Braking for Automatic Car

踏み間違い経験者が語るAT車のブレーキ

Dec.2011(追記/Jan.2012/May 2016)

おぱく堂主人・白龍亭主


●踏み間違えて分かったこと

 ペダルの踏み間違い経験がある、などと言うと「トロい奴」と思われるかもしれない。
 確かに物凄く機敏というわけではない。しかし、若い頃は、そこそこ程度は飛ばし屋でもあったし、自動二輪に乗っていたこともあり、危険に対してはかなり敏感であるとも思う。無防備な自動二輪では、危険に鈍感だったら無事にはすまないのだから。
 正直に言って、こんな自分が、まさか踏み間違いをするなんて思ってもみなかった。それ以前は「踏み間違いをするような奴は運転の資格なし」とすら思っていたぐらいなのだ。
 だが、30代早々に、やってしまったのである。20年以上前の昔話だが…。
 といっても、運良く事故にはつながらなかった。ただ、その時の恐怖は忘れられない。

 問題なのは、どうして踏み間違えたのか分からない、ということだ。
 自分がミスをした場所は、段差のある駐車場の出口で、すぐに信号のない見通しの悪い交叉点がありつつ、車に注意を払わずに話し込みながら向かって来る歩行者が数人、という状況。段差の衝撃を和らげつつ、交叉点の多方向に注意を払いつつ、歩行者の動向も気にして……と、注意力が散漫になった結果なのは確かだ。
 だが、直接的に踏み間違えた原因は分析できない。
 つまり「何に気を付けたら、二度と踏み間違えないですむのか」が分からないということでもある。当初、そのことで悩んだ。だが、あれこれと思考を巡らせた結果、断定できることはひとつしかなかった。
 すなわち「絶対に踏み間違えないようにする方法はない」ということだ。
 人間はミスをする動物である。であるからして、ミスをしないことを前提とした対策は絶対にうまくいかない。ミスを前提に組込んだ上で対策を立てなければ、有効な手段は見つからない。つまり、踏み間違えることを前提として対策を考えなければ、安全は確保できない、ということである。
 ──そして、ひとつの答を見つけた。


●右足? 左足?

 AT車のペダル踏み間違いによる事故は絶えない。しかも、悲惨な事故に結びつくことが多い。
 それもあり「AT車のブレーキを、右足か、左足か、どちらの足で踏むべきか」という議論も熱を帯びている。ただ、踏み間違えた経験のない人の議論には間違いがひとつある。それは「踏み間違いをしないための正しい方法」が存在するという幻想である。右足だろうが、左足だろうが、どちらでブレーキを操作するにしても、踏み間違いは必ず起きる。それが現実であり、幻想を前提とした議論は不毛である。
 そして「必ず起きるのだ」という前提で考えると、答は明白だ。

安全なブレーキについての考察と結論

 上図で全てを語ってしまっているので、以後の文章は不要かもしれないが──。

 踏み間違いを防ぐ議論ではなく、踏み間違えた時を考えると、右足だけでアクセルとブレーキを操作する一般的な方法が最も危険であることが分かる。実際、自分がやらかしてしまった時、右足だけですべてを操作し、左足は遊んでいた。もし左足がちょっとでもブレーキペダルにかかっていれば、それを踏み付けることで、恐怖は半分ですんだであろう。

 右足操作派の人々は、踏み間違いに気づいた時に、パッと足をブレーキペダルに移せると思っているようだが、それは違う。パニック状態になったら、正しいペダルに足を乗せ換えることなど出来はしないのだ。パニック時でも何とかするためには、その瞬間にブレーキペダルにかかっている足は絶対に必要なのだ。足の移動は難しくても、ただ踏むだけの行為は、パニック時でもかろうじて可能だからだ。その時、右足は間違えてアクセルを踏んでいるのだから、必然的にその役割を担うべきは、左足しかない。
 じゃあ、右足アクセル+左足ブレーキという完全分業方式でいいのか?
 それにも問題はあろう。右足派の人が懸念する「左足ブレーキでは、右足を乗せ換える習慣がなくなり危険」というのも否定できないからだ。最初から完全分業方式で覚えたのならば問題はないが、教習所が教えているのは右足ブレーキである。その身体的記憶を引きずったまま踏み換え習慣だけがなくなった場合に、ブレーキを踏むべき時に右足がアクセルを踏んでしまうリスクはないとは言えない。
 ──となると、論理的に考えて、右足でもブレーキを踏むしかない。
 それはつまり「両足(右足+左足)でブレーキを踏む」ことが、最もリスクが少なく、また安全だということになる。
* AT限定免許などは、理想を言えば「完全分業方式」で覚えさせ、右足ブレーキを覚えさせるべきではないだろう。ブレーキ時に右足を動かす習慣が最初からなければ、踏み間違いという問題もまた発生しようがないのだ。だが、現実はそうではない。右足でブレーキを踏む感覚を得てしまった以上、右足が踏み間違う可能性をゼロにはできないのだ。MT操作との共存が、この問題をややこしくしてしまっている。


