白龍亭・牙二郎は、ほぼ人間

目次 >> 考察 >> 八犬伝邪読/牙二郎は、ほぼ人間(2023年 6月~)

[ 八犬伝邪読 - 14 ]

● 人間に化ける獣たち
 八犬伝世界には、人間の姿に化ける獣が複数存在する。
 姿形が人間そっくりになるだけではなく、人語を理解する知力、人語を話す言語力も備えている。はっきり言って完全に人間である。いや、人間にはない変身能力を持っている時点で人間を超越し、神仙レベルですらある。

 そんなハイレベルな存在が、ローレベルな人間ごとき姿に変身するのは、人間社会に紛れ込むためだ。
* ウルトラマンがハヤタ隊員の姿に身をやつして正体を隠したのと同じ理由だ。

 重要なことは、彼らが「自分の意思」で変身していることだ。
 西洋のファンタジーには、悪い魔法使いのせいで野獣にされた王子のような「他力変身」もあるが、八犬伝世界ではすべて「自力変身」である。

 ……と断言はできない。
 一人(一匹?)だけ、微妙な例外があるからだ。

● 獣と人の混血
 赤岩牙二郎。
 化け猫の父と、人間の母親との間に生まれた獣人。
 彼が猫としての姿を見せるのは死後。生首が獣化した時のみ。首がつながっていた生前は常時人間の姿しか見せていない。
* 八犬伝原典には「化け猫」という表現はなく、「野猫の化けたる」「野猫」「山猫」「妖獣」「妖怪」などと表現されている。だが、分かりやすさを優先して、ここでは「化け猫」と書く。

 生まれた時も、人間の姿だったはずである。
 仮に獣人の姿で生まれていたら、それを見てしまった産婆や母親は、化け猫の父親の手によって消されたはずである。偽赤岩一角の正体が化け猫であるとバレるわけにはいかないから、見てしまった者が抹殺されるのは必定。
 だが、母である窓井はしばらく生きているし、村人の間に「行方不明の産婆」が噂話として伝わってもいない。

 半分獣でありながら、生まれながらに人間の姿を維持している。
 当然、赤子であるからして、牙二郎本人の意思で変身しているわけではない。

 ややこしいのは、彼が混血であることだ。
 純粋な獣なら、人間の姿=変身だと断言できる。だが、半分は人間である以上、人間の姿をしていることが変身であると言い切れない。といって半分獣なのだから完全に人間の姿でいることも不自然だ。


 Q : 牙二郎はなぜ人間の姿なのか?

● A-1 : 他力変身
 その1
 神通自在の化け猫である父親の力で、胎児の段階で人間の姿に変身させられた。

 一番ありふれた結論はこれ。
 この場合、八犬伝世界にも「他力変身」が存在することになる。

● A-2 : 化け猫の胤ではない
 その2
 実は化け猫の胤ではなく、本物の赤岩一角の子。

 えっ?
 ならば、死後の生首が猫化したのは何故?

 順を追って解説しよう。

 牙二郎が誕生したのは、寛正六年の八月。
 仮に同月初頭に生まれたとしたら、妊娠期間とされる十月十日を旧暦で遡ると、受精は寛正五年九月末。現実はもっと短く、最終月経から出産まで 280日前後が目安というから、そうなれば寛正五年十月半ば。
* 十月十日の「月」とは、旧暦の月ではなく、月経周期を指すともいう。その場合は、290日ということになり、受精は十月初頭ということになる。
 赤岩一角が、本物から偽物に入れ替わったのが、十月三日/四日。

 リアルな妊娠期間をベースにしたら、ほぼ化け猫の子になる。
 だが、妊娠期間には個人差がある。さらに、犬坂毛野の懐胎三年という例もある八犬伝世界でもあるし、受精後に相手が化け猫に入れ替わり、交わる中で邪気を受け続けて妊娠期間が異常になってもおかしくはない。
* 出産から逆算して受精したであろう時期に、相手の男が入れ替わる。これは崇徳帝と同じパターン。崇徳帝の場合は、系図上の父親である鳥羽帝から「こいつは俺の子じゃない」と思われた不幸があるが、牙二郎はそうは思われなかった。

