これは同志ぶらっくたいがぁ様の言葉にヒントを得て書いたものです。
もちろん文責は私にあります。
私は大量に本を読む。本というより活字を読む。とにかく手当たりしだいに読む。読まないと悪いことが起きるという強迫観念に囚われているのかもしれない。
といっても小説でもファッション雑誌でもいいというわけでもない。そりゃ興味がある分野、仕事がらみというのは当然である。
経営とか法律全般も読むが、やはり一番多いのは環境法関係、ISO規格関係である。そしてISO関係の本を読んでいて、そりゃないだろうと思うことがある。特に審査員が書いたものを読むと感じるのは、審査員が審査を受ける側より上位にあるという意識である。
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ISOTC委員が書いたものを読むと、彼らが審査機関や組織の人より上位にいるという意識を持っているとは感じない。これはひいきではない。ISOTC委員ともなると、もう俗世界を離れた仙人レベルなのだろうか?
認定審査員という人種もあるのだが、彼らは世を忍ぶのか、書いた本や寄稿したものを見かけない。
と言いつつ、私は某認定審査員がペンネームで、ある雑誌のコラムに毎月書いているのを知っている。私は何でも知っているのである。
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審査員がいかに立派なことを語ろうと、「私は審査を受ける側より偉いんだ」「審査員の方が知識があるんだ」という意識を感じると反感を持ちますね。
少し前、ある雑誌の「審査員のホンネ」というカラムで、審査の際に企業の担当者が審査員の語ったことをメモしないという
嘆き(?)があった。
これを読んでおかしなことだと思わない人はおかしい。
- なぜ企業の担当者が審査員のお言葉をメモしないといけないんでしょうか?
- どうして審査員の言葉にメモするほどの価値があるとお思いでしょうか?
- なぜご自身の言葉がメモされないと残念なんでしょうか?
私に言わせると、まともな所見報告書さえ書けない審査員の話をありがたく聞くと思うのか不思議です。
もちろん審査員をじゅっぱひとからげで片づけることは間違いだが、同時に企業をひとくくりに片づけることも間違いである。
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おっと、企業の担当者が審査員以上に経験豊かで、技術も上で、人間性もあるということはないのかしら?
環境法規制なんかでしたら、よほどのことがない限り審査を受ける側の方が詳しいことは間違いない。
審査員は企業側の発言を必死にメモしないといけませんよ
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この御仁、審査で語ったことを翌年の審査で企業が対策しているを見るとうれしいと書いている。
もう言葉もない。審査員である自分は、企業よりそうとう知識があり、改善する力がある、だから不適合でなくても審査員の言葉を受け止めて改善に努めるべきだと信じ切っている。
なぜそれほどご自身に能力があると信じることができるのだろうか?
審査員を辞めて生産性向上を指導した方が良いのではないだろうか?
私の十数年に及ぶ審査の体験で、審査員の話がためになったとか、改善に役立ったという経験は
一度もない!
ISO事務局時代いつも審査のときは、審査員が変なことを言って、会社の仕組みを悪くしないように、必死だったことを思い出す。私がお守りしていた会社の規則は整合した精緻な体系であり、審査員の力量不足や趣味で汚してはならないと考えていた。
もちろん生産方法などについてのご意見は一切受け入れなかった。
しかし私は過去ずっと審査の際に、審査員の話を必死にメモというより一語一句漏らさずに速記していた。
なぜか?
簡単だ。あとでもめたとき、証拠になるからだ。
なにしろ審査中に企業担当者が「記録はこれです」なんて言うと「あっ見なくていいです」なんて応えておいて、クロージングで「記録の提示を受けなかった」なんて平気で言う審査員がいるのですから。
人間性に欠けるのか、単なるボケなのか、私にはわからない。
ある審査員が書いた本で、「審査ではアドバイスはできないので口にはしないが、いろいろな方法で改善を示しているので、企業担当者はそれを理解して反映してほしい」とあった。
ご本人は本当にそう思っているのだろうか?
そうだとすると、勘違いもはなはだしい。
審査員の方が、企業の経営指導、あるいは業務改善指導ができるとお考えなら、考えを改めるべきだ。企業の側は審査だからおとなしくしているのですよ。
もし経営コンサルあるいは作業改善、品質改善の指導であるという前提なら、アウトプットを求められる。品質指導しますと言って行った結果、成果がなかったら、二度と来るなと言われます。結果が悪くなれば金返せと言われます。
あなたはそれだけの覚悟を持って指導する力量と勇気がありますか?
審査とコンサルは立場が違うだけではないのです。
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20年も前のことだが、私も下請けに指導に行ったものです。品質改善とか生産性向上のためにいろいろと提案とか指導をするのです。世の中厳しいですよ、すぐに成果が出なければ帰れと言われます。指導を受ける立場で考えれば当然です。
もちろん成果を出せば、お酒を飲ませてもらいました。
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「審査は規格の目的を理解してもらう場である」と語っている審査員がいる。
本当にそうお考えなのでしょうか?
そうだとしたらその方は審査をするべきではないいくつかの理由がある。
まず審査とは適合性を判定することであり、教育の場ではない。最近は有効性審査と言っているがこの論議において違いはない。
次に、「審査とは規格の目的を理解してもらう」ということは、「審査員は規格の目的を理解しており、審査を受ける方は規格の目的を理解していない」という意味だ。
「企業の人は規格の目的を知らない」と考えている根拠はなんだろうか? 証拠を見たい。
そして「審査員である己は理解している」という証拠は何だろうか? 少なくともその審査員の規格の理解が間違っていないことを立証してもらいたい。
第三に、そのような偏見を持った人が審査を行うということは、その審査員がとらえている規格の解釈で審査をする
(押し付ける)ということであり、その解釈と異なるならそれを信じなさいということではないのか?
