Kaoru Sawahara Works

Collection of Kaoru Sawahara short stories
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帰郷

沢原 馨

イメージ写真

 ホームに降り立つと風の中にかすかに潮の匂いがした。
 駅は無人駅で、小さな駅舎に寄り添うように大きな公孫樹が立っている。公孫樹は今が黄葉の盛りだった。回収用の木箱に切符を落とし、改札口を抜けて駅舎に入った。中は薄暗く、少しひんやりとしている。待合いの人のために置かれたベンチが新しいものになっているようだった。他は昔のままに見える。カーテンが引かれて閉ざされたままの切符売り場の窓口も、そのまま何も変わっていなかった。
 かつて私はこの駅からディーゼル車に揺られて隣町の高校に通った。あの頃の私は無邪気な女子高校生で、将来というものに何の不安も期待も持ってはいなかった。持っていたのは怖いもの知らずの若さだけだった。
 駅前には空き地のようなわずかな広場があり、そこから細道が民家の間を西に伸びて国道に繋いでいる。国道に出たところに食料品や雑貨を扱う商店が建っていて、昔のままならその前にバス停があるはずだった。高校に通っていた頃には、自宅から駅までをバスに頼った。近くに住む友だちとふたりで、毎日バスに乗り、帰りはバス待ちの時間に商店でお菓子を買って食べた。その友だちは高校を卒業すると都会に出て就職し、それ以来会っていない。
 バスの便は昔と同じだろうかと思いながら駅舎を出た。
 姉が迎えに来ていた。
 広場の隅に軽自動車が停まっていて、その横に姉の姿があった。姉は、さすがに昔より老け込んでいるように見えたが、それは私も同じだっただろう。かつて長かった姉の髪は、今はすっきりと短く切り揃えられていた。頬のあたりが昔よりふっくらとしているように見えるのは、短くなった髪のせいかもしれない。
「おかえり」
 姉は、まるで高校から帰った私を迎えるように、言った。
「ただいま」
 私もまた、それだけ答えた。他にどんな言葉を選べただろう。姉の顔を見たとたんに過ぎた年月の重みがすべての言葉を奪い去って何も言えなかった。
 姉に促されて軽自動車に乗った。車窓から見える風景も昔のままだった。国道に出たところの商店もバス停も昔のままにそこにあった。
 国道を南へ辿ると、やがて海沿いになる。小さな川を渡って左に海が見え始めた頃、姉が口を開いた。
「元気そうね」
「うん」
 私は答えた。
「ねえさんも、元気そうでよかった」
 私は言葉を繋いだが、姉は何も答えなかった。
「ありがとう、来てくれて。母さんも喜ぶわ」
 答える代わりに、姉はそんなふうに言った。
「母さん、ずいぶん悪いの?」
 そう訊いて、私は姉の顔を見た。姉はハンドルを握って前を向いたまま、何も言わずにただうなずいた。
 海沿いの道は緩やかに曲がりながら南へと続いた。左に海があり、くっきりとした水平線が伸び、その上に小さな白い舟影が見えていた。




