*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
出入国管理及び難民認定法 |
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第七十条 次の各号のいずれかに該当する者は、三年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三百万円以下の罰金に処し、又はその懲役若しくは禁錮及び罰金を併科する。 一 第三条の規定に違反して本邦に入つた者 二 入国審査官から上陸の許可等を受けないで本邦に上陸した者 |
警察官職務執行法 |
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第四条 第一項 警察官は、人の生命若しくは身体に危険を及ぼし、又は財産に重大な損害を及ぼす虞のある天災、事変、工作物の損壊、交通事故、危険物の爆発、狂犬、奔馬の類等の出現、極端な雑踏等危険な事態がある場合においては、その場に居合わせた者、その事物の管理者その他関係者に必要な警告を発し、及び特に急を要する場合においては、危害を受ける虞のある者に対し、その場の危害を避けしめるために必要な限度でこれを引き留め、若しくは避難させ、又はその場に居合わせた者、その事物の管理者その他関係者に対し、危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができる。
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前回の打ち合わせの一月後、工藤と伊丹は砲兵工廠を訪問した。工藤の知り合いに荷車を出してもらい、伊丹と藤原が調達してきた小銃を箱に入れて積み、二人は砲兵工廠に運んだ。 指定された部屋にそれらの荷物を運びこむと、木越少佐と南武少佐はギョッとした顔をした。 ![]() | |||||||
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「それはなんですかな?」
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「前回、伊丹が将来はどんな歩兵銃が使われるかという話をしましたが、あまりご理解いただけなかったようで、今回はその実物を持って参りました。これらはすべてお宅様に提供しますが、申し訳ないが我々がこれを調達した費用をご負担いただきたい」
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「ちょっと見せてくれ、」
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![]() 南武は木箱の蓋を取り除く。中にはクッションを介して例の自動小銃がザクザクと入っている。 南武は一番上のものを手に取る。 ![]() | |||||||
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「だいぶ使い込まれているな。ほう!これは自動小銃だ」
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「おっ、ご注意願いますよ。弾は抜いたつもりですが取り扱いに気を付けてください。万が一、暴発でもされたらシャレになりません。それにこちらの箱は手榴弾などが入っています。もちろん生きている本物です」
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![]() 木越少佐も近づいてきて他の箱を開ける。 ![]() | |||||||
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「おお、これはそちらとは形が違うぞ。何種類あるのだ?」
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「3種あります。しかもそれぞれスコープとかグレネードランチャーとか、いろいろ部品を付け加えたりしているので、全く同じというものはないようです。我々もそんなに詳しくありません」
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「取り扱いを書いたものはあるか?」
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「実際の軍隊で使用している取扱説明書は手に入りませんでした。それで市販されている本を買ってきました。軍隊向けでなく世間一般のマニア用の本ですから正確かどうかわかりません」
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「なるほどなるほど、ええとこちらは別の形式だな?」
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「正直に言いますと、この小銃が使われている世界では対立する二つの勢力がありまして、それぞれの国が制式化したものがこの二つです」
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「三種あると言ったな」
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「こちらふたつはほぼ同じでして、口径だけ違い一方が5.5ミリ、他方は7.62ミリです。世界的に5.5ミリが主流になりましたので、口径7.62ミリのものを5.5ミリにしたのが新しい方です」
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「敵対していても口径は一緒か・・・ ところでこの小銃が使われている世界というのはどういう意味だ?」 | ||||||
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「まあ、それはおいおい説明するとして、少し撃ってみてください。これらを入手するのも命がけだったのですから」
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「そりゃ軍隊から兵器を盗んできたなら命がけだったのだろうなあ〜」
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「勘違いなさらぬように。盗んできたわけじゃありません。ちゃんとお金を払って合法的に購入してきました。ただ治安がとても悪いところでして、出歩くだけでもこの国とは違い身の危険があるのですよ」
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「なるほど、なるほど」
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![]() 南武は電話の受話器をとってハンドルをグルグル回す。そして電話を通してすぐに来いと指示する。 数分後、二人の白衣を着た男性が入室してきた。
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「おお、ご苦労さん。すごいものが手に入った。こっちは小銃の開発担当技師だ。みんなで射撃大会をしよう」