●デメリットは?

 左足でもペダル操作することに対して、様々なデメリットが言われている。

 まずは「左足では微妙な操作ができない」という件。
 結論から言えば、最初はそのとおり。だけど、すぐ……かどうかは器用さにも左右されるだろうが、慣れれば、左足でも微妙な操作はできるようになる。
 元々、自動車の運転は後天的に学ぶものであり、左右の足の操作は慣れの問題でしかない。
 自動二輪などは、左足でギア操作をする。レーシングマシンなどではギア操作が一般車の逆方向だったりもするが、それを使い分けることも可能であり、左足が右足より不器用だと考えるのは間違いだ。
 それに、ここで推奨しているのは「左足ブレーキ」ではなく「両足ブレーキ」である。左足が不慣れな期間であっても、慣れている右足もブレーキに使うのだから、何も問題はない。

 もうひとつ言われるのは「左足をペダルにのせてしまうと、踏ん張りが効かない」という件。
 自分の経験からすると、タイヤが軽く鳴るか鳴らないか程度の横Gでのコーナリング(=いわゆる「流す」レベル)では、左足を踏ん張れれば楽かもという程度で、それがなければ運転操作に支障がでると感じる場面はなかった。つまり必須ではない。
 ベンチシートは知らないし、大型車もどうなのかは分からない。ただ、セミバケット風の通常の小型車のシートに正しく着座している限り、そんなものが必要となるのは、相当にハードな走り(=いわゆる「攻める」レベル)だろう。無論、踏ん張るための「フットレスト」なる部品が存在している以上、スポーツ走行レベルでは必須だろうことは理解できるし否定する気もない。だが、である。そもそも、そこまでの走りをする人が AT車に乗るのか?
 MT車では「右足だけでアクセルとブレーキを操作する」というのは常識である。
 クラッチを正しく操作しなければ発進できない MT車では、そもそもペダルの踏み間違いによる事故、なんてものが発生するリスクは極めて低い。クラッチペダルがある以上、MT車では「両足ブレーキ」なんて不可能だし、リスクが低い以上、必要もない。
 だが、そのやり方を、そのまま AT車に適用していいのか?
 はっきり言えば、クラッチ操作抜きで発進できてしまう AT車は、MT車より遥かに危険な代物である。元来「ブレーキを離しただけで動き出す」なんて、フェイルセーフを基本とする機械のルールに鑑みれば「あってはならない」話だ。しかし、世界中に普及してしまい、もはやどうにもならないのが現実である。
「コーナリング時の踏ん張り」と「確実に止まれるブレーキ対策」という二つの問題の優先順位。AT車のような危険なもので、どちらを優先させるべきか。自明のことだろう。暴発的発進を考慮しなくていい MT車とは違うのである。MT車と同じ考えで AT車を語るべきではないのだ。
* AT車というのは「面倒なクラッチ操作」から解放された、という意味では「進化」した存在といえる。だが、そのクラッチが、面倒であるがゆえに、一種の「安全弁」として機能していた、ということだ。自動車に限った話ではないが「進化」はいいことばかりではない。
* それ以前に……ブレーキのために両足を使うことで踏ん張れなくなるような過激な走りが、そもそも公道レベルで許されるのか、という問題もあるが。