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「審査は、経営のリスク、課題に着目し、経営に寄与する指摘を出して、改善のきっかけを作り、その結果、利害関係者の信頼を得ることを目的とする」と語っている某審査機関のエライサンがいる。
まさしくそのとおりだ!
付け加えるなら、「経営に寄与する審査」といわないで、「経営に寄与する指摘」と言っているところがこの人が本物の証拠である。
このお方と、「審査は規格の目的を理解してもらう場である」と語っている方に、ぜひ審査の目的を討論していただきたい。
いやそのようなことをするまでもなく、前者に一刻も早く現役から退場していただきたい。
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審査を受ける企業のレベルが低いと嘆いている記事があった。
よく読むと、会社のレベルが低いというのではなく、
監査性が低いという意味であった。
この審査員氏の言うレベルが高い企業とは監査性が高く監査しやすいということ、すなわちISO規格を知っていて、審査員に分かるように対応してくれるということのようだ。
会社の仕組みを改善し品質向上に一生懸命努めてはいるが、ISO規格を知らず、ISO規格の用語も知らない会社であればあなたは審査できないのだろうか?
環境ならば環境側面の一覧表があり、該当法規制の一覧表がないと審査できないのでしょうか?
これは言いがかりではない。マニュアルが規格項番順でないから審査しにくいとか、マニュアルで使っている用語が規格と違うなどと言う審査員がいるのだ。
そういった審査員はプロセスアプローチ審査ができるとは思えない。
間違っても自分の力量不足を「企業のレベルが低い」などと責任転嫁してはいけません。
お断りしておく
私は企業と対等であると考えている何人もの審査員を個人的に存じ上げている。しかし、目線が違う審査員はそれ以上にいるということも残念ながら事実だ。
20世紀に審査員は神か王様だったかもしれない。
さすがに21世紀の現在は審査員も神でないことを自覚し人間宣言したようだ。でも、まだ兄であると考えている審査員がいるのも現実だ。
本日の主張
何を考えようと勝手だが、対外的な発言は慎んだ方がよろしかろう。
同志ぶらっくたいがぁ様からお便りを頂きました(08.04.13)
「審査とは規格の目的を理解してもらう」ということは、「審査員は規格の目的を理解しており、審査を受ける方は規格の目的を理解していない」という意味だ。
そういうことになりますね。
思いあがりも甚だしいと思います。
“審査員が考えている規格の目的”を組織側が理解していないというのであれば、まだわかります。でも、それは当たり前で組織側が理解する必要はどこにもないですし、タダならまだしもお金を払ってまでそんな無益なことを教えてもらわなければならない謂れもありません。
そもそも、規格は(審査にパスするためではなく)実務に役立てるために利用するものですから、実務を知らない審査員が組織側以上に規格の目的を理解できているはずがありません。
「組織の視点に立って審査をします」という審査機関がありますが、その時点ですでに上から目線で組織を見下しています。
実務に役立てるために規格を利用するという点では、審査機関は組織の足元にも及ばないことを強く自覚して、「経営のリスク、課題に着目し、経営に寄与する指摘を出して、改善のきっかけを作り、その結果、利害関係者の信頼を得ることを目的」とした審査を行っていただきたいものです。
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ぶらっくたいがぁ様 毎度ありがとうございます。
ちょっと考えればいけないなと気づくことを、公にするということ自体、もう価値観というか考え方が逝っちってますね。
はたしてこの審査員が、どのような審査をし、どのような受け答えをするのか、興味があります。
ぜひとも、「規格の目的をご教示していただきたくなりました」
そのために審査機関を換えようかしら?
もっとも、知り合いが審査に立ち会ってと言ってくるのを待ってればよいか
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自己矛盾様からお便りを頂きました(08.08.26)
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自己矛盾様 お便りありがとうございます。もちろん、自己矛盾とはあなたのことでなく、私のことと思います。
そうですね、一見矛盾しているかもしれません。
ただ条件がまったく違うことがあります。前半で述べているのは審査員であり、後半の私はボランティアコンサルであるということです。審査員は審査するのがお仕事、ボランティアはアドバイスすることがお仕事
それは、ちょっとした違いですが、違いはあります。
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萬太郎様からお便りを頂きました(08.08.28)
萬太郎です。
本日「自己矛盾」という言葉の使い方を初めて目にしました。
萬太郎の勉強不足だと思いますが。
ともあれ、気持ちの中の矛盾というものはだれにでもありますよね。
萬太郎も仕事やプライバシーで、しばしばあります。
が、それも人間だから。
いけないのは、「ダメなものはダメ」と断定すること。
(会津藩校日新館の教えはもちろん、含みません)
ダメだから、なんとか良くしようと考えることが大切ではないかと。
敵に塩を送る非常識(西洋、シナでは)な武将だっているじゃないですか。
矛盾結構。白黒はっきりさせるだけが人生ではない。
と、思いました。
思いつくままです。
さて、これから本日の後半戦(仕事)です。
頑張っていきま〜す。m(_ _)m
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萬太郎様 毎度ありがとうございます。
先方が自己矛盾と言っても、本当に自己矛盾なのかはまた別物です。
「あれは鹿か?」とお殿様が馬を指しても「ハイさようでございます」と馬鹿になって応えるのでなく、「ばかいっちゃいけません」というのもありです。
私は自己矛盾じゃないよ、気持にも矛盾はないよ、と自己矛盾様にご返答いたしたつもりです。
ま、人さまざまと言うことで・・・
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