 姉から突然の手紙が届いたのは五日前だった。他人行儀な時候の挨拶に続いて、母が病床にあること、私に会いたがっていることなどが簡潔に綴られ、近いうちに時間をつくって来てくれないかと結ばれていた。短い手紙で、具体的なことは何一つ書かれていなかったが、切迫した状況であることは察しがついた。姉が私に手紙をくれたことそのものが、それをよく表していた。
 私は勤め先に休みの届けを出し、昨日の夕方に家を出て夜行列車に乗った。ローカル線に乗り継ぎ、郷里の駅に降り立ったときにはすでにお昼に近かった。十二年ぶりの帰郷だった。
 小さな漁港を過ぎて海沿いの国道を離れ、山間を辿る県道を少し行ったところに、私の生まれ育った家がある。小高い山の裾に抱かれるようにして建つ姿も昔のままだった。
 私の実家は昔は農家で、祖父母の代には米や野菜を作って生計を立てていたが、父親は教職の道を選び、地元の中学の教師になった。祖父母が逝き、父親の代になると、米は作らなくなった。母親が家事の片手間に裏の畑で細々と野菜を育て、それは主に家の食卓に上った。
 父親は厳格な人だった。娘ふたりの躾には殊更に厳しく、高校の文化祭の準備などで帰りが少し遅くなっただけで、ずいぶんと怒られたものだった。その父も五年前に逝った。私は葬儀の席に出ることができなかった。亡くなったことを後になって知って、遠い町でひとり静かに手を合わせて冥福を祈った。
 県道から家の庭に入ったところで姉はいったん車を停め、私を降ろし、私が降りると庭の隅の車庫に軽自動車を入れた。車庫は、昔は父の車を停めるための場所だった。父は小型の白い色のセダンを好み、休みの日に晴れると必ず車を洗い、丁寧に磨いていたものだった。まるでどうしてもやっておかなくてはならない仕事なのだとでもいうように、生真面目な顔をして毎回同じ手順で車を洗う父の姿を、私は不思議な気分で眺めていた憶えがある。
 車庫から出てくる姉を待って、姉と一緒に家に入った。勝手口を入るとき、小さく「ただいま」と私はつぶやいた。
 家の中は昔と同じ匂いがした。その中に少しだけ薬臭いような匂いが混じるのは病床の母のためのものなのだろう。家具の配置も昔と同じだったが、居間の隅に置かれた食器棚が新しいものに替わっていた。
 姉に従うように後に続いて奧の部屋へ行った。南向きの縁側の横の部屋に、母が寝ていた。その母の顔をそっと覗き込み、姉はまた後ろに下がって私の横に立った。
「今、眠ってるみたい」
 姉が小声で言った。
「そう」
 私は答えて母の枕元に行って座った。姉は居間の方へと出ていった。
 母は上を向いて静かに眠っていた。母は痩せ衰えていた。髪もほとんど白くなって、六十を過ぎたばかりだというのにずいぶんと老いて見えた。
 母はおっとりとした穏やかな人で、私は、そしておそらく姉も、母に叱られたという記憶がない。父親が厳しかったから、自然と母がそういう役回りになっていたのかもしれない。厳しい父親と優しい母親という、典型例のような両親だった。
 母の顔を見ながらしばらくそこに座っていたが、母が目を覚ます気配はなかった。姉が戻ってきて、お茶をいれたからいらっしゃいと私を招いた。私は立ち上がった。
 母の寝ている部屋に仏壇がある。亡き父を思って、私は仏壇の前に立って手を合わせた。父は母よりずいぶんと年上で、七十一で逝った。仏壇の向こうの父に、娘の親不孝を詫びた。存命なうちに詫びることができなかったのが、少し悔やまれた。
 仏壇から離れ、もう一度ちらりと母を見て、私は居間へ向かった。
 居間のテーブルにお茶とお菓子を姉が用意していた。私のための湯飲みはかつて私がこの家に暮らしていたときに使っていたものだった。私は姉の顔を見た。どうかしたのかといったふうに、姉は無表情な視線を返した。私は何も言わず、姉と向き合って座り、お茶を飲んだ。
「ああして、ほとんど眠ってるのよ」
 と、姉が言った。
「起きてるのは一日に三、四時間くらい。朝方目を覚まして一、二時間起きていて、また眠って、午後にまた一、二時間目を覚まして、その繰り返し。目を覚ましても布団から出ることはないわ」
 熱いお茶をすすりながら、姉が報告するように言った。
 母の体調がおかしいのに姉が気づいたのは半年ほど前だった。何でもないと言う母を説き伏せて、なかば強引に病院に連れて行ったのが三ヶ月ほど前だという。しかしすでに手遅れで手の施しようがなく、半年もてば良い方だろうと言われたという。二ヶ月ほど入院していたのだが、治療を重ねたところで治癒する見込みもほとんどなく、母自身のたっての望みでこの家に戻った。今は一週間に一度、隣町の医者が往診に来る。母は日に日に衰えてゆく。その母を、姉が看ている。
「眠っている時間が、日毎に長くなるみたい」
 母の寝ている奥の部屋の方を見やって、姉が付け足すように言った。姉の視線を追うようにして、私はふりむいた。開け放たれた襖の向こうに、母の寝ている布団の半分が見えていた。
 そしてやがて、目を覚まさない日がやってくるのだろうかと、母の寝床の端を見ながら私は思った。
「母さん、あなたに会いたがってたのよ」
 姉が言った。私は前に向き直って姉の顔を見た。姉は母の布団に視線を向けたままだった。
「そう」
 と、それだけ、私は答えた。
「この頃、昔のことをよく口にするわ。昔のことを思い出してるのね」
 昔の話をする母の相手をしながら、姉もまた昔を思い出しているのだろうか。
「ねえさん、私…」
 言いかけて私は言葉に詰まった。姉が私を見た。
「いいのよ、もう」
 姉は言った。
「みんな過ぎたことだわ」
 そう言って、姉は小さく笑った。私は何も言えなかった。




