ユリの球根は大きくなった時期に掘るのが良いのだが、見つけるのが難しいので我々は花を頼りに掘った。それを市場に持って行って売る。
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藁ぶき農家にも天井はないが屋根が高いので直射日光で室内が暑くなることはない。
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西部の実在のガンマン、バットマスターソンは後に新聞記者になって「この世は素晴らしい、金持ちは夏に氷が食えるし、貧乏人は冬食える」と書いたそうだが、私の子供の頃はまさにそうだった。
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中国ではビールを冷やさず飲むと聞いた。もっとも日本に来た中国人は冷やしたビールのうまさを知り、帰国してもビールを冷やして飲むとも聞いた。
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2008年 夏 スイカは、私も大好物でした。時期は忘れましたが、祖母が、夜、スイカの種を新聞紙に包んで寝ていました。朝起きると、種から芽が出ているのです。畑に大きな穴を掘って、鶏の糞やゴミ屑などを放り込みました。その上に砂をかぶせ、芽が出たスイカの種を埋めました。スイカは重たいです。それを運ぶ手伝いは子供のお手伝いとしては重労働でした。スイカ泥棒は、いましたね。毎日大きくなっていくスイカを楽しんで、さあ、明日は収穫だ、と思った翌朝、消えてしまっているのです。祖母は、「やられた! 悔しい!」と叫んでいました。 スイカは、井戸あるいはバケツにスイカと水道水を入れて冷やしました。田舎の水道水は、都会の水道水より冷たかったと思います。マンション屋上の貯水槽からの水道じゃだめですね。私は今でもガツガツと音を立ててスイカにかぶり付きます。妻は、「みっともないから音を立てて食べるのはやめて!」といいます。 スイカは毎日でも食べたいのですが、訳あってアリさんの生活をしています。これまで、キリギリスの生活をしていたことをしきりに反省しています。この夏クーラーは一度も使用せず、一日中扇風機を回していぁw)ワす。スイカにもなかなか手がだせません。私はこれでも緊縮生活を結構楽しんでいるのですが、家族には申し訳ない今日この頃です。 |
のんきなとうさん様 まいどありがとうございます。 私たちが子供の頃、泥棒はしましたが、一応ルールがありまして、高いものを盗んじゃいけないんです。許されるのはジャガイモ、きゅうり、トマト、大根などに限定されていました。 高価なもの、ぶどう、桃、スイカになりますと、農家の人が盗人を捕まえると親のところまで押し掛けてきました。 まあ、戦時国際法があるように、盗人にも盗人ルールがあったのです。 盗人ルールを破って本格的泥棒をした小学校の同級生はその後、刑務所を出たり入ったりして還暦を迎えました。ああはなりたくないですね |
ウルトラ萬太郎です。 萬太郎の駄文・・・。 お盆休みの何日か前、部下の女性が「今日はとても暑いですね」と、訴えるように言った。「暑かったらエアコンを点けてもいいよ」と言った。じつはウルトラ萬太郎は、環境ISO担当(兼)事務所のエアコン電源管理人でもあるのだ。・・・別に、そんなうっとうしい役職があるわけでもなく、萬太郎が好き好んで設置したわけでもないのだが、なんとなく萬太郎の役割になってしまったのである。 ともあれ、件の女性はエアコンのスイッチを入れた。そのとき、ふと気づいたことがある。実は萬太郎、そのときはいつもほど暑いと思わなかったのである。しかし、温度計と湿度計がセットになっている快適度数計を見ると、指数の針は前日よりもかなり高めを指していた。人並み以上に暑がりの萬太郎であるが、この日はさほど暑いと感じていなかった。思うに、この日は山積する仕事を少しでも効率よく処分しなければならず、いつもよりアドレナリンが過剰に分泌されていたからかもしれない。昔、「火もまた涼し」といった僧侶がいたらしい。凡人萬太郎は、涼しいまでの領域まではいかなかったが、精神作用で暑さを忘れるといった程度の体験をしたのである。 それにしても、井戸でスイカを冷やして食べた小学生時代が懐かしい。でも、エアコンの効いた部屋で読書のできる今、あの頃に戻りたいとは思えません。贅沢になったものだ。結婚した当初、エアコンがなくて冷蔵庫を開け、女房と二人で冷気を浴びながら「涼しいな〜」と言ったことさえ、遠い昔のことのようである。人間は、一度贅沢を覚えると軟弱になる一方のようだ。 もっとも、小学生時代の同級生と貧乏合戦(自分の貧乏自慢をし合うもの)をして何度も「参った〜」と相手に言わしめた萬太郎。天から「貧乏時代にすぐ戻れ」と言われたとして、あっという間に戻れるんじゃないかなあ、という自信はある。のだが・・・。? |
萬太郎様、人間の欲望は強く、克己心は弱いのです。 石川五右衛門でもなければ火を涼しく感じることは難しそうです 人間は辛いことを経験するとそんなことは何でもないという方と、もう二度と辛い目に会いたくないようという私のような軟弱者が・・・ |
2008年の夏に思うこと 佐為さま あらまです 盆休みの数日間、ちょいと郊外の別荘に行ってきました。 別荘と言っても、過疎で無人なった破屋で、住むためには改修が必要でした。 さて、その破屋の物置に、昔の木箱の冷蔵庫がありました。 昔の冷蔵庫は、木箱の上段に氷を置いて冷やしたものでした。 ・・・ということは、こんなイナカにも氷屋さんが行商に来ていたのでしょうか。 ところで、佐為さんのところは、セミの鳴き声で暑さが倍増しているようですね。小生の住んでいる田舎では、今年はセミの鳴き声をあまり聴きません。 午前中は、しーんとしています。夕方、日が落ち目頃に少し鳴く程度です。 不思議ですね。こんなに緑に溢れているのに・・・。。。 |
あらま様 別荘族でしたか・・・恨めしい 昔の木製冷蔵庫とは・・・私は話には聞きましたが現物を見たことはありません。きっと金持ちだけが持つことができたのでしょうね。 我が家では68年頃でしょうか?冷蔵庫を買いました。その頃結婚した姉二人とも結婚当初は冷蔵庫はなく今考えるとどのように食品を保存していたのでしょうか? 私は結婚したときおもちゃのようなホテルの部屋にあるような物を買いました。バターとか製氷とかまあそれで間に合ったのですね。二ドアは子供が生まれてからのこと ところでところ変わればと言いますが、私の住まいの周りでは蝉の鳴き声が強烈です。蝉が多いということは蝉の死骸も多く、通勤時踏まないように気をつけています。猫がじゃれついたりしています。 蝉は何年かおきに大発生するそうですから、あらま様のところは数年ずれて大発生するのではないでしょうか? |