ISO9001認証の社会的意義と責任 10.02.07

2月上旬にJABのウェブサイトに第16回JABISO9001公開討論会の予稿集がアップされた。
いかなる物語にもクイズ番組にもメインのキャストはいる。赤毛のアンの主人公はアン・シャーリー、陸山会疑惑の主人公は小沢一郎、そしてこの公開討論会の主人公は飯塚センセイである。
ビッグサイトに聴講に行くお金も暇もない私は、毎年これをプリントして読むのが常である。
毎年大会の色合いは変わる。まさに女性のファッションのようだ。しかしそのベースにはISO第三者認証制度がだんだんと低調に先細りなっていること、そしてそれをいかに挽回しようかという問題提起であることに変わりはない。もっともその提案が過去の検討が積み重なり、発展しているとは思えない。ときどきいいこと言っているじゃないかと思っても、翌年まったく違ったおかしなことを主張したりする。まあ、そこが面白いのだけどね。

予稿として、基調講演(案)WG1資料(案)WG2資料(案)WG3資料(案)の4つの資料がアップされている。全部を語ると長くなるので、本日は偉大なる飯塚センセイの基調講演を検討することにする。
(注)
これは2月5日時点のものをプリントしている。今後修正される可能性はある。
まさか私のコメントを受けて修正することなどあるはずはないが。

以下をお読みになる際は、JABのウェブサイトにアクセスしてパワーポイントを見比べてください。
私も批判とか揚げ足取りだけで終わりたくない。
「ISO9001認証の社会的意義と責任」と題して論じるなら、まず定義をしっかりと理解することが必要だ。
そして何事かを主張するなら、その証拠を示すべきだろう。
昨年語った「虚偽の説明」とは、ISO9001認証組織の何社において、いかなる方法でいかなる虚偽を説明したのかをぜひ知りたい。
今年の「節穴審査」とは、認証審査で何件あり、いかなる不適合を見つけることができなかったのかをぜひ知りたい。
そして、それが真の原因であるなら、ビッグサイトで「ISO9001認証の社会的意義と責任」などと語らなくても、「虚偽の説明」や「節穴審査」など「検出された不適合、又はその他の検出された望ましくない状況の原因を除去(ISO9000 3.6.5)」すれば良いのではないか?
さすれば第三者証明の真価は高まるであろう。

本日の予言
2009年は企業が虚偽の説明をするから第三者認証制度の信頼性が低下していると語った。
2010年は審査員が節穴審査をするからだと語った。
多分、2011年は認証機関の審査員の指導監督が悪いからだというのだろう。
そして、2012年は認定機関が悪いからというのかもしれない。
2013年には社会が悪いと言いだすのかしら?


10.02.09追加
私が公開討論会の内容が退化しているというのは証拠がある。2008年のWG1の最後は次のようであった。
ISO9001を導入することで得られるQMSモデルの価値や品質保証の価値は、第三者認証制度で認証される価値とは関わりなく別にあるということです。
組織が虚偽の説明をする、審査員が節穴審査をする、などと証拠もなく語るのではなく、ISO9001を真に実現するためにはどうすべきかを語るべきだと考える。
今回の公開討論会の予稿集を拝読すると、ISO9001=第三者認証制度と考えているのは明白だ。つまり、JABや公開討論会の関係者はISO9001規格そのものでなく、ISOビジネスを継続することが目的なのだろう。
それなら、虚偽だとか節穴などと責任転嫁せず、第三者認証制度の関係者が金に目がくらんだのが信頼性低下の真の原因であると悟ることが必要だ。



ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(10.02.09)
それなら、虚偽だとか節穴などと責任転嫁せず、第三者認証制度の関係者が金に目がくらんだのが信頼性低下の真の原因であると悟ることが必要だ。

んーーー。ちょっと違うと思います。
カネに目がくらんだというよりは、これでメシを食い続けなければならないから死に物狂いで現行制度の維持に躍起になったがために、それが信頼性の低下を招いたという事実をよく自覚することが必要だ。という表現の方が シックリきます。
だって目がくらむほど儲かるとは思えませんし、実際どこも火の車でしょう。
偉人の言葉を引用しておきましょう。

