事件から2年が過ぎて
60代男性
平成7年3月20日、何時ものように草加駅より準急浅草行に乗車、北千住で日比谷線に乗り換え、前より3輌目真中に乗り、八丁堀まで20分、秋葉原を過ぎると、突然築地駅で爆発事故との車内放送。
小伝馬町駅停車、ドアが開いたと同時に異様な匂いが車内に流れ、我慢できずに出口に急いだ。階段まで行くと意識もうろう、やっとの思いで地上へ出たが、外は薄暗く、何がなんだかわからない。誰かに救急車を呼んで下さいと言ったが、二日酔いかそれとも私の声が届かなかったのか誰も助けてくれない。又少し歩いた郵便局の前で倒れたようだ。
昼頃意識を取り戻すと、両国駅前の田島病院だった。住所、氏名、電話を聞かれたが、どうしても思い出せない。その後自衛隊中央病院へ転送された。解毒、点滴と治療を受け、8日目に退院、そして通院。昼近くになると微熱、頭痛、体がだるく苦しい日々の繰り返し。暫くは地下鉄に乗るのが怖く不安だった。
オウム真理教と何ら関係のない乗客を、密室とも言える地下鉄車内で、大量殺害を実行せんと各線でサリンを撒布し、12名の犠牲者と多くの被害者を出した首謀者麻原と実行犯被告の組織的犯罪を決して許すことは出来ない。
麻原彰晃が真実を述べ、謝罪し、そして重刑を裁判所にお願いするものであります。