*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。
工藤が会社を買収し、吉本取締役から工藤が社長に代わった。法人はそのまま継承である。 早速、工藤社長と伊丹の二人で、砲兵工廠に挨拶に行く。前任者がもめたことで仕事がもらえないかと心配していたが、木越少佐も切ろうとしていたわけではなく、伊丹がなぜ来ないのかということを問題視していただけで穏やかに話は付いた。 木越少佐は伊丹をどう使うか決めてなかったようだが、とりあえず毎月1回2時間の講演というか講義をしろという。お題は何でもよいが、毎回完結がよい。それで月2両払うという。2時間で20万円なら御の字である。 聴講者は兵、下士官、幹部の誰でも自由に参加する。そして聴講者が減ったり評判が悪ければ打ち切るという。工藤も伊丹も異存はない。それこそ伊丹の腕の見せ所である。 四井建設については工藤が一人で行くという。元々四井建設から日程管理についてご教示頂きたいという声がかかったわけで、こちらが物欲しげに行くことはないというのが工藤の考えだ。吉本社長の末期にもめたようだから、向こうが話はなかったことにするというならそれで結構という。 ところが行ってみれば状況は予想と違った。既に何人もが藤田中尉の論文を読んでおり、はじめは藤田中尉に講演を依頼した。ところが藤田中尉は軍務多忙につきとお断りし、その代わりとして新世界技術事務所の伊丹を推薦していた。そうなったからには四井建設も新世界技術事務所に依頼しなければならず、工藤が訪問したのでこれ幸いとなった。まあお互いハッピーだろう。そもそもは吉本社長が私利私欲に走ったために行き違いが起きただけだ。 とまあ、そんなわけでとりあえず仕事は2件確保した。もちろんそれで社員4名が食べていけるわけではないが、なにもないのとは大違いだ。 工藤と伊丹はこれから中小の工場を回って仕事の確保をする予定だ。 それと新人の上野に基本的なことを教えて戦力にすることも喫緊の仕事である。 伊丹にはそれだけでなく重大な仕事があった。引っ越しである。伊丹は稲毛にマンションを持っている。そこには24になる息子が住むことにした。息子は大学を出て就職したとき親元を離れたいとのことで、錦糸町にマンションを借りて一人暮らしをしていたが、実情は懐具合がピーピーらしい。家賃がタダになるのはありがたい。通勤時間は20数分長くなるが、今どき通勤が30分や40分は普通だろう。息子は家具と家電をそのまま使うという。 ということで物はほとんどもってこない。どちらにしても電化製品がない時代だ(注2)。掃除機ない、冷蔵庫ない、洗濯機ない、テレビもない、あるのは白熱電球くらいだ。家具も時代が違うから使いようがない。 妻の幸子は着るものを気にしている。こちらは着物オンリーかと思っていたら、けっこう洋服を着ている成人女性が多いのだ。とはいえこの時代の洋服では元の世界に戻れば、コスプレと思われそうで、とても着て歩けるものではない。行き来するときはどちらでも目立たない服装でなければならない。むしろ着物一本でいったほうが、どちらでも通用しそうねという。伊丹の母から譲られた箪笥の肥やしになっていたのが生かせるわという。 伊丹が南条さんにそんな話をしたら、小紋とか紬などちゃんとしたものを日常生活では着ません、綿のものですと言われた。こちらではお出かけでも掃除洗濯でも和服ではあるから、礼装や外出着だけでなくジーンズやTシャツ代わりも必要だし、ワンピース並みのカジュアルなものも必要なわけだ。南条さんにじゃあどんなものをそろえたらいいのかと聞くと、現代日本では和服とは正装とか高級品しかないから向こうでは売ってないという。こちらに来てからで大丈夫と言われた。 伊丹も上野と一緒に行ってもらって今風()の洋服、蝶ネクタイ、靴などをそろえた。今までは21世紀の服装で歩いていたが、腰を据えるならこの世界のスタンダードに合わせないとまずい。人は見た目が100%ではないが極めて大きい。 工藤は一族の不動産屋を使い、渋谷駅近くに敷地150坪に平屋建40坪のちょっと豊かな人が住む家を探してくれた。渋谷駅から歩いて10分といっても、この時代にはいたるところに畑が広がっていた。 ![]() ![]() 伊丹は渋谷駅から山手線に乗り新橋まで、30分はかからない。直線の倍以上走るが、山手線内を走る都電も地下鉄もないからしょうがない。明治・大正時代は山手線内の山の手が高級というか普通の人の住宅地だった。 ![]() 幸子がこちらの世界に来て、伊丹と工藤と一緒に家を見に行く。 二人で住むには広すぎる。サザエさんの家が7人家族で30坪らしいが、それより広いのに二人しか住まない。 |
家の中を眺めながら話をする。
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「ちょっと二人には広すぎますね」
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「二人って? 奥さん、女中も住むんですよ。何名必要ですか?」 | ||||
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「えっ、女中って?」
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「向こうの世界では、お手伝いさんとか家政婦とかいうそうですが」
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「そんな、専業主婦ですから家事は私がするつもりです」
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「いえいえ、伊丹さんほど収入があれば女中の一人や二人いるのが普通です。 離れがあるでしょう。廊下でつながっていますが、ここは女中部屋です。二人住めるように4畳半が二間あります」 | |
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「二人分も家事仕事があるのでしょうか?」
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「うーん、こちらではまず家電品がありません。それで洗濯も掃除もすべて人力です。旦那さんのシャツの襟も洗っても型崩れしないなんてものじゃありません。毎回アイロンをかけなければなりませんが、奥さんは炭の入ったアイロンが使えますか? 炊事も電気釜もなければ電子レンジもありません。かまどの火加減を調節するのも付きっ切りですよ。風呂を沸かすのもマキ割もありますし、マキをくべるのも人、煙突掃除もあります。もし女中がいなければ奥さんは朝から晩まで働きづめになりますよ。 女中二人いれば奥さんは何もしないで済みますし、奥さんが外出するとき一人お供したほうがなにかと安心でしょう。それに初めての世界でしょうから、話し相手、相談相手になります」 | |
