1999 Oct. 前期 (Arcana 18)

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過去のお言葉

Oct. 3 (Sun.)

昨夜から続いた豪雨の後、今日はすっきりと晴れ、 しかも昼から肌寒いような一日である。 ようやく秋が来たらしい。 久しぶりに Cafe Riddle に行き、 珈琲を飲みながら、読書など。 やはり鴎外というのは超絶的な名文家だな、と。 単純さの極致というか、 余計な装飾を一切取り払った後にあるような、 名人の水墨画のようなとでもいいますか、一幅の書のような、 なんとも言えぬ味わいのもので、こういうのをしみじみと良いなあ、 と思うのは年を取った証拠でしょうか。

珈琲豆を買って帰る。 数日自宅で珈琲を切らしていて辛い日々だったがこれで解決。

この数日の覚え書。
木曜、金曜と今期最初の講義をする。 木曜は「確率現象論」で、確率空間の定義、確率変数と分布、密度、 平均、分散、ガウス分布の計算例、ボレル・カンテリの補題など、 確率論の初歩の所を復習。 来週からブラウン運動の定義に入る予定。 金曜は大学院講義「数理特論」でテーマは 「暗号理論とセキュリティ」としていたので、 数十人くらい聴講者が集まっていたが、 僕の勝手な趣味で突然「楕円曲線論入門」をやる。 今回は、簡単なイントロとして曲線上の有理点の話をした後、 複素平面を平行四辺形格子群で割った商空間を「楕円曲線」と言う、 と定義したところまで。 おそらく来週は五人くらいしか来ないであろう。
木金の二日間で、暗号と確率論の二グループに分かれて卒研のゼミも始動。 さらに修論のゼミもしばらくしたら開始予定。
金曜日夕方は新学期最初の学系会議。
二日(土曜)は猛烈な残暑。その暑さの中、休日出勤で大学へ。 帰国子女の入試のため。数学の問題の出題者だったので試験中の待機と、 採点と面接。

Oct. 5 (Tues.)

ようやく新学期が始まったな、という感じで、 ばたばたと忙しい日々を送っています。

今日の読書。「澁江抽斎」(森鴎外、岩波文庫)
鴎外による史伝。ずばり、面白いです。 ほとんどの人は、澁江抽斎の名前も知らないと思う。 私も知らない。幕末の医官で、考証学者でもあったらしいが、 伝記になるような大偉人ではないと思う。 しかし、この史伝が滅法面白い。 もちろん鴎外が惚れこんだ抽斎本人がいいのだが、 その周辺にちらちらと現れる幕末の畸人達が不思議に魅力的。 朝夕好んで俳優の身振り声色をする芝居キ○ガイで、 頼みこんで舞台のツケを撃たせてもらい、 ついには芝居に出演してしまって禄を失なう「声色遣い」。 始終一人で散歩に行くので後をつけてみたら、 指の腹に竹杖を立てて本郷周辺を徘徊していたという「軽業師」。 そんな変な兄弟弟子ばかりで抽斎だけがよく聖人君子に育ったものだ。 抽斎が座敷牢を造って諌めようとしたという馬鹿息子も可笑しい。 悪友と二人してあらゆる遊蕩にふけり、 二人で「飛蝶、酔蝶」と名乗って高座に上がったり、 隅田川に船を浮かべて影芝居をしたり、 吉原通いで借財を重ねては出奔したという。 しかもこの悪友、実は変人「軽業師」の息子。 あまりにいきいきと描かれていて、 鴎外の創作じゃないかと思うくらいである。

Oct. 7 (Thurs.)

朝から BKC へ。「確率現象論」の講義。
今日はブラウン運動を定義して、構成した。 出来るだけ測度論を前に出さず直観的に見易く教えたいと思い、 フーリエ級数で実際に構成してみせた。 三角関数を使うと評価が難しいが、ハール関数系を用いれば、 簡単なガウス積分の評価とボレル=カンテリの補題だけで一様収束が示せる。 あいかわらずノートを見ずに手ぶらでやっているので、 ちょっと説明がくどくなるが、丁度一時間半で終わることができた。

