いつものことですが、本日もつれづれなるままに・・・・ 朝ごはんに納豆を食べる話 関西の人は納豆を食べられないなんて聞きますが、最近は食べる方も増えているそうですね、 もちろん、私は東北人なので納豆を食べます。と言っても非常に好きだとか、食べなくてはいられないなんてほどじゃなくて、時々食べる、嫌いじゃないという程度でございます。 今、我が家は家内と私の二人暮し、朝ごはんで納豆を食べたりすると、家内が少しだけとって「後はあなたが食べなさい」と私によこすんですよ。 「ワシはそんなに食べないよ。多すぎるよ」と言ってもだめです。 なぜ私が納豆を少ししか食べないかというと、もちろん理由があるわけです。 私の家は貧乏で・・・・・もっとも私が子供の頃、金持ちといいますか余裕のある家庭なんてほとんどなかったわけですが・・・・・当時細長い藁に包まれていた納豆を家族7人で食べてたわけです。ですからご飯一膳に納豆の量はこれくらいという家庭のお約束があり、それが頭と体に刷り込まれてしまったのです。 家内に、「子供の頃から少しのおかずで麦飯を食べていたんだ」といっても家内は納得しません。 なにしろ、我が家と違い、家内の家は農家で麦飯なんか食べたことがなく、納豆は自宅で作って食べていたのですから。 ひもじい思いをしていた私にはうらやましい話です。 といっても還暦近くなった今、思う存分食べることは、緩慢な自殺とでも言いましょうか、してはいけないことのようです。 実は私は酒も好きなんですが、甘いものも大好きで、ケーキなんて目がないんです。 これも子供時代に食べられなかったせいでしょうか? しかし、エッヘン、私は克己心が強くケーキは食べません。 もっとも、家内は「我慢するほうが体に悪い!」と言い切ってしまいます。 納豆売りの話 私たちが子供の頃はとにかく貧乏で中学生くらいになるとなにかしらお金を稼ぐことをしたもんです。 お間違いなく、万引きとか家から金を持ち出すなんてことじゃありません。 もっとも家に金がないのですから、そんなことできるはずはありません。 一番簡単なのは、金屑を拾い集めて釜屋に売ることでした。 今では金属屑にはほとんど値段が付きません。せいぜい新しいアルミ屑、ステンレスの切れ端などが売れるくらい、鉄くずならきれいなもので只、古い機械などはお金を払って引き取ってもらうのが世間相場です。 ご質問、ご異議あれば承ります。廃棄物処理は私の専門です。 でも当時は金属屑を釜屋に持っていくと子供のこずかい程度にはなったのです。アルミとか銅なんてのはそりゃけっこうな値段になったのです。 学校への行き帰りは地面を見てそういったものを拾って歩いたものです。今、道端にはたくさんの飲料缶が捨ててありますが、当時でしたらアットいう間に拾われてきれいになっているでしょう。 まあ、金屑拾いは単発的なものでしたので、安定した収入源としては新聞配達とか納豆売りというのが定番でした。 以前も話しましたが、皆が同じ地域で納豆売りや新聞配達をすると共倒れになってしまいますので、商売する権利というのがありまして、それが先輩から後輩に引き継がれていたのです。つまり中学の先輩が就職すると「この土地で納豆を売るのをお前に譲る」となるわけです。たいていの場合、かわいがっている後輩に無料で譲るのが普通でした。 当時私の住んでいた土地では中学を出るとほとんどが都会に就職していきました。高校に行くのはほんの一握り、そして地元では仕事を見つけることも困難でした。 めでたく先輩から権利を受けたものが納豆売りをしたのですが・・・・・でも納豆ってそんなに売れるものではありません。当時、20個くらい仕入れて朝夕声を出して歩いてまあ7割くらい売るという程度でした。売れ残りは自分が食べるか同業者に安く売ることになってしまいます。一個5円とか10円の利益ですから利益率が全然よくありません。 実は私はもう一人の子供と二人で先輩から販売権を譲り受けたのですが、すぐに「こりゃ、アカン」と思い納豆売りを止めてしまいました。 新聞配達はけっこう高い金になりました。でも田舎で10軒に配達するのは都会で100軒配達するのと同じくらいの距離になります。私の仲間も挑戦しましたが、みな長続きはしませんでした。 音を上げた友達に代わってお母さんが文句を言い言い配達しているのを見たことがあります。 甘納豆 甘納豆というのは私たちが子供の頃はお菓子の定番を占めていました。高級ではなく駄菓子のたぐいでしょう。今で言えばポテトチップのような位置にあったわけです。 