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「少佐殿、それはどこの国の小銃ですか?」
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「ワシも知らない。ただすごいのは分かった。自動ってだけじゃなくて連射できる」
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「連射? つまり機関銃ということですか?」
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「連射はできますが、連続して何十発も撃てるわけではありません。弾倉は30発ですし、弾倉を交換しながら連続して撃てば1分も経たずに銃身は過熱して限界です」
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「弾はありますか?」
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「こちらですな、それぞれ種類によって違います。」
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「少佐殿、だいぶ汚れているようですから、撃つ前に分解掃除しないと危ないんじゃないですか?」
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「あまり数を撃たないようにしよう。とにかくちょっと撃ってみたい」
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![]() それぞれ数丁と弾を持って工廠内の試射場に行く。三方が高い土手で囲まれている。射撃するところと的が100mほど離れている。 ![]() | |||||||
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「この距離で当たるんですかね?」
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「アハハハ、この距離なら目をつぶっても当たるよ。まずはワシがやってみよう」
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![]() 技師の一人が双眼鏡を覗いて言う。 | |||||||
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「少佐殿、多少ばらついてますけど10センチ以内には入ってますね」
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「初めて撃ったこと、照準を調整していないこと、更にこの銃はそうとう使われていたこと、そういったことを考えると結構いい線いっているね」
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![]() それから3点バースト、連射とやってみる。 また双眼鏡を覗いていた技師がいう。 ![]() | ![]() | |
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「3発ずつのときはまずまずですが、連射すると的から外れましたね」
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「まあこんなものかな」
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「かなり初速が速そうだ」
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「それじゃ私はもう一つの方を撃ってみましょう」
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![]() 交代して双眼鏡を覗いていたもう一人の技師が言う。 | |||
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「少佐殿が撃ったものよりもばらつきが少ないですね。腕の違いか、銃の違いか」
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「銃のせいだろう。よし引き上げよう。検討会をするぞ。 おい、お前、的の紙を持ってこい」 | ||
6人は会議室に戻ってお茶を飲む。 ![]() | |||
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「大したもんだ。ちょっと性能が良いとかではなく完全に時代が違うと感じるよ」
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「少佐殿、今度開発するのはこんなものにしたいですね」
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「しかし弾はちいさいですね。これで威力はどうなのですかね」
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「相手を死に至らしめるよりも、負傷させた方が相手方の負担になるという発想から小口径にしたそうです。生きている負傷者を捨てておくわけにはいきませんからね」
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「いやはや、人の命が大事ではなく、より非情ってわけだ」
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「遠射は別として単射ではいずれも現行の38式歩兵銃以上の命中精度だろうなあ」
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「AKというのは文字が読めない人でも使えるようにと構造を簡易にして、手入れせずに使えることを考えたそうです。だからあまり命中精度は高くないそうです | ||
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「となると我が国向きではないな。我が軍は十分に訓練するから」
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「いやいや徴兵してすぐの熟練していない兵士に使わせるなら、そういうものが最適かもしれません」
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「もうひとつのM16というものは性能は良いけど保守が大変とか聞きます」
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「つまりはどのような歩兵銃を作るのかという目的次第というわけですか」
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「とりあえず伊丹さんたちが調達してくれたものを十分研究しよう。入手するのは大変だったと思う。感謝の念に堪えない。ああ費用はもちろん支払う。請求書を頼む。 ところで別の世界って話を聞きたいね」 | ||
