とぜんそう1999年11月分

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99/11/01

NHKのニュースで、今日発売になったお年玉くじ付き年賀はがきの絵柄に「鉄腕アトム」(手塚治虫)が入ったことをさして、官製年賀はがきにアニメの絵が入るのは初めて、と紹介しておりました。

はて、以前「サザエさん」が採用されたときにも「人気アニメーションのキャラクター」と繰り返していたような。あれは原作漫画があるからアニメから採用としたのが間違いだった、ということで今回の報道だとすると、アトムだって漫画が先だから同じことなんだけど。

「鉄腕アトム」といえば、掲示板によると「強殖装甲ガイバー」や「北斗の拳」もハリウッド進出してるということですが、これらは日本の資本による映画化だそうだから純粋にハリウッド制作ともいえず、すくなくとも日本生まれのキャラクターがハリウッドに進出したのはアトムで2度目という記事は記者の確認不足もしくは表記不親切あるいは説明不足の産物のようです。下忍さんたかさんちきんさん、情報ありがとうございます。

というわけで、アトムに関しては知名度の割に内実が知られてないのかも。いや、知っててもべつに何の役に立つわけでもないんですけど。


おっと、知らないあいだに新しい日記に移動してたのね>下忍さん

反応が遅れましたが、「かいしゅん」の件は世間一般にもこの読み方を押しつけようとするような法律の名前の読み方や記事の書き方に反撥しただけのものでして、法律方面でそういうのが一般的かどうかは全然知らないのでありました。

「大店法」は「おおだなほう」と読んでしまうし(嘘)。

だいたい、「規模売店」なんだから、意味の切れ目で省略したら「大小法」になるはずなんだよなあ。そのまま音読みされて相撲取りに関する法律だという思想が生まれると困るってことで避けたのかしら。

99/11/02

掲示板のほうの「強殖装甲ガイバー」や「北斗の拳」もハリウッド進出してるという情報に対して、その方面の大御所から、あれは日本資本によるものだという追加情報をいただきましたので、きのうの分の該当部分を修正


最近物覚えがかなり怪しくなってきていまして、きょうもきょうとて会社の階段を下りながら、はて、自分はなにをしにいくところだろう、なんて。

そのうちに、本が一冊あれば読み終わるころにははじめの方を忘れてるのでエンドレスで楽しめる日が来るのかも(ビッグコミックスの岡崎二郎ネタ)。

ということで、読みかけの本のこともメモしておこうかと。

丸谷才一の『思考のレッスン』(文藝春秋)には、丸谷才一が昭和の年数と同じ年齢で戦時中を過ごし、「なぜ日本はこういう愚劣な戦争――つまり日中戦争を始めてしまったのか」、「不思議でたまらな」かったと書いてあります。丸谷才一は「少年H」より数歳年上ではありますが、あの戦争に疑問を抱いた人がいなかったわけじゃないんですね。

ただ「少年H」とちがうのは、「この問題は、周りの人に質問するわけに行かないんですよ。先生にも聞けない、親兄弟にも聞けない。そんなことをしたら、先生が迷惑するに決まっている。親兄弟だって、答えようがない」と考えていたということです。つまり、その時代の雰囲気をちゃんと理解しているんですね。

軍部による報道規制、教育によるマインドコントロールなどで、大多数の日本人が正常な感覚を失っていた時代、たとえ親兄弟相手にでもそんなことを口にしたらどういうことになるか。

ちょっと前に中日新聞で終戦特集として市井の人の回想を紹介していたのですが、ある父親が、当時の息子は戦時教育で国のやり方にいっさい疑問を持っておらず、軍や国を批判するとむきになって非難してきた、みたいなことを書いていて、なるほどな、と思ったものです。

あと、「斎藤隆夫という代議士が昭和十五年に、支那事変の処理の仕方について議会で質問して除名された。/子供心に、『こんなことが堂々と言える人は偉いもんだなあ』と感心したのを覚えています。もちろんそんなこと、誰にも言いませんよ」という部分もみえます。

これは『間違いだらけの少年H』(山中恒・山中典子、勁草書房)で、「少年H」の父親は粛軍演説の内容を知っているが、じつは戦後十年ぐらいたってから演説の内容が明らかになった、と紹介されている話です。この人が事変処理についての発言で議会を除名されたことじたいは割と有名な話のようですね。(続き

99/11/03

中日新聞の投書欄もときどきテーマを決めた投書を募集することがあります。今週から三週続くテーマは「カタカナ語」。

賛否両論あるなか、やはり年輩のかたは反撥しがちのようです。第一回の今週も、新聞は記事にでてくるカタカナ語の解説を頻繁に載せてほしいとか、世間の風潮に乗ってカタカナ語をこれ以上増やすようなことを新聞はやらないでほしい、といった希望が寄せられておりました。

さて、では実際に最近の新聞にはカタカナ語が増えているのでしょうか。先日紹介した『日本語七変化』(加藤主税、中央公論新社)にはこんな話が書かれています。

ボクの卒論指導生(略)が『カタカナ語は増えているか?――新旧中日新聞を使って――』という卒論をまとめました。どの程度増えているかを探るため、二十三年間の中日新聞のカタカナ語の使用頻度を調査しました。意外なことに、全く増えていませんでした。つまり、二十三年前と同じなのです。(略)
 新聞ではカタカナ語は増えていないことがわかりましたが、日本語全体としては確実に増えていると思います。(略)新聞だけが取り残されているようです。


