62回目の憲法記念日 2009.05.03

5月3日
憲法記念日


今日は62回めの憲法記念日、日本国憲法ができて半世紀以上経ったことになる。62年といえば明治維新から数えると世界大恐慌になる。維新時にちょんまげを結っていたサムライも今は昔、昭和の時代は服装も暮らしも建物も、62年前とは大変わりだったことでしょう。
日本だけではありません、フランス革命から62年経つとクリミア戦争になります。ヨーロッパでは国の興亡とか国境の移り変わりが激しくパラダイムが変わっています。国にだって寿命があるようで、ソ連は73年で終わりました。中国の寿命もそれと同じとすると2022年に崩壊するのでしょうか?
62年というのは個人だけでなく、国家や人類史においてものすごく長い時間です。
しかし日本国憲法について言えば、変えてはいけないと信じている人たち、新聞社、学者が大勢います。「ぶれない」という言葉は一般的に褒め言葉のようですが、憲法についての考えが少しも変わらず、ぶれないことが良いことなのでしょうか?
憲法はなにものにも影響されず単独で存在するわけではありません。人間が社会を作り、国家がたくさんある。そういう世界の中で、日本がどのような形をとり、どのような運営をしていくかというのを決めたものが憲法であるはずです。

憲法(Constitution)とは元々外来語、その意味は
 ・the way in which someone or something is composed
  人や物ごとが執るべき手順をまとめたもの
 ・law determining the fundamental political principles of a government
  政府の基本的な考えを決めた法律
憲法とは真理を教える宗教の経典ではありません。憲法とは改正してはならない不磨の大典でもなければ、国民を守る力のあるお言葉でもありません。時が経ち、国際社会の環境が変われば日本人の暮らしも考えも変わるでしょう。そういう時代に合わせて憲法を変えていくというのはおかしくありません。いや変えていかないとおかしいのではありませんか?
当時の世界観、日本の状況下において成立した日本国憲法が現在の日本に見合っているかと考えるまでもなさそうです。
当時と大きな違いはなんでしょうか?
まず共産主義という勢力がなくなったということでしょう。でも、独裁主義はいまだに存在し民主主義の脅威です。中国、北朝鮮はいまだ民主主義とはもっとも遠い政体です。独裁主義が怖いのは、国民の主権を侵しているだけではなく、諸外国に対してはその政策、外交が不透明でかつ一部の人の利権によって暴走するからです。中国の軍事予算は不透明なのですが倍々ゲームで増えていると言われています。
北朝鮮についてはもはや戦争をするために存在しているようです。彼ら自身が先軍政治と自称していますから間違いありません。
先軍政治はすべてにおいて軍事を優先し、朝鮮人民軍を社会主義建設の主力とみなす政治思想
それから新興国の発展、そして軍事的にも政治的にも群雄割拠の状況です。現在は国家間の戦争だけでなく、テロや武装した海賊問題もあります。資源争奪競争もあります。環境問題もあります。
日本国憲法はそういう状況を想定していません。
日本は国連に毎年大金を払っています。しかし常任理事国でもなく、それどころか国連から敵国とみなされているのです。
国連主義を唱える政党もありますが、そういう人たちは、日本が国連の敵であることを知っているのでしょうか?

私たちの暮らしにおいても、ヤミ米を買わないと食べられないという状況ではありません。家を建てるとき、大きな立派な家を建ててはいけないと言われることもありません。
パーマをかけようとストレートパーマをかけようと自由です。
現実の社会と日常の生活に見合った規範を作るべきだと思うのはごく自然のことです。
62歳の日本国憲法が現代の社会に合っていると思う人はいないのではないでしょうか?

本日の朝日新聞の社説を読みました。
日比谷公園の派遣村について書いています。既に多くの人が、解雇された派遣労働者が日比谷公園に集まったということが真実なのかどうか?疑問を呈しています。まあ、それは真実だとしても、派遣村が日本の1億3千万を代表するわけではありません。日本が不況だと言っても世界的な大不況の中で健闘している方だということをご存じないのでしょうか?
韓国がウォンが1年前の半値になってしまって輸入品やエネルギーがものすごく高くなり、失業率が高まっている今、日本はまだまだ大丈夫だ、安心しなさいというメッセージを国民に伝えるのもマスコミの責務ではないでしょうか?
蟹工船を持ち出すのもいいですが、なにか日本は貧しい、苦しいということを言いたいとしか見えないんですよね。清貧を突き通して餓死した判事のいた時代じゃありません。
要するに朝日新聞は、日本は大変悲観的な状況下にある、日本人は自信をもってはいけない。その最後のよりどころは日本国憲法だ、決して憲法を変えちゃいけない!というメッセージを伝えたい、強化したいという一念と見受けます。
朝日新聞を読むと、この新聞は日本を考えていないことが良く分かります。国家的視点がないのです。彼らが考えているのは庶民の目で考えているのです。お間違えないように、庶民のために考えているのではなく、庶民レベルで国家を考えているということです。
全くの善意であっても、無知は国家を滅ぼすのではないだろうか?なんて思いました。

