1998 Oct. 中期 (Arcana 18)

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過去のお言葉

Oct. 13th(Tues.)

昨日、実家から電話で、飼っていた犬が死んだとのこと。
ウィルス性の肝炎で発病してから一週間くらいで大抵死ぬのだそうだ。 僕は滅多に実家に行かないのだが、 それでもたまの来訪にも僕を忘れていることはなかった。 盲目であったから匂いや家人の雰囲気などから僕であると悟るのだろう。 滅多に家には寄りつかないが、他の家族達の迎え方からして、 家族の一員であり、たまにやって来る重要人物らしいと、 僕のことをそう認識していたらしく、 親しげではあるがどこか畏れいっているような丁重な対応をしてくれて、 それが愛らしかった。 僕はそれほどでもないが、家族達は大層気を落としているようで、 少し気になる。 僕が子供の頃の記憶だが、 母が飼っていた小鳥を野良猫に食われてしまった時、 玄関にしゃがみ込んで泣いていたのを思い出して、 心配になった。 母は芯の強い気丈夫ではあるが、何処かぽきりと脆い所がある、 と子供心に思った記憶がある。

Oct. 14th(Wed.)

この日記のページが何故かモジラ 5 で読むと激しく文字化けする、 と指摘されたのですが本当ですか? どうも理由がわからないのですが、、、Content-Style-Type の記述も足してみましたが、関係ないですよねえ。

午前、午後と情報関係の演習。疲れた。

その合間に定期健康診断。 また半年前より 2 キロほど体重が落ちていたので、 一年前から比べて 7 キロほど減ったことになる。 また血圧も 40-90 と今までよりかなり下がっていたので、 最後の問診で「問題ないとは思いますが、養生してください」と言われた。 血液も抜かれたので、ふらふらしながら帰宅。

Oct. 15th(Thurs.)

午後から京大数理研へ。 論文をコピーしてから、T師匠とゼミ。 現在のテーマの試行錯誤、その結果はあまりうまくいかなかったのだが、 を早く論文にまとめてるように今日も忠告されたり。 綺麗な結果が出たわけでもないものを、 論文にするのは例えそれが preprint であったとしても苦痛なものだが…

文字コードの指定もあっているようだし、謎だなあ、と思っていたら、 今日は読めたという観察結果も教えていただいたので、 モジラの make の具合とかバグで苦手な文字列でも入っていたのだろう、 と勝手に結着させる。 色々と教えていただいた方々、ありがとうございました。

最近三日間の読書。 多忙と疲労と逃避行動のため、隙あらば娯楽に走る。
「人狼城の恐怖(第四部完結編)」(二階堂黎人)読了。 面白くないとは言わないが、 どうも最近の新本格派のおおげささに食傷気味。
「御手洗潔のメロディ」(島田荘司)読了。 島田荘司はちゃんと求められるところでは求められるものを書く人であるな、 と同人誌みたいなものに書いたらしい短編を読んで思ったり。 それにつけても御手洗ものの長編はもう出ないのだろうか。
「新・異邦人の夢」(島田荘司)読了。エッセイはつまらない人だと思うが、 やっぱりどこか時にセンチメンタルな所があって島田荘司らしい。 こういう部分がレオナに下手な詩を書かせるのだろうか。

Oct. 16th(Fri.)

午後からBKCへ。 そろそろ卒業研究配属の時期である。 今日は僕の研究室の紹介を3回生の学生達の前で話してくる。 さて、今年は何人第一志望に書いてくれるやら。 ここは一応、情報学科なものだから、 よく出来る学生、及び普通の学生達は皆、ヴァーチャルリアリティがどうとか、 ネットワークプロトコルがどうとか、マイクロカーネルがどうとか、 の研究室に行くものであって、 うちのような数学系の研究室に来るような奇特な方はまずいない。

ところで、我々確率論屋の先生の先生の先生くらいにあたる、 現存する中では世界で最も有名な日本人数学者伊藤清が今年の京都賞を受賞する。 最も有名と言うのは、 この前ノーベル経済学賞を受賞したブラックらのブラック=ショールズのモデル によってディリバティブの値付けを行なうことが常識化したことなどから、 「伊藤の公式」が金融の世界で一般的な道具として使われるようになったせいだろう。 アメリカでは普通の銀行員でも "Ito formula" を知っているとか。
なんにせよ、確率論分野の末席を汚す一員としても、 大変に栄誉なことである。 皆さんもお暇なら11月11日(水曜)の午後一時から宝ヶ池の国際会館で 一般向けの記念講演がありますので、聴きにいらして下さい。 あと二人の同時受賞者は先端技術部門が NMR 法によるタンパク質の構造決定の功績で クルト・ヴュートリッヒ、 精神科学および表現芸術部門が ナムジュン・パイクなので 結構面白いと思います。

