*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
ISO9001版 | 1987 | 1994 | 2000 | 2008 | 2015 |
検査 | 12 | 10 | 5 | 4 | 注2 |
工程管理 | 6 | 6 | 5 | 5 | 注2 |
注2: | 引退した私は2015年版のISO9001まで買う余裕がありません。規格をお持ちの方shallを数えて教えてください。 ついでに言えば、私の表に数え間違いあれば教えてください。 |
注3: | shallの後ろの述部が複数来ることもあるから、shallの数イコール要求事項ではない。しかし各項番の文字数をみればだいたいの傾向は分かるだろう。 |
藤原、伊丹、両夫婦一緒に鮭と海苔と漬物で朝ご飯を食べながら、今日の予定を話し合う。 ![]() 伊丹はそういえば藤原氏の服装もいささか明治末期には不似合いだと思ったが、こちらはしょうがないと諦めた。街で多少人目を引いても、江戸時代の朝鮮通信使のように群衆に取り囲まれるほど物珍しくはないだろうと自分自身に思い込ませる。それに服装だけでなく髪型のほうが差異が大きいかもしれない。
藤原は会社の建物が立派なのに感心する。そして間借りしているのでなく丸ごと一棟借りていると聞いて更に驚いた。 定例の朝の打ち合わせで、工藤が藤原の紹介と今日の行動予定を説明する。 打ち合わせを終えると、工藤、伊丹、上野、藤原の4人で砲兵工廠に出掛ける。最初は上野を連れて行くつもりはなかったが、上野がぜひと言うので工藤はしかたがないと認めた。 ●
藤田中尉には、藤原は引退した卓越技能者であり、専門家の目で工場を見てもらいこれからの指導に反映したいと説明した。とりあえず今回は、ひととおり現場を見てもらい気が付いたことについて意見交換をすることになっている。● ● 意外かもしれないが、当時は現場作業者だから身分が下に見られるとか差別されることはなかった。史実の海軍工廠では、優秀な技能者で工廠の佐官クラスより月給が高い人が何名もいたという。もちろん工廠としては高い月給を払いたくないので、卓越技能者には技師になれとか技術下士官になることを勧めたそうだ。職工の方としてはそうなると月給が下がるのでなりたがらなかったという 会議室で藤田中尉と本日の予定の確認をしていると、木越少佐が顔を出した。 | |||||||||||||||
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「おお、工藤社長、伊丹さん、おはよう。そちらが機械加工のベテランさんか?」
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「少佐殿、おはようございます。はい、こちらは藤原と申します。私も伊丹も切削加工の門外漢ですので、本日は藤原に工廠を見てもらいいろいろアドバイスをしてもらいたいと考えております」
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「面白そうだから俺も参加するわ」
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「私がここに来るのもこれきりかもしれませんので、現場で気が付いたことを都度お話します。できればどなたかメモをしていただければうれしいです」
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「ハイ、自分が記録します」
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![]() 都合7名が工廠の機械工場を巡回する。 工場に入ってすぐに藤原が立ち止まる。 | |||||||||||||||
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「機械の音が変です。これもそうですが、他の機械も音が変なものが多いですね」
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「うーん、いつもこんな風ですが」
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![]() 藤原がしゃがみこんで目の前の旋盤を眺める。 当時の旋盤はモーターを備えておらず、変速のためのギア機構もない。主軸台と一体のプーリーは天井のメインシャフトから動力を受けるのだが回転数を替えるために数段になっている、その他はベッド、往復台、心押し台しかない。きわめて簡単な構造のスケスケのスケルトンである。 ![]() | |||||||||||||||
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「脚がボルト止めしてないですね」
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![]() 皆、藤原が指さす方を見つめる。4本の脚のうち1本が止めてない。そしてその脚は床より浮いているようだ。 ![]() | |||||||||||||||
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「これくらい問題ないですよ。私はほかの会社の指導もしていますが、みなこんなもんですよ」
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「これはそのままアンカーを締めたら機械が歪むと思ってボルトを締めなかったのでしょうね。機械を設置する前に床というか脚の所だけでも水平を出しておかないとダメでしょう。機械が固定されてないからビビッて、変な音がしているのです。たぶんその周期で仕上げ面にも影響しているはずです」
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「藤原さん、これくらいは問題ないって分からないんですか、大丈夫ですって」
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「陽二、ちょっと黙っていろ」
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「おい、お前、機械を止めろ。それから軍曹、機械保守部門を呼んで来い」
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![]() 黒田軍曹はすぐに駆け出した。伊丹は工場内を走るなんてと思う。 操作していた職工は機械を止めた。皆は機械に近づいてしげしげとみる。 木越少佐は別の脚を止めているボルトを手でくるくる回してみる。 ![]() | |||||||||||||||
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「これはボルト止めはしてあるが、緩んでいる。これじゃ意味がない」
