六月と七月の印象(イギリス風朝食とコミュニティとしての数学)

さて、イギリス人は日本人と同じく自国の朝食に随分自信と愛着があるようである 。 日本人が思う正統派「日本の朝食」というものを僕も思い浮かべることができるが 、 実際にそういう朝食を毎日食べている日本人は滅多にいないのではないかと思う。 しかるに、イギリス人は正統派「イギリスの朝食」を毎日食べるのである。 その内容は、卵、ベーコン、ソーセージ、ハッシュポテトが一皿に盛ってある所に 豆のどろどろしたもの(ビーンズ)がかかっており、 それにパンとシリアルがつく。飲み物はオレンジジュースとミルクと紅茶である。 確かに最初に見ると豪華そうだし(少なくとも大陸に比べれば)、 結構食欲をそそるものなのだが、 これを毎日食べられるかというとそこが問題なのである。 何せ選択肢が全くと言ってよいほどない。 あった所で卵の焼き方とか、パンの色とかくらいである。 それにこれは僕だけかも知れないが、ソーセージがまずい。 肉以外に小麦粉のようなものが混ざっていて、 妙にねっとりとした食感がある。 こういう朝食を毎日毎日見ていると日本人としては「いい加減にしてくれ」 という気持ちになってきて、大陸風にパンとコーヒーだけの方がいっそ さばさばして爽やかなのではないか、とさえ思うのである。 しかしイギリス人にとってはこれでなくてはならない、というくらいのものらしく て、 なんと朝だけでは満足できないのか、 一日中朝食を出す朝食専門店があちこちにあるくらいである。 もちろん、どんな素晴らしい朝食が出るのかと期待しても、 出てくるのはまさに very English breakfastであり、 ごくごく平凡な上に書いた通りのものが出てくるのである。 イギリスの謎の一つである。

六月と七月は夏。 夏と言っても、サハリンの北端あたりと同じ緯度を持つここにおいては、 日本で言えば初夏の爽やかさである。 七月になれば大学も長い夏休みに入るためか、 もう六月の間から研究所はなんとなく既に休暇の雰囲気が漂い、 七月はシンポジウムのシーズンである。

私の生活は、六月は特に音楽に縁があった。 学内のアートセンターで毎週コンサートが企画されていて、 研究所のレジデンツ・カルテットの活躍が楽しめたのだが、 丁度、チェリストの肩の故障による引退と新たなメンバーの登場という ドラマもあり、なかなかに感動的なコンサートシリーズであった。 また、五月の激しい気象の変化に耐えられなかったらしく私の チェロの裏板がはがれてきていたのだが、 近所に良い弦楽器職人を見つけることができて、 持ちこみで修理をしてもらった。 こういう時に職人さんとする楽器がらみの雑談というのも、 村上春樹の言うところの、 「日常の中のささやかではあるが確固とした幸福」な時間の一つであろう。

もう一つ六月のニュースは、帰国のエアチケットを予約しようとしたら、 既に九月後半は満席になっていて、 「がーっしゅ!」(発音はE教授風に)という感じだったことだろうか。 しょうがないので予定より一週間ほど早いチケットを押さえてキャンセルを 期待することにした。

七月はシンポジウムのシーズンであった。 私はロンドンのインペリアルカレッジで行われた数理物理の国際シンポジウム ICMP2000と、そのサテライトとしてここWarwickで行われた 経路空間の幾何と解析のシンポジウムGAPSに参加した。 すっかり田舎の田園生活になじんでしまっている私は、 ロンドンのような大都会にすっかりご無沙汰であり、 もう完全なおのぼりさんとして一週間ほどの都会生活を満喫した。 レストランでチップを払うのもどきどきするので、 できれば毎食パブで食べたいと思うくらいのおのぼりさん度である。 ロンドンでは久しぶりにTK大のS君に会って大体一緒に行動していたのだが、 S君は普段の大学での激務からの解放感からか妙にいきいきとしていて、 この時期にイギリスでの最初の晩の宿泊の予約もせずにやってきて、 ヒースロー空港のソファで一泊してシンポジウム会場に裸足で登場、 などという冒険家ぶりを発揮していた。