「目的は、手段を講じた瞬間からそれ自体が目的にすり替わる」
ググレカス(生没年不詳)

ぶらっくたいがぁ様 いつもご指導ありがとうございます。
たいがぁ様はかなり辛口ですね。フーテンの寅さんなら「そう言っちゃ身も蓋もない」と言うところでしょう。
考えてみると、第三者認証と言うビジネスモデルはそもそも失敗作だったのではないだろうか?という気がしてきました。これほど参入障壁が低く、差別化が困難な、製品サービスというのは他に見当たらないと思います。
はっきり言えばこれはヴィトンとかロレックスのようにブランドを確立できる代物ではなく、コモディティのたぐいではないのでしょうか?
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つまり、トイレットペーパーとか、歯ブラシと同じです。
メーカーなんて気にせずに、会社帰りにドラックストアかコンビニでひょいと買うというものでしょう。
有効性審査なんていっても、今じゃどの会社も白けきっています。
紺屋の白袴、他人のあらを言う前に率先垂範、 有効性審査をする前に、認証機関の損益改善、品質改善をすれば、そこに頼む企業が増えるかもしれませんね。
「なぜ兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁(はり)を認めないのか。」
マタイによる福音書

名古屋鶏様からお便りを頂きました(10.02.10)
第16回JABISO9001公開討論会の予稿集を読みましたが。
細かい話をするとキリがありませんけども。もはやI塚センセイは、ご自分の頭のなかだけに存在する話を嬉々として書いているとしか・・・
現実世界とI塚先生の理論との間の乖離はあまりに大きい、というか別次元のようです。
センセイは、審査機関や組織がこの講演を聴いて何か役に立つ(使える)ことがあると思っているのでしょうか?それとも「オレって格好いい・・」という自己陶酔だけ満足できればokなんでしょうか?

ま、勝手にやってろ、ということです。

名古屋鶏様 毎度ありがとうございます。
おっしゃることに同意です。

実はね、昨年は私は企業側が虚偽の説明をしていると語っているので頭に来たのですよ。もちろん私が組織を代表しているわけではありません。しかし私は過去、審査で虚偽なんてしたことはありません。私が指導したところでもかようなことをしたのを見たことがありません。
だから憤りを感じたのです。
でもね、今年、E塚先生は節穴審査と言っています。それを読んで真剣に考えたのがアホだったということに気がつきました。
想像ですが、E塚先生は現実の審査など見たことがないのでしょう。まして節穴審査を見つけたわけでもないでしょう。もし実際に立ち会って節穴審査を見つけたなら、それこそ鬼の首をとったように書いたでしょうから。
今日(10.02.10)、新宿文化センターでCEARの審査員対象の講演会に行ってきました。JABの中川さんという女性が虚偽の説明を受けて・・と語っていましたが、証拠を出せと言いたいですね。JAB関係者は想像で語っているとしか思えません。三現主義なんて無縁なのでしょう。
まあ、こんなことをつづけて、そして誰もいなくなった・・となるのでしょうか?
認証を受ける企業もなくなった、審査員も辞めちゃった、認証機関は廃業した・・
審査と言う無駄が排除されて、一般企業は有効性どころか効率性も実現されるかもしれません。
そのときE塚先生は、虚偽の説明もなくなり、節穴審査もなくなって、喜ぶのでしょうか?




第17回JAB/ISO9001公開討論会の予稿集 11.02.11

第17回JAB/ISO9001公開討論会の予稿集がでた。
基調講演
WG1: QMS 能力実証型審査の基本的考え方と計画
WG2: QMS 能力実証型審査の方法と実施
WG3: 組織の視点での QMS 能力実証型審査の価値の追究

早速プリントアウトして、通勤電車2往復ほど時間をかけて読んでみた。
しかし、そこで主張していることは、もう、出がらしというか、味もなく、香りもない。ISO以前にISOを語っている人々の命運は尽きたように思う。
*ご注意
 ISOの命運が尽きたのではない。
 JAB公開討論会で語っている人々の命運が尽きたのである。
ともあれ、このメンバーはISO9001を論じているのか、小集団を論じているのか、TQMを論じているのか、私にはわからなかった。
ご本人たちにもわからないのかもしれない。