増えていない理由として、カタカナ語の定着率の低さ、漢字にくらべて文字数が多くなる、読者が保守的、年輩の読者への考慮、などを推測しています。

でも、日本語全体としては戦前にくらべれば圧倒的にカタカナは減ってると思うんですけどね。え、当時ハ今ト違ツテヒラカナノカハリニカタカナヲモチヰル事ガオホカツタセヰ? サウイヘバサウデスネ。

ただ、新聞以外の刊行物や出版物だと、文字数が稼げる、わかる人が少ないから意味をぼかせる、漢字と違って「感じ」で原稿が書ける、などなどのメリットも……。まあ技術用語だといちいち訳語を考えるよりも外来語をそのままカタカナにして使う方が原稿料に見合ったやり方という説も以下略。

それはそれとして、文章の中のカタカナ以上にうっとうしいと感じるのが、縦書きの中のアルファベット表記や新聞系サイトでの記事の中のURLの全角表記。どうにかならないものでしょうか。

99/11/04

今日の朝日新聞に、携帯電話を使った翻訳サービスが紹介されてました。コンピュータを介して、こっちから日本語をしゃべると相手の携帯電話には英語が、相手が英語をしゃべるとこっちの携帯電話には日本語が届く、というものだそうです。

先日発売された『おまかせ!ピース電器店』(能田達規、秋田書店)の第15巻に、かぶると自分のしゃべったのが日本語だと英語が、英語だと日本語が外部スピーカーから流れ、相手が日本語で話しかけると英語が、英語だと日本語が内部スピーカーから聞こえるという英語習得用のヘルメットが登場しましたが、前記のようなニュースをみると、事実は漫画より奇なり、という時代になったような気がしますねえ。

長生きはするもんだ、うん。

ところで、このヘルメットをかぶって「光陰矢の如し」としゃべると外部スピーカーから「Time flies like an arrow.」などと流れ、それを集音マイクが拾って「時間蠅は矢を好む」と内部スピーカーから聞こえたりするのでしょうか。ピース貫太郎にそんな抜かりはないか。

99/11/05

今日の中日新聞夕刊に、「君が代」の二番と三番が存在したことが紹介されていました。硫酸協会のパンフレット『硫酸と工業』(平成九年四月)の「一口メモ」の記事にふたつの話がでていたそうで、愛知県立大学名誉教授の尾崎知光という人が追跡調査をした結果報告です。

ひとつめは明治十四年(一八八一)年十一月出版の『小学唱歌集』初編に載っていたもの。

一、君が代は ちよにやちよに さゞれいしの いはほとなりて
  こけのむすまで うごきなく 常磐かきはに かざりもあらじ
二、君が代は 千尋の底の さゞれいしの 鵜のゐるいそ
  あらはるゝまで かぎりなき みよの栄えを ほぎたてまつる


ふたつめは『硫酸と工業』の記事の筆者が「元校長」から入手したものだそうで、尾崎氏の調査によると明治二十年十一月二十五日版権免許、愛知県士族恒川鐐之助の『普通唱歌集』にぴたりと一致する内容が見つかったとのこと。

一、君が代は ちよにやちよに さゞれいしの
  いはほとなりて こけのむすまで
二、君が代は 千尋の底の さゞれいしの
  鵜のゐるいそと あらはるゝまで
三、君が代は 千代ともさゝじ 天の戸や
  いづる月日の かぎりなければ


いずれも改行位置を変更してあります。ちなみに三番は新古今和歌集の藤原俊成の歌だそうで。

結局、明治二十五年に歌詞も曲も現行のものとなり、明治二十六年の文部省告示で祝日大祭日歌詞並楽譜に「君が代」を「古歌 林広守作曲」と規定され、二番と三番は「幻」となったのだとか。

なんにしてもここ百年ちょっとのことなのですが、まあいろいろあったみたいですね。曲も何種類かあったらしいし。

ただ、けっこうこの「君が代」は歌のテーマとしてはポピュラーだったらしく、故・星新一も著書の中で次のものを紹介しておりました。江戸時代の作だったかな。

君が代は 千代に八千代に 八千鉾の やすらに研いで 針となるまで


「君が代」という楽曲はともかく、「君が代は」で始まる歌は日本人に長く親しまれてきたようです。

そうそう、国歌としての「君が代」を作る作業と平行して、洋楽が盛んに日本に持ち込まれたのも明治のころですね。これに関して、漢字制限や新仮名遣いが軍事目的というなら、この明治時代に洋楽を取り入れたのも、旧来の日本の曲だと行進で歩きにくいからだという説があると某氏に教えていただきました。

いわれてみると、NHKで30年ほど前に放送された「アイウエオ」という少年少女向けドラマで、主人公が明治政府から命じられて洋楽を学ぶためにヨーロッパに留学するという話がありましたっけ。