 姉が簡単な昼食を用意してくれ、ふたりで食べた。姉とふたりだけで食事をするのは何年ぶりのことになるのか、もうよくわからなかった。
 食事をしながら、姉も私もあまり話をしなかった。
 食事を終えると、姉が「ちょっと」と言って私を北側の部屋に招いた。家の北側には、かつて私たち姉妹が共有して使っていた部屋がある。その部屋へ、姉は私を連れて行った。
 部屋の一角に、昔のままに私のものが残されていた。中学時代から使っていた机や、高校に上がるときに買ってもらった私専用の洋服箪笥が、そのままにあった。机の上のペンスタンドまでが、昔のままに置かれていた。きっと洋服箪笥の中にはあの頃の私の服がそのままに残されているのだろう。ここでは十二年の歳月がまるで無かったかのようだった。
「母さんが、このままにしておこうといってきかないのよ」
 姉が言った。
「父さんはあなたのものはすべて処分しろと言ったんだけど、母さんはどうしてもこのままにしておきたいって言って。あんなふうに父さんに逆らう母さんは初めて見たわ」
 姉の眼は私の机に向けられていたが、見ているものはその上を流れていった歳月だった。
「母さん、ここを毎日掃除してたのよ。父さんは決してこの部屋に入ってこなかった。あなたのことを思い出すのがつらかったんだと思う。何も言わなかったけど、父さんもあなたのことをずっと心配してたのよ」
 私も机の上に視線を投げて、私のいないこの家に過ぎていった歳月を思った。
「母さんが寝込んでからは、私が掃除してるのよ」
 そう言って、姉は背を向けて部屋を出ていった。私も姉の後を追って居間に戻った。
「母さん、目を覚ましたみたい」
 居間から奧の部屋を窺うようにして姉が言った。姉と私は母の枕元へと向かった。
 母は布団の中で顔を横に向け、縁側の向こうの庭を見ているようだった。
「母さん、佳恵が帰ってきたわよ」
 姉が小声で母に語りかけた。母はすぐには姉の言葉の意味がわからなかったようだが、やがて弱々しい驚きの表情を浮かべて私を見た。
「佳恵」
 かすれるような声で母は私の名を呼んだ。
「母さん」
 私が呼びかけると、母は嬉しそうに笑うのだった。
「元気だったかい」
 布団の中からゆっくりと手を出して、その手を私に差し伸べながら母が訊く。
「うん、元気だった」
 その手を両手で握って、私は答えた。母の手は細く冷たく力がなかった。
「洋輔さんも元気かい」
 母が訊く。
 私は姉の顔を見た。姉は小さくうなずいた。
「ええ、元気よ」
 私は答えた。
 そんなことも忘れてしまった母が、哀しく痛々しかった。
 母さん、洋輔さんはもういないのよ。ずっと前に私のもとから去って、今はどこでどうしているのかもわからないの。前に言ったでしょ。
「よかった」
 母が安心したように微笑む。
「母さん、あんまりお喋りすると疲れちゃうから」
 姉が言ったが、母の耳に届いているのかどうか、よくわからなかった。
「ねえさんとは、仲直りしたのかい」
 母は姉の言葉を無視して私に訊く。
 母の手を握ったまま、私は何度もうなずく。自分でも気づかないうちに涙が溢れて、頬を伝って落ちた。
「よかった、よかった…」
 母は何度もつぶやきながら眼を閉じた。
 こんなときになっても、母はまだ私と姉のことを心配してくれるのか。きっと私と姉とのことだけが、母のたったひとつの気がかりだったのだ。あれから十二年が経ったというのに、母にとっては、つい昨日のことなのかもしれなかった。母の中では十二年前のあの日から時が止まっているのかもしれない。