 デメリットがあるとすれば──。
 自分の体験の話。左足でのブレーキ操作が自在にできるようになるだけでなく「仮に左側にアクセルがあっても操作できる」と確信できるレベルまで左足の熟練度を高めた。その頃に、MT車を借りて運転した。結果「停止時にエンストしてしまう」のである。そりゃ、両足をブレーキに置いたまま、クラッチを踏まずに停車すれば、エンストするのは当然。
「おっと、いけねぇ」
 そんな感じである。格好は悪いが、停止時のエンスト自体は危険ではないし、ATの安全習慣と引き換えと思えば仕方ない。恥ずかしくもあるが、思わず笑ってしまった。
 これを笑いで済ませられない人には辛いかもね。
* ブレーキペダルの小さな MT車でも、右足メインとしつつ、左足もついついブレーキペダルに引っ掛かる位置に移動してしまうのだ。身体が AT仕様になってしまっている。
* この時に借りた MT車とは、ユーノス・ロードスター。オープンカーで顔をさらしている上に、スポーツカーなのにエンスト、という、かなり恥ずかしい体験だ。これを思えば、顔の見えにくいクローズドな車で恥をさらすなど、大したことじゃあるまいよ。
* ちなみに、ギアチェンジ時にクラッチ操作を忘れる、ということは一切なかった。ブレーキ操作は ATにも MTにも存在するから、脳内でバッティングしてしまうのだろうが、ギアチェンジは MTにしかないから脳も混乱しないのだろう。個人的には、渋滞さえなければ、ギアチェンジのある MT車の方が楽しいと思う。ただ、渋滞がね…。


●意外な効用

 両足ブレーキを始めた当初は気付かなかったが、後に重要なことを発見した──。

 右利きの人が、左手で文字を書くとどうなるか?
 正しい字を書くより、左右が入れ替わった逆文字を書く方が楽なはずである。いわゆる「鏡文字」だ。

 左右対称に動く。人間の手足には、この性質がある。
 これが、両足ブレーキの時に意外な効用をもたらすのである。
 ブレーキ時、左足をブレーキペダルに移すため、右に移動する。身体の中心線に向かうベクトル移動である。これに右足も反応して、左に移動する。つまり、ブレーキ方向へ自然に移動してしまうため「間違えてアクセルを踏む」あるいは「踏み込みそうになる」ということが一切なくなったのである。もちろん「一切」というのは。あくまで自分の場合であって、実際にはリスクをゼロにはできないだろう。だが、格段に減るとは言える。
 そもそも、左右連動する身体である。「右足だけ」とか「左足だけ」という操作そのものが、不自然なのだ。自然な動きに近いほど、ミスは少なくなる。両足ともブレーキペダルに移動させる動きは、左右対称。極めて自然で、ミスが減るのは、考えてみれば当然の話である。


●2つの結論

 30代の自分もやってしまった失敗。脳の処理能力が衰える老人ならば、さらにペダル踏み間違いの可能性は増える。自分も 50代になって、いろいろな感覚が衰えた実感がある。この先、60代、70代と進めば、さらに衰えるだろう。
 つまり、何の対策もしなければ、この手の事故は永遠になくならない、ということだ。
 もちろん老人のリスクが高いというだけで、若い人のリスクがゼロなわけもない。しつこく言うが「人間は失敗する動物」なのだから。
* 後に知ったのだが、踏み間違い事故では 20代もかなり多いらしい。おそらく、若者は、基本能力が高い反面、熟練度が低いのではなかろうか。自分自身を振り返っても、不注意による失敗というのは、若い頃の方が多かったように思う。ただ、高齢者は、不注意とは別の次元で失敗するから、若者と高齢者の事故率が近いからといって、発生要因が同じとは限らない。ゆえに、踏み間違い問題の対策を考える際に、年齢は関係ないと言い切っていいのかは、微妙なところだ。
 自分の結論としては、2つしかない。
 まずは「ATに乗るなら、両足ブレーキ」、あるいは「右足だけでブレーキ操作するなら、MTに乗る」である。老人は特に、ボケ防止の意味を含めて「MT 義務化」でもいいと思う。それほどまでに、AT車というものは危険なのだ、という認識がまずは重要であり、必須である。
* クリープしない MT車が、上り坂の赤信号停止時にバックしてきて、ぶつけられそうになったこともある。そういう事例まで考えると、老人の MT義務化、というのも危険かもしれないなぁ、とも思う。だが「アクセル吹かして猛突進」というのと比較すれば、危険度の違いは一目瞭然。やはり、AT車の方がはるかに恐ろしい。