今だとこれくらいはソラで出来るが、 正直に言ってここまで「完全にわかった」のは最近のことである。 こんなことを言うと、きっと T 師匠などは頭を抱えることだろうが、 まあ事実だからしょうがない。 さらに正直に言うと、確率積分とか情報族とかマルチンゲールとか、 そういう基本的な所も自分ではまだ完全に明確にわかってないんじゃないか、 と思う。まあ、そう泣かないで、師匠。 もちろん、必要とあらば本を見てその場で再び納得することはできるだろうから、 わかっていると言えばわかっているのだが、 数学において「わかっている」と言ったらもう完全にわかっていて、 掌を指すがごとく舌の口中を知るがごとくわかっていることを言うのである。 また、それくらいに分かっていないとその概念を自在に使えない。 私が尊敬する故郷和歌山の大数学者、岡潔がそれを指して 「左の手のひらに乗るような気持ちになってからでないと使えない」 と何処かに書いていた。 と思ってみると、 果たしてこの僕がそこまで完全にわかっている数学の広さはどれくらいであるか。 まったくお寒い限りなのである。線型代数すら怪しいのではないか。 これでは良い数学が出来ないのはあたり前なのである。

というわけで、非常に反省している私は、 「確率現象論」の講義を利用して確率論の初歩の初歩を、 わかりたいと思っているのである。

Oct. 8 (Fri.)

朝から BKC へ。「数理特論」の講義。
ワイエルシュトラスのペー関数を使って、 複素平面を平行四辺形格子で割った商空間と 代数曲線としてのいわゆる楕円曲線との関係を示す。

すぐ三十分ほど後から確率論のゼミ。 M 君がクーポンコレクター問題について話す。 クーポンコレクトは古い問題だけに Well Known な 結果ばかりになってしまうのだが、 M 君が面白い着想を話してくれたのでちょっと嬉しくなった。

今日の失敗。
ゼミが始まる時点では、 今日卒研の学生を集めるための研究室紹介があることを ちゃんと覚えていたのだが、 ゼミをやっている間にすっかり忘れて、重要なイベントをすっぽかしてしまった。 後でお叱りメイルを読んで、ようやく思い出した次第。 申しわけありませんでした。
また朝のこと、「数理特論」の講義に向かったのはいいが、 何故か講義室の場所を忘れてしまった。 しょうがないので、 建物の前で僕の講義を聴講している院生をつかまえて、 僕の講義はどこでやってるんだっけ、 と尋ねるという大ボケをかました。 まあ、これはどこにも謝る必要はないが、 なんと馬鹿な先生に習ってるんだろう、 とその学生は嘆息したことだろう。

やっぱり、脳軟化症が進んでいるのだろうか…

Oct. 11 (Mon.)

連休中の読書。
「幻談・観画談、他三篇」(幸田露伴、岩波文庫)。
「『春の雪』 豊饒の海(一)」、 「『奔馬』 豊饒の海(二)」(三島由起夫、新潮文庫)。

11日(月)。哲学の道にあるアトリエ・ド・カフェに、 ピアノトリオのコンサートに行く。曲目はショーソンが中心だった。

連休だと言うのに、特別面白いこともなかったので、 日記に書くこともない。 コンサートを聴きに外に出た以外は、 ずっと家にいてチェロを弾いたり、本を読んだりしていた。 ようやく京都も涼しくなったせいか、最近異常に良く眠れる。 連休中は一日の半分十二時間くらい寝ていたのではないかなあ。

Oct. 13 (Wed.)

四部作 「『暁の寺』 豊饒の海(三)」、「『天人五衰』 豊饒の海(四)」 (三島由起夫、新潮文庫)、読了。

うーむ、凄い。凄過ぎる。 これは確かに世界的大小説というか、大「反小説」。 「天人五衰」の最後の三ページで唖然としてしまった。 高校の頃に読んだことがあるはずなのだが、 当時の記憶では、 大ロマンスあり、右翼テロあり、オリエンタル趣味あり、 のカラフルな絵巻のような印象を持っただけで、 この結末についても、 「はあ?」 と狐につままれたような戸惑いが朧に残っているだけでした。 やっぱり、こういう偉大な小説は大人になってから読まなきゃいけません。 再読してまず思ったことは、 こんなことを書いてしまったら、この後何も書けないよな、 と言うことでしょうか。 実際、三島は「天人五衰」の最終原稿を書き上げてから、 市ケ谷駐屯地に向かったのですが。


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