 だったら、死後の猫化は?
 胤が人間だとしても、胎児の間に化け猫の邪気を受け続けるのだから、死後に猫顔になる程度の影響を受けていたとも考えられる。

 ──この場合、牙二郎は人間が正体なのだから、変身も何もなく、生きている間に猫化するはずもないのだ。
 とはいえ、これだと角太郎は兄弟殺しをしたことになる。勧善懲悪が徹底した八犬伝世界では成立しない。てことで、完全人間説は否定されるが、思考実験として可能性を考える意味はあると思う。
* 決して本文を水増しするための、無駄な寄り道ではないぞよ。

● A-3 : 母は強し
 その3
 実は、自分の最終結論はこれである。
 ここからがこの邪読の本文になる。
* 厳密に言えば、①母たる窓井の強さと、②窓井を含めて偽一角と交わった女性たちの強さ、に分けられるが、話の本筋を語る上では、この両者を切り分ける必然性が薄いので、両者混在のまま語る。

 牙二郎はハーフ(50 : 50)である。
 だが、実態は「人間(90 : 10)化け猫」ぐらいの存在だ。
 邪悪な性質が化け猫由来と考えれば、もっと化け猫側の比率が高くなるだろう。だが、邪悪さなんて人間だって持っているし、むしろ後天的な生育環境に由来するものだろうから、この比率は純粋に身体的な特徴で考えるべきだし、そうなると上記の比率ぐらいが正しいと思う。
 つまり、遺伝的には普通の人間である母・窓井が圧倒的に強いのだ。

 そう考える根拠のひとつが、二世八犬士だ。
 彼らは、後に神仙になるような聖なる男と、里見八姫という普通の人間の間に生まれた、ある種の混血だ。
 ところが、二世犬士には聖なる父の痕跡はまるで無く、普通の人間だ。圧倒的に母親と同じ普通の人間なのである。
 聖も邪も、普通の人間にはない、異様な力である。普通の女性と交わった時、聖なる力が遺伝しないのであれば、邪な力も遺伝しないであろう。その力を子供に伝えない、普通の母親の力こそが最強なのではないのか?

 もうひとつ。
 牙二郎とは直接関係ないものの、窓井を含めた人間の女が強いという話だ。
 えっ?
 化け猫と交わった女は、舩虫以外、全員短命に終わってるよね? 弱いじゃん!

「憐むべし後妻窓井は、変化不測の妖獣を、良人と思ひつつ夜毎々々に、枕の数も累りて、牙二郎と名づけたる、男子を産たれども、非類に膚を穢されし、精液漸々に衰へて、三十に足らで身まかりたり。是よりして後仮一角は、妾夥買易て、只淫楽を旨としつるに、その妾等はいく程もなく、或は精気を吸耗されて、一ㇳとせも歴ず死するものあり。(中略)そが中に近属来つる、船虫といふ妾は、邪智逞しく慾ふかく、行ひ穢れし淫婦なれば、彼同病は相憐み、同気は相歓ぶ沿習にて、妖邪に触れても恙なく(後略)」 (第六輯第六十囘)
 そう、女たちは「精気を吸耗されて」死んでいる。
 ここだけ見れば、女たちは弱い。
 だが、視点を変えると「おや?」と思うのだ。

 まず、赤岩一角が化け猫に襲われた場面。
「件の山猫、この岩窟より跳出けん、某が後方より、背に爪をうちかけて、仰ざまに、引倒すを(中略)勢籠で某が、吭に啖着たりける、牙は鉾より鋭きに(後略)」 (第六輯第六十囘)
 化け猫は一角の後方から跳びかかり、爪で背中をひっかけて倒し、牙で喉に食らいついて殺した。

 次に、現八が庚申山で遭遇した化け猫の姿。
「面は暴たる虎の如く、口は左右の耳まで裂て、鮮血を盛れる盆より赤く、又その牙は真白にして、剣を倒に栽たる如く(中略)しかれどもそが形体は、宛人に異ならず、腰には両口の太刀を横佩て、騂駒に跨たるが(後略)」 (第六輯第六十囘)
 十七年の間に、化け猫にどんな変化があったのか。

 昔は、牙と爪を武器とした、獣そのものだ。
 それが現八と出会った時点では、牙は健在だが、体は「人に異ならず」という姿になり、武器は太刀に変わっている。顔は完全に山猫で、化け猫の正体を現した状態でこれである。つまり、人間化しているのである。

 どうしてそうなった?