本日の朝日新聞を読んだ感想
朝日新聞のような論調が消えるときが戦後の終わるときなのだろう。



タイガージョー様からお便りを頂きました(09.05.03)
ご無沙汰しておりました
拝啓 佐為様
../tora.gif 長らくご無沙汰しておりました。タイガージョーです。ここ1年多忙な部署に配属されており、メールを出すこともままならぬ日々でした。今年度はようやくゆっくりできそうです。
本日の憲法記念日に際して、貴サイトの名文を拝読させていただきました。1年前と変わらぬ切れ味はさすがですね。私も遅ればせながら憲法を勉強させていただきましょう。
・・・・・・
なるほど・・・。この憲法は10年以上も国民的議論を重ね、民間レベルの私案や欧州、トルコの前例も勘案して制定されたものなのですね。以前は認められなかった言論の自由、司法権の独立、議会制の確立など、新しい国を作ろうという希望が感じられます。
この憲法は日本では50年以上改正されておりません。50年という歴史のなかで国際事情の変化、日本の立場の変化などが大きく変わりました。それなのに50年間と同じシステムで国を動かそうとしたことは日本にとって大きな不幸でした。(↓この憲法)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
日本人は元来憲法や原理原則を改訂することが苦手な民族かもしれません。しかしこの憲法がたどった道のりをみれば、国際事情の変化に合わせて憲法を変えていかにことの危険性を多くの日本人は察知していただけるものと信じております。
ところで朝日新聞の社説が貧困→憲法と一見無関係のものをつなぎ合わせていることに対してはあまり気にしなくてもよいかと思われます。それは改憲に対して理論的な反論の手段を失ったことを意味していると思われるからです。それよりも憲法改正という憲政史上初の出来事にどう対処していくか。江戸幕府のシステムを改正した日本人の英断が今試されるときであります。
敬具
タイガージョー拝

おお!タイガージョー様 ご無沙汰でございます。お元気ですか?
私は相も変わらず駄文をひねり続けております。
タイガージョー様のお便りを拝読して反省しきりです。
マッカーサー憲法の62年をみて、大日本国憲法の50年を見ないのは片手落ちでした。
ISOも会社もそうですが、流れに流されろというのではなく、流れに合わせて空気を読んで時代に合わせていかないと生きていけませんね。国際社会は特定アジアとアメリカだけではないのですから。
ところで朝日新聞の論調についてタイガージョー様と同じ意見がネットに散見されます。そうだといいと思うのですが、彼らもしぶとくあまり期待はできません。

あらま様からお便りを頂きました(09.05.03)
NHKの暴走
佐為さま あらまです
憲法記念日の本日。各地で憲法論議が行われていたようですね。
新聞各紙も特集を組み、偏向報道を続けている NHKも特番を放送。
その NHKが贈る自虐史観の第二弾、「天皇と憲法」をみました。
皇国史観を国体論にすり替え、右傾化、軍国化を牽制するような内容でした。
特に、天皇制が「利用」されてきたことを指摘。
これは、裏を返せば、利用されるような天皇は不要であるような言い方です。
さらに、日本国憲法の「国民の総意による」天皇に注目。
あたかも、国民の総意がなければ、天皇の居場所がないような言い方です。
もちろん、利口な NHK ですから、そんなことは口に出していません。
なぜ、天皇が国民から支持され敬愛されているかを抜きにして、単純な憲法論議で天皇を論じています。
本当に、NHKは日本人が運営しているのでしょうか ?
それにしても、自虐史観で近代の天皇を見ると、あのように映るものかと、ある意味、感心してしまいます。
あれは、一つの「史観」です。
公共放送が一つの史観だけを紹介したままで良いのでしょうか。
無党無偏を標榜するのなら、そんな番組なんて止めて、ニュースや天気予報を伝えているだけでよいのです。
ついでに、特亜のテレビ番組なんて、購入してまで放送する必要はありません。

本当に、NHKは日本人が運営しているのでしょうか ?
私もそれが疑問です。
中国政府の広報室、あるいは在日の代弁者としか思えません。
私たちがお金を払って養うことはなさそうです。
といいつつ、私はNHKに払っていませんでした。
NHK排斥運動を続けていきましょう。

三佐鷹禎様からお便りを頂きました(09.05.03)
憲法記念日
ご無沙汰です
今日は憲法記念日のとのこと、嬉しいか嬉しくないかは別にしても今日学校へ行くときに(運動会の練習です)国旗があったので敬礼してきました。
さて、「憲法」が施行されたということでお花畑さんも愛国者の方々も憲法について考えているようですが・・・私には今の憲法がおかしいとしか思えません(まあ理由はわかってらっしゃると思うので割愛しますけども)
そんななかお花畑さんの集会の中にあのノーベル賞の益川教授がいらっしゃったらしいですね。
「憲法九条の改悪のきな臭いにおいがする」と仰っていましたが・・・こういうインテリの方ほど騙されやすい体質なんだな、と改めて思いました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090503-00000067-jij-soci

