前回の続きである。
瀬尾さんの会社の仕事の流れ、はだいたい図に書きあらわしたと思われた。そこで今日は次の段階として、ISO14001規格と化学物質管理と会社の文書などとの対応を調べることを予定していた。
なんと驚くことに、今猿氏がぜひとも参加したいといってきたのだ。瀬尾社長に話をしたら社長が「いいでしょう」と言う。まあここは瀬尾さんの会社だし、今猿さんがおかしなことを言い出して手に負えなくなれば、自分が身を引けばいいと山田は考えた。
山田が予定の朝9時前に瀬尾さんの会社に着くと、ほかの3人、瀬尾社長、安藤部長、今猿氏は既に集まっていた。
「では、今日の目的と目標、そしてどんなことをするかを確認します。」山田は話し始めた。
「はじめに、私がISO14001規格の概要を説明します。そしたら今まで調べたお宅の会社の仕組みの文書とか記録、あるいは不文律も含めた手順のどれがどこに当てはまるのかを考えたいと思います。
その成果というか結論ですが・・この大きな紙の左側にISO規格の項目を書いてあります。お宅の会社の仕事で当てはまることを右に書いていきます。左側のすべての項目に対応する文書や記録があれば明日にでもISO審査を受けて合格になります。もちろん文書や記録があったとしても、その内容が十分か否かは細かく調べることは必要です。

もし右側に書き出すものが足りなければ、そこを埋めるもっとも簡単な方法を考えることになります。
実は、御社はISO14001認証だけでなく、化学物質管理体制も要求されています。それで、次はお客様からの化学物質管理の要求されている項目を、こちらの紙にISO規格と同じように左に要求を書いておきました。これから調べたことを右の欄に書いていくことにします。
予定ですが、今9時ちょうどですから、だいたい1時間ちょっとISO規格の話をして、それから順々にそれぞれの項目に見合ったものがあるかどうかを考えていきます。こういったことは端から順々に埋めていくというより、わかるところから埋めていくという方法のほうが面白みもあるでしょうし、勉強になると思います。今日の夕方5時までにISO規格と化学物質管理の要求の半分くらいが埋まることを目標にしたいと考えてます。
残りは来週となりますが、それまでに社長と安藤部長が暇を見て残りを埋めることもできるでしょうし、来週になるとまた新しいアイデアとか、漏れていた記録などでだんだんとさまになってきますよ」
瀬尾社長が口を開きかけたが、それより早く今猿氏が発言した。
「山田さん、私はまずはじめにマニュアルを書いていくのかと思いました。私はマイナーなコンサルですが、多くのメジャーなコンサルはマニュアルを売ってますよね、ああいったものを入手して、それに合わせて手順書や帳票を作るのがセオリーかと思ってました。マニュアルも手順書も電子データも売っていますので、一括変換であっというまにできあがります」
「今猿さん、もうしわけありませんが、ここはコンサルの方法を議論することが目的ではありません。とりあえず瀬尾さんの会社のまとめをしたいと思います。今猿さんのおっしゃったことは、別途話し合うということでいかがでしょうか」
山田はやんわり断った。
「山田さん、ISO規格なら私も2日間講習なんてのに行きましたし、安藤部長も商工会議所の講習会に行ってます。そんなわけで規格説明は省略して、すぐさま要求事項と現物の対応をしていきたいのですが」
瀬尾社長は気がせいているという風にそう言う。
山田はちょっと考えた。そのへんの・・といってはまずいだろうか、怪しげなISO規格の講習会を聞いた程度で大丈夫かと思った。
いや、これは不遜である。山田こそ正しい理解をしているのかと問われそうだ。
山田はすぐに決断した。
「わかりました、ではすぐに取り掛かりましょう」
もし、作業の途中で、瀬尾さんや安藤部長の規格の解釈が間違っていれば、その都度説明すればよいだろうし、そのほうが規格の理解が深まるだろう。
「まず、4.1はなにも必要ありません。ここでは規格の目的を満たすために4.2以降に書かれたことをちゃんとしなさいということだけです。じゃあ、4.2に行きましょう」