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「元々3本しか止めてないから振動で緩んだのでしょう」
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「だから・・ボルトが緩んでいても問題ないですって」
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「うるさい、お前は黙っておれ」
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![]() 黒田軍曹が工具箱をかついだ工員数人を連れて走って戻って来る。 ![]() | |||||||||||||||
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「おい、この機械の水平を出して4本脚を固定をしろ、大至急だ」
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![]() 駆けつけてきた工員たちは一瞬顔を見合わせたが、すぐさま取り掛かった。ベルトを外して、アンカーボルトを外し、みなでヨイショと掛け声をかけて旋盤をずらす。水準器をとりだしてバタバタと作業に入る。 当時の旋盤は今の時代に比べれば単純素朴で簡単で軽い。工作機械というよりも作業機械である。 | |||||||||||||||
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「藤田中尉はここで作業を立ち会え、他の者は前進だ」
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100年前の旋盤の絵がないかと探したが、ちょうどしたのがない。それで50年前工業高校で埃をかぶっていた骨董品を思い出して描いた。 旋盤なんてもう30年も触ったことがないが、あんなもの時代が代わろうと本質は変わらない。ワークを回す仕掛けとバイトを動かす機構があればよいとサッサと書いた。ベッドが短いとか、往復台の構造がおかしいなんて言っちゃいけない。なにせ半分ボケた頭に残った記憶で描いたんだから、 しかし今の旋盤はなんで肉付きが良くてボリュームがあるのだろう?それが不思議だ。 |
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「床にだいぶ切粉が落ちてますね」
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「軍曹、切粉の清掃はどのようにしているのか?」
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「通常は作業者それぞれが作業が一段落したら、箒で掃くという塩梅ですね」
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「もっと清掃の頻度を上げればよいのか?」
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「能率向上から言えばなるべく清掃の回数を少なくすべきです。切粉が多くても少なくても清掃の時間はそんなに変わりませんから」
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「お前は黙っていろ。今度余計なことを言ったらつまみ出す」
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「清掃よりも、まずは切粉が飛び散らないような方策を取りたいですね。例えば樋のようなもので直接の箱に入れてしまうとか、除塵機で吸い込むとか、切粉が散らばるのは製品に傷が付いたり作業者にも危ないですから。鋳物はともかく流れ型の鋼材はね」
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「バイトはみな作業者が自分で研磨しているのですか」
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「はいそうです」
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「そうするとばらつきが大きいですよね。今通り過ぎた旋盤のバイトは前逃げ角が少ないように見えました。刃物研磨も上手くなれ、切削加工も上手くなれと言っても・・」
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「それはそうなってもらわなくては」
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「でも刃物研磨と切削加工の技能は別物です。作業者がみな刃物研磨も機械操作も上手になる必要はないでしょう。管理する側としてはなるべく仕事を単純化して、誰でもできるようにした方がよいですね」
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「バイトの形状は基準とかあるのか?」
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「自分が知る限りはありません。職工はみな自分が使いやすいように研削するでしょうし、その形を他人には教えないでしょうし」
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「もし刃物研磨専門の担当者を置いて、バイトをみな理想形に研磨してすべての工員に使わせたらどうなるのか?」
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「それはある面では理想でしょうけど・・・ 少佐殿、そうでなくても工廠で数年働いて一人前になると、民間に引き抜かれるとか自分から売り込んで移るのが多いのです | |
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「職工を多能工でなく単能工として育成すれば、熟練するのが早くなる一方でつぶしが効かなくなるから転職が減るということはないかな」
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「水が高きから低きに流れるように、腕がある職人が賃金の高い方に移動するのを止めることはできません」
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「軍の工廠は、この国の技能者養成の場と割り切ることも必要ではありませんか」
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「そんなかっこいいことを言ってもなあ〜、何年もかけて養成して一人前になると逃げられてしまう。ここは月給を払う職工養成所のようだ、」
