*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
帝太子の執務室である。部屋には帝太子と中野そして伊丹がいる。急に呼び出された伊丹は、何が何だか分からない。なにか問題が起きたのでなければいいが・・ | |||||||||
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「伊丹さん、緊張してますね。別に悪いことじゃありません、気を楽にしてください」
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「殿下から気を楽にと言われても、気が楽になりませんよ」
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「まあまあ、私が毎日眺めたりサインしたりする書類は何十件もあります。法的には私が判断して拒否できるわけもないのですが、サインするなら理解し納得してしたいものです。内容が理解できないと悶々します。 最近気になったものがあったのでちょっと解説してほしい」 | ||||||||
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「今、私が関わっているのは公共調達における品質保証しかありません、その件でしょうか?」
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「そうそう、それ。前提として普通の知能はあるけど、製造業も品質も知らない人にわかるように解説してもらいたい」
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「お断りしておきますが、私は今検討中の制度に賛成ではありません。実を言って役に立つとは思っていないのです」
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「それでも審議会に参画しているのは、大勢に流されているということですか? 伊丹さんらしくない」
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「うーん、そう言われますか。正直言いまして私は会議で、この方法は実行すべきでないと何度か述べております。しかしながら多勢に無勢なのは事実です。とはいえ逃げてしまうのも嫌で、不具合点を理解してもらうために委員を続けているのです」
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「まあ、それはいいや。まずは概要から教えてよ。その結果、興味があれば細かく聞くし、重大問題じゃないならおしまいにする」
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「畏まりました。非常に初歩から語らせてもらいます。 昔、刀鍛冶が刀を造るとか、竹を取ってきて籠を作るような仕事はほとんど一人で行いました。また同じものを大量に作ることもなかったので大勢で分業することもありませんでした。 ![]() さて設計仕様という言葉があります。製造するものの寸法や仕上がりを決めたものです。しかしそれだけでは今申したような分業をした場合、同じものが作れるとは限らず、互換性も期待できません。全工程を一人の人が作るなら片方が狙いよりずれても、組み合わさる方をそれに合わせます。しかし分業になるとそんな調整はできませんから、バラツキがないように作らねばなりません。 ここまではよろしいですか? さてそのためには作業とか管理方法をしっかりと決めて、物を作る人たちに、場合によっては運搬とか倉庫保管する人たちにも、決めた方法を教えて守らせることになります。それを決めたものを工作仕様といいます。 ここまでもよろしいですね」 | ||||||||
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「理解した」
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「次にご理解いただきたいことですが、いかなる仕事でももっとも理想的な方法があり、それはひとつしかありません。ですからこの方法でやりなさい、これ以外の方法はダメということになります」
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「ええと具体的に言えばどういうことかな?」
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「例えば材料の持ち方・置き方の最善の方法を決めたとすると、その方法を文書に決めます。そして作業者にその方法を教えます。作業者にその通り仕事をさせ、監督はその方法を守っているかを管理監督します」
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「それが品質保証か?」
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「そうです。もちろん実際の品物は多数の部品で構成され、たくさんの工程を経て作られます。ですから教育することも熟練することも管理することも多岐にわたります。 言い換えると、複雑なものでなければ品質保証という管理は必要ありません」 | ||||||||
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「伊丹さんが言う品質保証とは、当たり前のように聞こえるが・・・・」
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「私たちはこれを頭で考えたのではなく、必要に迫られて行うようになったのです。
![]() ところが戦場で不発弾が多いと苦情がありました。ここでいう不発弾とは砲弾が発射しないのでなく、砲弾は飛んでいくのですが弾着したとき爆発しないという問題です。この問題を政策研究所で対策することになり、私も参加いたしました」 | ||||||||
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「あれからもう7年になるのか。あのときは伊丹さんにお世話になりました。 殿下、伊丹さんの偉大なところは、我々が手に負えない問題を、まさに絡まった紐をほぐすようにして難解な問題を平易な問題に分解して、いつのまにか解決してしまう才能ですよ」 | ||||||||