「山田さん、普通、ここではマニュアルで規格の文言を書かないと不適合になります」
今猿さんが言う。
「今猿さん、そうかもしれません。でも、ここに当てはめる文書記録は不要ですから、とりあえず次に行きましょう」
今猿は不満そうだったが口を閉じた。山田は、これは前途多難だなと苦虫を噛み潰した。
「4.2は環境方針です。ご存知と思いますが、環境方針というものを作れということではありません。瀬尾製作所の環境についての考えを明確にしなさいということです。経営方針といったものの中にそういったことが書いてあってもよいし、品質方針と環境方針と一緒でもよいのです。もちろん方針という名称でなくて、書き物の名称が『今年度重点施策』とか『当社の目指すもの』でもなんでもかまいません。瀬尾社長、ここに当たるものとして何が良いですか?」
「ウチにはそんな立派なものはないねえ〜、方針なんて」と瀬尾氏
「社長、去年の夏に商工会議所に頼まれて、社長は『当社の経営』というタイトルで寄稿したでしょう。あそこには品質とか環境とか社会貢献なんて盛り込んでましたよ」安藤部長が助け舟を出した。
「そういやあ、安藤部長とふたりで何日も夜までかけて書いたねえ」
瀬尾社長はそういって本棚から商工会議所の1年前の特集号を取り出してきた。しおりが入っているところを開いて山田に差し出した。
山田は受け取って中を斜め読みした。
「いやあ、立派なものです。じゃあこれを瀬尾製作所の環境方針としましょう」
今猿氏は山田からそれを受け取ってながめた。
「山田さん、これじゃあだめですよ、まず
『枠組み』という言葉がありません。次に『汚染の予防』という言葉もない。それに・・」
山田は今猿の突っ込みにいささか憤りを感じたが、同時に今猿は今まで立ち会った審査で審査員に痛めつけられてきたのだろうと同情心もわいた。
「そうですねえ、審査員によっては規格の本質と異なるところで不適合を出すかもしれません。でも、ここはひとつ本当のISOというものを実現してみませんか。瀬尾製作所が労力とお金を投じてISO認証して得たものが免状だけでは悲しいでしょう。少しでも会社を良くするのに役立ったというものにしたいと私は思います。」
「今猿さん、山田さんの指導の下に今日は進行したいのですが、いかがですかね」
瀬尾社長が声を出したので、今猿はうなずいた。
「では、環境方針は過去から立派なものがありました。では環境側面に入ります。
環境側面を特定したり、著しい環境側面を決定する方法というのは星の数ほどあります。数値で計算するものを良く見かけます。しかし、規格ではどういう方法でなければならないとは書いていません。」
「山田さん、商工会議所でISO講習会を受けた時に環境側面を教えた大学の先生は、点数方法こそがただひとつの手順だと教えていました」
安藤部長が異議を唱えた。
「山田さん、点数方法でないと審査の際にもめますよ。崇高なお考えはわかりましたが、ここは大勢にあわせたらどうですか?」
と今猿が言う。
「そうですね、でも瀬尾製作所の役に立つかどうかという観点で考えてみましょう」
「私は山田さんにお願いしたんだ。山田さんは休みの日に来て、無給で教えてくれている。今日は山田さんの語ることを聞くことにします」
瀬尾社長がそういった。
山田は瀬尾氏に会釈して
「社長、ありがとございます。みなさんは私の話を納得しないかもしれない。特に今猿さんのように何年も審査に立会い修羅場を経験してきた人は、私の考えが正論過ぎるとか、甘いとか思われるかもしれません。しかし、ここ数週間みなさんが休みの日にでてきているのです。その結果、法律の届出漏れに気がついたとか、事故の危険に気がついたというものであってほしいと思います。単にISO審査員を納得させる方法を覚えただけなら悲しいことですし、無駄以外のなにものでもありません。私はそう考えています。
ではいきますよ、
お宅では新しい機械設備を入れるときはどのような手順でしていますか? 安藤部長さん説明してくれませんか?」
「新しい機械ですか・・そういえば1年前にコンプレッサーを更新したことがあります。そのときしたことをお話しましょう。

