ピースメーカー
監督 ミミ・レダー 主演 ニコール・キッドマン、ジョージ・クルーニー
ダグラス タガミ(★★★)(4月19日)
tagami@nick-net.co.jp
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tagami/index1.htm
4月20日、タガミさんの希望により、削除しました。感想は、上記URLのページで見てください。
ルキ坊(★★★★)(1月25日)
rukibo@mars.dti.ne.jp
http://www.mars.dti.ne.jp/~rukibo
よくできたエンターテインメントでした。
とくにサスペンスの正道をいっている映画だと思いました。
私も、キッドマンのオーストラリアなまりは、シュワちゃんのオーストリアなまりほど、感知できませんでした。
女優だから、そんぐらいの訓練はしてると思うし、きょうび、アメリカで、なまりがあるくらいで、政府の重要なポストにつけないというのは、どうでしょう?
思想としては、「超右翼」となるのではないでしょうか。
パンちゃん(★★★)(1月24日)
よっぽどひどい映画かなあ、と思って見たせいだろうか。それほど失望しなかった。
私がまず感心したのはジョージ・クルーニーの描き方。スケベそうで、そのくせシャイな感じもあり、判断力もあり、同時に乱暴でもある。なかなか欲張った設定だ。そして、それをジョージ・クルーニーがちゃんとこなしている、というか、ミミ・レーダーがちゃんととらえている。彼女は、そんなふうにして一人の人間の魅力を描きたかったのだと思う。
俳優主体の映画というか、俳優を魅力的に見せるだけの映画というのは、私は嫌いではない。古くはロジェ・バディムとジェーン・フォンダ、カトリーヌ・ドヌーブ、リナ・ウェルトミューラーとジャンカルロ・ジャンニーニ、ルキノ・ビスコンティとヘルムート・バーガーの関係など、そうしたものだと思う。
ただし、ジョージ・クルーニーがそれほど魅力的に見えたかというと、そのへんはよくわからない。スケベでシャイで、一方で強引(大人になりきれない子供っぽさの裏返し)でもあるという感じは出ていて、まあ、それが今の女性の好みなのかなあ、とは思った。(ミミ・レーダーの狙いがどこにあったか私は知らないが、まるで恋愛映画のようなジョージ・クルーニーを見ていると、そう思ってしまった。ラストも恋愛映画風に終わるしね。)
ハードボイルドタッチ(軍隊タッチ)といえばいいのだろうか、新手の「恋愛映画」としては、風変わりでおもしろかった。
この恋愛映画の一番の失敗は、主役の二人が、アメリカの中枢にかかわっているとはとても見えない、ということだと思う。ストーリーの状況設定と俳優のキャラクターが、かなりずれているのだと思う。二人ともなんだか薄っぺらい印象がある。国家の中枢機能と恋愛というのは、取り合わせがよくなかったのかもしれない。
ただ、映像はてきぱきとしていて、退屈することはない。(これが★3個の理由。)普通のデキだと思う。恋愛映画と思えば、それなりに見ることはできる。キャリアウーマン(古いことば)が自分の命令に従う有能な男と一つの問題に立ち向かっている間に、次第にこころを通わせ、そのこころの通いあいが最後に力になるストーリー、と思えば……。
恋愛映画と思えないときは、多くの不満が吹き出てくると思う。
まず「核」に対する描写の不満。予告編のときから感じていたことだが、被害の状況があまりにもないがしろにされている。惨劇のシーンがないために、ニューヨークでのテロリストの追跡劇に、いまひとつ、緊迫感がない。「核」が爆発しても、老人やたまたま爆発現場にいあわせた人しか死亡しないのであれば、被害は普通の爆弾テロと対して違わない、といった、とんでもない印象を与えてしまう。
