とぜんそう98年9月分

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98/09/01

第37回日本SF大会に参加してきた。

これまではすべて観客としての参加だったが、今回は初めて運営側。実は大会の実行委員長が車で5分ぐらいのところに住んでおり、申込書の住所を見て、ご近所だから手伝ってくれないかと頼まれたのであった(失笑)。

これまでこういったイベントの主催・運営などやったことがなく、舞台裏をのぞくのもおもしろいかも知れないという野次馬根性も手伝ってやってみることにしたのだが、これがなかなか。運営スタッフは全員ボランティアで、大会当日以外は手弁当で交通費も原則自分持ち、しかもそれでも黒字になる可能性はあまりないという。

実際の運営は委員長とその仲間がほとんどやっていて、当然ながらこっちは「猫の手」。当日までは配布物の袋詰めやらラベル貼りやらで、大会の前日準備も含めて当日はほとんど椅子や机を含めた機材の搬入搬出。二日半でふだんのおよそ2週間分は歩いただろうか、既に二日目の朝には足が悲鳴を上げていて、平らなところを歩いていても足が上がらずにつんのめる有様(とほほ)。おまけにそっちに追われて企画もほとんど見ずじまい。

こんなに苦労して、しかもただ働きのどこが楽しくて運営スタッフをやりたがる人間がいるんだと考える人もいるかも知れない。しかし、実は今までより遙かにとはいわないが、かなりおもしろいものなのだなあ、これ。

確かに大変は大変だけど、その分達成感はあるし、苦労していると思うとほかのスタッフとの精神的な結束みたいなものはずっと深まる。おまけに、ただ企画を見物して笑っているだけではわからない裏の事情やら情報やらも知ることができる。

今後もスタッフをやるかどうかはわからないが、今回はただ見て回るよりは興味深い体験ができたと思う。

そうそう、もう一つスタッフをやっていてよかったことがあった。

漫画家のいしかわじゅんさんがご自分のサイトでSF大会の招待状が届かない旨を書いておられたので、実行委員長に連絡して招待状を再送してもらい、それにつけ込んで(笑)会場で会えたらサインしてくれるように無理矢理約束を押しつけたのだが、ほんとに会場で出会ってしまったのだ。いしかわさんもそれを覚えていてくださって、サイン会の会場を教えて欲しいとおっしゃる。で、ご案内したあとすぐさま自分の荷物の中からかねて用意の週刊漫画アクション版『フロムK』(双葉社刊、全2巻)を持っていき、半ば職権濫用でサインの順番待ちのいしかわさんにこれを書いていただいた。氏も氏も悔しがるがよい(笑)。いしかわじゅんさん、ほんとにありがとうございました。

で、実行委員会本部で他の人に見せびらかしているとあるスタッフが「それ、千円で売ってくれない?」

千円なら俺が欲しいわ、と思ったが、考えてみればしっかり私の名前が入っている。古本の値打ちも含めて、果たして高いんだか安いんだか、どっちなんでしょう?あ、当然売る気なんかこれっぽっちもありませんけど。

98/09/05

肉体疲労やら虚脱感でぼーっとしているうちに数日が過ぎてしまった。その間には日本の近海にミサイルが落ちたり、テレビの生放送で女性アナウンサーが落ちたりいろいろあったらしい。いよいよ世紀末。

そういえば、来年のSF大会が開催されるホテルの代表が今年のエンディングで「来年は20世紀最後の年」と発言して会場から突っ込みが入ってたけど、西暦2000年から21世紀という説もあるんだそうで(先日もラジオで「21世紀まであと一年半」と言ってたし)、全世界統一見解って決まったんだっけ?