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「確かに難しいですねえ〜、賃金を上げるといっても限りがありますし、 ただ働く人達に、ここは最高峰の技術があり、そして更に工作方法を研究していく場であると認識させれば、誇りをもち定着するようになるかもしれませんね」 | |
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「ノギスや計算尺など既に新しいことを開発しているじゃないですか、ああいったことで働く人の意識は変わりませんか」
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「実はね、それどころじゃないんですよ。ノギスを持ち出されてそれをコピーした模造品が売られているのです。愛社精神なんてのは持ち合わせていないようです」
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「そのコピー品の寸法精度はどうなのでしょう。まさか工廠製のノギスよりも良いなんてことはないでしょうね」
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「いくつか入手して調べましたが、見た目は似てますがウチで作ったものにはかないませんよ」
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「それを聞いて安心しました」
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「ところで工廠のノギスは何を基準に校正しているのでしょう?」
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「ええっと、まだ1年も経っていませんから校正はしていないのですが・・・制作時は工廠の基準尺というのがありまして、それで検査をしています」
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「トレーサビリティをしっかりしないといけませんね。そこが工廠の売りになるでしょう」
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「そのさ、トレーサビリティというのは重要なのか?」
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「重要ですよ。トレーサビリティのないものは計測器ではありません。そしてトレーサビリティのとれた計測器で検査していないものは良品とみなされません」
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「工廠のノギスは持ち出し禁止なのですか?」
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「もちろん規則はそうでありますが、現実には紛失したという届は多数あります」
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「そういうのは厳しく罰しないとまずいぞ」
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「私も民間の企業から工廠製のノギスが欲しい、口をきいてほしいと頼まれています。いっそのこと工廠製のノギスを販売したらどうですか」
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「うーん、それは工廠の本分ではないなあ〜」
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「ほう、これはハイトゲージですか?、自作ですな」
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「伊丹さんから頂いたノギスをいろいろな用途に使えないかと検討しました。今まではトースカンで長さを写し取っていましたが、これは直読で測定も罫書きもできます」
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「これはブロックゲージですか?」
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「ブロックゲージという寸法の基準があると聞きましたが、これはそんな立派なものじゃありません。単に鋼材を100oに仕上げたものです」
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「なるほど、これじゃね」
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![]() 四角い鋼材の端面は平滑どころか、カッターのナイフマーク ![]() ![]() | ||
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「今は立派な計測器はありませんが、少しずつこういったものを整備していこうと思います」
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「そうですね、なにごとも少しずつ積み重ねていくしかありません」
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![]() 一行は工場を一回りして入り口に戻ってきた。 旋盤の水平を出す作業をしていた工員たちが、工具の片づけをしているから工事完了したようだ。 ![]() | ||
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「おい、藤田中尉終わったか?」
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「少佐殿、ちょうど工事が終わったところです」
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「よし、それじゃ早速加工してみろ」
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![]() 脚の固定状態をみると、中央に穴をあけた鉄板を数枚挟み込んで固定されている。先ほどボルトが止めてなかった所だけでなく、4か所の脚すべてに鉄板をはさんでいるのをみると、真面目に水平を出したようだ。 工員は旋盤を回し始めた。保守部門の工員たちも立ち去らずに、作業を見つめている。 無負荷状態での音は先ほどとは違い、唸りがなくなっている。ワークを削り始めて負荷が増えても唸りは発生しない。 ![]() | ||
