ISO 満十歳と満二十歳 07.12.29

ISO9001が制定されたのが1987年、ISO14001が制定されたのが1996年である。だから今年でそれぞれ満20歳、満11歳になる。そして私がISO9001に関わってから16年、ISO14001と付きあって10年になる。
年の変わり目に過去を振り返り、未来を考えることは意義のあることかもしれない。もっとも私の考えは休むに似たりであり、あまり意味がないかもしれない。 

さて、ISO審査登録という制度において何か変化があったのかと考えるとどうだろうか?
このところ、自動車、建物、昇降機、食品、運輸、教育などいろいろな業種において品質、信頼性の問題は多発も多発しているが、ISO9001はどれほど効果を発揮しているのだろうか?
廃棄物問題・土壌汚染などが国内では最大の環境問題であり、地球温暖化というのが地球環境問題の最右翼であるが、ISO14001はこれに貢献しているのだろうか?
いや公害のデータ捏造などの報道を聞くとそのような高尚なものに効果があるどころか、泥臭い工場レベルの管理にさえ効果がないような気がする。
経済産業省が2007年3月「公害防止に関する環境管理の在り方」というガイドラインを発表した。
これは結局、ISO14001のようなボランタリイ活動に期待しておけないということなのだろう。

いずれにしてもそういう見方をすると、あまりISOの認証は現実の品質や環境問題解決に効果を発揮していないようだ。ISOというと視野が狭いかもしれない。エコアクション、KES、エコステージその他もろもろ、いわゆるマネジメントシステム規格とその第三者認証制度が品質保証や環境改善にいかほど寄与したのか? 私は知りたい。
多くの人もそうではないだろうか?
最近のISO雑誌を見ていると、声高に有効性を見る審査とか、経営に役立つ審査など、存在意義を高めよう、認証の値打ちをあげようという発言が目立つ。当たり前というか当然というか、何をいまさらという感じもある。
QMSにしろEMSにしろ、規格適合性が第一かもしれないが、会社に役に立たなければ意味がない。有効でなく経営に寄与しないISO審査登録というものが存在するのだろうか? いや存在できるのであろうか?
最近、小集団活動、サークル活動というのは下火であるが、これが日本の製造業の力の源泉として大きな効果を出したことは間違いない。
ISO9001が流行してから日本の製造業が弱くなった気がするのは私だけだろうか?

今まで十年間あるいは二十年間も経営に寄与しない仕組みが存在し、多大な費用をかけてきたとするならば、それは摩訶不思議なことである。審査登録とは実体のない蜃気楼だったのだろうか? どぶにお金を捨てていたのだろうか? 単なるホワイトカラーの失業対策であったのだろうか?
これは言いがかりでもない。1990年頃、ヨーロッパでは第三者認証とはホワイトカラーの失業対策であるといわれたことがある。

第三者認証制度ができてから時間が経過し、関わっている人も替わってきた。90年初頭に審査していた方々は今では数えるほどになったのではないだろうか? ISOの右も左も知らない私が教えを乞うた方々の多くは引退した。ときたまISO雑誌で当時お会いした方のお顔を拝見すると懐かしさがこみ上げてくる。
環境ISOがはじまった97年頃の方も引退しつつある。
ところで最近、ISO14001が始まったばかりのときに私とチャンチャンバラバラしたお方と出会った。彼も少しは進歩したのであろうか?
審査の場でなかったことに感謝せいよ 
私は今までの品質20年間、環境10年間の審査の質が良いものであったとは思わない。なぜと言われれば、先ほど述べたように現実がそれを証明している。