『おたんこナース(6)』(佐々木倫子著、小学館刊)を読む。この巻で完結。

おまけページに最終話のできるまでの様子が描かれていて、ラスト近くに編集者がネームチェック中「なんだよ、この『つまく』ってのはよ!!」(太字の部分は出典では傍点)と怒るシーンがあった。

「ぢ」とか「づ」は所謂{いわゆる}旧仮名遣いで、昭和二十一年に告示された現代仮名遣い(所謂新仮名遣い)では原則として使用しないことになっている。ほかにも「」とか「ゑ」なども使ってはいけない。

たとえば「稲」のかな表記は現代仮名遣いでは「いなま」になる。「妻」をどうやって「すま」もしくは「ずま」と読めばいいのかわからないが、とにかくそう決まっている。また、「意悪」の読みは「いわる」。じゃあ「大」はどう読むかというと、少なくとも「だい」ではない。

ところがあくまでこれは原則で、例外は当然存在する。たとえば「縮む」は「ちむ」ではないし「続く」を「つく」とは書かない(おお、ddwinでCD-ROM版広辞苑を引くとき、「ちじむ」で「ちぢむ」が、「つずく」で「つづく」が出てくるぞ)。なぜこれが例外になっているのかという根拠は残念ながら知らないが、単独で「ち」とか「つま」と読むものをなぜ「ぢ」や「づま」としてはいけないのか、実に不自然。

で、最初の「つまづく」に戻るけど、これは現代仮名遣いだと「つまく」が正しい(ちなみにddwin+広辞苑では「つまづく」で「つまずく」は出てこない。旧仮名遣いのままのものを新仮名遣いで引くと出てくるのかも知れない)。漢字では「躓く」。

ところがCD-ROM版広辞苑の解説を読むと「爪突く」の意と書いてある。とすれば、「つまづく」と書く方がよっぽど自然だと思うんだけどなあ。

98/09/08

なるほど、発音重視のためでしたか>「ぢ」「づ」を使わない。
しかしそうなると「ちぢむ」「つづく」などが採用された基準がますますわかりませんね。

「ち」=「し゜」、「つ」=「す゜」については、発音重視のこの表記が世間に受け入れられるかどうかというあたりにやや不安が。


掲示板の方に紹介されている くりりんさんの見つけてくれた情報によれば、21世紀の始まりよりも千年紀の区切りである西暦2000年の方がキリスト教世界では注目されているらしい。

しかし、「人間だって成人の20歳を祝う。21歳を節目にするのは間抜けな感じ」と言っているところを見ると、ロンドンでは数え年が習慣になっているのだろうか。競馬馬も数え年だし。もし満年齢の話だとしたら、この人はキリストが生まれたのは紀元0年だと考えていることになるのだが。

まあ実際のところ、キリストは西暦1年に生まれたわけではないという説もあるし、たかが一年ぐらいどうということはないという見方もできないことはない。

もっとも兄からのメールによると、数年前に世界宗教会議のタイトルに「21世紀なんとかかんとか」とつけたところ、「21世紀はキリスト教国だけのものであって、我々には意味がない」と他の宗教国からクレームがつき、その会議が流れたという新聞報道があったそうな。なるほどキリスト教国ばかりでもないわけだから、2000年でも2001年でもどっちだっていいや、というのが世界の趨勢なのかも。

そうそう、こんな話を書いていたらこんなのを思い出してしまった。

   「21世紀音頭」歌・左良直美

これから31年たてば この世は21世紀
火星や金星 遠くの星に 旅行に出かけているかしら
21世紀の夜明けは近い


第一次オイルショック以前の曲である。うーん、時代の重みを感じさせるなあ(おい)。

98/09/09

アメリカでシーズンホームラン数の新記録が出たそうである(記録を作った選手の名前は公序良俗に反するおそれがあるので(笑)省略)。とりあえずおめでとう。

ところで、この記録騒ぎの間、彼の所属するチームの勝敗を特にテレビ・ラジオではほとんど報道していなかったような気がするのは私の思い違い?


