福本武久の著書

ここだけの話だけど 

筑摩書房
1988年11月10日刊行
定 価 1100円
ISBN4-480-80280-0 C0093
判型B6/175ページ
ビジネス・エッセイ

かくも微妙なサラリーマンの
「毛づくろい談話」


                      評者 青木雨彦

 俗に、
「以心伝心」
 という、わざわざ口で説明しなくても、自然に心が通じあうことである。
 どうせ同じ釜の飯を食っている社員同士なら、トーゼンのことながら、そうありたい。が、長年連れ添った夫婦でさえ、言わなくてもわかってもらえるようになるには、さんざ言わねばならぬ。
 ましてサラリーマン社会は、タテ、ヨコ、ナナメ、いろいろ錯綜している。おまけに仲間うちにしか通じないコトバもあって、そいつの意味をとりちがえた日にゃ、たいはんなことになる。
 この本は、そんなふうに日ごろビジネスで使われているコトバの裏の意味を面白おかしく探ってみせる。適当に収集したコトバやフレーズ四十個を「モノサシとしてのことば」「ふてくされのことば」「隠語に近いことば」「眼が口ほどにものをいうことば」「潤滑油としてのことば」の五ジャンルに分け、それぞれそれなりのショートショートとしても読めるように仕立てたところが、お手柄だ。
 たとえば「潤滑油としてのことば」のなかの〈……してもいいよ〉である。著者は長たる者の心得として〈叱るばかりが能じゃないだろう〉というようなことをマクラにふってから、こんなエピソードを披露する。
〈あるテレビドラマのビデオ撮り風景を観たときのことである。どうも監督は主演女優の演技が気に入らないらしい。書類ケースをひっかきまわすシーンだが、監督はしきりに首をひねった。高名な女優にどのように声をかけるのだろうか。
「〇〇さん、もっと荒あらしくやってもいいですよ」
 監督はためらうことなく言った。
 それじゃ、ダメ! イメージに合わないんだ。もっと荒あらしくやってyと……という意思を、遠回しに「……やってもいいですよ」と表現したのである。それを受けた女優は、一を聞いて十を知るという呼吸で、すぐに監督の指示を了解した〉
 ここだけの話だけど、ここまで書いてももらえば、しがないサラリーマンとしては、部下をロクに叱りとばすこともできず、ないかと〈……してもいいよ〉と言う気弱な上役を困らせる方法ぐらい、たちどころに思いつくだろう。ご存じのことと思うが、本はそのように利用すべきなのである。
 ところで、デズモンド・モリスの『裸の猿』を読んでいると「毛づくろい談話」というのが出てくるのに気づく。毛づくろいとは、いわゆるサルがノミをとってやっている状態≠フことだが、あれ、べつにノミをとっているわけではなくて、ああやって親愛の情を示しっこしているそうだ。
 念のたまに申しあげておくと、この国のサラリーマンの会話は、ほとんどが毛づくろいの会話だろう。そのことに気づかせてくれるだけでも、この本の価値はある……と思う。
【「週刊文春」文春図書館(88/12/22・29)より】
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