おまけ。 知ったかぶり用、伊藤の公式を一瞬説明。
高校数学を思い出していただきたい。 f(t) という関数がある時、その挙動を調べようと思ったら、 それを微分して増減表を書いたりしてその概形がわかるのだった。 でも、この f がブラウン運動のようなどこを見てもどれだけ拡大しても ギザギザになっていて、 微分できないようなものだったらどうしよう。 微分というのはその点での接線の傾きだから、 なめらかでないとそもそも接線が引けないので微分もできない。 たとえば、f(t) の中にブラウン運動 w(t)を代入したような f(w(t)) などはきっとそういう微分が全然できない、 株式チャートみたいな滅茶苦茶にギザギザな関数だろう。 このような微分ができないものにも、 実は微分のようなものができて、それが確率論的に意味を持つ。 その公式が伊藤の公式である。

Oct. 17th(Sat.)

昨日の夜から養生したせいで今日は身体と頭が軽い。 やっぱり栄養のある食事をとり、熱い風呂に入り、 眠りたいだけ眠れば、快調に戻る。 やっぱりこの年になれば昔ほど無理はきかないと言うことか。

台風が近づいているらしい。京都は強い雨が断続的に降る。 表には出ず、家の中で色々と雑事や数学など。

某パズル系のMLで日本からまっすぐ東に行くとどこに到着するか? という問題が議論されていた。 「まっすぐ東」という意味をどう解釈するか、だが、 様々な理論が提出されていてそれぞれ面白かった。 そもそもは「南に1キロ、続けて東に1キロ、続けて北に1キロ進むと 最初の場所に戻ってきていて、そこに熊がいた。その熊の色は?」 という有名なパズルの正解(と一般には思われているもの) は本当にあっているのか、という議論から派生したのである。 南に1キロ、東に1キロ、北に1キロ進むと出発点に戻ってくるような 地点は地球上にあると思いますか? または、南にある距離、東に同じ距離、北に同じ距離進むと出発点に 戻ってくるような地点は地球上にあると思いますか? この二つの質問は同じようで違う。
(あ、おもしろいリーマン幾何の問題、思いついた。 "Recreational Math" にでも投稿しよう)

ところで、月曜から東北大でのシンポジウムに参加し、 その後東京で雑事をしたりしますので、 一週間この日記はお休みさせていただきます。 再開は次の次の月曜日からです。
日頃、ご愛顧の皆さま方にはまた再来週、お会いしましょう。

Oct. 18th(Sun.) - 24th(Sat.)

18日(日)、東北大でのシンポジウム「確率解析とその周辺」に講演参加のため 仙台に新幹線を乗り継いで移動。
19日(月)より21日(水)、シンポジウム。火曜の夕方が僕の講演で、 中途半端な結果どまりであったが、おおむね好評だったかも。 後で Leandre が色々と教えてくれ、preprint を請求された。 シンポジウム全体としてもなかなか面白かったと思う。 特に short communication では名古屋大の M さんが Yor との共同研究の現状を話したりするなど妙に充実。
22日(木)、東京に移動して金曜に住民票移動など雑事を片付け、 24日(土)京都に戻ってくる。

丁度、僕が東京にいる間にS和大のHさんがお誕生日をむかえられたとの由。 ということは一日違いの師匠T氏も誕生日をむかえられたことになる。 どちらもますますの御活躍をお祈りしております。

京都を離れていた間の読書。
「心ひき裂かれて」「殺人症候群」(ともリチャード・ニーリィ)再読。
「こどもたちに語るポストモダン」(J=F・リオタール)。
ニーリィは今、角川文庫で復刊されているのを書店で見つけて、 なつかしさのあまり続けて再読した。 ニーリィは凄い作家だと思うのだが、何故かあまり翻訳もされないし、 翻訳された傑作たちもあまり有名でない。登場した時代において 内容が新し過ぎたと評価する人も多いようだが、 単に翻訳事情として不幸だっただけかもしれない。 ニーリィを一言で評するならば、「メタ本格としてのサイコ」 ということになると思うが、この感覚を受け入れられる土壌がなかったのだろう。 しかし、当時としては非常に進んでいたサイコ感覚と、 サプライズエンディングへの異常なこだわりと、 その絶妙のミクスチャぶりが現代の日本ミステリ作家に与えた影響はおそらく甚大で、 例えば我孫子武丸の某作品などは明らかにニーリィの某作品への オマージュであろう。 本格を超えていくために叙述のトリックを使って、 人間の心の闇の不確定性をミステリに応用していくという、 日本の「新本格派」によって乱用されて、 今では陳腐にもなりつつある流れの その出発点にあった特異な作家、それがニーリィであると捉えたい。
リオタールはおもしろい。ポストモダンの騎手みたいな言われ方を することがあるせいか完全に誤解していたと反省。 他のものも探して読んでみたい。 ポストモダンの読まず嫌いが治るきっかけになるや、否や。


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