ようやく「積ん読リスト」を再開する気力が(苦笑)。

でも、買った本が本なので、当面そっちに集中するおそれあり。

98/09/10

昨日の「積ん読リスト」中、「大和出版」としたのは「大和書房」の誤りでした。すんません。


ロンドンと競馬馬と公序良俗で思い出したけど、あっちの方では競馬馬に公序良俗に反する名前を付けたがる人たちがいて、当局と丁丁発止{ちょうちょうはっし}やっているらしい。ちょっと前に見かけたスポーツ新聞にも、綴りを反対側から読むと古典的な猥語になるものが見つかって登録を却下されたという話が載っていた。

日本ではどうなのかと競馬好きの同僚に尋ねてみたら、やはり日本でも不適切な名前だと登録できないらしい。実例としては、スイス旅行でレマン湖の美しさに感動した馬主が「レマンコ」という名前を登録しようとしたところ不許可になったそうな。


今週の「お言葉ですが…」(高島俊男、週刊文春連載)では、もともと「そういったものすべて」という意味だった「しかしながら」がなぜ前半分の「しかし」になり、かつ意味も英語の「but」に当たるものになったのかといういきさつが紹介されていた。

話変わって、もとの言葉の前の方だけが残ったものの、割愛された言葉の意味だけは引きずっている表現が気になっている。そ、あの「何気に」とか「さり気に」。

元の言葉が「何気なく」「さり気なく」なのだから、「なく」をなくしたら意味は「何気に」=「意図するところがあって」、「さり気に」=「わざとらしく」と、逆になるはずなのに、そのままの意味で使われているらしい。

『今様こくご辞書』(石山茂利夫著、読売新聞社刊)にも、基本語を重視して新語の採用にはかなり慎重な『岩波国語辞典』がほかの辞書に先駆けて「何気に」を 誤用としてではあるが取り上げているので意図を尋ねてみたところ、「日本語の流れに逆行する使い方」で「断じて芽のうちに摘んでしまわなければならないと思」って掲載したという回答をもらった話が紹介してあった。まさに「何気」あって掲載したのだが、それも水泡に帰しそうな今日この頃。

確かに「何気」とか「さり気」といった言葉はほかの用法を探すのが難しい言葉ではあるが、だからといって「何気なし」「さり気なし」と同義で使われてはここらへんがむずがゆくなってしまう。

ほかに同類があるかも、と部屋の中を見回したら……

トンデモ本の世界』(と学会編、洋泉社刊)。

ブルータス、おまえもか(苦笑)。

98/09/11

「じ」「ぢ」「ず」「づ」に関する件、了解しました。それに、どうやらよくご存じの方には何を今更というぐらい陳腐な意見だったようで。自分じゃちょっとした発見のつもりだったんですけどね(苦笑)。

ま、門外漢が何かの言葉についておかしいと感じたとき、その理由をあれこれ考えた過程の覚え書きみたいなもんなので、これに懲りずにお気づきの点があればまたご指摘ください。

どうもありがとうございました。


日刊スポーツ・ニュース速報の「バトル」のコーナーに先日行われた新日本プロレス埼玉大会の記事があって、そのタイトルが「ライガーV3」。

一瞬、獣神サンダーライガー3号が登場したかと思ってしまった。

98/09/13

今日の讀賣新聞読書欄に『今様こくご辞』(石山茂利夫著、読売新聞社)という本が紹介されていた。以前ここで紹介した 『今様こくご辞書』(石山茂利夫著、読売新聞社刊)のことだとしたら(「鳥肌が立つ」などが取り上げられているからおそらく間違いないと思う)、自社の出版物だけにちょっと恥ずかしい話。

もっとも、他社の書名に間違いがあったら失礼に当たるということで自社のものよりチェックが厳しく、その反動が出るのかも知れない。

98/09/16

讀賣新聞のサイトの書評欄(「短評」の中)でも『今様こくご辞』になってら、と思ったら、今日の朝日新聞のサイトでも。もっとも、朝日の方はトップページだけ『今様こくご辞』で、記事の中身は『今様こくご辞』になっていた。良心的(なのか?)。(以上、夕方5時の時点)

あらら、夜11時にもう一度確認してみたら、朝日の方は記事のタイトルがコンテンツから消えている。「キムタク」とかいう人が書いてた記事だけど、本文は残ってるのだろうか?