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「工藤さん、心配なのはお金です。二人も雇えますか?」
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「女中の給料は大体米9俵。向こうの世界では月10万くらいですか、あるいは大卒ホワイトカラーの初任給の半分ですから・・・それで考えてもやはり10万くらいかな。いずれにしても伊丹さんの給料で二人は雇えます」
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「なるほど、それじゃ二人手配できますか。一人は一族の方にしてほしいですが」
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「料理が上手な方がいいですね」
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「二人とも一族から探しましょう。家事だけでなく奥さんが外に出る時、お召し物とか化粧とかチェックもしないとならないですし」
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「よく分かりました」
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「なるほど、いろいろ覚えないと暮らしていけないね」
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「まあそういうことも女中から学ぶということで」
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結局、そこに決めた。なにしろ伊丹も幸子も右も左もわからない。すべてが工藤頼みだ。 駅まで歩きながら雑談をする。 | ||
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「道路が舗装されてないですから埃っぽいでしょう」
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「でも排気ガスがないから服が汚れませんね。ただ道路に馬のフンがたくさん落ちていますね」
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「車がないですから人も荷物も運ぶのは馬車しかありません。鉄道馬車は最近は電気に変える工事をしていますが、馬車まで電気にするのは難しそうです。 馬糞と排気ガスを天秤にかけるとどちらが良いですか?」 ![]() ![]() | |
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「そうですね、こちらかな。富士山がきれいに見えるなんて驚きです」
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「便利さのその代償をどう考えるか。我々の仕事は便利に速く楽にしようとしているわけだが、それは無条件で手に入るものではなく、ツケが怖いね」
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「でもこの国だけがのんびりしていると、50年前のように外国に支配されそうになりますからね」
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「おっしゃるとおり。今も西欧の国々は日本を植民地か属国にしようとしていますからね。 難しいなあ〜」 | |
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「奥さんはこちらの世界に拒否感はなかったですか?」
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「悪い意味にとってほしくはないのですが、お友達が何人もタイとかメキシコとかに駐在していました。みなさん大邸宅とか本物のマンションに住んでいて、タイではアヤさんといいましたが、女中さんですよね。二人くらいいてお友達は何もしないの、家事はもちろん、子供の送り迎え、病院に連れて行くとかみなしてくれるの。 本人は毎日テニスとか観劇とか習い事とか。もう王侯貴族かって暮らしですよ、そんなのを見て、一度はそんな暮らしをしてみたいと思ってました」 | |
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「オイオイ、お前にそんな趣味があるって知らなかったぞ」
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「ですから悪い意味にとってほしくないって言ったでしょう」
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「この社会は貧富の差が激しいですから、女中のような仕事もないと困るのです。それに豊かな社会ではないですから勤労意欲は高いですよ。 そしてお金のある人は、貯めておかないで使ってくれないとお金が回りません。優雅な暮らしが悪いわけではありません。 ただこの社会はまだ老後とか病気の時の社会保障というものがありませんから、そこらへんは考慮してください。石田さんの二の舞は御免です。まあ、ここでの暮らしを楽しんでください」 |
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注1 |
第二次大戦末期、航空機用ガソリンがなくなって松脂から有機燃料をとろうとした。もちろん労力もなく家庭婦人が駆り出されたのだ。 インターネットをググると松根油は実用化されなっったとか一部地域のみだったとあるが、私が子供の頃、母からだいぶ根っ子堀りをしたと聞かされた。またB29もグラマンも爆撃、銃撃に飛んできたが、母が戦闘機に銃撃されたことはなかったらしい。銃撃されて殺された知人や友達はいたらしい。 しかし敵国の子供とか一般市民を銃撃し多数を殺したとはとんでもないことだ。アメリカ許すまじ |
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注2 | 主な家電製品の現れた時期を下表に示す。
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注3 | 私が差別意識があるとか人より階級が上になりたいということはない。 私の家は貧乏だったから母は女中をしていた。専属というか長期ではなく、子供が生まれたとか病気したとかいう家から頼まれることが多かった。別に雇い主が上ということもなく、その家の子供にへりくだることもなく、そこの子供と普通に遊んだりしていた。ただやはり金持ちは家も家具も食い物も違うなあということは実感した。 |