勇ましい行進曲の一つもと期待していたのに、主人公が持ち帰ったのは「ちょうちょ」。「ちょうちょ、ちょうちょ、菜の葉にとまれ……」というあれです(曲名違ったっけ?)。さあ、明治政府の怒るまいことか。というあたりで、家庭の事情で見ることができなくなって現在に至るも結末を知りません。

主人公の少年時代に家族で蝦夷地に入植して、なにかのおりに主人公がひとり夜半家路の途中で狼の遠吠えにおびえて進めなくなってしまい、雪の中で狼に一晩中『論語』を朗読して聞かせたり、となかなかおもしろいドラマでした。

99/11/06

朝晩冷え込むようになって以来風邪気味で、その影響もあってか肩こりがひどいのでマッサージに。うーん、首や肩が痛まないというのはなんて快適なんだ。ほんと、人生損してるぞ、これは。

とはいっても、三日もすれば旧の木阿弥。


knowinglyの情報により、私もやってみました>語彙数推定テスト

結果「あなたの語彙数は50550語です.」。確かにそんなにたくさん知ってるとは思えませんね、私も。

にしても、ニュースサイトの記事でURLが半角文字というのは画期的かも。今後もこれでお願いします>asahi.com

ほかの新聞系サイトもぜひ追随してほしいもんです。ただ、リンクも、となると記事の電子テキスト化より手間がかかるし、リンクには許可が必要だという不毛な説もはびこってるみたいだし、まだちょっと無理なのかも。(参考:無断でリンクを張ることは著作権侵害になるでしょうか。)。


『思考のレッスン』(丸谷才一、文藝春秋)読了。本の読み方、ものの考え方、文章の書き方などを体験や例を挙げてわかりやすく説いた本。いろいろ魅力的な人物も紹介されてたり文学論が展開されたり、なかなかおもしろい。

考えるということは意識的にせよ無意識にせよ文章の形になることから文章の書き方になぞらえ、文章を書くための準備として、考えるためには本をよく読む、読む前によく考える、本は書いた人間の立場を考慮して読む(たとえば欧米人が「われわれ」と書く場合、往々にして「白人でキリスト教徒の欧米人」を指していることがある、など)、書く前によく考える、ホームグラウンドをもつ、「謎」を育てる、假説は大胆不敵に、などを列挙しています。

そして実際に文章を書くときには、日本語の特質を理解して文末まで行く前に文章の方向がわかるような書き方をする、一つの文は頭の中で作ってから一気に書く、書き出しに挨拶は書くな、書き始めたら前へ向かって着実に進む、中身が足りなかったら水増しせずに考え直す、終わりの挨拶は書かずにパッと終わる、といったふうに文章の書き方を指南します。

ことに、日本語の特質を理解して文末まで行く前に文章の方向がわかるような書き方のあたりは参考になりますね。ふつう日本語は文末までいかないとその文が肯定で終わるのか否定で終わるのかわからない。だけど、適切な接続詞などを文頭につけてやることで、その文章がその後どう展開していくのかがわかりやすくなる。←この文章の先頭の「だけど」がその例です。前の文章を否定する展開になるのが予想しやすくなっているはず。

このあたりの本文を読んでいると、日本語がだめになってきているとしたらその原因は中学・高校の英語の授業も一枚かんでるんじゃないかと思えてきますね。例の英文和訳。あれのおかげでそれまで生徒の中で培ってきた日本語の文法が粉砕されるんじゃなかろーか。

たとえば私が高校生の頃、授業で「My advice is なんたら.」を訳せといわれて「なんたらする事をおすすめします」と答えたら「どこにそんなことが書いてあるっ」と怒鳴られたことがあります。やむなく「私のアドバイスはなんたらです」と訂正して事なきを得ましたが、「そんな日本語、誰が使うんだ」と毒づいたものです(心の片隅で)。

それはさておき、この本で一番感銘を受けたのはこのあたりですね。

(略)おもしろがるというエネルギーがなければ、本は読めないし、読んでも身につかない。無理やり読んだって何の益にもならない。
(略)よく『必読書百選』といった類があって、読んでないとどうも具合が悪い思いをすることがあります。でも、おもしろくないと思ったら、断固として「これは読まなくてもいい」と度胸を決める。
(略)たまに読まないで損することがあっても、その時間、別の本をおもしろがって読んで得られる利益にくらべれば、問題にならないんじゃないでしょうか。


うんうん、そう、そうなんだよな。よーし、これからも自信を持って積むぞ(違う)。

99/11/08

誤算。一回のマッサージが二日持ちませんでした>肩の痛み

おかげで、昨夜は極真世界大会のテレビ放送(当地では午後11時45分から)まで持たずにダウン。

うーん、初の外国支部代表の優勝。まあ、これがほんとの国際化の第一歩という見方もできるのだから、めでたいことではあります。


いつも掲示板にさまざまな話題を提供してくれているROM男さんがご自分のサイトを開設

あっち方面からこっち方面まで硬軟取り混ぜて広範囲の知識をお持ちのこの方がどんな情報を発信してくれるのか、今から楽しみです。

ちなみに、「ROM男」は「ろむおとこ」と発音します。書くときにはお間違えのないように(なにか違う)。

99/11/09

この前なにげなく変換したけど、考えてみれば「蝦夷地」ってのも「後進国」なみにひどい言葉なんですよね。

というわけで、ちょっと追加。あんまり関連はなさそうね


MS-Excel2000を使っていたら、キャピタルロックをオンにした状態で「αT」と変換して確定すると入力内容が「Αt」に化け、同時にキャピタルロックが解除されるという現象に出会いました。オートコレクトでも同じことが起こります。