●左右の力配分は?(Jan.2012 追記)

 ──書き忘れたので追記。
 両足でペダルを踏む、となると、左足と右足の力の配分はどうすべきか?
 右足だけのブレーキから両足ブレーキに切り替えた直後は「左1:9右」といった比率での踏み方しかできないはずだ。だが、そのままでいいのだろうか。目指すべき理想の力配分はどんな比率なのか。
 自分の結論としては「力配分は、それほど気にしなくていい」だ。
 両足ブレーキの目的は「右足が踏み間違えた時に、左足でブレーキ力を確保する」ことにある。踏み間違いによる暴発加速をしてしまった時、どれだけ早く減速停止に持ち込むかが安全のための鍵だ。わずかな差が人命を左右することもあるから、暴走するか否かだけではなく、暴走しても最小限の距離で止めることを考えねばならない。そのための左足だ。……つまり、最も重要なことは「左足もブレーキペダルにかかっていること」であり、そのためには「無意識のうちに両足ともブレーキペダル上に移動する習慣を身につけること」が、まずは必須だ。左右の配分比率云々などは、その後の話である。
 ただ、緊急時に左足に活躍してもらうために、左足でも「踏む」習慣を身につける必要はある。だから、左足をペダル上に置くだけ=「左0:10右」はダメである。最低でも「左1:9右」ぐらいは必須だ。理想を言えば、左足比率をもう少し上げたいところではあるが、足下の比率を意識しすぎて前方不注意になったのでは元も子もない。
 もっと理想を言えば、左足の熟練度を高めるため、左足だけで急ブレーキを踏む練習ぐらいはしておいた方がいい。ただ、そういう練習を安全にやれる場所や状況も限られるだろうから、無理してやれとは言えないし、そこまで「完璧」を求めたら何もできなくなってしまう。100%は無理でも、50%よりは60%、60%よりは70%。できる範囲で、より高い安全性を求めるしかない。
 ちなみに、自分はあれこれ比率を試しつつ熟練度を高めていったが「左1:9右」から「左9:1右」まで自在に出来るようにはなった。ただ、意外と難しいのが「両足均等」で、やはり、どちらかの足を「主」にして、反対側を「従」にした方が楽だ。とはいえ、これは自分の場合であって、均等が一番やりやすいという人もいるかもしれない。
 そんな自分が最終的に多用するに至った比率は「左3:7右」ぐらいだ。
 免許証初心者時代は MTばかりに乗っていたし、踏み間違いを起こすまでは右足だけで操作してきたからか、右足を「主」とした方がしっくり来る。ただ、こういう感覚は人によって全然違うから、左足を「主」にした方が合っている人もいるだろう。要は、やりやすい左右比率で踏めばいいのだ。
* なお、左足の熟練度を落とさないために、あえて「左9:1右」に切り替えることもある。


●このままでは事故は減らない(May 2016 追記)

 踏み間違い問題に関して、ネット上で検索すると驚く。
 非常に多くの人々が「自分は踏み間違いなどしない」と思っているのだ。
* まぁ、踏み間違いを起こすまで、自分もそうだったから偉そうなことは言えないのだが…。
 彼らの根拠は「自分はちゃんと運転しているから」ということのようだが、それが一番、危険だ。
 自分も含めて、踏み間違えた時、ほとんどの人がパニックを起こす。なぜか? それは「ありえない」ことが起きたからだ。脳は「ありえる」と思っていることが突発的に発生しても、かなり短時間で対処できる。対処できずにフリーズするのは、「ありえない」からだ。だから、「自分は大丈夫」と思っている人ほど、いざという時に対処が遅れることになる。
* ちゃんと運転していない人よりは、ちゃんと運転している人の方が、間違えるリスクは減るだろう。だが、ゼロになると思うのは過信でしかない。
* 災害を想定した避難訓練が必要なのは、行動を通じて、脳に「ありえる」ということを刻ませるためだ。パニックを最小限にし、避難を迅速に行う上で、非常に有効なのだ。踏み間違いに関しても、皆が「自分もやってしまう可能性がある」と思っていれば、迅速な対処で、致命的な事故を回避できる確率が高まるのだ。