まず、代理店の人に法律的にどんなことが必要か聞きました。というのはそれまでは小さなベビコンしかなかったのですが、エアが足りなくなることが多かったので今回は大きなものにしようとしたのです。」
「はい、それでどんなことを教えてもらったでしょうか?」
「法律では10馬力以上であると届出なければならないとのことですが、この区では厳しい条例があって3馬力以上だと騒音、振動の届出が必要と教えてくれました。それから一応は大丈夫だろうけど、近所に機械を更新するけど今までより音が大きくはならないと思うとお話ししておいたほうが良いといわれました。そうそう、今まではコンプレッサーのドレイン、わかりますかね?、コンプレッサーのエアから油が混じった水がでるのですよ。従来はそれを側溝までゴムホースでつないで流していたのですが、それじゃまずいといわれて空き缶にためて切削油と一緒に廃棄物に出すようにいわれました。」
「なるほど、それで実際にはどうしましたか?」
「区役所に相談に行きましたら、当社の住所は準工業地域で指定地域からわずかに外れていることがわかりました。それで届けはいらないとのことです。
ドレインの対策はいわれたとおりしました。よくよく見ると今まで流していたドレインで側溝が真っ黒になっていました。よく近所から文句を言われなかったと思いましたね。」
「安全の観点ではどうでしょうか?」
「カタログからは騒音は耳栓が必要なレベルじゃありませんし、取り扱いも資格がいるものではありません。それで設置するのに問題ないと考えました」
「近隣への説明はどうしましたか?」
「隣組の組長に話をして組長には了解していただき、次回回覧板を回すときにわが社で作った説明資料を1枚付け加えてもらうようお願いしました」
今猿は黙っていられないようで、口を開いた。
「山田さん、そんな話と環境側面がどう関係するのですか? こんな雑談をしていては時間の無駄ですよ」
「今猿さん、私は環境側面を把握するということは重要なことと思いますが、ある日突然一挙に調べなくてはならないとは考えていません。会社といいますか、仕事は連綿としているわけで、新しい設備や製品を扱うようになった時に、追加されたものがどのような危険性とか法律の規制とかあるのかと調べることが環境側面の特定であり、その結果、管理しないと問題だと認識することが著しい環境側面の決定だと考えています。といいますかそれこそがISO規格4.3.1のa)に書いてある『活動や製品に変更や新規のものがあればそれについてしなさい』ということだと思います。そして現実の会社では、過去のものにさかのぼって環境側面を特定しようとか決定しようと考えるまでもなく、必要な手続きや対応をしているはずですよね」
そんなやりとりが続いた。
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立ち止まって考えてみれば、ISO認証しようとなったとき、環境側面を調べて、その結果著しいとなったものについて、手順を決め、教育し、それによって運用させるということは、ありえないというか、異常というか、おかしなことだと思わないのだろうか?
私は、そんなことはありえず、異常であり、おかしなことだと思う。
どの会社だって、しっかり管理しなければならないことは過去より管理してきたはずだ。そしてその評価をいつするのかといえば、当然、機械を入れた時とか、化学物質を使い始めたときとか、法律が変わった時だろう。そんなときに法規制を調べたり、市役所に聞きにいったり、MSDSを取り寄せたりして対応が必要か調べているはずだ。
もちろん調査が漏れて、危険性や法規制に気がつかなかったものもあるかもしれない。だが、一旦知ったからには野放しにはしていないはずだ。
だから点数法がどうこう言う以前に、環境側面を特定しようとか、著しいものを決定しようという発想そのものが変だと思う。
調査が漏れているかもしれないから改めて環境側面を評価するのだという意見は、今回の環境側面の調査・評価に漏れがないことを証明する必要があるだろう。
そう思う私が変かしら?
それともあなたの勤め先では新設備を入れる時に届けが必要かなんて調べたこともなかったのだろか?