人が変わることによって審査は変わる。審査の質は良くなったのだろうか?悪くなったのだろうか?
今の審査の質はどうなのだろうか?
つい最近、12月の話である。
某社において環境目的を実現するための実施計画がないという理由で重大な不適合になったという。もちろん環境目標を実現するための実施計画はあったそうだ。重大不適合と言われればその会社の担当者は真っ青になったことだろう。その後どうなったかは知らない。担当者が骨のある人物で認定機関にでも異議申し立てしたら、今度は審査機関が真っ青になったのかもしれない。
別の会社では、ISO14001の認証をして何年も経過しているのだが、いまだ著しい環境側面を決定する手段を定めておらず、審査員から「もう目をつぶってるのも限界だから仕組みを作ってください」といわれたとか。過去何年もそういった状態の会社を適合と判定していたとは・・・
ISO14001は満十歳になってもいまだ立ち上がることも歩くこともままならないようである。

今後ISO認証制度はどうなっていくのか?
新世代の審査員、いや審査機関の幹部が私と同じ問題意識を持っているならば、悪くはならないだろうと期待する。いや良くなるだろう。
そういう意味で、おかしな審査をする人、問題意識のない人は速やかに引退して、後進に席を譲るべきだろう。そして自分たちが出来なかった審査の質向上を後輩に託すべきである。

それができず第三者認証いままでのように経営に寄与しないお祭りであるならばそうそうに消滅するべきである。
一刻も早く、社会的に有効性が認められ評価されるという、評価・ブランドを確立しなくてはならない。
第三者認証の価値が社会に認められ、審査員が尊敬されるようにならないと先細りになるだけである。


新年を迎えるにあたっての願い

このスキームが価値あるものとなるますように




ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2007.12.28)
某社において環境目的を実現するための実施計画がないという理由で重大な不適合になったという。もちろん環境目標を実現するための実施計画はあったそうだ。重大不適合と言われればその会社の担当者は真っ青になったことだろう。

ほほう。それはたいへんですね。
その審査員がもしウチの会社を審査したら「重大な不適合」のオンパレードで、さぞや審査のやり甲斐があるだろうと思います。「環境目的」と「環境目標」という言葉がないどころか「品質・環境目標」としてひとくくりにしてありますから、はてさてどう「解読」されることでしょうか。
ところで、実施計画がない状態というのは、PDCAサイクルによる継続的改善が極めて有効に進んだ結果がもたらす究極の喜ばしい状態だと思うのですが、なぜそれが「重大な不適合」となるのかがわかりません。
こういう指摘をする審査員がいるから、いわゆる“ネタ切れ”になるのを恐れるあまり、マジメに取り組めば半年で達成できるような実施計画を1年かけてダラダラやったり、ヘタすると当年度はわざと未達にして翌年に繰り越すようなことが起きるのでしょうね。

話は変わりますが、先日、コンサルの方が営業にお見えになって「御社の実施計画は、何月開始で何月に終了するのですか?」と質問されたので、「さあ、何月でしょうね?」とお答えしたところ、たいへん怪訝な顔をされてました。ウチの場合、4月から翌年3月までとか、1月から12月までとか、特に実施計画の期間を固定で定めてはいないので、そういう質問をされても答えようがないのです。
不思議とどこの会社でも開始月と終了月を決めているようですが、解決すべき課題があって、それが明らかになったのが期中であれば、翌年の1月または4月まで着手せずに待つのでしょうか?
そして、その課題は、3ヶ月か半年ぐらいで早期に解決しなければならないものもあれば、2年か3年かけてじっくり取り組まなければならないものだってあるはずです。それなのに、なぜ一律に1年という期間を設定しなければならいのかがよくわかりません。たしかに、財務会計に端を発する事業計画と連動させて取り組むものだってあるでしょうから、会計年度との連動を一切否定するわけではありませんが、一律にピッタリ1年というのも、何だかいかにも「ISOのためのISO」的な匂いを感じます。
ぶらっくたいがあ様
これ全くの実話です。その会社の方ではなくそれを聞いた方から異議申し立てするときバックアップしてくれないかといわれました。私は喜んだのですが、ご当人の事務局が二の足を踏んで、結局無用な目的用のプログラムを作るシステムに<是正処置>してしまいました。
また二三ヶ月前に私が訪問した別な会社の話ですが、そこでは環境マニュアルの4.5.2.1の記述が4.3.2と同一で順守評価をすると書いてなく、そしてそれに該当する行為をしてませんでした。
これはだめと私が言いますと、ISO認証を10年していて問題ないといいます。順守評価は04年改正で追加になりましたが、同様の文言は96年からあったのですが・・・私は自信をなくしました(笑