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「わかった、わかった。中野の伊丹大明神説はいつも聞かされている」
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「そのとき、どうしたのかと言えば、部品ごとに最善の加工方法、取り扱い方法、保管方法などを考えました。そしてその方法を守らせるよう管理しました」
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「中野、そのときまでそんな管理をしていなかったのか?」
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「していませんでした。ひとたび聞いてしまえばそんなこと当たり前と思います。でも思いもしなかったのは事実です。いや我々の程度が低いことはないと思います。外国でもそういう発想はないはずです。 それとこの考えを当たり前と思われるかもしれませんが、逸脱しないよう実行し風化しないように維持するのはものすごく困難なのです」 | ||||||||
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「ふーん、そういうものか。 ええと、この案件は政府や自治体が調達するときに、業者が品質保証の認証を受けていることを要求するとある。この文章も俺はよく理解できない。説明してほしい」 | ||||||||
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「品質保証とは今申しましたように、企業が管理項目を考えてそれを管理して、製品品質を上げることです。その結果、お客さんに渡る不良が減り、その会社の評判も上がって良かった良かったとなるわけです。 そういう方向でなく買い手が売り手に対して、お前のところでこういう品質保証をしろと要求するのがこの案件の要旨です」 | ||||||||
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「認証とは?皇帝が総理大臣を任命することじゃないんだろう アハハハ」
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「国語的にはいろいろ意味がありますが、この場合はその会社が求められている品質保証を、しっかりやっているとなにものかが裏書することをいいます」
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「なにものかとは?」
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「まだ具体的な検討まで至っていませんが、例えば農商務省にその調査部門を作って、そこが会社を審査する方法もあるでしょう。あるいはその仕事を民間企業に委託することもあるでしょう」
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「直接購入する省庁とか自治体がすればいいじゃないのか?」
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「そういう方法でもよろしいのですが、現在の案では行政が入札募集したとき、その時点で応札する企業は品質保証の認証を受けていることが条件なのです」
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「入札してきてから会社を審査すると何か支障があるのか?」
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「応札企業すべてを審査しなければならないという手間がかかりますし、応札してきてから調べるのでは時間がかかります。 もうひとつ、事前に品質保証の審査を受けておくことにすれば、その費用は企業持ちになります。しかし応札企業を審査するとなると審査費用は発注者が負担することになるでしょうね」 | ||||||||
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「なるほど、考えてはいるわけだ。品質保証なるものは分かったが、なぜそれを要求するようになったのかな? 公共事業だって備品購入だって昔からあったわけだ」
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「殿下、今現在、大震災からの復興のために道路工事や橋梁建設などインフラ整備がたくさん発生しておりますし、官庁や学校などでも震災で損壊した器具備品の調達が発生しております。それを狙った怪しい会社も乱立しておりまして、そういうところを外して良い品物、良い仕事を調達する趣旨であると聞いております」
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「言い漏れましたが、品質保証はモノだけでなく、役務すなわち工事とか作業にも適用できます」
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「なるほど、概要は分かった。そういうことなら良いことづくめのようだ。即実施したいと思うね、何が問題なの? というか伊丹さんはなぜ賛成でないの?」
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「ええとそれを実施するためにはいろいろ検討することがあります。 ひとつの問題として、認証を受けるときその会社は入札品目を作っているわけではありません。すると現在生産している品物が実際に調達する品目と違うとき、品質保証の方法とか厳しさが異なる可能性は大です。つまり現状生産品で品質保証の認証を受けていることは、入札品目を問題なく生産できる保証にはならないことになります」 | ||||||||
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「なるほど、それで伊丹さんは、ご自身はそれが有効かどうか確信がないと言ったわけか」
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「その通りです。それと品質保証とは一般化できないと考えます。行政が調達する役務や製品は多岐にわたります。例えば機械と軍服に同じ管理項目が適用されないのは自明です。でも品目ごとに品質保証事項をきめ細かく決めるのは難しい。とはいえ要求することを大まかな一般論にすれば、意味がなく結果として形骸化すると考えます」