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「南武少佐殿と木越少佐殿以外、お人払いしていただけますか」
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「おい、お前たち、ちょっと打ち合わせをする。後でこの荷物一式を研究室に運んでくれ。 実弾もあるし、手榴弾もあるから注意しろ。暴発なんてさせたら大変だ」 | ||
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「さて、では話を聞かせてもらおうか」
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「率直に言えば、私はこの国の者ではありません。といって外国人でもありません。不思議な話で信じられないでしょうけど、この世界とは別の並行世界というものがあるのです。
向こうの世界にもこの扶桑国とそっくりな私たちは日本と呼んでいますが、国がありまして、外国にはこちらと同じように中国とかアメリカとかロシアとかがあります。 ただ時間がずれているようでこちらよりほぼ100年進んでいます。こちらは今1912年ですが、向こうは西暦2012年です。ただ戦争とか出来事は全く同じではありません。似たような出来事が起きますが、全く同じではなく結末も同じではありません。 こちらの扶呂戦争では東郷提督は戦死と聞きましたが、向こうの世界ではこちらは撃沈皆無でバルチック艦隊を全滅させ世界を震撼させました。結果、こちらはやっとのことで引き分け講和だったそうですが、向こうでは勝利という結果で、東郷提督は軍神となりました」 | ||
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「信じられんな。その証拠はあるのか?」
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「この自動小銃が証拠になりませんか?」
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「そう言われるとその通りだ」
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「伊丹さんがここにいる目的は何だね?」
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「この国を良くしたいと言っては信用されないですか」
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「聖人君子のような話だな」
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「はっきり言えば信用できんな」
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「あまり言わない方がいいのかもしれませんが・・・前回欧州では戦争が起こりそうだという話をされましたね。向こうの世界では1914年7月28日、
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![]() 南武は伊丹の話を聞きながらメモをしている。 ![]() | |||
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「日本は紆余曲折がありましたが連合国側として参戦します。戦争は連合国側の勝利でした。我が国はほとんど被害は受けず、戦勝国として南洋のパラオやマーシャルなどの島々を委任統治領として獲得しました。また戦争中は戦場となった国々に種々製品を輸出することで、国力が増強しました。そういったことにより日本は国際的地位を大きく向上させました」
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「ウハウハだな」
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「しかしそれはいっときでした。 戦争後は世界経済が停滞し、またアメリカから始まった経済不況が世界中に蔓延します。1929年頃、今から17年くらい後になります。 そして欧州ではドイツが1939年に、日本も1941年に戦争を始めます。これが第二次世界大戦と呼ばれるようになり、1914年におきた戦争はそれ以降、第一次世界大戦と呼ばれるようになります」 | ||
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「その戦争はどうなるのかな?」
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「この戦争は5年間続き、最終的にドイツも日本も負けてしまいます。ドイツも日本も焼け野原になってしまいましたし、戦死者は日本だけで数百万人にもなります」
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「日本再興はなるのか?」
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「国として残ったのかと言えば、併合もされず、植民地にもならず独立国として残ります。国民が豊かになるのかという意味では戦争前よりも豊かになります。 しかし国家としては二流国家に位置づけられました。それは戦争が終わって70年経っても変わっていません | ||
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「うーむ」
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「おっと、これは並行世界のことであって、この世界がそうなるということではありません。実際に日本海海戦の勝敗が異なるように、第一次世界大戦も第二次世界大戦も起きないかもしれません」
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「さっきの話に戻るけど、伊丹さんはこの世界をどうしようと考えているのかな? いやどうするためにここにいるのだ?」
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「戦争に負けるということは軍備が少ないとか戦略・戦術のミス、あるいは戦闘の指揮が劣っていたとかいろいろあるでしょう。しかし根本的なことは国力、更に言えば技術だと思うのです。同じ5インチ砲であってもアメリカ軍の方が日本より射程が長く毎分の発射速度が速い、そういうことは戦いにおいて絶対です。 微力であっても私がここの技術向上を図れば結果は少しは違うと考えています。 いやそもそも戦争というのは貧しいから起きるのです。1929年に始まる世界恐慌によって、東北の農村では娘を売るというような事態になり、それに国民が耐え切れず戦争になったと理解してください。外国から財宝を掠め取ろうなんていう単純な話ではありません。 日本が豊かであったなら戦争という手段はとらないでしょう。私が工業発展に少しでも役立てば日本が豊かにならないかと考えています」 | ||
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「この国もゆくゆくそうなるのか?」