いろいろ試してみると、Excel97でも、Word2000でも同様。いずれもキャピタルロックを解除した状態で変換・確定すると問題なく入力できます。

はて、してみるとこれは意図的にやってるのかな、と画面をよくよく見ると、「Α」が全角英文字の「A」ではないことに気づきました。

で、今度は「δA」などとやると「Δa」になる。もしやと思ってかな漢字変換をオフにして「aBC」と入力したらみごと「Abc」になりました。なるほどね。

つまり、WordやExcelではキャピタルロックがオンのときには小文字が大文字の前に来ることができないようになっているらしい。で、勝手に先頭の小文字を大文字に、後に続くアルファベットを小文字に変換する、ということのようです。なぜキャピタルロックが解除されるかは謎ですけど。

しかし、だからといって全角のギリシャ文字にまでそれを適用することもないと思うんですけどね。誰か重宝してる人いるのかしら>この機能


『餓狼伝』(夢枕獏原作、板垣恵介作画、講談社)第6巻購入。最初の1回分が今はなき『コミックBIRZ』(スコラ社)掲載で、のこりは『ヤングマガジン Uppers』(講談社)掲載(だと思う)。今回収録分の後は連載で2回分だけ、とあいかわらず余裕のない出版ぶりです。

グレート巽大活躍はいいけど、連載再開以来一度も丹波文七が出てないのが寂しいですね。次巻収録予定分のグレート巽の卑怯さがとってもすてき、とだけは言っておこう。

99/11/10

とある企業のPR誌に「ロボット&ソリューション特集」というのがありました。ちょっと前からたまに耳にするこの「ソリューション」とはいったい何なのでありましょうか。カタカナ語に弱い私にはとんとわからない。

で、PR誌の巻頭には「ロボット&ソリューション特集によせて」という一文がありまして、その英訳が「Preface to Special Issue on Industrial Robots」。どこにも「ソリューション」なんてでてきません。謎は深まるばかりです。

その「ロボット&ソリューション特集によせて」の本文中にも「ソリューション」の解説はなく、続く解説風の文章に次のような部分が見えるだけです。

 ロボットパッケージは,ユーザの抱える課題にいち早くこたえることができるソリューションとして市場に受け入れられた。

 本特集では,当社がロボット単体の性能を向上させることはもとより,ロボットパッケージとしてのソリューション技術にも大きな力を入れてきたことを紹介する。


くだんのPR誌にあたりまえのように使われているわりにCD-ROM版広辞苑第五版を調べてみても「ソリューション」の項目はなく、比較的最近使われだした言葉みたいです。

やむなくカタカナからつづりにあたりをつけて「光の辞典」の英和辞典を調べたら「solution [名]溶解;溶液,溶剤;分解//解決,解答(法);解(式).」というのが見つかりました。どうやらこの場合の「ソリューション」は「解決」とか「解決法」といった意味あいのようです。

適切な訳語がないならともかく、日本語で書いてもなんら問題なさそうなこういった言葉までなぜカタカナ語にしなければならないのか、私にはさっぱり理解できません。どうしてもカタカナ語を使いたいなら、日本語の辞書・辞典類にもでていないようなものには英単語のつづりも併記しておいていただけないものでしょうかね。そうすれば、英和辞典を調べることぐらいはできるのですから。


書店に注文してあった本が入荷したので取りに行ってきました。新聞の書評欄で紹介されていた『書を読んで羊を失う』(鶴ヶ谷真一、白水社)。古今東西の「本」にまつわるあれこれを集めたものです。

本の題名は、羊を牧していた男が本に夢中になるあまり、羊がどこかに行ってしまったことにも気づかなかったという『荘子』駢拇篇にある「讀書亡羊」の故事によるとのこと。これだけでも読んでみたいという気になってしまいます。

最初にでてくるのが、古い本をひもといていて紙と紙のあいだに枯れ葉が挟んであるのを見つけた話。そのときにはなにか気になって枯れ葉を捨ててしまったものの、あとで永井荷風の随筆『冬の蠅』に紙魚を防ぐためと書いてあるのを見つけ、

ひとたび分かってみれば、そんな自明とも思われることになぜ気づかなかったのか、我ながら不思議なほどだった。まことに、ものを知らない人間には知る喜びがある。(略)


いいですねえ。とても楽しめそうな本のようです。(続き


ついでに11月24日発売予定の『踏み倒しの手口』(夏原武、データハウス)を注文してきました。

99/11/11

『書を読んで羊を失う』(鶴ヶ谷真一、白水社)40ページまで。うーん、おもしろすぎる。

たとえば「ページのめくり方、東西」。とある絵画からフランス人が本のページをめくるときに天のほう(ページの上辺)を持つことに気づいた著者、フランスに出かける人に現地でのページのめくりかたを観察してくれるように頼み、さて日本人のほうは自分の習慣から地(ページの下辺)または地に近い小口(本の綴じ目の反対側)を持つと考え、傍証に古書についた手垢を調べたりします。