まずトップのページに
 ISO9000=ISO9001QMSモデル+QMS認証制度
とあるのには笑った。
昨年も私はこれは完璧に間違いだと論評している。
だいたい、左辺が9000で右辺が9001っておかしくないか? どう考えたってイコールになるはずがない。
もし勘違い、あるいはISO9001を略してISO9000と語っているならもう一方もISO9000になるだろう。

本当を言って、私は次の式が正しいように思います。
 QMS認証制度=ISO9001+お金儲けの仕組み

どう考えてみても
 ISO9000=ISO9001QMSモデル+QMS認証制度(前出)
であるはずはない。
ISO第三者認証制度がISO規格を使った認証ビジネスであるなら
 QMS認証制度=ISO9001+お金儲けの仕組み(前出)
となるだろうし、あるいは用途からいうなら
 ISO9001=第三者認証制度+QMS改善ツール+自己宣言
 (QMSの場合は自己宣言には若干疑義があるが)
ではないのだろうか?

毎年、この大会の基調講演もワーキンググループの検討結果(?)も劣化するばかりだ。
本当にISO第三者認証制度を興隆させ、ビジネスを継続しようと考えるなら、この基調講演者とワーキングメンバーを全員総入れ替えして、ISO第三者認証制度はどうあるべきかと考えないとだめだろう。
今のメンバーじゃどうにもならない。
それが私の結論である。

とここまで書いた後に気がついたのだが
あるいは・・・今のメンバーは降りたくてしょうがないのだが、下ろしてもらえないのだろうか?
 あながち・・・・



外資社員様からお便りを頂きました(11.02.14)
佐為さま

本当を言って、私は次の式が正しいように思います。
QMS認証制度=ISO9001+お金儲けの仕組み

ちょっと遊んでみました。
等号が成り立つならば、右辺を左辺にひっくり返して移動しても成り立つはずです。

佐為モデル
QMS認証制度―お金儲けの仕組み=ISO9001
うーん、なるほど

JABモデル
ISO9000=ISO9001QMSモデル+QMS認証制度
これですと、
ISO9000(シリーズ?)−QMS認証制度=ISO9001QMSモデル
ということは、ISO9000シリーズの規格の中で、認証制度をやらないと、ISO9001QMSモデルが(実現?)出来るのでしょう(笑)

外資社員様 毎度ありがとうございます。
バレンタインデーに頂いたメールにホワイトデーにご返事するようでは嫌われてしまいますね
なるほど、数式で表すことはビジブルになりますが、必然的に欠陥もビジブルになってしまう、E塚先生の失策でしょう。JABの大会は来月ですから、もしかしたら、ひょっとしたら、このウェブサイトを見ている方(そんな人いるはずはありません)から突っ込みがあるかもしれません。
まあ、そんなことはないでしょうけど・・


第17回JAB/ISO9001公開討論会へのコメント 11.02.23

インターネットでISO9001とかマネジメントシステム規格なんてキーワードで検索していたら面白いものを見つけた。
マネジメントシステム規格の現状・課題・展望というものである。
2006年とあるから5年前の論説だ。

ここでは算式まではないが、E塚先生の持論は確立していたようだ。
ISO9000には2つの意味が含まれる。一つはISO/TC176が検討し発行しているISO9000規格、もしくはその規格が提示するQMSモデルという意味である。もう一つは、そのモデルを基準に使って認証を行なう社会制度という意味である。これらを総称して「ISO9000」という言い方がされている。
この文章の意味は良く理解できるし、間違っていないと思う。
しかし、この文章のいわんとしていることは、ISO9000といっても「規格そのものあるいは規格が示す品質マネジメントシステム」という意味で使われる場合もあるし、「第三者認証制度」という意味で使われることもあるよということだ・・と理解する。
上記文章を数式にしようとすれば
ISO9000ケース1=ISO9001QMSモデル
ISO9000ケース2=QMS認証制度
となるのではないだろうか?