甘納豆というのは納豆とまったく関係ありません。まあ見た目が似ているということでしょうか? 冬、コタツなんかに入ってぽりぽりと甘納豆をかじっていたような記憶があります。 甘納豆は粘りがなく粒と粒がつながることはありません。納豆はごぞんじのように粘りがあり糸が引きかたまってしまいます。 もう30年も昔、毎日新聞社の記者が書いた本で甘納豆と納豆のたとえ話を読んだことがあります。 思い出すままに要旨を説明しますと、 日本人は家族、地域、職場その他の人とのつながりが濃く、まさに納豆のような生活である。煩わしいと感じることも多いが、一方みながお互いに心配し世話してくれるので個人的にあまり考えたり判断しなくとも生活していくことができる。年頃になればお見合い話を持ってくるし、会社で言葉が少ないと上司同僚が「どうしたんだ?悩み事か?」と酒に誘ってくれる。 一方、外国で暮らすとまさに甘納豆のような付き合いとなる。他人と触れ合っても引っ付くことはなく、ゆすられればバラバラと離れていく。 自分は自分、他人は他人、お互いに個人として自由であり干渉しない。誰も世話をしてくれない、心配してくれない、自分の人生は自分が調べて決断し実行していかないといけない。 といった論調でありました。 当時はそんなものかなあ?と思いました。なにしろ外国人というのは在日朝鮮人くらいしか見たことがありません。 でも本当を言えば「外国人」というものをひとくくりにして言えるはずがありません。世界には200近い国があり、それらすべての人が外国人であるわけでそれぞれが慣習、文化、宗教、価値観が異なるわけで・・・・ 中には日本人以上ねばねばの民族もあるに違いありません。 まあ、甘納豆のような考えの人もいるということだったのでしょう。 カレーと納豆 私の息子は納豆が大好き人間です。 ほとんどの料理に納豆をかけて食べています。カレーライスにも納豆をかけて食べるんですね。 私は「エッツ」と思いました。 非常に珍しいと思っておりましたら、某カレーライスチェーン店でもトッピングというのでしょうか?納豆をオプションでつけることができるんですね! これには驚きました。 納豆にカレーを乗せて食べることも市民権をえているようです。 餅を食べるにも「納豆餅」というのがあります。 実は私、いくら東北人といえ、これはだめです。食べられません。 本日は納豆ひとつとっても思いは人それぞれというお話でありました。 これをお読みになったあなたは 「ジジイめ、当分食べ物に関する文を書くだろう」 と考えたでしょう? それは 甘い甘い、 ★★★★いつも言っているでしょう、 私は政治的には保守的であっても、考えは常に革新、 頑固だけでは21世紀を生きていけません。 独り言の目次にもどる
実は私は酒も好きなんですが、甘いものも大好きで、ケーキなんて目がないんです。 これも子供時代に食べられなかったせいでしょうか? しかし、エッヘン、私は克己心が強くケーキは食べません。 もっとも、家内は「我慢するほうが体に悪い!」と言い切ってしまいます。
お間違いなく、万引きとか家から金を持ち出すなんてことじゃありません。 もっとも家に金がないのですから、そんなことできるはずはありません。
ご質問、ご異議あれば承ります。廃棄物処理は私の専門です。
当時私の住んでいた土地では中学を出るとほとんどが都会に就職していきました。高校に行くのはほんの一握り、そして地元では仕事を見つけることも困難でした。
新聞配達はけっこう高い金になりました。でも田舎で10軒に配達するのは都会で100軒配達するのと同じくらいの距離になります。私の仲間も挑戦しましたが、みな長続きはしませんでした。 音を上げた友達に代わってお母さんが文句を言い言い配達しているのを見たことがあります。
日本人は家族、地域、職場その他の人とのつながりが濃く、まさに納豆のような生活である。煩わしいと感じることも多いが、一方みながお互いに心配し世話してくれるので個人的にあまり考えたり判断しなくとも生活していくことができる。年頃になればお見合い話を持ってくるし、会社で言葉が少ないと上司同僚が「どうしたんだ?悩み事か?」と酒に誘ってくれる。 一方、外国で暮らすとまさに甘納豆のような付き合いとなる。他人と触れ合っても引っ付くことはなく、ゆすられればバラバラと離れていく。 自分は自分、他人は他人、お互いに個人として自由であり干渉しない。誰も世話をしてくれない、心配してくれない、自分の人生は自分が調べて決断し実行していかないといけない。