元プロレスラーの豊登が亡くなったそうである。67歳。日本プロレスの草創期から活躍していた人で、力道山の死後いろいろあって、新団体を設立してアントニオ猪木を引き抜いたり、ある意味現在の日本のプロレス界の原型を作ったといえるのかも知れない。

記憶に残っているのは、TBSと提携した国際プロレスのリングに上がっていた姿。当時の国際プロレスは人間風車・ビル=ロビンソンが日本側のエースというスター不在の頃で、ほかにはサンダー杉山、ラッシャー木村、グレート草津らがいたと思う。胸カッポンと得意技のさば折りだけは今も覚えている。ご冥福を祈ります。

98/09/18

郵政省発行の年賀はがきに「サザエさん」(長谷川町子著)が登場するニュースで、NHKのアナウンサーがしきりに「人気アニメーションのキャラクター」を繰り返していた。しかし、絵柄を見る限りでは長谷川町子本人の筆。NHKではニュースは原稿を読むだけと聞くから、ニュース原稿を書いた人は既にテレビアニメでしか「サザエさん」を知らないのかも。

む。ちうことは、江利チエミの実写版「サザエさん」も知らないのか?(ふつー知らない。というより、たぶん江利チエミを覚えている人の方が以下略。ああ、テネシーワルツが懐かしい)

98/09/20

上天気。秋の空というより夏空だなあ。


21世紀が宗教的意味を持つと意識している日本人なんてほんの一握りだと思うけど、同様に一週間が宗教がらみだと思いながら生活している日本人もあまりいないだろう。朔望月{さくぼうげつ}の周期の四分の一を生活のリズムにしていたことに宗教的意味をこじつけたともいわれているらしいから、別にユダヤ教やキリスト教とは関係ないのかも知れないけど。

で、21世紀の始まりと同じく一週間の始まりをいつと見るかについても見解が別れているようだ。

聖書の創世記をそのまま単純に見ると、神は6日間で世界を創造して7日目に休んだのだから一週間の終わりは日曜日(安息日)ということになる。あるいは一週は月曜日から土曜日までで、日曜日は一週の中には入らないとも考えられる。どっちにしても一週間の始まりは月曜日。

CD-ROM版『広辞苑第四版』には「一週」が「日曜日から土曜日までの七日間」、「週末」は「一週間の末。土曜日、また土曜日から日曜日へかけていう。近年は金曜日を含めてもいう。」なんて書いてある。いったい日曜日が一週の始めなんだか終わりなんだかわかりゃしない。少なくとも七日目に休んだという聖書の記述とは相容れないようだ。

日本で手に入る市販のカレンダーは日曜日から一週間が始まるみたいな構成だし、今日も今日とて(日曜日)テレビのアナウンサーが「今週の火曜日から横浜・中日直接対決ですが」とか言っていたし、少なくとも日本では一週間は日曜日から始まるととらえられているということか。

もしユダヤ教やキリスト教でも一週間の始まりが日曜日と考えているなら、彼らの最初の一週目は6日間しかなかったのだろうか。謎は深まるばかり。

98/09/21

新説・月は太陽だった!

CD-ROM版『広辞苑第四版』にこういう記述がある。

  さく‐げつ【朔月】
    毎月の第一日。朔日。

「朔日」とは「ついたち」のことで、以上から下記の式が成り立つ。

   朔月=朔日

等式の両辺に同じものを加算したり減算しても等式は成り立つから、

   朔月−朔=朔日−朔

   ∴ 月=日

すなわち月と太陽は同じものということになる。

おや?こんなことも書いてあるぞ。

  つい‐たち【朔日・朔・一日】
    (ツキタチ(月立)の音便。こもっていた月が出はじめる意)
    (古くは「ついたちの日」ということが多い) 

つまり「朔日」は朔月の日のこと?いやまあその、あはは。

98/09/22

二日続けての颱風上陸。関係各地の皆様、大丈夫だったでしょうか?