だが、これは昨年も今年もパワーポイントで示している
ISO9000=ISO9001QMSモデル+QMS認証制度
という意味とは全然違う。

ISO9000について説明しようとして単純化したのはいいが、その単純化の過程において間違いが入り込み、そして今度はその間違いに気づかずに論を進めているような気がしてきた。

数式で「=」で結んでも等しいということではないということもありえる。
昔1975年頃、私は8ビットのパソコンでBASICなんて遊んでいたものだ。
BASICでは
A=A+1
なんて式はおかしくともなんともない。Aに1加えたものをAとするという約束事であった。
ということは、
ISO9000=ISO9001QMSモデル+QMS認証制度
とは、ISO9001QMSモデルにQMS認証制度を合わせたものをISO9000と呼ぶという意味なのだろか?
しかし、ISO9000というISO規格が制定されているのでその論は無理気味である。
あるいは等号が「等しい」とか、「同じものとする」という意味ではなく、「それぞれの場合がある」という意味を持つと定義して、「ISO9000」とは「ISO9001QMSモデル」の意味もあるし、「QMS認証制度」の意味もあると言いたいのだろうか?
それならそうと説明してくれないと困るよ

暇つぶしに考えた、1+1の答えはいくつあるだろうか?
 1+1=2・・・算数の答え
 1+1=1・・・論理和
 1+1=10・・2進法の計算
 1+1=3・・・会社では力を合わせて合計以上にしろといわれてます
 1+1=0・・・上記とは反対に烏合の衆の場合です
おっと、いずれもISOには関係ないようです。



外資社員様からお便りを頂きました(11.02.24)
佐為さま

ISO9000ケース1=ISO9001QMSモデル
ISO9000ケース2=QMS認証制度

私も、ISO9000の用途が、このような並列関係である点に賛成です。
ISO9000が目的とするものを実現するには、このようないくつもの方法があるのだと思います。

ISO9000=ISO9001QMSモデル+QMS認証制度
これが、なぜ破綻するかと言えば、ISO9000を実現するのは、この2つだけが重要だと主張しているからかもしれません。
この2つの要素が重要である点は、全く異存がありませんが、それ以外に方法が無いとか、この2つだけでISO9000が構成されるのではないので、その部分の無理な論理が露呈するのだと思います。



少し、話が飛ぶことをお許し下さい。
前にもお話しましたが、私の会社は技術系の認証をしています。
技術系に限らず、認証や、仮定の検定には、ある条件(試験等)の結果を持って推定するのが一般です。
つまり、ある規格適合に対して、全項目をやると時間もお金もかかるので、一部の条件を抜き出します。
このような検定(試験)では、「問題がある場合を見逃す危険があるが、検定の合格をもって*%の信頼性で合格と考えられる」という仮定があります。 要するに、常に見逃す危険がある前提でやっています。
その代わり、本来合格できる対象ならば合格出来る所に基準を置きます。言いかえれば、このような検定は合格は必須条件でしかなく、合格した上でもリスクはあります。(とりあえず「誤って合格させても誤って不合格にはしない」主義とします)
刑事裁判なども、本来はそのような考えのはずです。
検定には、もう一つのアプローチがあって、医療や航空のように命がかかる分野では、不良を出すことが許されません。
ですから、検定のレベルを上げて、本来 良品かもしれないものを不良とする危険を冒してでも、不良は逃さないような厳しい試験にします。
この場合には「誤って不合格にさせても誤って合格させない」主義と言えます。
実際には、どちらのアプローチだろうが、誤りやリスクはありますが、このような検定のポリシーを明確にするのは、その検定の在り方を理解する為に重要です。

さて、ここからが本題で、ISOの第三者認証とはどちらのポリシーなのでしょうか?
認証会社から出ている契約書を見せて貰うと、あくまで審査はサンプリングだから本来不合格なものを合格にする場合もあり、認定以降に、結果を見直したり変更する場合があるとの趣旨が書かれていました。
これを見ると、「誤って合格させても誤って不合格にしない」主義のような思えます。
その通りならば、大企業が下請けに認証を取れというのも当然なのだと思います。