『文選正文』という、奥付に天明四年(一七八四年)の日付が入った和刻本だが、そのページの地のいくらか小口よりのところに、うっすらと手垢のついているのが認められる。それは巻を追うにしたがって薄れていき、全十三冊の六冊目あたりでほとんど消えてしまうのが、何だかおかしい。


このあと、なぜ洋の東西でこのようなページのめくり方の違いが生じたかが推理されていくのですが、その前に古今を問わぬ積ん読の実在が明らかにされたほうが衝撃的かも。なにしろ江戸時代には、家が火事になったら現金よりも先に本を安全なところに運んだといわれているほど高価で貴重なものだったのですから。

「すれ違い」。『奥の細道』にみえる芭蕉とついにまみえることのなかった弟子・一笑のすれ違い、フランツ・フォン・シーボルトとアルフォンス・ドーデの『盲目の皇帝』という日本の十六世紀の美しい悲劇の話を巡るすれ違い、『後漢書』の「苑式傳」にしるされた苑式の、死友・張劭の葬儀を巡るすれ違いを紹介しています。

いずれも悔いの残るすれ違いで、とくに苑式の話は泣けました。シーボルトのほうも、これぞ事実は小説より奇なり、というやつで、思わず「運命のいたずら」なんて言葉が浮かびます。(続き


『グラップラー刃牙・外伝』(板垣恵介)、『スーパーロボット大戦コンプリートボックスコミック』(石川賢ほか、双葉社)、『格闘士ローマの星』(梶原一騎原作、ふくしま政美作画、B・S・P)全3巻。

ああ、金が。

99/11/12

『ウルトラマンタロウ』(石川賢、双葉社)、『空手バカ一代』(梶原一騎原作、影丸譲也作画、講談社漫画文庫)第8巻・第9巻。

うう、金が。

『ウルトラマンタロウ』は、「ゲッターロボ」の前に『週刊少年サンデー』に連載していたもので、首は飛ぶは、血まみれの手足や内臓は散らばるは、それまでのウルトラマンコミックのイメージからかけ離れた怪奇バイオレンスまるだしの異色作。まあダイナミックプロ作品にしてもっともな内容ではありますけど。

個人的に「デビルマン」(永井豪)以前と以降では大手商業誌の漫画はあきらかに変わったと考えているのですが、それにしてもよく円谷プロが連載を打ち切らせなかったものだと思いながら毎週楽しみに読んでおりました。

ちなみに話のおさまりがいいから収録は「鬼がくる」「小さな独裁者」の順になっていますが、連載中は「小さな独裁者」の最終話と「鬼がくる」の第1話が一緒に掲載されていました。

『空手バカ一代』はこれからとりかかります。


今日の朝日新聞の投書に、次のような文章が。

オーストラリアで共和制への移行を問う国民投票が行われた。結果は「立憲君主制維持」となったが、国民の七割は共和制支持という。


はて、これはいったいどういうことでしょうか。オーストラリアでは自分が支持しない体制に投票するということなのかしら。

投書はこのあと、日本でも天皇制について国民投票したらどうかと続きます。投書した人は「現状維持」という結果になるだろうと書いていますが、それはつまり、オーストラリアと同じで日本でも天皇制廃止支持が七割だろうということなのでしょうか。

七割が共和制支持という数字の根拠は存じませんが、支持と投票結果が違うのでは国民投票とか住民投票なんぞやるだけ無駄じゃないのかなあ。うーん、まったくわかりません、この投書。続き

などと思っていたら、asahi.comこんな記事が。

「マイクロソフトへの好意感、最高の67% 米世論調査」
(略)
 全回答者の6割を占めるパソコンの日常的利用者では、78%が「好意的」と答えた。


うーん、世間で声の大きいのはアンチマイクロソフトだけど、一般の人はそう嫌ってはいないということでしょうか。なんかジャイアンツ叩きの記事みたいな話かも。それとも、さっきの投書とあわせて考えると、アメリカ人やオーストラリア人は考えていることと主張することが逆だったりして。続き


トップページに「最近よかった上位5冊」を載せましたが、最初なので「+α」も追加。そのうち紹介の古い順に消していく予定。

99/11/13

きのうの分で書いたオーストラリアの国民投票の件ですが、あれは共和制がいいか立憲君主制がいいかだけを投票するのではなく、それぞれに対して元首の直接投票・間接投票とかいったほかの要素を絡めたものだったそうで、単純な二者択一ではなかったそうです(情報ありがとうございました)。

いってみればワープロで一太郎を選ぶと表計算がLOTUS1-2-3に、表計算はExcelでないと、というとワープロがWordにされてしまうプリインストールパソコンみたいなもので、この条件で一太郎とWord、あるいはLOTUS1-2-3とExcel、どっちが人気があるか比較するのは無理がある、てなかんじだったのでしょう。

そういうことなら確かに「共和制への移行を問う国民投票」の結果が「立憲君主制維持」だけど「国民の七割は共和制支持」でも不思議じゃありませんけど、それならそれで書き方をもう少しくふうしてほしかった(と、自分の不勉強は棚に上げる)。

