私はISOを愛しているのか? 2005.01.08
「私がISO規格を盲目的に信じ愛しているのではないか?」というお便りをいただいた。
お便りありがとうにアップしていないから自作自演ではないか?という疑問はあたらない。いただいたお便りの約半数は掲載しないでくださいと書いてあります。ありがとうに載せているのは頂いたメールの半分なのです。
さて、私がISO規格を愛しているかいないかというのが本日のテーマである。では、回答を考えていきたい。
私は飯を食っていくためにISOに関わってきたといえば確かにそれは事実である。
会社に勤めていて、たまたま品質保証という仕事に就き、その延長上でISO9001の認証やISO14001の認証に関わった。そして勤務先が変わっても、というかそのおかげでというほうが正しいのだが、今は環境法規制の教育とか環境監査とかマネジメントシステムの指導をしたりするようになったのである。
しかし、また私の品質保証以前の仕事を進めるの上でいろいろな出来事に出会い、それなりに自分なりに工夫をしてきた。
もちろんそんなたいそれたことではなく、生産性を上げるとか、安くするとか、不良対策とか、品質を上げるとかそういったことだ。職業人として毎日仕事をしていれば当たり前のことだ。
私は昔はこんな計測器管理もしていたんだよ そういう過程で文書管理とか、記録の管理とか、計測器の校正といったいろいろな項目においてこれをしなくてはならない、これは守らなくてはならない。こういった手法を使わなくてはならないというさまざまなことに思い至り、そして仕事の中で実践してきたのである。
誰に習ったというのではなく、自ら学び拓いてきたのである。
実は元同僚がこのホームページを覗いていると最近聞いた。私がうそを書いていないことを確認していただけるだろう。

そんな仕事をしている中で1991年にISO9001:1987に出会った。
その時、おおこれはすべて自分が考えてたどり着いた結論ではないかという感じがした。私の試行錯誤の結果を集大成しエレガントにしたのがISO9001:1987であったのだ。
おばQは一人でISO9001に思い至ったのか?すごい人だね!と冷やかされるかもしれないが、まさしくそのとおりである。
規格にある文章のひとつひとつが、なるほど確かにそうだとうなずくばかりであった。この項目は一体全体どんな意味があるのか?目的・理由はなんだろう?と疑問に感じたものはなかったと言っておこう。
「相手を理解するとは相手の中に自分を見つけることだ」という言葉がある。まったく初対面のISO規格の中に自分が失敗の中から学びとってきた原理原則や手法などを見つけたからこそ、この規格は本物だと思ったのである。
法律もそうだが、自分の仕事でいろいろと関わっているとその条文の意味が理解できる。初めてお付き合いする法律だと表つらをみてもいったいその意味、目的は何か?ということが理解できない。水濁法の条文をみて、昔はこういう規制だったのだが、○○があったのでこう変わったのだという変遷を知っているのと知らないのでは、その条文の理解の深さは桁違いなのだ。そういう意味で30年も公害関係に従事してきた方々には私はかなわない。
日本で35年以上公害に関わってきた方は・・・・ほとんどいない。
なぜか、分かりますか?

しかしここ10数年でISO規格、特にISO9001は大きく変わった。
ISO9001:2000となったきっかけは「ISO9001を認証したけどちっとも品質がよくならないのよ」という声であったわけだ。しかしながら規格を見直せば品質は良くなるのか?という答は既に出た。
「規格を変えても品質は良くならない」のである。
品質を良くするには?不良対策の先輩として言えば、自らがルールの意義を知り、守るという意識がないとだめなのである。
ISO規格要求事項の表面をなで、規格におうむ返しの社内規則を作ったり、記録の要求がある項目だけ記録を作り、この項目は手順書が要らないから作らないというシステム構築(と言えるのか疑問だが)では決して品質が良くならないのである。

考えてみると・・・考えなくとも・・・当たり前じゃないか!
そうじゃない、
目的と手段を取り違えてはいけないわ 自分たちの品質を保証し改善していくためには手順書が要るのか要らないのかを考えて、要らないなら作らない、要るなら作る。後々記録を残した方がいいのか要らないのか考えて要否を決めるべきなのだ。
審査機関の審査員が「規格では・・・・・」と言ったならば、自分たちの意見を言えばいいのだし、(大事なことだが)審査員と意見が合わなければ「じゃあ認証をやめる」と言えばいいだけじゃないか!?
ISO規格を商売の道具と考えるか、品質を上げる道具と考えるかの分かれ道が、そのままISO規格で品質が上がるかあがらないかの分かれ道でもある。

ISO9001:2000は中途半端だと私はいつも考えている。品質保証に徹するならば、ISO9001は1994年版あるいは1987年版に戻るべきだし、品質マネジメントシステム規格に脱皮しようとするならば、もっともっと成長しなくてはならない。ISO14001というマネジメントシステム規格の先輩がいるのだから真似すればいいのだ。
しかしながら、ISO9001がマネジメントシステム規格に成長することがISO9001にとって望ましいことなのか?みなが期待していることなのかは良く考えねばならない。

ISO規格なんてそもそも目的じゃない。手段に過ぎないんだよ。
真の目的は何か?
品質を良くして、会社が永続することを確実にすることじゃないか?
それがゴールでも、経営学でも教えている会社の存在意義なのではないのだろうか?
これは疑問文ではなく反語であるぞよ、 


本日の回答

私はISO規格を愛していない。
ISO規格を尊敬しているのである。
但し、尊敬しているのはISO14001とISO9001の1987年版であって、ISO9001の2000年版については答を保留する。
価値を認めていないと受け取られても否定はしない。



うそ800の目次にもどる