一方で審査の現場や、審査員のお話は、こちらのWEBからの情報を参考にすると、「本番で問題にならないように厳しくしてしまう」とか「受験企業が嘘をつくから審査の品質が上がらない」とか「第三者認証の信頼性が下がっている」という意見があるようです。
もし「誤って合格させても誤って不合格にしない」主義ならば、本来 そのような点は本来問題にしないはずです。
ならば「誤って不合格にしても、誤って合格にしない」主義のようにも思えます。

どちらのアプローチだろうが、それは審査レベルとポリシーの問題ですから、一貫性があれば良いのだと思います。
但し、認証会社によって、アプローチがまちまちとか、同じ認証会社にも関わらず ある面は見逃さないと厳しく、ある面では、重要な事項に気づかないようならば、それは検定として不合理なものです。
佐為さまの問題提起を聞くにつけ、私にはISOの第三者認証が、どちらのアプローチなのか判らないのです。
お考えをご教示頂ければ幸いです。
外資社員 拝

外資社員様 毎度ありがとうございます。
おっしゃることを単純化すれば、消費者危険と生産者危険のことだと思います。と簡単に言い切っては失礼かもしれませんが。
確かに裁判であれば消費者危険(被告人を消費者とすれば)を最小にするために推定無罪という原則が講じられたのでしょう。
消費者危険と生産者危険は、ふたつ同時に存在できない概念ではありませんから、どちらかのアプローチを選ぶということにはなりません。通常はお互いの妥協点を求めて、消費者危険をある程度に、生産者危険もある程度に抑えるということになります。
取引契約で抜取検査をするときはAQLいくつとか決めるのがそれです。
ということで、ISO審査はどうなのかと問われると、私はIAFやJABを代表(representative)する立場ではありませんので明快に答えることはできません。想像ですが、ISO審査は抜き取りではありますが統計的手法で抜取数を決めたり、不良数いくつならロットアウト、いくつなら引き取るという決めがありません。しいて言えば抜き取ったもの全数が良品でないと引き取らない(認証しない)という運用になっています。
そう聞けば、チョット待てよ、と思うのが普通です。
そういう取引には抜取検査を採用しちゃいけないんですよね
そして抜取した結果不良が一個でもあればロットアウトで不採用としても消費者危険が少なくなるわけではありません。というのは元々が統計的の裏づけがあって抜取数を決めているわけではなく、ランダムサンプリングをしているわけでもありませんから
じゃあ、抜取方法を考えればみなが納得できる審査になるのかといえば、それもまた難しいと思います。といいますのは、製品仕様と違い、マネジメントシステムは合否判定基準があいまいだからです。統計的に抜取数を決めて、ランダムサンプリングしても、検査判定が恣意的ならば意味がないのと同じです。
ということで、うーん、どうすれば良いのでしょうか?


ISO9001認証について考える 11.06.12

タイトルは、アイソス誌に2011年4月号から飯塚教授が連載しているカラムというかページのタイトルである。内容は私が今までに飯塚教授の発言に問題を提してきたことへの回答といえば思い上がりであるとお叱りを受けるかもしれないが、私と同じ疑問を持った方への回答あるいは説明であろう。

第一回では飯塚氏が過去より説明に使用している
ISO9000=ISO9001QMSモデル+QMS認証制度
という式は示さず、言葉で次のように説明している。
「私たちは通常、ISO9001を基準とする認証制度を「ISO9000」と呼んでいます。すなわち、ISO9000には、ISO9001というQMSモデルと、これを基準とする認証制度という2つの側面があります」
数式と文章という違いはあるが、語っていることは同じである。
改めて突っ込む気はないが、私はまったく同意できない。
そもそも、ISO9001というのは「品質マネジメントシステムの要求事項」(規格のタイトル)を定めた規格である。そこには認証の基準であるとは書かれていない。序文において「認証機関を含む外部機関が評価するためにも使用することができる」とあるだけである。
客観的に見てISO9001とISO9001を利用した第三者認証制度は親子のように生まれながらの縁があるわけではなく、単に認証制度がISO規格を利用したというか、片思いの関係なのだ。客観的に見なくてもISO9001は活用するが認証はしないという企業、認証を返上した企業が存在するということは、「私たち」に含まれない多くの人がいることは間違いない。