99/11/14

ちょっと前の朝日新聞に『地中の廃墟から』(河村直哉、作品社)の書評として以下のような文章。

(大阪城公園の配水管埋設工事で地中からおびただしい数の黒ずんだレンガが出てきて)通りかかった著者はそのレンガが戦前にそこにあった大阪砲兵工廠の残骸だと気付いた。(略)敗戦の前日八月十四日に空襲にあい壊滅する。しかも戦後すぐには跡地に埋もれた金属類を求め、「アパッチ族」が出没。開高健『日本三文オペラ』などの小説で「アパッチ族」は知られている。


なるほど、小松左京の小説『日本アパッチ族』に出てきた鉄を食う「アパッチ族」はこれがモデルだったんですね(小説の中にも書いてあったかもしれないけど、話の内容をすっかり忘れていたりする)。

今読んでいる『書を読んで羊を失う』(鶴ヶ谷真一、白水社)に「二十歳のころ、名立たる鴎外の史伝を読もうと思い、『澀江抽齋』を開いたが、正直なところ、どうしてこんなものが面白いのだろうかと考えた。ところが三十代になってから、こんなに面白いものはまたとあるまいと思うようになった。」なんて一節があるのですが、高校生のころに勢いだけで読んでた本を今読むとまたいろいろおもしろいかもしれません。

問題は気力と時間と……大量に積まれてる本だなあ。

あ、江戸時代の積ん読の件ですが、なにやら「買うときにはうきうきして買ったのに、結局積ん読になってしまい、本に魂があったらさぞ嘆いていることだろう」などという意味の漢文が江戸時代に作られてるそうです(情報ありがとうございました)。

99/11/15

これもちょっと前の朝日新聞の今度は投書欄。

「遊びをせんとや生まれけん」とは梁塵秘抄の名句。戦前の子供たちが遊びとともに歌い継いできたわらべ歌は、戦後を境に姿を消した。


「戦後」とはまた長い「境」ですが、それはおいといて。

この場合、梁塵秘抄のこの文句は子供たちが「遊びをせんとや生まれけん」といっているように読めるのですけど、それはちょっと違うかも。実は原文はこう続いてるそうです。

遊びをせんとや生まれけむ たはぶれせんとや生まれけむ
遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さへこそゆるがるれ


確かに「遊び戯れるために生まれてきたように遊んでいる子供」の声を聞いているうちに自分自身も動き出したくなる、というやや苦しい解釈もできますけど、どっちかというと、遊ぶ子供の声を聞いているうちに自分自身も動き出したくなってしまうのは、我が身が遊び戯れるために生まれてきたということだろうか、みたいな解釈の方が自然のような。

あと、以前読んだ本にはさらにうがって、遊女に身を落とした女が子供たちの遊ぶ声を聞いているうちに無垢なあのころに帰りたいと心が動いたのを表現した、などという説もありました。

投書のは最初の一句または二句だけが流布したために出てきた解釈のような気がします。


なんか最近ゆっくり本を読んでないような気がするのは、ここの更新に時間をとられてるせいかも。時間かけてるわりに中身は薄いけど。

99/11/16

うーん、ゆっくり本を読んでいないとぼやいたとたん、電子制御装置の取扱説明書を明日までに読んで完全に理解しておくようにいいつかってしまいました。物言えば唇寒し……って、東海地方はきょう木枯らし一号が吹いたそうで。寒いはずです。


本日の収穫。『魔法使い・山本夏彦の知恵』(小池亮一、東洋経済)。山本夏彦中毒患者を自認する人が書いた山本夏彦礼賛の書らしい。

99/11/17

書店の漫画単行本の棚を眺めていたら、帯の背表紙部分に「問題作、再復活!」の文字。

一度絶版になったあと復刻版か新装版がでてそれも絶版になり、さらにもう一度出版しなおしたのかと思って表紙をみると、「どど〜んとどでかくなって再登場」と書いてあります。

「登場」と「復活」が同じ使われ方というのはちょっと新鮮でした。


NXがコけている某氏と直電。かぜをお召しとのことでした。鈴鹿颪の木枯らし一号はきくんだろうなあ。

再復活をお待ちしてます。


Yomiuri-Onlineの訃報欄より。

 ジョン・ポール・スタップ氏(米航空医学者、元空軍大佐)16日付米ニューヨーク・タイムズ紙によると、13日、ニューメキシコ州アラモゴードの自宅で死去。89歳。1944年、米空軍に入隊。54年に、人間の耐久力の限界を試す実験用のロケットそりに乗り込み、時速約1017キロの最高速度を記録。当時、「地上最速の男」と騒がれた。
 助手のエドワード・マーフィー大尉のミスで、49年に行った耐久実験が失敗に終わり、自身も負傷したエピソードが有名。大尉が「何かをする方法が二つ以上あり、そのいずれかが大失敗に終わるものだとすると、人はそれを選んでしまう」と嘆いたことから、「マーフィーの法則」が生まれた。(ニューヨーク支局)