また、いくら金が目当てとはいえ、軍人が国民の命を犠牲にして「核」をテロに売り渡すというのは、設定として無理がありすぎると思う。軍人は、少なくとも「核」にたずさわる軍人が、そんな低い意識の人間であるというのは、どうにも納得できない。
死の灰の降る領域の説明などテレビニュースで一瞬流れるだけで、死の灰におびえるヨーロッパの様子は何ひとつ描かれていない。これも最後の緊迫感がいま一つ乏しい理由だと思う。アメリカ人の核に対する認識の甘さがくっきりと出ている部分だと思う。
細部の映像にこっているわりに、ストーリーにも粗雑な部分がある。もっともひどいのはテロリストの首謀者の弟が「核」を背負って、兄の待つ原野へ行くシーン。なぜか、この兄弟だけは、アメリカ軍が核を積んだトラックを発見し、それを狙撃することを事前に知っている。その場所を知っている。そう考えないことには、ロシアの国境に近い山の中で短時間に会えるわけがない。この設定は、あまりにも観客をばかにしている。
こういうふうに書いてくると、とても★3個の映画にはみえないかもしれないが、私は、やはり3個つけたいのだ。(いったんは★2個に評価を引き下げたが、また3個にした。)
理由は、テロリストの主張が少なくとも伝えられているからである。平和な生活が「ピースメーカー(平和の使者)」の名のもとに破壊された、その「平和の使者」を気取っているのがアメリカである、だからアメリカに復讐するのだ、という主張がまがりなりにも伝えられているからだ。
テロリストの主張の全部に賛成するわけではないが、アメリカが「平和の使者」を名乗ることで、多くの国にさまざまな問題を引き起こしているかもしれない、ということを伝えていることは、評価してもいいと思う。
この主張については、「核」の問題と同じくらい真剣に考えてみる必要があると思う。
まあ、しかし、こんなふうに書いてはみたけれど、この映画は、真剣に「核」や「平和の使者」の問題を語るための土台にするには、かなりむりがあるなあ。作っている側の意識があまりにもずさんだからである。たぶん、そのずさんさが許せないと感じたとき、この映画の評価は低くなると思う。
みさき たまゑ(★★★★)(1月22日)
misaki@ceres.dti.ne.jp
http://www.ceres.dti.ne.jp/~misaki
エアフォースワンよりぐっと採点が高いです、わたしには。
世界情勢に無知なのかサラエボの悲劇もそれなりにこころに感じるものがありまし
た。
テロリストのピアニスト(にしてはそんなにうまい演奏ではなかった)がゆれるカー
テンの向こうにいるのをカメラが追う場面が2箇所あったのを、むむむカーテンと
シーツの違いはあるけど、テロリストとゆれる布といえば、「灰とダイヤモンド」だ
わねえ。なんてことに感動していたりしました。
NYに爆弾を落とさないですんだからといって手放しでは喜ぶつもりはない。世界中に
戦争のない日はまだ来てはいないって思いました。
Haruhiko(1月19日)
ishii@binah.cc.brandeis.edu
僕はこの映画を見ていないので、この映画の評価はできません。ただじゅんこさんとreinaさんの議論についてアメリカ在住の日本人の一人として意見を述べたいだけです。
まず、アメリカ人の世界に対する見方について。まあ、この点に関しては日本人もとても立派とは言えないし、またアメリカのような国の場合一括りには言い難いですが、一面では外国に対する無知・無関心が存在するし(アメリカが世界をリードするというよりアメリカが世界だ、という感じですね)、また別の一面では正義感と裏腹の偽善や自己正当化が存在するのは確かだと思います。現在公開中のWag the Dogという映画はこの辺の事情もおちょくっているみたいなので見てみたいです。(まだ見ていません。ダスティン・ホフマンとロバート・デニーロが主演です。)reinaさんはこの映画についてはどういう感想をお持ちですか?
