シークレット・ウインドー



監督デヴィッド・コープ 出演 ジョニー・デップ、ジョン・タートゥーロ、マリア・ベロ、ティモシー・ハットン

はせ(2004年10月29日)

 ベルリンの壁崩壊前夜の東ドイツ。ふきあれる反政府デモの渦中に青年アレックス(ダニエル・ブリュール)も身を投じていたが、それを母(カトリーン・ザース)が偶然目撃してしまい、ショックで心臓発作を起こして倒れる。母は社会主義運動に熱心な学校教師だった。彼女は昏睡状態のまま病院のベッドで過ごし、八ヶ月後目覚める。その間に、この国の政治的激動は、一気に東西ドイツの統一まで道筋をつけようとしていた。再度のショックを避けるためには、そういうことを彼女から隠し通さねばならないのだが、センセーショナルな新聞記事が目に付く病院では、とうていできないことだ。
  かくして、アレックスは自宅へ母を連れ帰り、療養をつづけさせることになるが、彼が誓い実行することは、今なお東ドイツという国が、堅固に存在しつづけるというフィクション(嘘)を母に信じ込ませることにあった。ここからの彼の奮闘ぶりがおもしろくもあり、涙ぐましくもあり、また力強く、おおいに鑑賞者の共感を呼ぶところでもある。
  
  西側風にすっかり変貌してしまったインテリアを八ヶ月前の状態に戻す。日のさしこむブラインドはおもおもしいカーテンに。姉夫婦にも協力してもらってコスチュームも明るい色調から旧時代のくすんだものに。食料も古い時代のものは店頭からほとんど姿を消してしまっていたが、かき集めてくる。母がピクルスを食べたいと言えば、オランダ製のそれを古い瓶に詰め替える、といった風だ。さらにアレックスは映画製作志望の友人の協力を得て、嘘のニュースをつくり、そのビデオを母の見るテレビに流して、政治的平穏の演出に心をくだく。また近所の人や母の勤務する学校の校長(失職中)や子供を手なづけて、母を囲んでのパーティも催す。
  だが嘘はいつかはバレるものだ。コカコーラの看板がわずかにのぞいたカーテンから見えたのは序章。ベッドの傍らにいる息子が居眠りをした隙に、母は寝間着の上にカーディガンをはおって近所に散歩に出る。古い家具がところせましと捨てられ、あちらこちらに建設途上の建物が見える。何か様子がちがう。そのときヘリコプターが大通りの上空をこちらに近づいてくる。しだいに大きくなる爆音とともに、機にロープで吊されたレーニンの巨像が輪郭をあらわす。腰のあたりでぶったぎられた上半身だけの姿。右手の手の平を上に向けて前にさしだし、人民大衆に訴えかけるあの見覚えあるポーズだ……。個人的にものすごく爽快な場面だ。よくぞ撮ってくれた、と思う。この映画の白眉であり、カッコいい。映画以前に映像として、抑圧と息苦しさの象徴であったものが、撤去されて力強く運び去られる光景は、感無量以外の何物でもない。(イラクのフセイン像の撤去は二番煎じの気がしたが。)この爽快感に心を奪われて、それを茫然と眺める母の存在を私たちは忘れてしまうほどだ。だが、カメラは彼女の後ろから上方への角度で撮る。彼女の前をレーニン像が通過するとき、両者の頭部の大きさが同じになる、スリリングだ。
  破壊されたレーニン像との遭遇は、母にとってはデモ隊のなかに息子を見いだしたときよりも、なおショッキングなはずではないか。その瞬間、母はぼんやりしているようでもあり、自身の病を考慮して,とり乱すまいとしてこらえるのか、外側からはうかがい知れない。だが国家が、時代が、大きく変化したことくらいは察知したはずだ。夫に西側に亡命され、二人の子供を養いながら、社会主義の理想を支えにして彼女は懸命に生きた。その支えが壊れたのかもしれない。何故か、如何にしてか、それはわからない。人生は経験を積み重ねることによって大部分を理解でき、安定させることができるように見える。国家や社会に対する見方もそこで大いに培われそうだ。だが経験を裏切る大きな経験もまた、個人の人生の中にまれにある。だがそれによって傷ついたとしても、この映画の女性主人公、母は絶望に沈むことはない。たのもしい息子が傍にいるからだ。
 母は外出中に目撃したことをだれにも打ち明けない。一方において息子たちの嘘はどんどん大胆になる。真実の暴露に接近することでもあるのだが、最新のニュース映像に嘘のナレーションを付けたビデオを作ってしまうのだ。自由な往来を許されてゆきかう人々の群を「意味のない競争に疲れた人々が、難民となって東ドイツに押し寄せてきた。」という風に説明してしまう。母は疑念を発しない。まじまじとテレビに見入って、ほんのり喜ぶ表情を浮かべる。実際にも画面のなかの市民たちは生き生きしている。
  そしてそれ以上にたのもしいのが息子だ。ここまで私にやさしくしてくれるとは、いたわってくれるとは思わなかった。嘘は嘘でも、それを懸命に語り、演じることで、息子や家族、周りの人々はなんと幸福なのだろう。時代の変化の理由はわからないにしても、この子がこんなに楽しいのなら、きっといい時代にちがいない、母のなかでそんな思いが少しずつ固まるのだ。新生ドイツの革命と活気が息子アレックスを沸騰させ、それを母が無意識に眺めている。★★★★