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「うん、俺が聞いても音が違うのはわかるぞ」
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![]() 黒田軍曹は今加工が終わったワークと、先ほど加工したワークを手に取り一瞥してから木越少佐に手渡した。 ![]() | ||
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「なんだこれは、仕上がりが全然違うじゃないか」
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「全然というほど違うとは思いませんが、確かに表面仕上げは良くなりましたね。今まではビビリがそのまま加工に出ていたようです」
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「機械が変な振動していれば、唸り音も出ますし、加工面に波が出るのは当然です」
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「おい、上野君、君は脚をボルトで止めてなくても大丈夫だと言ってたな。大丈夫じゃなかったようだぞ。アンカーボルトで固定するのはごりやくがあるようだな | |
木越少佐はそういって二つのワークを上野に渡した。上野 ![]() 一行は会議室に戻って一休みである。兵隊がお茶を出してくる。 ![]() | ||
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「どうですか、藤原さん、改善点などについてお話を聞かせていただけますか」
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「細かいことは多々ありましたが、主な点としてはですね、 ひとつ、機械設備の点検や保守のレベルを一段階上げたいですね。同じ機械であっても点検や保守の方法を見直せば、機械の故障も少なくなり、製品も今より良い精度で加工できると思います。 ひとつ、刃物の管理ですね、バイトを同一の形状・寸法に研磨して作業者に使わせる仕組みにすれば能率は良くなるし、旋盤工は研磨から解放されて加工に全力を注げると思います。そもそも現在の刃物をみると研磨状態が話になりません。まっとうに刃物研磨できる人がいないのではないですか。 ひとつ、すでに進めていると聞きましたが、計測器の改善を一層進めたいですね。まずは基準になるものをしっかりとしたい。それと計測器やゲージ類が結構無造作に扱われているようです。もっと大事に扱わなければいけません。 そのほか、工場内の整理整頓の徹底です。切粉の始末もありますし、そうそう、先ほど軍曹殿が少佐殿の命令で保守部門を呼びに行ったとき駆け足でした。工場内の駆け足は厳禁です。そういうことを徹底したいですね」 | |
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「反省します」
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「ええと工藤さん、藤原さんはお宅に勤めることになるのか?」
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「正直言いまして、まだ決定じゃありません」
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「もしお宅で雇わないなら工廠で嘱託として雇いたいな。今日歩いただけでもいろいろためになった。藤原さんは強力な助っ人になるだろう」
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会社まで戻ると上野はすぐに自分の席に座ってしまった。工藤はその様子を見てしばし苦虫を噛み潰していた。● ● 工藤、伊丹、藤原の三人は会議室に座る。南条さんが早速お茶を持ってくる。 ![]() | ||
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「藤原さん、今日はお疲れさまでした。藤原さんが技量があるのは分かりましたが、その反面、藤原さんがこちらのレベルがあまりにも低くて指導する気が薄れたかもしれませんね」
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「いやいや、実際の工場を見て指導したいという思いが増してきました。作業者の技能指導、刃物や工具の管理、機械の点検保守といった切り口で、いろいろとお役に立てるかと思います」
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「しかし転職率が高いというこの世界の状況を考えると、技能者を育成しても、それがそのまま工廠の成果に現れるかとなるとどうかなあ〜」
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「そこは指導ではなく管理の問題として、工藤さんや私が考えるところでしょうね」
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「確かにそうだね、そこは木越少佐と相談しよう。 藤原さん、とりあえず今ここで決めなくちゃならないことではありません。奥さんもこの世界で暮らしていけるかどうかお考えもあるでしょうし、とりあえず奥様とよくご相談下さい。1週間もしたらまた来ていただいて話し合いをしましょう」 |
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注1 |
労働安全衛生規則は機械や作業ごとに何十とあるが、その中で定期自主点検、使用前点検の義務が定められている。例として、プレス、といし、ロボット、回転軸のある機械などなど 多くの会社では法で定めるもの以外でも、操業のリスクを下げるために日常点検をしているのが普通だ。 | ||
注2 | 、注3は本文中に記載
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注4 | ![]() | ||
注5 |
1910年頃、日本の大企業における企業からの移動率は年20〜30%、第一次大戦後は40%にもなった。
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注6 |
機械設備をアンカーボルトで固定していない会社はけっこうある。振動防止、品質維持などで固定すべきだろうと思っていたが、それだけでなく地震の際の被害に大きな差があるという研究論文まであった。
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