 その答はわりと明確で、人間の女の「精気を吸」ったから、以外にはない。
 人間の女には、化け猫を蝕んで人間化させる力がある。一見弱く見えて、その実、強いのだ。人間、舐めんなよ!

 牙二郎が生まれた時には、父親はまだ人間化が進んでいなかった化け猫なので、人間化した父親のせいで牙二郎がほぼ人間として生まれたわけではない。母親の人間としての力が強かったのだ。

● 余談-1 : 化け猫の性欲
 化け猫は、若くて超絶美人の窓井を犯すために、夫の赤岩一角に化けた。
* 下の引用は読めない漢字だらけで難しいが、本来の八犬伝原作にはルビがあるので難しくはない。めんどくさいので、ここではルビは省略した。

「抑件の野猫が、某に化たりし、縡のこゝろを甚麼といふに、某が後妻なりし、窓井はこのとき廿二歳、鄙には儔なきまでに、容止美しかりければ、犯さんとての所行なりけり」 (第六輯第六十囘)
 化け猫にとって、人間なんて、本来は食欲の対象だったはず。
 後に、窓井と舩虫の間に妾にした女の一部を、性欲の対象として飽きた後に、食用にしている。つまり、依然として食欲の対象でもある。

 食欲の対象に、性欲を抱くのはおかしくないか?
* 人間にも、食欲の対象のはずの牛とかを愛してしまうズーフィリアや、犯してしまう獣姦という特殊事例が存在する。それゆえに、化け猫が人間を性欲の対象としても完全な間違いとは言い切れない。だが、そういう例外的事例を考慮すると話がまとまらないので、これについては想定しないものとする。

 となると、牙と爪を武器としていてまだ獣度の高かった赤岩一角襲撃時の化け猫も、すでに相当に人間化していた事になる。
 人間化しているからこそ、人間を性欲の対象として見ることができるのだ。

 問題はその「人間化」だ。
 人間の女と性交して精気を吸うことで人間化が進むとしても、人間の女を犯したくなるほど人間化する以前はどうだったのか。まだ性欲の対象が同じ猫だったころ、どうやって人間の精気を吸って人間化の道に足を踏み入れたのか。

 答は「人間を食ったから」しかありえない。
 性交だけではなく、食べても人間にじわじわと侵蝕されるわけだ。人間、すげぇな。

● 余談-2 : 赤岩一角という「男」
 長男・角太郎の母・正香が死んだ後、父・一角は…

「惜しむべし正香の刀自は、この年の春世を早うしつ。その子は四か五ッのときなり。かくて又その夏の比、迎られたる後妻の、窓井とか喚れしは、亦これ美人の聞えあり」 (第六輯第五十九囘)
 先妻が春(旧暦一月~三月)に亡くなって、後妻を夏(旧暦四月~六月)に迎える。
 具体的な月の記述はないが、最短は一ヶ月、最長でも五ヶ月後の再婚である。四十九日の忌中を避けるのは当然としても、喪中での再婚もありえまい。服喪期間は、最低三ヶ月とされるから、喪を終えてすぐに再婚すればありえなくはない。
 でも、早くない?
 正妻だったら、一年ぐらいは喪に服すものだろうに。

