*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。
森広社長、岡村技師、同業者の田所社長そして伊丹の4人が、砲兵工廠(陸軍の工場)を訪れた。調達係という部署である。係といっても21世紀の企業の係のイメージではなく、工廠の係とは工廠の最高レベルの組織で普通の会社なら部にあたる(注1)。工廠長は少将か中将で、係長は大佐である。
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「森広社長さん、田所社長さん、困りましたねえ〜。お宅の品質はどうなっているのですか」
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「由比さん、今回の件について弊社の方で検討しましたが過去のものと変わりないことが分かりました。もう一度工廠の方でご確認いただきたく上がりました」
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「当方の検査が悪かったと?」
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「いえそういうわけでは・・・弊社が工廠から貸与されているゲージとこちらの田所社長のところが貸与されているゲージふたつで確認しましたが、私どもの不良となった品物と、田所さんのところで不良となったものの両方とも、良品と判定されます」
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「それじゃそちらのゲージの保管に問題があり、ゲージに異常が起きたことになる」
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「そうかもしれませんが、ふたつとも異常が起きたというのも不思議です。工廠のゲージで不良となるのかどうか確認させてください」
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「そんなこと言いつくろってもしょうがありませんよ」
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由比上等兵は立ち上がってドアを出ていく。ドアのそばの机に座っている年配の男がチラと由比を眺めた。 由比はすぐに小さな桐の箱をもってくる。 ![]() | |||
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「こちらが工廠の検査で使っているゲージです」
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中からゲージを取り出した。二人の社長の後ろに座っていた伊丹にはゲージに異常があるかどうかは見えない。 森広社長は由比からゲージを受け取って持ってきた照門の部品を通り側にあてる。 | |||
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「確かに通りませんね」
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「そうでしょう。おたくの部品が規格からはずれているのです」
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「実はこれは今回不合格になったものではなく、前回納品して合格になったロットの残りなのです。工廠にも私どもが納品した前回の残や田所さんのところから納品した残があると思います。それをこのゲージで検査してみてもらえませんか」
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「すみません、そのゲージを見せていただけないですか?」
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伊丹の横に座っていた岡村が森広社長からゲージを受け取り、しげしげと眺める。 伊丹が見ているのに気が付くと、ゲージ外周を指さす。 伊丹はゲージの側面にぶつけた傷があるのに気が付いた。 ![]() | |||
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「ここに落としたような傷がありますが、それによって寸法が狂ったということはありませんか」
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「なんですと、ちょっと」
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由比は岡村からゲージをひったくった。そしてしげしげと眺める。
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「うーん、確かに傷があるな。だけどこれで検査に影響するほど変わるものだろうか」
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「工廠にある前回納入のものをもう一度検査していただいて前回のものが合格になれば、私どもの今回納入品が不合格であるということに納得しますのでぜひご確認していただきたい」
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「おい由比上等兵、森広社長さんの言われる通り前回のものを何個かもってこい。そしてこの場で検査してみろ」
| ![]() 黒田軍曹 |
![]() 由比上等兵はぎょっとして振り向いた。 ![]() | ||
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「黒田軍曹殿、了解しました。前回の残を持ってまいります」
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由比上等兵がまた部屋を出ていくと、そのあとに黒田軍曹と呼ばれた兵隊(下士官?)が座った。 ![]() | ||||
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「森広社長さん、田所社長さん、なにか弊方の原因で問題を起こしてしまったようですね。申し訳ないです」
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「なにをおっしゃいますか、まだどうなるのかわかりません。 ただいつもと同じく製作して納入したところ、今回のものは2割不良で全数不合格だと返却されましたので青くなりました。同業者の田所さんに相談したところ田所さんのところも不合格になっていまして・・・」 | |||
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「なるほど、おっ由比が戻ってきた」
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由比上等兵は多数の部品が並んだ四角いお盆を持ってきた。
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「これが前回の残です。それでは確認します」
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由比は検査をする。