あるいは、ISO規格の雑誌でもあるからISO関係者に対しての情報発信であると解釈して、上記文章の私たちを「ISO業界関係者」に入れ替えれば
「ISO業界関係者は通常、ISO9001を基準とする認証制度を「ISO9000」と呼んでいます。すなわち、ISO9000には、ISO9001というQMSモデルと、これを基準とする認証制度という2つの側面があります」
という文章になる。これなら「ISO業界関係者」の「私たち」には共感を得られるだろうか?
前段の「ISO業界関係者は通常、ISO9001を基準とする認証制度を「ISO9000」と呼んでいます」は妥当かもしれない。しかし後段の「ISO9000には、ISO9001というQMSモデルと、これを基準とする認証制度という2つの側面があります」という文章はどうだろうか?
「私たち」を「ISO業界関係者」に差し替えてしまったのだから、ISO9001をQMSモデルとしてとらえる発想というか、前提で考えることはないのではないだろうか?「ISO業界関係者」にとっては「ISO9001」とは認証制度そのものと考えているのではないか?
もちろん「QMSモデルと、これを基準とする認証制度という2つの側面がある」と考えている人もいるだろうが、「ISO業界関係者」の多くはどうだろうか?
そういったことを考慮すればやはり元々の文章が変だと思う。いや算式や文章の表現を変えてもその根底にあるのがにじみ出てくるというか、基本的な考えがずれているように感じられる。

「私」は「通常ISO9001を基準とする認証制度を「ISO9000」と呼んでいません」、その代わり「ISO9001を審査基準とする認証制度をISO9001認証制度と呼び」、そして「ISO9001とISO9001認証制度は別物である」という認識を持っています。
そもそもISO9001にしろISO14001にしろ、認証ということに価値があり、認証することが目的としている人ならば、ISO規格イコール認証という発想を持つかもしれない。しかし、ISO規格が発祥する前から品質保証に携わってきた人が「ISO9001イコール品質保証」とか、「ISO9001イコール認証制度」と考えることはないでしょう。おっと「ISO9001イコール品質マネジメントシステム」でもありません。ISO9001は品質保証の基準のワンノブゼムであり、ISO9001の適合を外部に確認してもらうのが認証、あるいは認証を求められたからやむなくという考えを持っていると思います。もちろん、それも私の思い込みかもしれませんが、少なくとも品質保証屋をしてきた私がそう思っているのは事実です。

ISO9001の代わりにISO9000と呼ぶから、おかしいよとか間違っているなんて瑣末なことを申しているのではありません。ISO9001と認証制度のかかわり、品質保証とISO9001の関係をごっちゃにしているのではないかと思うのです。 あるいは、ISO認証制度内部の立場での発想なのかもしれません。

6月号では「認証の過程で、認証される対象の能力そのものが向上するという副次的効果もあります」と書いている。
そうなのだろうか?
世の中の「私たち」は「認証の過程で、当社の能力が向上する」ことを期待しているのだろうか。そして、実際の審査は、その期待に応えているのだろうか?
日本適合性認定協会が2010年2月に発表した「ISO9001・ISO14001に対する適合組織の取り組み状況」調査報告書によると、認証の目的で製品またはサービスの質、環境パフォーマンス向上はそれぞれ51.3%と50.3%であった。そして効果として、製品品質、環境パフォーマンスの向上を図ることが、期待通り達成したのが9.5%、ある程度期待通りの結果が得られたが70.2%である。回答が本音か否かはともかくとして、世の中の「私たち」の半分はシステムだけでなくパフォーマンス向上を期待し、そして1割は間違いなく期待を達成したようだ。