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「先ほどの砲弾の件ですが、類似の砲弾ならその管理項目は有効かもしれません。しかし信管の種類や火薬の種類が変われば、管理項目も管理基準も変わるでしょう」
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「なるほど。となると今机の上に前回までの3回か4回の報告書があるが、どんなコメントを付けて返せばいいのかな?」
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「審議会では推進と反対の意見があり、私が反対の立場ですからここで発言するのは不適と思います」
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「推進派には誰がいるの?」
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「中野様がご存じかどうか、半蔵時計店の宇佐美事業部長と山梨工業の社長夫人のドロシーさんです。実はお二人とも自分の会社で品質保証を実践していて、その成功体験があります。それで品質保証をこの国に広めれば品質が上がるという意見です」
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「実績があってこの国の品質を上げようってなら強力に推進すべきじゃないの?」
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「殿下、しかし彼らの経験は自社でのこと、先ほど申しましたように現在生産している製品なら、それにみあった管理項目は明確です。彼らの場合、生産品目が変わることはありません。その場合なら品質保証が有効なのは必然です」
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「なるほどなあ〜」
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「しかし伊丹さん、もう何年も前のことだけど伊丹さんからゆくゆくは品質保証を広めなければという話を聞いた記憶があるのだけど」
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「おっしゃる通りです。製造管理の方法は時代とともに向上していく、行かなければならないと思います。そういう意味でこの国もやっと品質保証が必要なレベルになったと思います。 しかしながらそれぞれの会社が主体的に考えた品質保証と、発注者が一方的に共通の品質保証を要求するのは違うでしょう」 | ||||||||
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「外国では品質保証の段階まで至っているわけ?」
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「殿下、日本のあった世界のことですが、品質保証とは第二次世界大戦の1943年頃にイギリスで考えられたものです。ですからこの世界ではまだ扶桑国以外では品質保証という考えに至っていないと思います」
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「イギリスで最初に品質保証の対象となった品目はなんだい?」
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![]() | ![]() その後、その方法が世界中に広まりました。とはいえ最初は軍事、次に高度な通信とか鉄道に広まり、民間一般で広く使われるようになったのは1980年代以降です」 | ||||||||
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「なるほど、考え方としてはまっとうだね。しかし公共入札においては多種多様な品目を手配するので品質保証で管理することが一様でなく、同じ要求事項では実用にならないということか」
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「殿下のご理解の通り」
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「伊丹さんの落としどころとしてどう考えているの?」
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「お言葉ですが、落としどころといいますと妥協を図るように思えます。これは純粋に技術の問題ですから、お互いに歩み寄るという発想ではなく、どちらが良いかを論理的に考えて決める事項でしょう。 ものごとはすべて投資対効果を考えなければなりません。ないよりあった方がいいという判断ではありません。 企業が品質保証の審査を受けようとすれば、そのために内部の体制を作らねばなりません。そして審査する手間ひま、人件費も多大なものになります。そういう費用がすべて調達品の値段に加算されます。有効であるというのは品質保証が品質を上げる効果があるというのではなく、そういった費用負担を超える効果があるという意味です」 | ||||||||
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「いや、さすが伊丹さん、その通りだ。ならば品質保証を要求するものは信頼性が重要な品物に限定される」
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「その通り、申しましたように最初に必要に迫られたのは飛行機から落とす爆弾でした。我々も始めに取りかかったのは砲弾です。戦争における不具合はお金には換算できません」
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「中野よ、お前は今までの話を聞いて、この官公庁の調達品における品質保証要求をどう考える?」
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「そのまんまじゃないですか。つまり調達品の信頼性が極めて重要なのもの、例えば調達額が大きなもの、建物など作り直しが難しいもの、ダムなど災害に直結するものなどに限定したらいかがでしょうか。什器や事務用品などにおいては品質保証はいらないのではないでしょうか」