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「ええとここに100個持ってきましたが、通り側を通らないものが23個ありました」
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「それは前回合格だったのか?」
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「もちろん抜き取りですから全数検査をしているわけではありませんが、記録では3000個納入されて100個抜き取りした結果、通り側・止まり側とも不良になったのはありませんでした」 ![]() ![]() | |||
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「製品の中心寸法は図面の呼び寸法とほとんど同じで、標準偏差が0.03程度です。2割のものが通りらないならゲージの通り側の許容差は1σ程度になっているはずです。多分そのゲージが0.06ミリほど小さくなっていると思います」
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「はあ? 標準偏差? イチシグマ、何を言っているのかわからないが」
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「あっ余計なことを申しました。受入検査の手順としてゲージで不良となったものが一定数以上あればそのロットは不合格というのはわかります。由比上等兵殿の判断は適切だと思います。しかしゲージに異常があった場合の処置も定めてあると思います。今回の場合、森広鉄工所にも田所さんのところにも問題がないのであれば、受入の方をよろしくお取り計らい願いたいのですが」
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「由比上等兵、検査の基準書にはどのように定めてあるのか?」
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「はあ!そういう事態の対応を習ったことがありません」
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「バカ者、規則を持ってこい」
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由比が復唱した後、書架に走っていてすぐにそれらしきものを持ってくる。 ![]() | ||||
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「なになに、ゲージは定期的、期間は別途定める、基準となる見本にて正常であるかを確認するとある。 由比上等兵、このゲージの基準となる見本というのはあるのか?」 | |||
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「ええと、これによりますと製造係標準室というところで保管しているとあります」
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「そいじゃそこから借りてきてくれ。こちらさんも困っているだろう」
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![]() 黒田が伊丹の顔を見て質問してきた。 | ||||
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「ええと、あなたはどういうお立場の方ですか?」
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伊丹は立ち上がり軍曹の前に行って名刺を差し出した。 ![]() | ||||
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「私は生産性向上などの指導しております。今回は森広社長さんから問題解決を手伝ってほしいと声がかかりました」
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「なるほど、先ほど標準偏差とかおっしゃいましたが、それってどういうことでしょう?」
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「どんなものでも図面ピタリの寸法には仕上がりません。鉄砲で的をねらって打ったのと同じく、出来上がったものは目標を中心にばらつくわけです。 このときのばらつき具合は当然ながら目標寸法が一番多く、それから離れるにつれて少なくなります。ばらつきの分布を絵にかくと釣り鐘型になるわけです。このときばらつきが大きいか小さいかを表す方法としていくつかありますが、その方法の一つに標準偏差というものがあります」 | |||
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「分かったような、わからないような・・・ともかくそうするには寸法測定が必要ですね。検査で使っているゲージでは良否判定はできても寸法はわからない。標準偏差という考えが成り立つにはこの部品を0.1ミリ、いやもっと精度よく測定できないとならない」
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「まあ、それは考え方ですよ。この限界ゲージの許容差は、たぶんプラスマイナス0.1ミリくらいです。それに3シグマを合わせようとするとシグマ、つまり標準偏差を0.03ミリくらいにしなければいけないことになる。そこから私はゲージの狂いを0.03の2倍弱と読んだのですが」
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「ちょっと待ってください。伊丹さんはなぜこのゲージの許容範囲がプラスマイナス0.1ミリと考えたのでしょうか」
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![]() 伊丹はしまったと思った。伊丹の話は寸法を測定できるという前提でないとつじつまが合わない。余計なことを言うほどボロが出てしまう。 | ||||
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「もちろん正確な寸法は測れませんが、私の経験から篏合具合を見てその程度かなと思いました」
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黒田は納得しないようだったが、由比上等兵が戻ってきたので話を変えた。
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「由比上等兵、どのようにするのか聞いてきたか?」
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「ハイ、ここに歩兵銃の照門の標準見本と限界見本があります。とても貴重なので取り扱い注意とのことでした。この見本を検査ゲージで検査するようにあわせて判断するのです。ただし、このとき良否判断されるのは見本でなくゲージの方になります」
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「なるほど、じゃあやってみろ」