しかし、残念ながら私の20年の経験ではそのようにパフォーマンスが向上した経験はない。あるがままを見てもらって適合と言っていただいただけでしかない。
認証機関が審査において直接的な付加価値を与えることは可能なのかということも疑問のひとつであるが、当たり前のことだが企業のパフォーマンスはシステムだけでは向上しない。固有技術がなければシステムをいかに改善しようと向上しないのである。
製造中の製品に不具合がおきたとき、その不具合を直せば不具合は消える。原因に手を打たなければ再発するかもしれない。しかし目の前の不具合は直ったことは間違いない。
製造中の製品に不具合がおきたとき、徹底した是正処置を考えようとしても、それを直す固有技術がなければなにもできない。
野村監督がいかに優れていてもドラゴンズや楽天を強化していったのは、試合における采配だけでなく地道な教育訓練による基本的な力量向上であった。
今『もしも高校野球のマネージャーがドラッガーのマネジメントを読んだなら』という本がベストセラーになっているが、私の友人は「固有技術がなければありえない」断じている。まさしく、そのとおりである。一応のレベルにない選手を監督のマネジメントだけで勝利をつかむなんてことは、夢物語である。一応のレベルにある選手を監督の采配で動かせば勝利をつかむかもしれない。ISO9001でもISO14001でも、マネジメントシステムを運用するためには、力量を持ったリソースや要員を確保せよと書いてある。

そういうわけだから、ISO審査において付加価値を与えようとしてもシステムに限定されるなら、その効果も限定的であろう。
あるいは認証の効果は、固有技術・スキルまで及ぶことが可能なのだろうか? もしそれを達成しようとするならば、審査員は壁に向かって大声でたくさんのことを語ることになるだろう。そして審査員はマネジメントシステムに関する力量だけでなく、業界の最先端の技術、ノウハウ、ノウホワイ、技能まで詳細を知っておく必要があるだろう。

私はISO9001にしてもISO14001にしても、管理すべきことの最低レベルに過ぎないと思っている。だからお客さんから、「取引条件としてISO規格を満たしてほしい、かつ満たしたことを第三者に確認してもらってほしい」といわれれば、まあ客が言うんだからしょうがない、お金も時間もかかるが当社の仕組みをチェックしてもらおうか、という発想でしかない。
そういうスタンスであると「ISO9000には、ISO9001というQMSモデルと、これを基準とする認証制度という2つの側面がある」とは思いもよらず、また「認証の過程で、当社の能力が向上する」と期待もしていない。

あるいは私のそういう発想が完璧に間違っているのだろうか?
ISO規格に基づく認証制度はデファクトスタンダードなのだから、大多数が考えることがデファクトスタンダードになるのだろうか?



名古屋鶏様からお便りを頂きました(11.06.12)
茶々です。
野村監督がいかに優れていてもドラゴンズや楽天を強化していったのは 野村監督が指揮したのは南海、ヤクルト、阪神、楽天で中日での監督経験はありません。
ちなみに、中日では前任の山田久志氏が解任されたあと、中日フロントは落合博満氏と野村克也氏の二者択一で選考した経緯はあります。
その際、地元ラジオ局のアナウンサーがそれを聞いて、「どっちにしてもアノ嫁がセットか・・」と放送でボヤいてました。

鶏様 すみません
ハンセー
いや、阪神の星野監督のイメージが強くてそこからドラゴンズとつながってしまいました。お許しください。
サッチーがノムさんのあげまんなのかさげまんなのか・・わかりませんね

ダストコマンダー様からお便りを頂きました(11.06.12)
おばQ様こんにちは。
固有技術の件、もっともだと思います。組織の行いの中から、マネジメントと固有技術を見分けることの出来ない方は審査員にも多いように感じますし、それが誤った指摘につながることがあると思います。
とても重要な視点でしょう。
ISO9000の定義などに関しましては、業界?の方々が、より広い社会的関係性のもとに自らのビジネスモデルを描いてみる必要があるのではないでしょうか。その絵の中で、認証を受ける組織がその決してお安くない費用負担をしてでも、有意義な何ものかが有る、と指し示していただきたく思います。
そうでなければ、絵に描いたモチでしょう。