こっちは幸いたいした被害には遭わなかったものの、今日の7号はなかなか強烈。午後3時頃にちょうど真西のあたりを通過していったのだが、鉄筋三階建ての事務館の3階にいたら、強風のために建物がぐらぐらと揺れていた。やはり北半球で西側を通る颱風は要注意。

帰る頃には既に日本海に抜けたとかで、雲の切れ間も見えていた。文字通りの颱風一過。

ところで、朝会社に行く道で聞いた地元ラジオでは「午後から夕方にかけて颱風が通過するようなので、今日は車で出かけない方がいいかもしれませんね」。

で、午後5時現在、風はほぼおさまり、雨もそう強くもない。ただし、JR東海道線と名鉄全線(つまりは地下鉄とバスを除く愛知県の主要交通機関)が停止していた。放送を信じて車を置いていった人たち、どうしたんでしょうね。

98/09/23

なにやら一週間は日曜日から始まることに決まっているんだそうな(まいどどうも)。

ということは、6日目で天地創造が終わったところから曜日が始まったという解釈なのでしょうか。

そういえば、月曜日から始まる説はどこで仕入れたんだっけ?
ちなみに、うちの会社のカレンダーは月曜から始まってます。

と書いてアップロードしたところ、 すぐさますのものさんからメール。ユダヤ教の安息日は土曜日だそうです。
どうもありがとうございます。納得しました。


とぜんそう」の「不当に評価されていない」の覚え書きをコピーしてから編集したつもりだったのに、そのまま書き換えてしまっていたらしい。申し訳ありませんでした>くりりんさん

98/09/28

ドイツでシュレーダー新首相が誕生したそうな。

やっぱり子供時代にはおもちゃのピアノを弾いて、近所の女の子に言い寄られていたのかしらん……と思いつつ、ピーナツ・ブックス系の本を見たら、ピアノを弾いている男の子の名前が「シュローダー」に変わっていた。いつの間に(そういえばそんな噂を以前聞いたような)。


なんだか、西暦2003年にはデジタル放送に対応するために新東京タワー(仮称)ができるらしい。高さ約707メートル。現在の東京タワーの約2倍。

子供の頃には東京タワーといえば怪獣に壊される建造物ナンバーワン。漫画でも「エイトマン」で魔人・コズマ博士に元素転換されたり、「エリート」でライフル銃で発射可能な超小型原爆を持ったダンガーが登っていたりする(ありゃ、どっちも平井和正原作・桑田次郎作画だ)。

しかし、さすがに700メートルを超えるものを壊すのに体高50メートルや100メートルの怪獣では見栄えがしないし、かといって体高300メートルもあったのでは人間との対比ができなくてぴんとこない。うーん、困ったものができるなあ(って、作る前から壊すことしか考えないやつ)。


Atok12だけが目当てでQ太郎、じゃないや、9太郎のバージョンアップ版を買ったら、いきなりトラブル。

ひとつは9太郎そのものとは全く関係ない話で、9太郎をインストールしたところHDDの残り容量が極端に減ってしまって、インターネット関連のファイルがいくつかクラッシュ。復旧にかなりの時間がかかってしまった。Win95は起動HDD残量が100MBを切ると動作が不安定になるらしいので、新しいソフトのインストール後にはHDDの残高確認を怠ってはいけないのであった。

で、9太郎本体は起動の確認しかしていないのでAtok12のほう。

ひとつめは、文字パレットで和文コードの検索をすると、なぜか記号やアルファベット、ひらがな、カタカナが表示されないで、代わりに白抜きの四角がでてくる。フォントの設定が悪いのだろうか?(まだマニュアルもヘルプも調べていない)

つぎに、スタイル設定をWXGにすると(Atok標準だと「ゐ」や「ゑ」が入力できないので、ゐんばさんにメールを送るときに困るのである)、なぜか日本語入力オン・オフのトグルキーが働かなくなる。マウスでボタン操作すればオン・オフ切り替えできるのに、不思議な話。もしかしていやがら以下自粛。

それと、Atok11の頃から気になってた変換の仕方のいくつかが直ってないのは困ったもんである。でも、口語への変換は(少なくとも口語優先にしてあると)以前よりよくなってるようで、ちょっと嬉しい。


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