 十二年前、私は姉の婚約者を奪って逃げた。
 姉が二十五になったばかりの春、姉のつきあっている相手という男が家に挨拶に来た。隣町で電器店を営む家の長男で、歳は二十七、倉元洋輔という名だった。倉元は大学時代を東京で過ごしたらしく、そのせいか、こんな田舎町には不釣り合いなほど垢抜けた優男だった。両親の印象も良く、やがて話はまとまり、姉と倉元は結納を交わした。
 倉元は私を「よしえちゃん」と呼んでかわいがってくれた。倉元と姉と私との三人でよく遊びに行ったものだった。初めは姉と妹、そして姉の婚約者という三人の関係に何の問題も起きなかった。しかし自分でも気づかないうちに、私は倉元に義理の兄としてではなくひとりの男として惹かれ始めていた。その頃、私は二十三で、若さの盛りだった。私は倉元への恋に落ちた。熱に浮かされたようになって周りが見えなくなり、私は熱情に走った。夏のある日、私は嘘をついて倉元を呼びだし、服を脱いで倉元を誘った。応じてくれなければ死ぬと叫んで、一度だけでいいからと倉元にすがった。今から思えば、倉元が頑として私をはねつけてくれれば何も起こらなかったのに、倉元もまたそうやって状況に流されてしまうような弱い男だったのだ。倉元は私を抱いた。そうして姉を裏切りながら私と倉元は過ちを重ね続けた。やがて、私は妊娠した。
 父と母と姉の前に並んで座り、私たちは事の始終をうち明けた。他にもさまざまに解決策があったはずだが、その時の私はそれがいちばん誠意ある責任の取り方だと思ったのだった。そもそも人の道に外れたことをしておいて誠意ある責任の取り方などあるはずもなかったが、自分に正直に生きるという傲慢で身勝手な理屈で、私は愚行の道を選んでしまった。
 父親は激昂して倉元と私を殴った。母はただ泣いていた。姉は無表情のままじっと私の顔を見据えていた。父は私たちの前に仁王像のように立ちふさがって、出てゆけと怒鳴った。私と倉元を引きずり出すようにして家の外に放り出し、二度とこの家の敷居を跨ぐなと言い捨てた。私は、家と故郷を捨てた。
 私と倉元は東京に出て、ふたりだけの暮らしを始めた。誰からも祝福されない新生活だったが、私は幸せだった。幸せだと思っていた。幸せだと思いこもうとしていた。そうでなければあまりに自分が哀れだった。しかし虚構の幸福は長くは続かなかった。
 慣れない土地での慣れない生活のストレスと疲労のためか、私は体調を崩し、ある時、買い物に出たスーパーの店内で倒れ、救急車で運ばれた。流産し、私は二週間ほど入院した。
 退院してからの私は心の平衡を失ったようになって、腑抜けたように一日をぼんやりと過ごし、些細なことに苛立って倉元に当たり散らし、わけもなく号泣するようになった。倉元はそんな私を気遣って優しくもしてくれていたが、やがて愛想を尽かしたのか、途方に暮れたように私と距離を置くようになった。帰宅が遅くなり、酒に酔うことが多くなった。そして私はますます倉元を詰り、倉元は口をつぐんで哀しそうな眼で私を見るのだった。そんな荒んだ生活が続き、やがてある日、倉元は帰ってこなかった。あれから、一年半しか経っていなかった。
 いなくなった倉元を、私は探そうともしなかった。私は疲れ果てていた。後で知った話だが、倉元は飲み屋で知り合った年上の女と逃げたらしかった。しょせんそういう男だったのかもしれない。因果応報と言えばそうかもしれなかったが、けっきょく私と倉元との間には愛と呼べるようなものは初めからなかったのだ。
 私はまたすべてを捨てて地方の町に移り住んだ。山間の小さな町は、大学の頃に行ったことがあるというだけの理由で選んだ。家族を捨てた、こんな女でも、その気になれば何とか暮らしてゆくことはできるものだった。生きてゆくために必死だった。ただ生きるためだけの毎日だった。そうして少しずつ土地に馴染み、知り合いも増え、仕事にも慣れ、生活が落ち着いた頃、一度だけ私は家に電話をかけた。母の声を聞くのは八年ぶりだった。父が亡くなったことを知った。




 眼を閉じたまま、母はまた眠ってしまったようだった。私は握っていた母の細い手をそっと布団の中に戻した。安心したように眠る母の顔を、私はじっと見つめていた。この十二年間、どんなにか私のことを心配してくれていたのだろう思うと、心が痛んでいたたまれなかった。
「ごめんね、母さん」
 母の寝顔に、私はそっとささやいた。
 八年ぶりに電話したとき、母は「ほんとうに、ほんとうに佳恵なのかい」と何度も私に訊ねた。心底安心したようだった。私はあれからの八年間のことを母に語った。おまえが元気でいてくれればそれでいいと、母は泣いた。私も泣いた。
 それから母は私に手紙をくれるようになった。手紙には母と姉との近況が簡単に綴られているだけだった。私は返事を書かなかったが、それでも一ヶ月に一度ほど、母からの手紙は欠かすことなく届いた。その手紙が、この半年ほど来なかった。久しぶりに届いた手紙は、母からではなく、姉からのものだった。
 姉とふたりで居間に戻り、姉はまた熱いお茶をいれた。
「母さんの世話、ねえさんひとりじゃたいへんね」
 湯飲みを両手で包むように持ち、私は言った。
「だいじょうぶよ、心配いらない」
 姉はそう言って小さく笑った。そんなふうに見せる笑みの優しさが昔のままだった。
 姉は、あれから結婚することもなく、この家で暮らした。隣町のスーパーに勤めて細々とした暮らしを支え、たまの休みにもあまり出かけることはなく、恋人らしい相手もついになかった。二、三度、見合いの話もあったらしいが、姉はすべて断っていたという。そうしたことを、私はすべて母からの手紙で知った。短くなった姉の髪を見ながら、姉の十二年間を、私は思った。