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「なるかもしれず、ならないかもしれません。あるいは今言いましたように、産業が発展し内需拡大と輸出によって扶桑国が豊かになれば戦争という選択をしないかもしれない」
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「伊丹さんが見てどう思う。日本と同じく進むのか、日本と違う道を歩むのか?」
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「既に違うことが多々あります。先ほどの扶呂戦争、向こうでは日露戦争と言いましたが、その帰趨が違います。 そのほかにも向こうの世界では1910年に朝鮮を日本が併合します。こちらでは併合していません」 | ||
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「確かに数年前に扶桑国の安全保障のために朝鮮を取り込もうという意見が議会でも国民にも多かった。しかし最終的に朝鮮を自国領土に組み込み朝鮮人を国民とするのは負担が大きすぎ、むしろマイナスになるということで止めたいきさつだったな」
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「当時ワシは中国やロシアとの関係から朝鮮を取り込んだ方が良いと考えていた」
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「ワシもそう考えていた。しかし併合しなくても何とかなっているようだ」
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「向こうの世界では朝鮮を併合したことで、ものすごく足を引っ張られました。後に日本が第二次世界大戦で負けた後に朝鮮は独立しますが、それから70年も経った今も後をひいています」
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「独立してから70年経っても足を引っ張るとはどういうことかね?」
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「朝鮮は国内問題でも国際問題でもすべて日本が原因であると責任転嫁して、問題解決の責任、早い話が日本にお金を出させようとしています。最近起きた問題もかって日本が占領していたことが原因だと主張しますね。かの国の理屈は常人には理解できません。朝鮮人なら理解できるのでしょうけど」
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「ヤレヤレ、あの国と関わると碌なことがないのは古事記の時代からのようだ」
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「元寇だって高麗王が元の皇帝フビライに日本を攻めるよう進言したことが始まりと聞く | ||
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「伊丹が申しあげたことを信じられないかもしれません。しかしもし伊丹が捕縛などという事態になると非常に困ります。私も困りますが、木越少佐殿もお困りになるでしょう。砲兵工廠の品質はここ1年でものすごく向上したはずです」
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「確かにワシもお世話になっている。今回の自動小銃もそうだしな」
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「旗幟鮮明にしますが、私は戦争の原因とか勝ち負けに正義も悪もないと考えています。しかし戦争に負けることは悲劇です。あげくに戦争が終わって70年も悪人呼ばわりされてはたまりません。もちろん戦争に勝っても悲劇かもしれないが、負けるよりははるかに良い。この国が戦争に巻き込まれないことを祈りますが、もし戦争になったなら決して負けないように立ち回らなければなりません。 そして戦争の勝敗を決めるのは、正義とか神のご加護とか精神力ではありません」 | ||
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「じゃあ、なんだ?」
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「国力です」
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「軍備とか兵力ではないのか?」
| ![]() T型フォード 長さ 3300mm、幅 1687mm 直列4気筒、排気量 2896cc |
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「違います。大量に良い製品を作ることができる国が勝ちます。別に兵器でなくて家庭用品であろうと、自動車であろうと、文房具であろうと、石鹸であろうと、大量に生産できる国が勝ちます。 今、この国の自動車生産はほとんどゼロです。ええと、昨年製造されたのは10台程度だと思います アメリカでは多種の自動車が販売されていますが、一番売れているT型フォードという車は、昨年1911年に3万5千台作られています」 |
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「3万5千台・・・」
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「全部じゃありません。T型フォード1車種でですよ。今年は12万台と言われています。 これからの戦争は飛行機とか戦車とかが主戦力になります。自動車を作っている工場はすぐに飛行機や戦車を作れるでしょう。この国には機械を作っている工場がいくらもありません。飛行機を作れといってもそれを作れるところは皆無ではないでしょうか。 それに自転車しか乗ったことがない人と日常的に自動車を運転していた人が、飛行機操縦を習ったらどちらが速く習熟するかは言わずもがなです」 | |
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「だが鉄砲は一人一丁だ。人数分より多く作ってもしょうがない」
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「鉄砲だって消耗品、壊れるし錆びるし戦闘中に紛失もあるでしょう。それに弾薬は多多ますます弁ずです。鉄砲があっても撃つ弾がなければしょうがない。戦争に勝つ要件とは、なによりも国力、工業力です」
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「それで伊丹さんの言いたいことは」
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「先ほども言いましたが、この国の将来が日本のようにならないためには、工業力を伸ばす必要があり、私はそのために微力を奉げたいと考えているということです。 ともかくこの話はお二人だけで秘密にしておいていただきたい」 | |
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「そうしよう。南武少佐もよろしいな」