またじゅんこさんが別の所で述べている、アメリカ人はアメリカ人が出てくる映画にしか興味が無いのかという事についてですが、おそらく言葉が英語以外であったり、あるいはストーリーが暗かったり複雑だったりするとあまり受けないようです。でもシェフィールドくんだりの失業者の話でも、言葉が英語で笑える話ならヒットします。(フルモンティのことです。ちょっと皮肉な書き方をしましたが僕は好きです。)アメリカでフランス映画のリメイクがしばしば作られるのも字幕に対する拒否感があるからでしょう。英語以外でストーリーが単純でない場合、例えばカンヌで賞を取ったアンダーグラウンドのような映画でもアメリカでの収益は、ある記事によると「ハーバード・ビジネススクールの卒業生の初年給以下」(数百万円程度)に終わったりします。
僕も最近のハリウッド映画の多くはあまり評価しません。それは結局非常に打算的に作られているような気がするからです。ピースメイカーにしても、見ていないので分かりませんが、ジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンを組み合わせればそこそこ客は入るだろうという安直な考えで作られたような気がして、始めから見る気にもなりませんでした。僕はそれ程熱狂的な映画好きではないし、映画に費やせるお金も(それ以上に)時間も限られているのです。
結局映画というのは人間が作るものですよね。だからお金をかけて有名な俳優を集めればいい映画ができるという物ではないはずです。タイタニックが(粗はあるとは言え)いい映画になったのも、単にお金をかけたおかげではないでしょう。ジェームス・キャメロンがよりよい映画を作ろうとして、その結果お金がかかってしまったのだと思います。逆に言うと、それ程お金をかけなくても、例えばChasing Amyのような映画を作ることはできます。その他にもGood Will Huntingとか、僕自身は未見ですが、Boogie Nights & Sweet Hereafterなど最近評価が高かった映画はハリウッドの主流の映画ではないものが多いですよね。
それから最後に、reinaさんが外国訛の人物がアメリカの国防の要職に就いているのはおかしいとおっしゃっていますね。それは一理ありますし、映画の中でニコール・キッドマンがどういう役であったか知りませんが、例えばアメリカの国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーはユダヤ人移民だった為訛があったと読んだ記憶があります。ちょっと揚げ足取りに近いですが。
きりこ(★★)(1月19日)
yt0408@alpha-net.or.jp
きりこです。映画とは少しずれてしまうのですが、せっかく皆さんが色々な意見をだして下さったので、この場を御借りして、ちょっと言わせて下さい。
はじめに、「世界をリ−ドするアメリカ」に関してです。
私がそう言わせていただいたのは、アメリカの政治的・軍事的方針に関してそう感じたからであって、つまり、あくまでその場合の”アメリカ”とは「国」をさし、個人をさすわけではありません。
だって、どの民族が優れていて、どの民族は劣っている、なんてあったらおかしいでしょう。ヒットラ−じゃないんだから。そういう差別?はあってはいけないと思います。
民族ということに関して意識改革が必要なのは、むしろ日本人でしょう。アジアに対してとか。
アメリカに対しては、詳しくは知りませんが、もしアメリカ人を「馬鹿に」する日本人がいるとしたら、(私の個人的な見解によると)それはむしろコンプレックスを抱いているためではないでしょうか。
私に関していえば、私はアメリカキライじゃありません。けっこう好きです。(その証拠?に日本のどのバンドよりNO DOUBT がすき。)
あと、原爆についての意見がでているので、私の意見をだしたいと思います。
(重いテ−マ・・・・)
「人の国に原爆落とした国の人が・・・・・」
意見を変えるようですが、原爆を作り出したこと、そして何より、それを落としたことは、国にかかわらず、人類の罪だと思います。
一瞬にして人間が溶け、後にはその影だけが残る。
このことを、私たちはどう受け止めるべきでしょうか。
それを、あの映画は映画を盛り上げるためのスリル、単なる道具として使っています。クル−ニ−(役名忘れた)が、「核弾頭が爆発したらン十万人(忘れた)の人間が死ぬんだ〜」といってますが、この言葉に重みはまったくありません。
確かに、たくさんの人が被爆して死ぬでしょう。でも、それだけ?爆発から40年たって生まれた子供の足が動かないかも知れないのに。こんな、数字であらわせることではないのに。
このセリフで、私はふと原爆を思い出しました。原爆は全くの過去のこと、いうわけではないし、核は現在世界中にあるのに、核をこんな軽はずみに映画の道具にしたことに腹がたちました。広島と長崎という街に原爆が落とされたことを、彼らは知らないのでしょうか?