ダストコマンダー様 毎度ありがとうございます。
現行のビジネスモデルは審査におけるだけでなく認証機関によるコンサルを禁止しています。それが認証の価値を維持するものであると考えているのでしょう。そしてそれは妥当かもしれません。
現在のではなく数年前に言われた有効性審査とか、付加価値審査というものはコンサルではないが、単なる審査ではないということを表明していたようですが、どうなったのでしょうか?
ともかく認証というものはビジネスモデルとして非常に微妙なものなのでしょう。審査先と妥協してしまうと社会的評価が得られない、厳しくすると審査が依頼されない。バランスが大事なようですが、バランスが取れるのかどうかもわかりません。
いっそのこと、ISO9001規格を参照したコンサル業務というビジネスモデルに発展すべきなのかもしれません。しかしその場合は成果を出さないと客はつかないということになり、ビジネスとして難しいでしょう。
また省エネとか廃棄物削減といったものは、既に専門コンサルが存在して住み分けできるのか、真正面から競合するのか、これまた厳しいビジネスになりそうです。
私は、解があるのかもわかりません。


N様からお便りを頂きました(11.06.13)
今回の「うそ800」の中で、

「私たちは通常、ISO9001を基準とする認証制度を「ISO9000」と呼んでいます。」
とありますが、”私たち”に私は入っているのか?と素朴な疑問を感じてしまいます。
単に勉強不足なのかもしれないですが、”私は”、そんな風には呼んでいないし、呼べと言われた記憶もないです。
そもそも規格としてのISO9000は用語の定義のはず。

N様 毎度ありがとうございます。
確かに世の中ではISO9000とか、ISO14000という呼び方をする方は多いですね。特に専門家ではない人に多いのは確かです。しかしその場合は左右ともISO9000にして、
ISO9000=ISO9000QMSモデル+QMS認証制度
となるならともかく、片方が9001のままというのも変な話です。
ISO9000=ISO9001QMSモデル+QMS認証制度
ともかく、わかりません。

ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(11.06.13)
6月号では「認証の過程で、認証される対象の能力そのものが向上するという副次的効果もあります」と書いている。
そうなのだろうか?


私はないと思います。
規格票には当該項番に対応した機能・仕組みが組織内にあること、そしてそれがシステムとして作動していることが要求事項として書かれているだけです。パフォーマンスは求めていません。そして、審査とは規格との適合性を調べることですから、パフォーマンスが向上しようが降下しようが審査の合否には無関係です。
よって、論理的に考えれば「認証される対象の能力そのものが向上する」ことはありえません。
ただし、審査用の文書を半ば強制的に作成・管理させられることによって、以下の能力が著しく高まる効果はあるかもしれません。4.2項だけは例外と言えましょう。

・文書作成能力(社内用語を規格用語に変換した文書を期限内に確実に作成することができる)
・識別能力(同一文書で微妙に異なる複数の版の中から、まるで間違い探しクイズのごとく最新版を正しく見分けることができる)
・暗記能力(あるルールが社内文書のどこに記されているかを諳んじていて、審査員の問いに百人一首のごとくたちどころに指し示すことができる)
・検索能力(要求された対象期間の記録を正確かつ瞬時に検索・抽出することができる)・保管能力(審査員だけが見る記録を社員の実務に支障が出ないよう的確に分離・保管することができる)

たいがぁ様 毎度ありがとうございます。
「認証の過程で、認証される対象の能力そのものが向上するという副次的効果」とはいかにしてかもし出されるかということを考えるといくつかのことがあるように思います。
  • ともかく審査に合格するために、低いレベルからISO規格のレベルまでがんばる場合
    これは仕組みができていない、あるいは運用がままならない会社ならありえるでしょう。
  • 審査の過程で、審査員が暗示的にあるいは明示的に、更には手取り足取り教えることによって企業のレベルが上がることがあるかもしれません。
    早い話がコンサルですよね、付加価値審査とかいうのはこれなんでしょうか?
  • 審査を適合確認の場ではなく、成果発表会と心得て、毎年の審査で過去1年間の成果を発表しようとがんばっている企業
    でも、それなら最初から小集団活動とか改善のコンサルを頼んだほうが良いように思います。
  • 副次的というからには、マイナスじゃないんだという程度かもしれません。
うーん、あまり効果はなさそうですね・・・


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