三佐様 お便りありがとうございます。
まず有名な人、芸能人が我々一般庶民より偉いとか知識があるということは絶対にありません。
トランジスターを発明したショクレーは人種差別主義者でした。鳩ぽっぽは鳩ウイルス病・・
益川さんのことは知りませんが、年齢からみれば全学連、全共闘時代の人ですから、サヨク思想に侵されていたとしても不思議ではありません。
もう十分働いたことでしょうからゆっくり休んで世の中に発言しなくてもよろしいですと申し上げておきましょう。


KY様からお便りを頂きました(09.05.06)
9条に(無理をしてでも)箔をつけたい人たち
「憲法記念日」が来るたびに、マスゴミ各紙は「外国人の識者」のコメントを載せて、「日本国憲法、特に9条は世界に誇れる存在」だと強調したがる傾向がありますね。
しかし、本当に彼らの「日本国憲法礼賛」のコメントを額面通り受け取ってもいいのでしょうか?少なくとも私は「だから我が国の憲法にも9条の理念を取り入れるように運動します」という外国人「識者」のコメントを観たことが一度もありません。もし本気で9条を評価してくれているなら自国の憲法にも活かす様運動を始めているはずですが、そういう動きは聞いたことがありません。
こういう事実を鑑みるに、彼らは「日本国憲法誉め殺し」をしているに過ぎないのでは?と勘繰ってしまいます。彼らの礼賛の辞の裏には「黄色いサルは半世紀以上も経つのにまだあんなまがい物を崇めているのか」と日本人を上から目線で見下す意図が隠されているのではと「妄想」してしまいます(苦笑)。
これが考えすぎであればいいのですが(棒読み)。

KY様 毎度ありがとうございます。
まさしく同意! 外国に行っていい加減なことを語る・・止めてほしいものです。
ダグラス・ラミスという人物が日本国憲法は素敵だ、変えちゃいけないなんて語っていますが、ぜひとも彼の母国アメリカ合衆国で叫んでほしいものです。
袋叩きにされるのが怖くてできないんじゃないですか?


外資社員様からお便りを頂きました(09.05.08)
私が子供の頃は、戦中、戦前は暗黒時代で民主主義などなかったと教わりましたが、最近 傾向が変ってきたように思います。
調べてみれば戦前にも民主主義はあったし、議会政治、政党政治、護憲運動も、白樺派に代表される恋愛至上主義もありました。 戦争以前が真っ暗だと言えば、その否定をすれば大丈夫、平和でいられると思っていたのが、それではどうにもならないと気づく人が増えたように思います。 戦前にも民主主義があり、恋愛至上主義もあり、今と対して違わないと言えば、なぜ戦争に突き進んだという課題に突き当たります。
これを考えるのは簡単ではありませんが、歴史を学び注意深く現代と比較すれば、共通点が多いことに気が付きますし(というより変ったことの方が少ないかも)、何が問題でどうすれば良かったかが見えてきます。
私なりに思うのは、戦前の単純な否定は思考停止にしかつながらず(戦前の絶対肯定も同じ)、その比較の中で考えた方がまだましなのだと思います。右や左の旦那様方でも、思考停止をして戦前・戦中の絶対肯定や絶対否定をしている人は嫌いですし、たぶんヒット&アウエィのメール礫を投げ人々も同様かもしれません。
少なくとも佐為さまは、議論を求めているし、それに対してメール礫を投げて議論さえしない人は、戦前なら「国民政府を相手とせず」と言えば快哉を叫んだのではないかと怪しんでおります。(笑)

外資社員様 毎度ありがとうございます。
私が子供のとき大人だった人はみな戦争経験者でした。私の親父はB級戦犯、近所のおじさんはみな戦場に行っていたし、自動車屋のおじさんはソ連に抑留されていて帰ってきたばかりというあんばい。年上の従兄弟たちはみな学徒動員で工場でフライスを使っていたとか、大人がいないので電話局で交換士をしていたなんて状態でした。
だから戦場の話も抑留の話も、B29が飛んできて爆弾を落とした話も聞いて育ちました。
そして戦時中であっても「どうせこの戦争は負けるんだ」といつも言っていたおじさんご本人の話も聞きました。戦争に負けるというとすぐに憲兵に捕まるということでもなかったようです。
そのほか、B29が編隊を組んで飛行機雲を引いて飛んでくるのに「爆弾に当たる確率はゼロに近いから」といって防空壕にも入らず屋根に上って眺めていたオジサンとか、撃墜されて墜落したアメリカ兵を大勢で竹やりをもって追いかけまわして警官に止められたなんていう体験者の話も聞きました。
本当の話ですが、母のいとこは召集令状が来ても兵隊に行くより百姓をしていたほうがよいと考えて出頭しなかったそうです。さすがに最後に呼び出しが来て行ったそうですが、それでも刑罰とかなかったと聞きました。
要するに言論の自由が全くないとか、暗黒の時代というのはデマではないでしょうか?
もっとも中国なら暗黒の時代はあるかもしれないではなく、現実に現代に存在するようです。

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