知っていたとしたら、はたして数字でその被害を数えられるものでしょうか。
原子爆弾を落としたのは、歴史の流れ上、たまたまアメリカという国であり、落とされたのは、たまたま日本でした。
そして、投下の理由が「日本の降伏を早め、無駄な犠牲者をなくす」(どこがだ)だろうが、「日本降伏の功労者はソ連ではなくアメリカであり、戦争終結後の日本の支配権を確立するため」だろうが、もう、それを追求してもそこには何もないでしょう。
原爆は、人類の罪だからです。
その罪をアメリカという国は忘れてしまったのでしょうか。(誤解されるとイヤなので断っておきますが、日本に対しての罪、という意味では決してありません。)
原爆は投下すべきではなかった。
米朝関係のためには忘れてしまってもよい「昔」であっても、人類が「昔のこと」だといって忘れてしまってはいけないと思います。
日本人だろうが、アメリカ人だろうが。
それから、余談ですが・・・。
「たとえ自分が落としたとしても、自分が殺されそうになったら嫌でしょう?」
原爆を投下した兵士のひとりは、発狂したそうです。
それでは長くなりましたが終わります。
いろいろな意見がきけて本当におもしろかったです。
これからも、質問・反論等ありましたら、お願いします。
それから、核兵器が使われることがないように祈ります。過去にみる、そして現在にもおこっている虐殺などの残虐な行為をおこすのが人間の心なら、平和を守るのもまた(”PEACEMAKER”ではなく)人間の心だと思いたいです。
じゅんこ(1月16日)
junko003@eis.or.jp
http://www.eis.or.jp/muse/junko003/index.htm
う〜ん…。もう一回書いちゃってごめんね、パンちゃん。あのですね、私も雑誌で見ただけだけなんだけど、かの地では道端に死体が10体も20体もごろごろ転がっていたりする訳。赤ちゃんだったり、若い男の子や女の子だったり、おじいさん、おばあさんだったり。うつぶせになってまるで物みたいに捨てられてるの。そういうった状況を、こういう風に映画に利用するのは、どうなのかな?サラエヴォをネタにするなら見た人が少しでもサラエヴォの事を考えるような映画にして欲しい。サラエヴォの人達は私たちが一時的な娯楽のために消費する見世物奴隷じゃないでしょ。闘牛の牛じゃないんだから。私が「アメリカン」と書いたのは別に「アメリカが世界のリーダー」と思ってように見えるから、というのではなくて、この映画がアメリカ人の…というと範囲が狭いかもしれないから訂正するけど、日本人のアメリカ人も含めてこの映画を見る自分たちが楽しむことしか考えてない映画だな、と思ったからです。
この映画からは悪いけど核の流出の恐ろしさなんて感じないもの。本当に危機感を伝えたいのなら核を爆発させるべき。それもロシアの山奥ではなくて大都市のど真ん中で。それで人がどうやって死んでいくのか、核爆弾が落とされたらどういう悲劇が待っているのか描くべき。何世代にも渡って人の体にどんな影響を与えるのか、地球はどう変わってしまうのか。それで初めて核の恐ろしさを伝えることが出来ると思うし、なぜ核の流出がそんなに怖いことなのか、なぜアメリカが必死にそれを止めたいと思っているのか、なんでそんなにフセインが怖いのか、初めて世界の人をも納得させられる。それが出来なければこういうトピックスを扱う意味ってある?
ただ楽しい映画にするならエンターテインメントに徹するべき。サラエヴォや核の問題に口を挟むなら、多少なりともリスクを背負って真剣に取り組むべき。ドリームワークスはマーケティングばっちりして作ってるでしょう、これ。今何がホットで、何がみんなの関心事なのか。どういうラストが受けるのか。その上でタイアップとって、リスク背負わずに利益を生む構造を作ってる。もちろんリスクヘッジという考え方は映画だってビジネスである以上大切なんだけど、始めにテーマありきではなくてマーケテイングの先に出てきたテーマとしてのボスニア・ヘレツェゴヴィナという位置付けが嫌だなあ。それが成功しているかどうかは別問題としてね。
それから日本人がアメリカを心底馬鹿にしてたらアメリカ映画なんて見ませんよ。少なくとも期待して見てるから、裏切られたような気にもなるし、ガッカリもするんです。
広島・長崎の原爆云々については、本当は色々諸説があるのです。諸説を知って、どれを真実とするかはその人の自由ですが、それぞれの国の教科書に書いてある「史実」だけを信じて語るべきことではないでしょうね。沖縄なんて、すでに基地の中と外で教えている歴史が違うのですから歩み寄りがある訳ありません。人間勝手なもんです。まあ、少なくともご当地では「そんな昔の話」ではすまないでしょうねえ。