 なぜ、大丈夫と過信してしまうのか?
 脳科学の本を読んだりすると、その理由がわかる。脳科学者・中野信子先生の言葉を借りれば、「論理的思考は人間の進化の過程で後からできた回路なので、なかなか優位に働きません」という。さらに、「拙速な判断をする個体のほうがまだまだ多くいて、その割合は7対3くらい」と言葉が続くが、論理的に深く考えられず、感覚だけで拙速に判断してしまう人が7割もいるわけである。
* 上記引用は、中野信子著 『脳はどこまでコントロールできるか?』 (ベスト新書)の出版にともなう Livedoor News のインタビュー記事から。
 普段、自動車を運転している中で、感覚としては踏み間違いなんて起きるとは思えない。
 だが、論理的に詰めれば、「誰にでも踏み間違いは起こりうる」という結論しかでない。だが、かつての自分を含めた7割の人間は、脳がそういう考え方を受け付けないわけだ。まったく、人類ってやつは……。
* 自分も、7割の進化していない側(バカ?)だったという事実は、心理的にはなかなかのショックだ。だが、事実は事実。
* 脳科学の本は読むべきだ。人間の脳というものは、見えてない視界を勝手に補完したり、記憶を捏造したり、思っている以上にヤバイものなのだ。歩きスマホをしている人は、「ちゃんと前が見えている」と思っているようだが、あれは脳が補完した視界であって、実際は何も見えていない。だから事故が起きる。裁判で証人が真実を語っても冤罪が起きるのは、証人の記憶が書き換えられることがあるからだ。こんな脳だから、完璧などということはありえず、日頃どれほどちゃんとしている人だって、踏み間違える可能性はある。脳の構造がそうなっている以上、どうにかなるものではない。だからといって「踏み間違えていい」と言っているわけではない。よくはないが「避けられないのが現実だ」と言っているのだ。安全対策は、「踏み間違えるべきではない」などという理想論を前提にしてはいけない。現実を前提にしなければ、何の解決にもならない。

 失敗など、ありえない。そう考える人は、失敗した時のことを想定しない。
 福島原発も「想定外の津波」などと言われたが、事前に「想定しろ」という声はあったのに、「そんな巨大津波など来ない」といって無視した結果があれだ。
 踏み間違い問題も同じ。「ありえない」と言う人は、「踏み間違えた時、いかに最短で減速停止させて事故のリスクを減らすか」という対策を受け入れない。その結果、踏み間違えてしまった時に、想定外のパニックを起こして、対応が遅れて、助かるものが助からなくなる。
* 原子力工学を学ぶようなエリートですら、3割の進化した側とは限らないわけだ。成績優秀だからといって、自動車の運転も問題ないなどと思わない方がいい。
* 失敗した場合を考える人のことを、「そんなことを考えてるから失敗するんだ!」などと非難する人がいて驚く。そういう、言霊にとらわれた人が、論理的な解決策を邪魔するのだ。

 7割の人間が進化していない以上、「踏み間違えないように、注意深く運転しましょう」みたいな掛け声だけでは、何も解決はしない。
 このままでは、踏み間違い事故は、絶対に減らないのである。
* 自分のように、「恐怖を体験して、初めて危険性を知る」みたいなのは、本当はダメなのだ。未体験のまま、危険性を理解させる方法を考えなければいけない。事故シーンの映像をいくら見せたところで、所詮は他人事だから、今のやり方では効果はない。教習課程に、実際の車で事故寸前の危険体験ができるような方法はないものだろうか…。シミュレータも、所詮ゲーム感覚ではあるが、リアルな 3D-VR 化することで、恐怖の感情を体験させうる。人間は、感情が動いたことは深く刻まれるから(逆に、感情が動かないことは忘れる)、そういうレベルの教習ができる環境を整えた方がいいのではないか。……TVを見て知ったが、工事現場のリスクを学ばせるために VR を使って社員教育している建築関係の会社がすでに存在しているようだ。もう現実化しているのなら、自動車教習にも取り入れることも可能なはず。