犯罪被害者の法律的位置づけについて
地下鉄サリン事件の被害者の例
1999年2月4日
地下鉄サリン事件被害対策弁護団
事務局長 弁護士 中村裕二

小職は、M氏からのご質問である「犯罪における被害者の法律的位置づけを教えてください。」とのご質問に対し、下記のとおりご回答させていただきます。
記
このテーマは、大問題であり、詳しく論じれば、おそらく大論文になるのではないかと思われます。また、私自身、小西先生の著作物を拝読しておりませんので、もしかしたら的はずれな回答となるかもしれません。以上の前置きをご理解いただけるものと信じて回答させていただきます。
1,まず、「犯罪被害者の法律的位置づけ」の定義が問題となりますが、最広義としては、立法府との関係、行政府との関係及び司法府との関係など、三権との関わり合いにおけるそれぞれの法律的位置づけが含まれるものと解します。
例えば、最広義の問題としては、立法府が新たに法律を作って犯罪被害者(以下、「被害者」といいます。)を救済するという問題、行政府が既存の法律制度(例えば、犯罪被害者給付金支給制度、労災保険制度及び健康保険制度など)を駆使して被害者を救済するという問題、司法府が裁判を通じて被害者を救済するという問題、それらの問題すべてが含まれるものと思います。
2,とりわけ、M氏のご質問の趣旨は、「一連のオウム事件の被害者が現在、裁判においてどのような位置づけでいるのか、」という点にあるものと思われますので、裁判手続における被害者の法律的位置づけについて以下ご説明させていただきます。すなわち、司法府が裁判を通じて被害者を救済するという局面について論じます。
3,被害者の裁判における法律的立場としては、刑事裁判における立場と民事裁判における立場の二つの立場があります。
被害者の民事裁判における立場というのは、例えば、被害者自ら原告となって、松本智津夫らを被告として、損害金の支払いを求める裁判手続をいいます。また、被害者らが申立人となってオウム真理教の破産を申し立てた手続も民事裁判の一つです。これら民事裁判における被害者の立場は、名実ともに「当事者」であり、裁判手続の主人公として、法廷に出頭して意見を言ったり証言したりすることが原則自由にできます。そういう意味では、被害者の精神的満足度もある程度満たすことができます。 これに対し、被害者の刑事裁判における立場というのは、法律的意味における「当事者」にはなり得ません。刑事裁判における「当事者」とは、裁判所、起訴をする検察官及び起訴される被告人の三者であって、被害者は当事者ではありません。小西先生が言われる、「裁判とは、法律により加害者を裁くシステムであり、被害者という存在は除外されている」という部分は、この刑事裁判に関するご指摘と解されます。
被害者が刑事裁判における「当事者」でないために生じる不都合は、次のとおりです。
@、被害者には、刑事裁判の傍聴が必ずしも認められていません。例えば、地下鉄サリン事件に関していいますと、抽選なしで法廷傍聴が認められているのは、1回の裁判について2名だけです。しかも、起訴状に名前が載っていない方については、たとえ被害者であっても抽選なしの傍聴は認められていません。刑事裁判の傍聴が拒否されたことによって、ショックを受け、PTSDの症状が悪化した被害者の方もおられます。
A、被害者だからといって、刑事裁判に出頭し、自由に意見を述べることもできません。 被害者に代わって法廷で意見を述べるものは検察官であり、ただ被害者は、検察官から証人として証言する旨の要請を受け、裁判所に証人採用されたときに限って裁判所において証言が許されるだけなのです。しかも自由な証言が許されるわけではなく、検察官などから質問を受けた内容についてだけしか発言することが許されていません。
B、被害者だからといって、刑事裁判の記録を自由に見たり、謄写したりすることはできません。被害者らは、警察に対し、被害状況等について供述し、捜査に協力してきました。しかし、自分の供述調書であっても、謄写することは原則許されません。現に、被害者らは、民事裁判を提訴していますが、民事裁判の証拠として刑事裁判記録を民事裁判所に提出することができないで困っています。
4,以上の通り、被害者は、刑事裁判において「当事者」としての法律的位置づけを受けておりませんので、欲求不満が相当たまってきています。
そのうえ、破産手続における被害者に対する配当も昨年10月に行われましたが、配当率は22・59%にしかすぎませんでした。つまり損害金1000万円の被害者が225万9000円の配当を受けたにすぎず、その余の800万円弱は泣き寝入りしなくてならないという結果となりました。現在犯罪被害者支援基金を設立して、被害者に救済を訴えていますが、30億円以上集めなければ100%の配当は得られません。
役人らは、「犯罪の発生は、国の責任ではなく、社会の責任である。」と主張して、国からの支援をまったく行おうとしません。まして、厚生省は、被害者に対する健康被害の調査も行おうとしないのです。
5,日本国において、犯罪被害者の人権は、未だ発見されていません。
地下鉄サリン事件の被害者の状況について、詳しく知りたい方は、「それでも生きていく」(サンマーク出版)をご覧になってください。
以上