それなら、今までよく事故も違反も起こさなかったものです。
あなたは幸運な人です
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今日の成果物
規格項番 | 規格要求事項 | 会社の手順を決めたもの、記録 |
4.1 一般要求事項 | 特にない | 不要 |
4.2 環境方針 | 遵法のコミットメント 継続的改善・汚染の予防 目的・目標(改善) 文書化
| 商工会議所に投稿した「当社の経営」 |
4.3.1 環境側面 | 特定手順 著しい決定手順 文書化と最新化手順
| 新設備を導入した時の処置手順(文書化されていない) 新原材料導入時の処置手順(文書化されていない) |
4.3.2 法規制・その他の要求事項 | 法規制の特定・その他の要求事項の特定 どのように適用するかの決定
| 商工会議所の法改正情報(弱い) 取引先からの法改正情報(断片的) 取引業者からの情報 |
4.3.3 目的・目標・実施計画 | 文書化 環境方針との整合 担当部署・責任者・手段・日程 | 年度行動計画書 毎月のフォロー会議議事録 各人の「私の今年の目標」
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4.4.1 資源・役割・責任・権限 | ・・・ ・・・ | ・・・ ・・・・ |
4・・・・
| ・・・ ・・・ | ・・・ ・・・ |
「それじゃ、次は4.3.2です。安藤部長おたくが関わる法律ってどんなものがあると考えているのでしょうか?」
「ロウ付けのガスはアセチレンですが、量が少なく消防法の規制を受けるほどの量は保管していません。切削油も危険物第4類第3石油類なのですが、これも1斗缶で5個くらいしか置いておかないので規制を受けません。」
「公害防止関係の規制はどうでしょうか?」
「大気はボイラーもないし、粉塵も出ないので関係ありません。水質も特定施設があるわけではなく、万が一漏洩が起きても工場から外まで流れることはないでしょう。振動騒音はコンプレッサーだけです。」
「コンプレッサードレインも厳密に言えば水濁法の対象ですし、油水分離しているとはいえ、下水に流している水も規制以下にしなければなりません。それは下水道法ですね。もっとも水の使用量が規制対象より少ないでしょうけど」
「そうですね、規制対象外であると知っているのと、知らないでたまたま良かったというのは大違いですね。ドレインは法規制以下であるとしても、近所から苦情があれば対応しなければならなかったことだ。」
と瀬尾社長が口をはさんだ。
「MSDSを備えているとおっしゃいましたが、それを見せてくれませんか?」
安藤部長が紙ファイルを持ってきた。
「当社ではアセチレン、切削油、洗浄剤、ろう、錆落としのリムーバーくらいです」
今猿が山田より早く手を出してファイルを開いた。
「おお、ちゃんと台帳を作っていて・・あれ、MSDSの発効日付がいけませんよ」
「今猿さん、なにか具合が悪いですか?」
安藤部長が心配そうに言う。
「MSDSは化管法が改正されて、今は2009年10月以降発行のものを備えていなければならないはずです。これは・・なんと1998年です。今回の法改正前にも一度法律改正があって、2001年以降のものを備えていなければならなかったのです」
「今猿さんのおっしゃるとおりです。じゃあ、MSDSについての法律をどのように把握していたのか話してください。」
「正直言って、法律を調べるという発想はなかったですね。MSDSについては、お世話になっている税理士の方から、労働安全衛生法とPRTR法の両方から使っているもののMSDSを取り寄せて、みなが見られるようにしておかないとだめと言われたのが発端です。
その後、お客様のA社からMSDSを備えているかという問合せがあって、材料についても取り揃えました。
コンプレッサのときは代理店から騒音規制法と振動規制法、そして区の条例を教えてもらいました。うちとしては弱いどころか、仕組みがなかったところですね。商工会議所からくる法律の情報だけでは足りないんですね、とはいえどこから手をつけるべきか・・」
瀬尾社長が苦い顔をして言う。
「官報をとるとか、法律の制定改正の情報サービスを契約するとかいろいろありますよ」と今猿が言う。
「まあまあ、今日はそこまで考えなくても良いでしょう。ここは法律を調べる手順が弱いということでしょうね。とりあえず、ここで昼休みとしませんか」
山田も正直疲れていた。
とても4.6までの全項目全部は書ききれないし、書く意味もないだろうと思う。
実を言えば、
前回のプロセスを書き出した時点で、どんな手順書があるのか、記録があるのか、は判明している。だからそれを規格の各項番に割り振っていけばよいのである。しかし、規格を理解していない場合、直接その段階に行くよりも、規格の項番ごとにその意味を説明して前回リストしたものを参照するというステップを踏まないとうまくいかない。
実際にはISO認証しようする企業では、私が個々の項番の要求を説明しながらやろうとすると、それはいいから早く進もうというところが多い。
今回もそういう意見を出されたことにした。
そういう試行錯誤、いったりきたりがあるのも、理解を深めるためには必要なのかもしれない。と最近は達観している。諦観かもしれない。
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ところで、私は環境監査というものもこういった調子でしている。チェックリストはあるが、それを逐一調べていくようなことでは良い監査にはならないし、なによりもつまらないだろう。話をしながら良いところ、問題ないこと、あるいは問題のあるところを確認していくことも楽しみだろうと思う。
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たった一人の読者のために、嘘800を書いたのは後にも先にも初めてでございます。
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