いかなる可能性があろうと、いかなる法則があろうと、人の死ばかりは逃れるすべなし、という法則をでっちあげようと思ったら、すでに似たようなのがありました。

これほどに 偽り多き世の中に 死ぬるばかりは 偽りでなし


合掌。

99/11/18

『書を読んで羊を失う』(鶴ヶ谷真一、白水社)読了。本を読む喜び・楽しみを再認識させてくれた本です。堪能しました。。

一つの本を読んで気に入ったり何かを感じたとき、以前読んだ別の本に関連した話があったのを思い出してつなげてみたり、全然関連のない人同士がけっきょく同じことをやっているのを列挙したり、一種推理や謎解きのようなおもしろさも持ち合わせています。

そうかと思えば、単にある本の紹介をしている、ただそれだけがこの上もなく楽しかったり。たとえば、蔵書印を集めた本の話。

蔵書印のはしに子孫に伝えよと大きく書いてあったり、金に困ったら売るのもやむなしとか、自分が死んだら同好の士に譲れとか、昔の読書家が蔵書に対してどんな思いを抱いているのかがにじみ出ているのですが、集めてある蔵書印がじつは切り貼りではなくて自分で書き写して彫らせたもの、という凝りよう。

それも、最初の本で頼んだ職人がつごうがつかなくなったので東京の別の職人に彫らせてみたが満足がいかず、けっきょく伊勢の職人を見つけて彫らせていたので続巻が遅れた、なんて話がごろんと転がしてあるんですね。

また、昔の人のこういう言葉も紹介してあります。

「人生の楽は、戸を閉じて書を読むに過ぐるはし。一僻書を得、一奇字を識り、一異事に遇ひ、一佳句を見れば、覚えず踴躍す。絲竹[管弦]前に満ち、綺羅目に満つといへども、その快たとふるに足らざる也」


こういう言葉を見つけることじたい、著者がいかに読書好きかということがじゅうぶん伝わってくるのですが、さらに自身こんな言葉も。

 何か満たされぬ思いをいだいて、次から次へと本を読みあさるようなとき、自分の本当に求めているのは、未だ出会うことができずにいる、ある一冊の本なのではないかと思うことがある。


たぶん年齢的というか精神的な働きが大きいのでしょうけど、ドラマよりもニュースを好むようになるというのは老化現象の一つという説があるそうです。読書に関しても同じような傾向があるのか、最近はドラマよりもニュースやドキュメンタリーを、物語性の強い読み物よりも知識や情報、それもひとひねりきいたものが好みになってきています。

この本はまさにそんなお年頃にうってつけ。読書が好きなかた、好きになってみたいかたはぜひお試しを。


マーフィの法則といえば、数年前にこの法則がブームになったころのアスキーの本に派生法則として「不幸は単独ではやってこない」というのがあって思わずうなずいてしまったのですが、昨日マーフィの法則の話をしたとたん、それが現実となってしまいました。やれやれ。

99/11/19

え、Y2Kって西暦2048年問題のことじゃなかったんですか? しまった。


仕事中蚊に食われました。

江戸時代の川柳に「本所ほんじょうに 蚊がなくなれば 大晦日」なんてのがあるそうで、おそらくは田舎ぶりをからかったものではないかと思うのですが、当地も負けず劣らず以下略。


「新JIS漢字」案が日本工業標準調査会情報部会によって承認され、日本工業規格として制定される運びとなったそうです。制定は来年1月20日の予定。

さて、混乱は収束するのか、あるいはさらなる混乱を呼ぶのか。

99/11/22

『冒険王』(秋田書店)に連載していた石川賢の「変身忍者嵐」が大都社から『変身忍者嵐<外伝>』(全2巻)として復活。本家・石ノ森章太郎版も『変身忍者嵐』(全2巻)『新・変身忍者嵐』(全1巻)とそろって同社から。

石川版嵐は、少年向け雑誌に連載されていたとは思えないほどのすさまじさで、とにかく主人公・ハヤテが登場するたびに血車党の下忍の首や手足が飛び、血しぶきをまき散らす。まさに石川賢の面目躍如。

これで辻真先が桂まさき(字を忘れた)名義で原作を書いた『勝海舟』がでれば、過去の石川賢作品でもう一度読んでみたかったのがそろいます。どこかお願い。


にしても、気になるのがさきごろデビューした「嵐」というグループ。プロデュースしている人間が「変身忍者嵐」を意識しているのか、テレビに出演するときも「嵐、登場」なんかではなくて変身忍者嵐が登場するときの決めぜりふの「嵐、見参」。

当人たちはおそらく知らないだろうけど、聞く人によってはあの面と赤い裃みたいな衣装を思い出してしまうのでは。

99/11/24

しのびあう恋を……てなわけで、夜霧です。場所によっては視界数メートル。景色としてはロマンチックですが、運転してる身には危ないったらありゃしない。

さっきも初めて当地を訪れたのか、他府県ナンバーの車がどっちへいっていいかわからずに同じところをうろうろとさまよってました。これがほんとの霧霧舞い(寒い……)。


『踏み倒しの手口』夏原武、データハウス)の発売日だということで注文してあった書店に行ってみたら、「本日は入荷しませんでした」。なんのための予約なんだよ〜。

11月に蚊のでるような田舎のせいなのか、なんらかの事情で出荷が延期されたのか、はたまた売れ行きを懸念して初版の部数を以下略。

いずれにしても待ち遠しいことであります。

99/11/25

きょうも書店からの入荷連絡なし>『踏み倒しの手口』(夏原武、データハウス)

どうなってるんざましょ?