 気になるのは、窓井が二十二歳で美人ということだ。
 この時代は十代で結婚するのが普通。二十代というのは若いけれどもやや遅れている。なんで美人なのに遅れているのかは謎ながら、窓井からしたらやや焦る年頃だ。としたら「一年間服喪するので、その後で」などと言われたら、「だったら、別の人にします」と考える可能性がある。
 ということを一角側が想定したら、「早く結婚しないと、あの美人を他の男に獲られる」と考えるだろう。

 地元の名士などといっても、男の下半身なんぞ、所詮そんなものである。

 えっ?
 まだ幼い角太郎には母親が必要だから再婚を急いだだけ?
 まぁ、表向きはそういう理由だろうとは思うよ。
* 当時の二十二歳の女性にとって、三十代子持ち男性との結婚をどう考えるのか、よくわからない。だが、地元の名士が相手となれば、一年間の服喪期間を待ってでも妻の座を手に入れた方が良い、と利害損得=欲望で考える可能性もある。だとしたら、一角側が焦る必要もないが、それでも「あの美人を早く抱きたい」などという邪念=欲望があれば、結婚を急ぐはずだ。双方の欲望がマッチしているのなら、それはそれで幸せではあろう。

● 余談-3 : 舩虫についての錯覚
 化け猫と性交してしまった女たち。

「後妻の窓井どのは、二男牙二郎の、三か四ッになりける比、一日頓死したりける。これよりして赤岩ぬしは、妾一人をものし給ひて、年来を歴る程に、その妾はとにかくに、尻の落つくものはなくて、或は半年、或は一稔、立や立ぬにいひこしらえて、身の暇を乞ふもあり、又逐電するものもありて、幾人となく置替られしに、去々歳の秋の比、武蔵のかたより流れ来ぬる、船虫といふ妾のみ、いたくこゝろに愜ひけん、いく程もなく正妻に、推のぼされて二とせ歴たり」 (第六輯第五十九囘)
 窓井の死後、偽一角は女をとっかえひっかえしていたが、長く続く者はいなかった。そんな中、舩虫という女とはうまくいって、もう二年にもなる。別の引用で「妖邪に触れても恙なく」とあるように、邪悪な舩虫だからこそ長く続いている。……という話。

 みんな、忘れているよね?
 舩虫は二年も続いているけど、窓井は子供まで作った上に三~四年も続いたことを。

 二年続いただけで「妖邪に触れても恙なく」というのなら、窓井だって妖邪に耐性があったことになる。三~四年続いたら、舩虫だって頓死する可能性もある。いくら邪悪でも、舩虫だって、ただの人間だからね。

● 余談-4 : もうひとりの窓井
 窓井は、強い邪気を持つ相手と性交を重ねたことで寿命を縮めた。
 ならば、逆もあるだろう。
 つまり、ものすごく聖なる力をもつ男と深い関係になった場合も、普通の人間にとっては、寿命に影響するほどのリスクがあるのでは?

「静峯姫、不幸短命にて、三十九歳の秋身故り給ひぬ」 (第九輯第百八十勝囘下編大団円)
 予想どおり、いたよ。
 第一の犬士・犬江親兵衛のような聖人と結婚したばかりに、若くして亡くなってしまった里見八姫の長女。
* 多人数姉妹の長女が聖なる男と結婚して不幸になる話は、他でも見た。旧約聖書を元にした 1956年のハリウッド映画「十戒」に出て来る、ミデヤンの七姉妹。長女のセフォラ(日本語訳聖書ではチッポラ)は、主人公のモーゼと結婚する。その結果「夫を神に盗られた」と嘆くはめになる。

 仮に、八犬伝世界が完全なる勧善懲悪、因果応報の世界であるならば──
 短命に終わる窓井や静峯姫は、前世でそれなりの悪業を積んだことになる。逆に次々とピンチを切り抜ける舩虫は、前世でそこそこの徳を積んだのであろう。化け猫だって、数百年も生きて神通自在にまでなったのだから、前世で積んだ善業の凄さたるや。だが、せっかく積んだ善業を、悪事を重ねて無駄にしてしまう愚かさも哀しい。

 八犬伝世界のルールは一見素晴らしく見えるが、なんか、すっきりしないんだよなぁ。


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