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ここは憲兵隊司令部の一室である。南武少佐ともう一人の佐官級の制服がいる。 ● ●
ちなみに南武少佐も元々士官学校出の兵科将校である。なぜか技術士官ではないが個人の趣味からなのか、今は小火器の開発をしている ![]() | ||
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「岩屋君、この伊丹という男の身の上調査をお願いしたいのだ」
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「実際問題としてその男はなにか不審なところがあるのか?」
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「不審と言えばそうだし、そうでないといえばそうではないのだが・・」
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「君の頼みとあれば調査することはやぶさかではないが、我々も暇じゃない。興味程度なら止めてほしい」
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「なにかものすごく将来の兵器とか戦闘教義に詳しいんだよ」
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「そりゃ兵学を研究している人は学者にも市井にも大勢いるだろう。新兵器に詳しいと言っても頭の中で考えているだけだろう。誰だってそういう夢物語はしているものさ」
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「ともかく頼むぞ、伊丹という人間の経歴が正しいのか、反社会的あるいは反国家的なものとつながりがないかどうか、そういったことを調べてほしい」
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「わかった、わかった」
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注1 |
私はミリタリーに関してはまったくの無知、素人でございます。この文を書くにあたり下記の書籍・雑誌を読み参考にしました。間違いがあればすべて私の責です。 「AK-47 世界を変えた銃」、ラリー・カハナー、学習研究社、2009 「M16ライフル・M4カービンの秘密」、毒島刀也、サイエンス・アイ新書、2013 「COMBAT」、特集「AK世界で最も使われし小銃」、2017.12、ワールドフォトプレス 「カラシニコフ自伝 世界一有名な銃を創った男」エレナ・ジョエリー,朝日新書,2008 「M16HANDBOOK」を読んだのかって? まさか私が英語の本を読むはずがありません。 | |
注2 | ||
注3 | 本物の南部中将は士官学校出で兵科将校であった。彼の時代は陸軍に技術士官というものがなく兵科将校であって小火器の開発に従事していたらしい。
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注4 | ||
注5 |
おばQさま いよいよ、未来兵器が出て、IF小説らしくなってきました。 展開を楽しみにしております。 いつものように、ご主旨に無関係なピンポイントの突っ込みで恐縮です。 国力が重要というご主旨には、まったく賛成なので突っ込みようがありません。 >1929年に始まる世界恐慌によって、東北の農村では娘を売るというような事態になり 例え話に突っ込むのは、ヤボなのですが、歴史上の因果関係はありませんね。 時期として同じだけです。(1931年の例外、1933、1934年の大雪) 東北の農村の苦境は、ひとえに不作によるもので、その原因は冷害などの天候。 世界恐慌は、都市部への影響は大きいが、農村部には関係が薄いですね。 冷害に強い水稲農林1号が出来たのが1931年なので、普及がもう少し早ければと悔やまれます。 歴史の話に戻ると、この頃に大正軍縮を恨みに思う青年将校達が反乱。 その動機に、不況と、農村の苦境があったのも事実です。 とは言え、彼ら青年将校に改善できる力も計画もなく、戦後の左翼と同様な無駄な暴走と思います。 この場合にも、もし日本に国力があれば、輸出を増やす、大胆な経済政策により改善はできたのだと思います。 金があれば、農林一号の普及もできたし、軍ももっと機械化し、将兵の待遇改善もできたのだと思います。 このお話しならば、青息吐息の欧米経済を抜いて拡大もできたのではと、これからの展開を期待しております。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 実を言いまして、娘を売る話は私が子供の頃、オヤジ、祖母からよく話聞かされました。ですから田舎の農民にとっては、そういう事態と戦争がつながって理解されていたと思います。私の親の代はとにかく貧しく、娘を売るだけでなく、間引きも身近だったようで、祖母や親父からよく聞かされました。自分たちについては語りませんでしたが、私は怪しいと思っております。ちなみに私の一番上の姉と二番目の姉は生後数日で・・・出生届はしていません。時期的にはまさしくです。今は私の家の仏壇に両親と二人の姉の位牌があります。 ちなみにオヤジは明治45年生まれです。もう少し遅ければ大正生まれでしたが。 オヤジのオヤジ(私の祖父)は次男でしたので、本家から2キロほど離れた山を開墾していました。もちろん一家が食えるわけがなく、長男は東京に出て丁稚になり、次男のオヤジは横須賀の海軍工廠に、弟たちは小作ではなく近隣の農家の下働きで糊口をしのいでいたそうです。親父たちの感覚としては、農家の苦しい生活よりも軍隊の方がはるかに良かったそうです。本家の人たちは生活が楽だから軍隊に行きたくなかったそうです。そういう田舎でも少しお金持ちは兵隊に行かないように手を尽くしたと聞きます。また私のオヤジの従兄弟たちで満州に行った人もいました。終戦になってみな逃げかえってきましたが。まあそういう時代ですから、今はやりのリセットを期待した人も多いと思います。 いずれにしても階層によって考えかた、受け止め方は違うでしょう。小説や随筆などで戦争はいけないとか避けるべきだったとか語る人が多いですが、それは豊かな人たちであって、食うや食わずの人はそんなことを考えもしなかったと思います。昭和20年代末私が子供の頃、大人はほとんどが兵隊経験者でしたし、女性も工場で働いていましたし空襲の経験がありましたが、戦争反対だったと言う人はいなかったですね。戦争がなくても厳しい暮らしであったと諦めていたのかもしれません。 話が飛びますが、戦争末期に18歳くらいで学校を去り軍隊に入った人たちが私が入社したとき現場で働いていて、学校にしがみついていた人たちが学歴があるから偉くなっていて、世の中は不公平だなと感じました。 更に話が飛びますが、昭和末期に中国残留孤児が帰ってきて、当時の私が勤めていた会社に何人も入社してきました。親しくなって話をよく聞きましたが、オヤジたちの貧しさよりも桁違いに貧しい暮らしをしていたようです。単に貧しいだけでは何も起きないでしょうけど、一度豊かさを見てしまえば貧しさはものすごいパワーになるでしょう。それがどこに向くのかは状況次第でしょうけど。 |