ネットワーク会議の参加者で瀬田に呑みにいく。 今日は呑み過ぎたみたいなので、日記はこれだけ。


March. 4th (Wed.)

午後からBKCへ。 情報学科ネットワーク管理グループとNTTとの打ち合わせに参加。
夕方に終了して、京都駅へ。 新幹線で東京に向かう。 新幹線の中で夕食。ビールを飲みながら、Prolog の入門書を読む。 ふーん、おもしろいもんだなあ。

僕は入門書と名のつくものは何でも非常に好きである。 その分野の核心というか、ハートを伝える良い入門書というのは少ないのだが、 はずれだったとしてもそれなりに面白い。 どんな分野でもその分野を成立させるに及んだ基本形なアイデアというものは、 やはり人を、はっとさせる所があるもので、非常に刺激的だ。 もちろん、どの世界でも、深く極めていった先にある、 デリケイトで複雑な美しさがあってそれがその世界の面白さなのだが、 その世界が生まれた時の素朴で単純で強力なアイデアも その世界の本質の一つと言えるだろう。 入門書はそういう所を紹介してくれているわけで、 僕にはたいてい面白い。

ちょっと話をずらして。 僕はあんまり才能に恵まれた人間ではないのだが、 これは自分でも才能がある、と思うことが一つある。 それは新しい分野の修得の速度である。 そもそも自分の知らないことに首をつっこむのが好きなのだが、 勉強し出すと数日でその分野の人に気の効いた質問ができるくらいにはなる。 ただし、僕の才能はそこまでで、それ以上は出来るようにならない。 つまり学習曲線で言うと、立ち上がりが非常に早いのだが、 すぐに安定に入ってしまい、それ以上の修得は難しくなる。 そういうわけで、 僕はいろんなことを知っている広く浅い雑学の人になってしまい、 結局器用貧乏、全ての分野でアマチュア、 色々つまみ食いしたあげくどれもモノにならず、と言った感じになるのだが、 まあそれはそれで、本人には楽しいこともあるので、 最近はこれも才能の一種と諦めることにした。 入門書好きはそういう所から来ているのだろう。

落ちついてつらつら考えてみるに、本当に僕にはそれ以外の才能は皆無で、 それだけで今まで何とかごまかして世間を渡ってきたような気がする。 ということはこの「欠点」としか思えないようなことも、 自分で才能だ、と誉めあげて行かないと自分に悪いだろう。 特別な人達を除けば、 僕も含めて多くの人の「才能」とは結局そういったものではないか、 とも思うのである。

ところで、しばらく日記を休みます。 あとでまとめ書きしますので、ご勘弁を。


March. 5th(Thurs.) - 8th (Sun.)

昨夜、江戸川乱歩の「陰獣」のドラマ化をテレビで見た。 「陰獣」はタイトルは酷いが乱歩の大傑作の一つなので、 がっかりするんだろうなあと思いながら見ていたのだが、 それなりに雰囲気のある映像化でそう腹も立たなかった。 その良し悪しとは直接関係はないが、 秋吉久美子って、本当にそういう趣味の人なんじゃないかなあ、、、 とちょっと思ってしまうのは僕だけですか?

この前の水曜の夜に東京に移動して、 東京でした仕事は某A社での打ち合わせが二つ。 一つはクレジットカード決裁プロトコルの話で、 もう一つは特許関係のもの。
飲食はA社の天才プログラマK氏と広島風お好み焼とビール。 数学者の某K女史の留学送り出し食事会を、 K女史、昭○大のHさん、白井君と下北沢の名古屋鷄専門店で。 また下北沢の某珈琲屋で白井君、最近再入院から退院したばかりの 有閑貴族Hさんなどと、マオタイ酒(漢字は忘れましたが、中国酒)や スクリュードライバなど。マオタイ酒はコオ君のお土産とか。

その他に個人的な事件は色々あったが、 それはここではとても書けません。

そうそう、某A社のSさんに、最近日記が「ただの日記」 のことが多いのは、お忙しいんですか?と聞かれたが、 その通りなんです、、、 明日も朝からまた入試の採点だし。

今日の悟り。「累進課税の意味を実感する」


March. 9th (Mon.)

朝七時に起床。 立命館大学の衣笠校に向かう。 九時半から入試の採点。
またしても数学の記述問題で、 必要十分条件の判定とその根拠を書かせる問題にあたった。 やっぱりヘンテコな記述が続出。疲労困憊。

高校数学を忘れた人のためにちょっと説明。 今、「A ならば B」という命題が正しい時、 A を B の十分条件、B を A の必要条件と言う。 A が成立すれば常に B が成立するので、 A は B が成立するために「十分」な条件であり、 A が成立するには少なくとも B が成立している必要があるから (なぜなら A が成立すれば B が成立するはずなので、 B が成立していなければ、A は成立していない)、 B は A が成立するために「必要」な条件である。
よろしいかな?
具体例として、「人間ならば動物である」という正しい命題をとれば、 人間であることは動物であることの十分条件で、 動物であることは人間であることの必要条件である。

で、問題は A が B の必要条件でも十分条件でもないことを示せ、 といったものだった。 したがって「A ならば B」でもなく、 「B ならば A」でもないことを言えばよいから、 それぞれに反例を一つあげれば良い。
にも拘らず、なんだか変な「証明」が続出で、 あってるのかあってないのか、こっちの頭が変になってくるような、 「論理学」を駆使する解答まであり、悩まされた。

採点は夕方までかかり、その後慰労のため、 三条までバスで行き、Cafe Riddle でチョコレートを舐めながら、 珈琲を飲む。

今日から白井君が京都に来ていて、家に泊まる予定。


March. 10th (Tues.)

朝九時頃起床。ちょっとゼミの予習などをして、 午後から白井君と京大数理研へ。 午後はずっとゼミ。 僕が Gaveau の論文の続きを紹介し、最近ちょっと考えている 数え上げ論的な問題について話し、白井君も昨日に引きつづき、 自分の考えている問題を話していた。 夜はT師匠、白井君、院生の小林君などと食事。

必要条件、十分条件などはただの言葉遊びではなくて、 実は非常に役に立つ論証のテクニックである。 これが成立するには少なくとも、 こういう条件はクリアしてもらわないといけないという 必要条件を出すのは比較的簡単で、 いくつか注文を挙げていると既に十分条件に達してしまっていて、 一度十分条件が満されると、それが十分であることを示すのは易しい、 ということが良くあるのである。
また同じようなことだが、二つの集合A, B が実は等しいことを示すのに、 A の要素なら B に属し、逆に B の要素なら A に属すことを言う などと言うのも必要十分条件を使った証明である。
他にも 「A ならば B」という命題に対して、 「B ならば A」をその逆、「A でないなら B でない」をその裏、 「B でないなら A でない」をその対偶と言うが、 不思議なのはもとの命題の真偽とその対偶の真偽が常に等しいことで、 だからあることを証明したい時に、 その対偶の方を証明しても良い。これもテクニックの一つだろう。

背理法、数学的帰納法、対角線論法など色々と論証のテクニックがあって、 魔法のように巧く使えたりする時は面白いのだが、 数学の中でもそうそう話はうまくはなく、 たいていは泥くさい計算とか汚ない場合分けとかでなんとか 証明にこぎつけるというのが普通ではある。


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