ところで、そうか〜訛りのある人が政府側にいるとういうのはアメリカでもありえないことなのね…訛りの判別すらつかなかった私…(笑)きっと日本人はだれも気が付かんな、そんなこと。
reina(1月15日)
reina@osula.com
あ〜読まなきゃよかった。といっても遅いので、ちょっと書かせてください。
世界をリードするアメリカなんて思ってないよ。アメリカ人の多くは日本のほうこそそう思ってると思ってるもの。
日本人なんてどうせ皆アメリカ人ばかにしてるし、とか言ってるし。ロシアから盗まれた核爆弾をどうしてアメリカが取り戻すのか?それはロシアがなにもしなかったから。また、この爆弾がイラクに行ったら、フセインは誰を的にするでしょう?当然アメリカ。まあ、湾岸戦争には行かなくてもよかったと思うけど(高校の先輩、戦死したし。。。他にも友達戦争行ったから。)「人の国(日本)に原爆おとした国の人が、自分の国に落とされそうだからって、超あせってるんだもん。」これはひどい。ひどすぎる。誰だってあせるでしょう。自分達が原爆落としたって、そんな昔のはなし、別にジョージクルーニーが落としたわけでもないのに。
もし仮に自分が落としたとしたって、自分が殺されそうになったら嫌でしょう。自分の国を自分で守ることもできない日本人にはわからないのかもしれない。でも私も日本人だぞ。曾祖父は原爆で死んだぞ。
大体何で原爆落とされたか考えてみたことあるのかな?私がこの映画で一番おかしいと思ったのは、アメリカ国防に大事なニコールキッドマンの役。そんな大事な人がオーストラリア訛りで話してる。。。
ちょっと映画からそれた話ですみません。私は単なる娯楽映画として面白かったと思います。でも3日以上覚えている内容ではないかも。
きりこ(★★)(12月27日)
yt0408@alpha-net.or.jp
はじめまして。パンちゃん。
試写会で「ピ−スメ−カ−」を観てきたのですが、感想はひとことでまとめると”ワ−オ!アメリカ−ン!”
じゅんこさんが書かれたこととほぼ同じになってしまうので、違うところだけ書きます。
とりあえず第一のギモンは、盗まれたのはロシアの核弾頭なのに、なしてアメリカがでしゃばるのか!?も・・・もしかしてぇ”世界をリ−ドするアメリカ。”とか思っちゃったりとかしちゃったりとかしてる???
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ほんとに、アメリカのことしか考えてない内容に、アメリカ人ではない私は(当然日本人です。)苛立ちさえ覚えました。
そして、舞台がNYにうつったところでアメリカンの本領発揮。
あ・結局、自分の国を救いたいのね。
しかも、NYに核弾頭をもってくることで、ロシアの国境を侵害したりしたアメリカの強引さをうやむやにしてしまっているきがしますな。
それに、人の国(日本)に原爆おとした国の人が、自分の国に落とされそうだからって、超あせってるんだもん。こっちはみててつまんなくってつまんなくって。
おまけに、私が夏休みにいったNYの教会は爆破されるし。
見所っていったら、キッドマンがかわいいってことかな。
まったく、1997年、21世紀も間近の今にこんな映画つくってどうするんでしょう!?
じゅんこ(★★/お金を払わずに見たから)(12月11日)
junko003@eis.or.jp
http://www.eis.or.jp
こんばんわ、パんちゃん。おひさしぶりです。10日位まえに『ピースメーカー』みてきたんですけど、これがすごくツマんなかったので感想書いてしまいます。
タダで見せてもらった身で申し訳ないのですが…つまんない映画…(^ ^;
途中からタイアップ企業の数を数えちゃいました。聞いてはいたけど。ベンツはムチャな運転をしても横転しませ〜ん(笑)。ニコール・キッドマンのプロバイダーはAOLでしたし。アメリカ人の大好きな犬登場のシーンもあって、ファンサービスも欠かしません。まあ、見るべき所はアクションシーンでのミミ・レダーの乱暴(パワフル?)な演出かなあ。とりあえず真剣にサラエボのことを考えてるなら、企業タイアップをとるのからやめたほうが…。サラエボの人怒るよ(そういえば、サラエボのシーンでさりげなく五輪が出てきたのにも笑いましたが)実際内戦で人死んでるのに…最後にNYを救うという発想もベリー・アメリカンです。冒頭の核爆発でお亡くなりになったロシア人はすっかり忘れ去られてしまっていたし…
なんてったってキャラクターが薄っぺらで、もうジョージ・クルーニーなんてたんなる乱暴もの。同情も共感もへったくれもないです。途中から、ニコール・キッドマンも途中から結局添え物みないになっちゃうし、なんだかんだいってもハリウッドの女性の地位ってこんなもんなのね、と思ったら寂しくなってしまった。
ついでにドリームワークスの先行きも不安になってしまったのでした。
PANCHAN world