 晩秋の日が早々と傾き始める頃、私は家を出た。
 もう一度、母の寝顔を見て、仏壇に手を合わせ、後ろ髪を引かれる思いで家を後にした。家を出る間際、何かあったら連絡してねと言って、電話番号のメモを姉に手渡した。姉はそれをじっと見つめて、わかったと答えた。駅までを、また姉が軽自動車で送ってくれた。
 十二年間は短く長く、時は戻らなかった。私にも今の生活があり、帰ってゆかなくてはならなかった。それをすべて引き払ってこの家に戻ってきたいという思いにも駆られたが、私は自分に嘘をつくようにしてそれを抑え込んだ。もし帰ってきたいと口にしていたなら、姉は何と答えただろう。「だいじょうぶ、心配いらない」という姉のあの言葉は、そんな私に対する拒絶だったのではないかと、私は思う。
 十二年前のあの日、無表情のままにじっと私を見据えていた姉の眼を、私は忘れたことはない。怒り狂う父の姿ではなく、泣き崩れる母の姿ではなく、あの姉の眼が、十二年間の私を責め続けた。あの時、自分を裏切った恋人と妹を、姉はどんな思いで見ていたのだろう。あの時の暗く哀しい姉の眼を、私はきっと死ぬまで忘れない。
 姉は何も言わず、今日もただ優しげな笑みを浮かべて私を迎えてくれたが、決して私を許してはいないし、これからもそうだろう。私を拒絶して自分ひとりで母の世話をし、最後の瞬間にも自分ひとりで母を看取るのだということが、姉のたったひとつの私への報復なのかもしれない。
 駅に着き、姉とふたりで駅舎の待合所でディーゼル車の到着を待った。
「このあたりも昔のままね」
「そうね、田舎はあまり変化がないから」
 姉とそんな話をした。駅にいるのは私と姉だけだった。
 しばらくしてディーゼル車が到着した。
 姉はホームに出て私を見送ってくれた。車内は空いていて、私はホーム側の席に座って窓を開けた。
「母さんを、お願いね」
 窓越しに姉に言った。姉はうなずいた。
「元気でね」
 ディーゼル車が動き始めて、姉はそう言って笑みを浮かべて私を見た。その笑みの優しさがつらかった。姉はふと視線を逸らし、ディーゼル車の向かう方向を見やった。
「ねえさん」
 私が呼ぶと姉はまた私を見た。
「ごめんね」
 私は言った。十二年間、言えなかった言葉だった。姉はほんの少しだけ驚いたような表情をして、そしてまたあの優しげな笑みを浮かべて深くゆっくりとうなずいた。そして姉は言ったのだ。
「あなたも、つらかったわね」
 胸の奥に封じ込めてきたものが、涙になって溢れた。
 ごめんね、ねえさん、ごめんね、ごめんね…
 涙で頬を濡らしながら、何度も何度も私はごめんね、ごめんねとつぶやき続けた。繰り返すうちに言葉はただの嗚咽になって、ますます涙が溢れて止まらなかった。涙の向こうで姉が微笑んでいた。
 幸せだった頃の姉の姿を思い出す。はにかむような笑みを浮かべ、少し不安げで、しかし誇らしげに希望に満ちていた姉。明日を信じていた姉。暖かく穏やかな家族の笑顔を思い出す。あの安らぎに満ちた幸福を、私は奪ったのだ。亡き父を思い、病床の母を思い、静かに時を重ねる姉を思い、犯した罪の重さを思って、私は愚かで浅はかだった自分を呪った。どれほど呪っても、失ったものは返ってこない。
 姉の姿が小さくなってゆく。その向こうで公孫樹の木が夕日を浴びて照り輝いていた。小さな駅舎が涙に滲んだ。私は声をあげて泣いた。

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