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由比上等兵は工廠、森広鉄工所、田所のゲージをそれぞれ検査した。
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「申し上げます。工廠のゲージが不良で、森広鉄工所と田所のゲージは良品です」
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「見てりゃ分かるよ。 俺が今までの話を聞いた限りでは問題がいくつかある。 ひとつ、森広鉄工所と田所の判定と受け入れをどうするのか、 ひとつ、工廠のゲージをどうするのか ひとつ、この問題が起きた原因はなにか ひとつ、検査で不合格が多発したときウチの検査が適正か確認することが必要だ ひとつ、うちのも貸与しているゲージも含めて、定期点検をしているのか まあもう夕方だ。最初の問題については再度検査して合否判定するということでどうだろう。 森広社長さん、田所社長さん、お手を煩わせて申し訳ないがそういうことで手打ちにさせてもらいたい。再発防止については別途考えたい」 | |||
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「私はもちろんそれで結構です。黒田軍曹殿ありがとうございました」
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田所社長もそれでいいと言う。
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「本日はご対応いただきありがとうございます。これで失礼させていただきます」
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![]() 四人が立ち去るとき黒田軍曹が出口まで送ってきた。 そして去り際に伊丹に声をかけた。 ![]() | ||||
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「伊丹さん、あなたに興味を持った。いつかご都合の良いとき、いろいろお話を聞かせていただけませんか」
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「実は私どもでは先般、新世界技術事務所というものを立ち上げました。どんな会社かと言いますと、生産性向上とか品質改善といったことについて相談に乗り助言する仕事です。そういったことを通じてお国のために役立とうと考えております」
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「結構なことですなあ〜、その対象には工廠も入るのでしょうね」
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「もちろんです。お仕事が頂ければうれしいです」
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伊丹は別れたあと、もし今後軍曹と会ったとき話が測定器に及んだり出自が問われたりするとまずいと思う。 工藤さんとよく話し合っておかなければと思う。 |
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注1 | 「ゲージブロック物語」、(株)ミツトヨ、2012 |
注2 | 「鳶色の襟章」、堀 元美、原書房、1976 |
おばQさま 随分と資料を調べておかきになっているのですね。 「鳶色の襟章」は、造船官だった堀元美さんのお話しですね。 当時の品質管理が、どうだったかは考えた事もありませんでしたが、現場レベルでは、トレーサビリティとか、正規分布みたいな概念は無かったご指摘、納得します。 そうした事が判るだけでも、読んでいて参考になります。 堀元美さんは、航空戦艦 伊勢、日向の改造にかかわったのですが、改造に時間がかかりさんざん貴重な資源と工数を使った挙句に、マリアナでは飛行機も無くて全く戦力として貢献しなかったと計画を酷評しています。 それ以外でも、空母信濃の進水も遅れなど、ここに出るような工程管理手法があれば、もっと早く戦力化ができたかもしれません。 開戦後の戦艦の修理や、建造をみると、かなり遅いのですね。 それで決戦に参加できない事例もずいぶんと見受けられます。 一方で二次大戦のアメリカの強さは、システムとして官学共同体制を作って、ORのような戦略立案だけでなく、それを支援する作業効率や品質管理まで、大学を巻き込んで学問として確立して、戦争では学者、専門家、経営者を専門能力に応じて高等官として能力を勝利へ活かしています。 最近、日本の科学系の学会で、科学者としての武器開発へのかかわり方が議論されて、多くの参加者が「あの悲惨な戦争の体験からの反省」と言って、かかわるべきで無いと興奮して主張していました。歴史を調べれば太平洋戦争では、アメリカのような官学一体体制もなく、日本のアカデミズは、反省できるほどの組織としての戦争貢献をしていません。 史実では、最高学府を出た専門家が、兵隊として徴兵され死傷、理系学生は勉強を止め工場労働で爆撃で死傷。 これらを反省するならば、「科学者として無駄に消耗されたくない」という意味なのかと不思議に思いました。 話が飛んでしまいましたが、当時の現場だどうだったかを考えることは、日本の敗因を掘り下げることでもあり、とても興味をもって拝見しています。 そして、その現場は、1980年代くらいまでは普通に存在していたのですね。 これからも、お話し楽しみにしております。 |
外資社員様 毎度ありがとうございます。 正直言いまして異世界ものですから、危なくなったら魔法が出てくるとかドラゴンが全部破壊してくれるとなればなにも考えず機関銃のようにキー入力できるのですが、意気地なしで気が小さいのでそうもいきません。 堀元美さんて私が高校の頃は雑誌に軍艦のことを書いていてよく読んでいました。ものすごく詳しい方だと思っていましたがこの「鳶色の徽章」を読んで造船士官だったと知り納得しました。 しかしこの本は勉強になりました。昭和20年までは東大は3年制だったのですね、それと技術士官は任官時に中尉というのも初めて知りました。それだけ期待されていたのでしょうか? 職工から技術系軍人になる道が開けていたけど技術下士官にはなっても技術士官になりたい人が少なかったとありました。なんとなれば残業手当とかで下士官のほうが士官になるよりも年収が3割増しとか!呉工廠では工廠長よりも給料が高い職工が3名いたとか、もちろんそういった方は卓越技能者だったのでしょうけど、世の中いろいろあるんですね、驚きました。 今年の2月でしたか、日本学術会議で軍事研究をするのは平和に反するとかワケノワカランことを言ってましたね。 彼らの考えからすれば、スイスとかスウェーデンは軍国主義そのもののはずなのですが、彼らの目には平和国家にしか見えないというのも不思議なことです。スイスはともかくスウェーデンでは武器輸出額世界14位、戦闘機を世界中に販売中ですが、気にならないのでしょうか? とにかくサヨクの考えはダブルスタンダードで理解不能です。 安倍首相に対して悪くない証拠を出せ(悪魔の証明)といい、蓮舫が違法明確なのに個人のプライバシー保護とか、もう法治国家じゃありません。 韓国のろうそくはすべてを解決するというお考えと同じレベルのようです。 このままでは21世紀の敗戦が間近の悪寒がします。どうしたものか・・・ |