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1999年6月15日(火)

20:50
 会社のボイスメールにTackyからメッセージが入る「一応・・・病院に行ってきまーす」
そのメッセージを聞いたのは、数分後だった。電話をするがなぜか留守電ではなく呼び出し音が鳴り響く。。。留守電にし忘れたのかな?・・・
身支度を整えて帰社することにする。エレベータを降りているときに、ポケベルが鳴る。
あれ?こっちが後か?
慌てて公衆電話から電話するが、今度は留守番電話。。。。どうやら、さっき電話したときはポケベル番号に電話をかけていたからのようだ。(INS64なので、一本ふさがっていても話中音にならない)というわけで、しかたがないので留守電にメッセージを残す。
「もしもし。あとで病院に電話して。行けるようならば、そのまま行きます」
初台から新宿に。新宿から小田急の急行に乗る。このまま成城学園前まで行けばいいな。と考える。
いよいよ、か。男か、女か?Tackyは無事、病院に着いただろうか?

21:30
成城学園前の駅で、国立大蔵病院に電話をかける。
「もしもし。○○と申しますが、・・・家内がそちらに向かうという伝言を聞いたんですが、着いてますか?」
「あ、丁度これから診察が始まるところです」
「今、成城学園前なんですが、そちらに向かってもいいでしょうか?」
「ええ、そのままお帰りいただくかもしれませんが、かまいませんよ」
というわけで、急いでタクシーに乗る。

21:45
産婦人科病棟に着く。入院の手続き。Tackyは、横になってお腹にモニター用の帯を巻いている。側の機械から、赤ちゃんの心音が大きな音で聞こえている。数字は130から140の間を行ったり来たりしていた。

22:40
陣痛室に向かう。ここで陣痛の間隔がせまくなるのを待つ。この段階では10分間隔から5分間隔くらいにまで周期が短くなっていた。1分30秒ほど痛みが続き、その後3分30秒ほど静かな時間があって、再び陣痛が始まる、というサイクルが続く。

23:20
この時間ならば、電車でもどることができる。
いったん荷物を取りに帰ろう、と思うが、Tackyが帰そうとしない。
「荷物なんかいいから、ここにいてよ」
「痛くて、気が変になりそう・・・」
1分30秒痛みが続き、3分30秒休みが続く、という5分周期がしばらく続く。
「さっきの診察で子宮口が4cm開いていましたから、そうですねえ、出産は明け方くらいでしょうかねえ。」と看護婦さんが説明してくれる。

23:50
だんだん周期が短くなってきた。痛がり方も尋常じゃなくなってきた。
「イタイ!あー、すんごくイタイッ!・・・イタタタタタゥ」と、悲鳴もあげず意外としっかりした日本語を話しているので、痛みのニュアンスがいまひとつわからなかったが、じょじょにその声は大きくなっていった。
あんまり痛がるので、看護婦さんを呼ぶ。
思ったよりも進行が早く、子宮口はもう全開近いらしい。
大きな叫び声が隣の妊婦さんの迷惑になるかと思い、気を使わなくて済むLDR(個室陣痛分娩室)に移してもらう。

Tackyにとっては、このあとの2時間が、人生で最も長い2時間だったことだろう。

「もう、お願い。無痛分娩にして!」
看護婦さんは「今からだと、かえってツライ思いをするから、このままがんばりましょうね。」と励ます。
「ほんと、もうダメ。どうしよう?」
「あとどれくらいですかあ?」
「もう少しだから、がんばろうね」
「さっきから、もう少し、って言っているじゃないですかあ?」
ボクは、枕元で手を握り続ける。
「なんだかんだいって、けっこうガンバッテイルじゃない。あと、少しだからな!」
周期的に訪れる痛みの波に合わせて、強く手をにぎる。
Tackyは顔をクシャクシャにして真っ赤になりながら、気張る。
「はい、息をして。深呼吸。フ、フ、ハー。」
「イオンに酸素をあげなきゃね!」
側でモニターからイオンの心音が聞こえる。
Tackyが気張ると、それまで130くらいで鳴り続けていた心音が、いきなり60くらいまで落ち込み「ドク・・・ドク・・・ド」とペースが下がる。イオンも苦しいのだ。
痛みに耐えられなくなり、体をよじってボクに抱きついてきたのが、この間3回あった。
次第に陣痛のおさまっているときは(わずか数分間だが)、深呼吸をするでもなく、叫ぶわけでもなく、眠ったように静かになりだした。
あとで本人に聞いたところ、少しでも休みたかった、らしい。痛みに耐えることで、体力を消耗してきたのだ。
「もう少しだからねえ・・・」
助産婦(看護婦?)さんが、様子を見ながら、話しかける。
医師が2人と看護婦も横につく。
「じゃあ、赤ちゃんが出やすいように、ちょっと切りますねえ」
「何してるんですかあ?」と、ちょっと不安になるTacky。
「いよいよ、もうちょっと!」
再び陣痛がやってきて、真っ赤になって気張る。
「はい、そのまま我慢してもう少し気張ろうね!もう少し・・・」
「はい!息ぬいて!深呼吸。頭、出てきたからねえ・・・」と言いながら、助産婦さんがスルスルと赤ちゃんを引っ張り出す。
「こんにちは!イオン!」
 

1999年6月16日(水)

1:50
依音(ION)誕生。女の子。2846g。手足の指が長いところは父親似。目鼻は母親似と思うが、意見が別れるところ。いずれにしても、二重で目がパチっとした美人顔だ。
産まれたばかりの赤ちゃんは、もっとおサルさん顔かと思っていたが、目もパチっと見開いていて、表情も豊か。。。。アイ・コンタクトもぱっちり。産後の手術を受けているTackyの側を離れて、室外で1時間半くらい抱いている。ときどき、声を発して「たとぅ・・」というような音が聞こえる。Daddyのようにも聞こえるし、達・・のようにも聞こえるし。。。は、オヤバカか。
それにしても、入院からわずか4時間くらいで出産したのは、かなり早いほうらしい。(だいたい12時間くらい、長い人は30時間もかかるらしい)
これが、もし明け方だったら、きっと家に帰っていただろうし。
日中までずれこんでいたら、仕事をしていて立ち会うことはできなかったろう。

3:40
Tackyのもとに依音を連れて行く。あんまり長居をしても、Tackyも疲れると思い、そこそこに依音を看護婦さんに預けて、Tackyにはジュースを買ってきてあげて、その後病棟をあとにする。

病院を出て、タバコを2本吸う。タクシーを広い、経堂駅前で降りる。コンビニで弁当とビールを買い、家に帰って、サインオンして仕事をする。一段落して、このメモを書いている。
途中、省略した部分は、後日手を加えることにする。
(1999.6.21にこのメモに加筆してアップした)

とにかく、母子ともに健康で何より。
立ち会えて、本当に良かったと思う。

達也    


 

「依音」という名前は妊娠6ヶ月くらいのお腹に
いるときから決めていた。(1999.6.19撮影)

  産まれたときから、眼がパッチリしている。

  TackyとION。(1999.6.19撮影)

 


 
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