ICMP自体は、ほとんど理解できない講演ばかりだったが、 さすがに各界を率いるリーダー達は老いてもますます盛んというか、 そのエネルギーに圧倒されるものが多かった。 例えば、指数定理のアティヤや、非可環幾何のコンヌ、 統計物理のレボヴィッツなどの講演は、 有名人の顔を拝むという以上の価値は絶対にあったと思う。 ちなみに恒例のポワンカレ賞は、 レボヴィッツ、ティリングの大御所に加え、 確率論分野からH.T.ヤウが若手として受賞し、おめでたいことであった。 アカデミックでない活動としては、 かなりひどい学生寮みたいなところで一週間泊まり、 一週間毎日イギリス正統派朝食を食べさせられて 「がーっしゅ…(泣)」だった他には、 その一週間はほとんど奇跡的に絶好の好天が続いたため、 元来観光不精の私も出歩く気になり、 ナショナルギャラリーはじめあちこちに遊ぶことが出来たのはよかった。 またインペリアルのまさに隣にあるアルバートホールで開催中の 恒例のBBC PromsのコンサートにS君と二晩出かけたのも なかなか楽しかった。ムローヴァがブラームスの ヴァイオリンコンチェルトを弾いていたのが僕としては見所、 失礼、聴き所であった。

ICMPが終了した土曜日にもう一泊ロンドンに泊まるS君と別れ、 列車でWarwickに戻るともうその帰路の途中から急激に天候が傾き、 気温はぐんぐんと下がり、平常通りのグルーミーなイギリスに戻っていた。 翌日、S君もWarwickに登場し、月曜日からGAPSが始まった。 講演もなかなか面白かったが、 企画のE教授が世話好きの本領を発揮して、 毎日毎晩あちこちへと参加者を連れてもてなし、 またシンポジウム自体も見事なオーガナイズであった。 さすが、というところである。

こういうシンポジウムで思うのは自分の人づきあいの下手さ加減である。 もちろん英語が出来ないということもあるのだが、 語学以前にとにかく知らない人と話すの苦手なのが問題である。 数学者の英語は大抵ひどいもので、ロシア人なりフランス人なり中国人なりは、 猛烈な各国なまりに適当な文法で、本当に英語人は聞き取れているのかと思うが、 そういった言葉で臆するところなく堂々と話し、 きちんとコミュニケーションに成功しているようである。 つまり語学力の問題ではなく、それ以前に、 そもそもコミュニケーション力みたいなものがあって、 私にはそれが欠けているのである。 実際、どう雑談を切り出したものかが良くわからないし、 また話はじめてどう切り上げたものかがまたよくわからない。 数学はますますコミュニケーションの学問になりつつあるので、 こういう場では熱心に社交活動に励まねばならないのだが、 そう思うとまた気が重くなってしまうのである。 数学は一方では一人きりの世界であるような一面もあるからか、 実際、一人でいるのが好きなんだ、といった雰囲気を漂わせている人も多いが (陰気という意味ではない)、 やっぱり全体的な傾向としては社交的かつ外向的な人が多いのではないかと思う。 とすると、やっぱり僕には数学者という職業は向いていなかったかなあ、 と思ったりもする今日このごろである。

ICMPでアティヤが数学と物理の関係を表す言葉として引用していた言葉だが、 数学と物理は「同じ言葉で隔てられた二つのコミュニティ」なのだそうである。 そう言われてみれば、 数学者ほどコミュニケーションの難しさと格闘している人種はいない、 というのもまた事実であった。

おまけ

以上の日記を書いていたら、僕のフラットのブザーを鳴らす人がいる。 さては、S君がエアチケットをなくしたとか、そもそも予約していなかったとかで 、 ヒースローに一泊して戻ってきたのかと思って慌ててドアを開けると、 今回のシンポジウムで経路空間での対数ソボレフ不等式の反例を発表していた 新進気鋭のドイツ青年え○ーるが缶ビールと綿棒一缶片手に立っていた。 何事かと問いただすと、これを某中国系女性数学者しゅ○めいに渡したいのだが、 フラットの番号を間違えたようだと言う。 え○ーるは明日の朝帰るというので、 僕がひきとって次に会ったときにでも渡すということで一件落着した、 かに見えた。 そこで、さて部屋に戻ろうかと思ったところ、 ドアがしっかりと閉まってしまっているではないか。 「がーーっしゅ!(号泣)」 慌てて出たので鍵を持つのを忘れ、締め出されてしまったのである。 思わず遠くに去り行く姿に叫んだ。 「え○ーる!ヘールプ!!」 親切なえべー○が言うには、 このフラット群のどこかにしゅ○めいがいるはずだから、 端から順番にあたって彼女に助けを求めようではないか、高々有限のトライである 、 という意見であった。 一番目のフラットの住人は彼女ではなかったが、 電話でセキュリティを呼んであげよう、と言ってくれ、 めでたく解決策が取られたのである。 僕がその住人の方と話している間にも、 着実に高々有限個のフラットのブザーを次々に鳴らしていたえ○ーるは、 結局僕のフラットの2階にしゅ○めいが住んでいることを発見(最初から気づけよ )。 僕とえ○ーるは二人して、彼女のフラットでセキュリティの到着を 待つことになったのである。 彼が持っていたビールは僕とえ○ーるで飲んでしまったことは言うまでもない。