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「常識的発想だな」
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「そうおっしゃるなら私に聞くのが間違いでしょう」
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「ハハハ、伊丹さんはどう考えているのかな?」
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「私はそれだけでなく、この制度は別の問題を包含していると思います。 実は私がいた日本では、いや外国も同じですが、元々認証を受ける目的は入札時の要件を満たすためでした。 しかしいつしか認証を受けていることが良い会社のあかしであると見られるようになりました。更には良い会社にするために認証を受けるべきという考えに至ったのです」
認証の目的の変遷
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「その論理の連鎖はどこかおかしい。おっと、それでどうなったのかね」
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「実を言ってそういう論理が起きたのは理由がありました。最初になにものかが審査するという話をしましたが、向こうの世界では民間が審査会社を作りました。それも一つや二つではなくものすごい数の審査会社ができました。審査はビジネスなのです。商売ですから、他社より審査の質が良いとか、他社より安いという宣伝しました」
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「ストップ、あとを俺に言わせろ。最初は入札対応で仕事があるだろうと思ったものの、頭打ちになったから認証を受けるお客を増やそうとしたのだろう」
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「然り。ですから極論すれば会社が良くなると甘言を弄して仕事を取ろうとしたわけです」
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「その結果は?」
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「その制度が始まって数年は認証件数が増えていきました。しかし認証を受けても会社が良くならないと言われるようになりました。だって会社が良くなると言われて認証したのですから、そうならなければ不満を持ちます。でもそれは当たり前です。認証は製造体制の管理ですから、企業価値とか従業員や投資家のためではありません。 次に認証を受けても製品が良くならないと言われました。これも当たり前です。品質保証は品質を良くする方法ではありません。一定品質のものを造る方法です。品質を上げるには設計仕様、工作仕様を見直していかなければならない。しかし、それは品質保証の範疇ではありません。品質に関する活動は次の図のように考えられています。 ![]() ![]() ![]() 品質保証は悪いものを作らないことなのです。良くすることではありません。ましてや会社を良くするなどとは・・ というわけで私がこの世界に来た頃は認証件数は減る一方でした。とはいえ本来の役割である商取引において認証を要求する官庁や会社もありますからゼロになることはないでしょう」 | ||||||||
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「なるほど、伊丹さんは先が見えているから乗り気ではないのか。 想像ですが推進派である宇佐美さんとかドロシーさんは当然、認証ビジネスということを考えているのでしょうね」 | ||||||||
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「ご推察の通り。彼らは実業家ですから常に新しい事業を探しています。 行政として、そういう連鎖にならないよう最初の段階で歯止めをかける方法もあります。ただあまりガチガチ決めてしまうと産業の活力を削ぐかもしれません」 | ||||||||
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「伊丹さんは技術だけでなくそういう管理手法に詳しいようだが、向こうの世界では何をしていたの?」
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「いや〜、恥ずかしながら、審査会社のひとつで審査員をしておりました。 実を言いまして、この制度はホワイトカラーの失業対策とも言われていたのです。私は大学を出て電子技術者になりました。しかし技術の進歩は急速で、大学を出て20年もすれば知識も能力も陳腐化します。企業はそういう人を再教育するより、新しい技術を身に着けた人を採用した方が効率的です。とはいえ時代遅れになった人を切り捨てることもできません。まあ、そういった人たちをこの仕事に就けたということでしょうか」 | ||||||||
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「なるほど、それも悲哀だな。おっと失礼」
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「現実はどういう因果か、私はこの世界に来てしまいました。向こうでは陳腐化した技術が、こちらでは先進技術なので再び技術者をしております。 はっきり申し上げますが、品質保証活動というのは価値がありやりがいがあります。しかしその審査となりますとやり甲斐は感じません。価値については今申し上げた通りです」 | ||||||||
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「やり甲斐の有無は、知恵の仕事と知識の仕事の違いではないでしょうか。 いや、伊丹さんは知識で稼いでいるわけじゃない。知恵で指導しているのはわかっています」 | ||||||||
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「中野の言うとおりだ。とはいえ、この審議会どうしたものか?」
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