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(2007.12.29)
師匠、おはようございます。
昨日は1年のウサをはらすというか、新年を迎えるココロの切り替えをするためにベートーヴェンの第9を聴きに行ってまいりました。普段、ヘッドホンで聴いているのと違って、生の美しい音の洪水を全身で感じることができてたいへんヨカッタです。200年近く前の楽曲(製品)が、それが変質することなく遠い異国にまで広く脈々と引き継がれていることにはISO屋として感慨深いものがあります。
さて、審査用の実施計画が作られてしまうというのは、けっこうどの会社でもあることだと思います。(ウチも初めの頃はそうでしたし)
こういうとき、規格に親しみ規格の精神(意図)に触れるという基本中の基本が大切だなと感じます。とりわけISO14001の場合は、その序文が最も重要であると思います。
例えば、「組織が、法的要求事項及び著しい環境側面についての情報を考慮に入れた方針及び目的を設定し、実施することができるように」とありますが、「実施するために」とはなっておらず、実施計画の策定と実施は手段であってそれが目的でないことはこの部分からでも読み取ることができます。然るに、本文にのみ目がいき、審査側も受審側も言葉尻や表現にこだわり本質を見失うことは、木を見て森を見ず、仏作って魂入れず、本末転倒でバカバカしいことだと思います。

 一度やってみたいな、異議申し立て。(・∀・)v

今まで審査を通じて「そんなバカな」と思うようなフザケタ指摘を受けたことは多々あります。(そんな事例を紹介しあうと正月休みの息抜きにオモシロイのではないかと思うのですが、「珍プレー・迷プレー 世界爆笑審査問答」みたいな企画やりませんか?)
しかし、「そんなこと、規格のどこに書いてあります?」などと鼻の穴を膨らませてケンカ腰にならずとも、「ご指摘の件ですが、この場合、規格の意図は○○○○にあると思うのですが、その観点からみていかがなものでしょうか」と返すことで審査員が撤回あるいはトーンダウンされることがほとんどで、意義申し立てという伝家の宝刀を抜いたことは一度もありません。
審査員も、“寄らば斬るぞ”というこちらの心意気を感じ取っているのかもしれませんが。
順守評価については、その手順を定めて文書化しておけば明確になってよろしいですが、ウチのように一般的な金属製品製造業などの場合は、該当する法令も少ないので、わざわざそんなことをしなくてもシステムが正常に機能していれば自然にできているはずのことですよね。
法令が順守されていることを内部監査で定期的にチェックし、マネジメントレビューでその報告を行い、トップマネジメントがそれを評価するというのは、どこの組織でも最低限やっているはず(え? やってない? そんなバカな)ですから、紹介事例のように「該当する行為をしてません」というのは、当人がそれと認識していないだけで結果的には行っているように思います。

ぶらっくたいがあ様の
わざわざそんなことをしなくてもシステムが正常に機能していれば自然にできているはずのことですよね
というのはそのとおりなのですが、そのとおりできていないところがあるのです。
私は順守評価という形をもとめているのではありません。実質的に仕組みがあり、有効な順守評価でなければ困るのです。
法律を守る、社会規範を守る、社会に貢献する、会社の利益を上げる、おてんとうさまの下で恥じることがない
そんなことを実現せずに高尚なことを語る方が多いものですから困っております。
ISO規格云々の前に、そういった当たり前のことを認識することが必要と審査員、事務局、コンサルに徹底しないといけませんね


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