今週の「お言葉ですが…」(高島俊男、『週刊文春』連載)で先日ここでも取り上げた『書を読んで羊を失う』(鶴ヶ谷真一、白水社)が、歴史的仮名遣いにちょっと物言いはついているものの「博覧畏敬」と評価されておりました。

「ず」と「づ」に関する話題のついでとはいえ、自分の気に入った本をほかでもない高島先生がほめてくれているだけですごく幸せな気分になれるんだから、手軽な人生送ってますね>自分

99/11/26

書店から待望の入荷連絡>『踏み倒しの手口』(夏原武、データハウス)

でも、今日は宴会があったので取りにいけないのでした。残念。

ちなみにトップページの「『踏み倒しの手口』好評発売中」のあとに昨日つけていた「(じゃないかな)」は、今日連絡が入らなかったら「(まちょと覚悟はしておけ)」になる予定だったのですが、出荷が翌週回しになるほどの田舎じゃなかったので取りやめ。

ここだけの話、「関白失脚」はちょっと好きでした。

99/11/28

一周忌法要終了。ふう、一段落。

帰りに某「三重のおとうちゃん」と松阪肉の焼き肉屋へ。風邪で動けないはずの「おくさま」が「松阪肉」のひとことで復活してしまったのはむろん話をおもしろくするための創作です。


パーソナルメディアのB-TRONベースのOS「超漢字」がパソコンショップに置いてあるのをたまたま見つけて衝動買い。B-right/V R2上で約13万字の文字を扱えるようにしたもので、諸橋大漢和の収録漢字や亀甲文字、梵字、アラビア文字からキリル文字まで使えるそうな。

ちょっと立て込んでいるのでインストールがいつになるかわからないのが悩みの種。

99/11/29

IME きだたろー きだたろう おのよーこ じょんれのん りんごすたー
ATOK12 気だ多ロー 気だ太郎 小野よーこ ジョンれのん リンゴスター
ATOK13 木田他ロー 木田太郎 小野よーこ ジョンれのん リンゴスター
IME95 4.0 木田他ロー 木田太郎 尾のよー子 ジョンれノン りんごスター
MS-IME2000 木田タロー 木田太郎 斧よ-子 ジョンレノン りんごスター
NECAIIME95 2.0 木田たろー 木田太郎 斧よーこ ジョンれのん リンゴスター
松茸 Ver.4.1 木田他ロー 木田太郎 尾の世ーこ 時ょんれのん 林檎スター
WXG4.0 キダ・タロー 木田太郎 オノ・ヨーコ ジョン・レノン リンゴスター


ややかたよりがあるみたいですね。あっちの方はもう少しお待ちを(年内は苦しいかも)。


阪神がカツノリを金銭トレードで獲得だそうで。以下、asahi.comの記事より。

 カツノリ選手の話 (略)お袋には「(周りを)気にせず、野球だけ頑張れ」と言われました。


うーん、らしいというか。まああの人から「世間様のいうことにも耳を傾けろ」といわれてもちょっとね。


ようやく身柄を引き取りにいったら、5冊ばかり平積みになってました>『踏み倒しの手口』(夏原武、データハウス)

『日本語と私』(大野晋、朝日新聞社)がおもしろいところにきてるけどひとまず中断。

99/11/30

ヒロ・マツダ氏(本名小島泰弘=こじま・やすひろ)が27日午前1時(日本時間同日午後)、米フロリダ州タンパの自宅で肝臓がんのため死亡(62歳)。

一峰大二の『プロレス悪役物語』(秋田書店)でその名を知ったり、新日本プロレスで狼軍団の首領として猪木とクリーンファイトを展開していたのを見たりしたていどですが、好きなプロレスラーでした。

梶原一騎は、タンパの道場でプロレス界入りしたばかりのハルク・ホーガンの腕をヒロ・マツダが脱臼させた逸話が気に入ったのか、原作漫画の中で2回ほど紹介しておりました。それだけ実力派として名が通っていたということでしょうか。

ご冥福をお祈りします。


うーん、記事の中のURLが半角になったと先日喜んで紹介したばかりなのに、「今日の朝刊」コーナーでは全角のままなのね>asahi.com


ウェブサイトの掲示板で中傷書き込みを行ったとして逮捕された男の大学でのゼミが「ハイテク犯罪論」ってのは、ちょっとしゃれがきつすぎるような。


『踏み倒しの手口』(夏原武、データハウス)をようやく序章だけ読みました。役に立つ情報が多すぎ。あと2年早く読んでいたらなあ(繰り言)。

これは現代人必読の書という予感がひしひしと。


とっととインストールしたいのはやまやまなれど、諸般の事情で年を越してしまいそうです(鬼が笑う)>「超漢字」

あ、ショートカット情報ありがとうございますです。

しかし、「じょんれのん」→「ジョン・レノン」、「ぽーるまっかーとにー」→「ポール・マッカートニー」、「じょーじはりすん」→「ジョージ・ハリスン」と来てなぜ「りんごすたー」→「リンゴ/スター」?>WXG4


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庵主:matsumu@mars.dti.ne.jp
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