*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
鍋 | 羽 釜 | 布 団 | 行 李(こうり) | ||
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1920年9月1日、政策研究所で帝都防災計画という会議が開かれた。 大臣レベルでは既に根回しが済んでおり、今回は上級官僚レベルへの周知である。 出席しているのは、内務省(警察、消防)、文部、司法、農商務、逓信、陸軍、海軍、東京府知事、神奈川県知事、千葉県知事など多方面にわたる。 まずは帝太子殿下の挨拶である。このところ皇帝陛下が病気がちのために、公式・非公式共に帝太子殿下が代行ということが多い。帝太子殿下も以前は体が弱く、ほとんど公務に就いていなかったが、ここ2年ほど元気になられた。前は次期皇帝は誰かと噂になったものだが、最近はそんなことは口の端にも上がらない。 政策研究所主催の会議で帝太子殿下が挨拶するということは、国家的な重要テーマであるということは議員や官僚に知れ渡っている。今ではインフルエンザ対策のときのようにイチャモンを付けてくる官僚はいない。 ![]() | |
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「災害と言っても地震、台風、津波、火山など多々あるが、いずれも我々人間が予知や予防することは不可能だ。だがそういう事態が起きても、被害を最小にし速やかに復旧を図るということは国家運営をしている我々の義務である。 災害は忘れたころにやってくると言う。治に居て乱を忘れず、災害への対応を常日頃関係機関が協力して作戦を練っておくことは我々の使命である。 それは軍隊が仮性敵国を想定し、細かなことに入る前に大局的な戦略を考えるのと同じだ。戦略がなければ戦術がなく、戦術がなければ備えるべき軍艦や兵器も決まらない。 もちろん通常規模の火事とかがけ崩れといったものは、警察 例えば帝都が震災を受けたとすると、火事は数十か所で同時発生するだろう、それを消火するのはどうするのか。焼け出された人は数十万人になるだろう。一人一日2合半食べるとして、だれが飯を炊くのか、水はどうするのか、便所をどうするのか。言ってはならないことだが、犠牲者が数万人になれば遺体の処理をどうするのか、そんなことを予め考えていないとどうにもならん。 なぜ今災害対策かという疑問を持たれるかもしれない。二年前のことアメリカでスペイン風邪という病気が発生した。それはすぐに欧州に伝染した。流行病(はやりやまい)は健康な人はあまりかからない。当時、欧州は戦争中であり、食料は乏しく栄養失調も多く、戦場では塹壕暮らしでみな半分病人のようだった。そのためあっという間に大流行となり何百万人も死んだ。 現在は貿易も盛んだし人の移動も激しい。扶桑国に入ってくるのも時間の問題だ。それで政策研究所はすぐにインフルエンザ対策計画を立て実施した。その結果、欧州やアメリカでの死者数や死亡率より非常に少なく抑えることができた。 東京では江戸時代数年に1度は大火があり、数千人から数万人の死者を出している ロシアとの戦争で9万人近くが戦死した。1年前のインフルエンザでは5万人が死亡した。幸い最近の地震では死者が数十人で済んでいる。しかしもしそのような地震が今帝都で起きたら、死者は1万や2万では済まないだろう。地方都市なら数丁も逃げれば街並みを外れて助かるだろうが、帝都なら1里逃げても街並みが続き火災から逃れることはできない。防災は戦争と同じレベルの問題なのだ。今日は防災とは何かを理解してほしい。そして各自の職務に置いて、その実現のため何をすべきかを考えてほしい。 お断りしておくが、金を出さないが防災を考えろとは言わない。金を出すからしっかりやれということだ。将来災害が起きたとき、防災計画が有効であれば国民が感謝するだろうし、無力であったなら恨まれるだろう」 |
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「帝太子殿下より指名を受け、約半年にわたり検討してきました。対策は消火とか避難だけでなく、数十万人が避難すれば水の供給、風呂の世話、下の処理もあるし、学校もある。一段落してからも避難者の住まいから食料、被災した人への仕事の斡旋など多岐にわたる。そしてまた我が国の混乱に乗じた外国の侵略ということも想定しなければならない。 詳細はこのメンバーで分担し煮詰め、準備を進めていくことになるが、既に我々が手を打っていることもある。そういうことをまず説明させていただく。 基本的な優先順位として、第一に人命であり、第二に被害拡大を防ぐこと、そして第三に財産保全である。江戸時代は大火のとき大八車で逃げることはご法度、その場で大八車を放置させ逃げる人を優先した。我々もそれを尊重し、人命第一の措置を取る」 |
![]() なお歴史では、後藤新平はこのとき一貴族院議員であったが、震災後に内務大臣になり復興の指揮を執る。さて、この世界の後藤新平はどうなるのか? そのあと、米山と幸子が交代でいろいろな項目について解説する。
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「地震の対策をしていれば地震はもちろん大火でも津波でも対応できる。それから今までの大地震は概ね50年に一度くらい起きている。安政の大地震から70年になる。もうそろそろ大きな地震が来てもおかしくない。もちろん地震が起きないかもしれないが、準備をしていて地震が起きなくて困る人はいない。戦争も当面は起きないだろう。今こそ災害対策に人と金を投じる時だ」
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![]() 帝太子がそういうなら誰も異議を唱えることはできない。 後は実務担当者への割り振り、詳細手順や基準の検討ということになる。もちろん実施段階にうつればすべて既存の行政組織の仕事だ。 後藤はホット一息する。 会議を終えて帝太子と中野中佐と後藤議員が残っている。 ![]() | |
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「みな、大地震が来るということを知りませんから真面目に対応しないかもしれませんね」
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「そんなことはありませんよ。軍人でも官僚でも、やれと言われればやります。結果責任を取ってくれる人がいるなら」
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![]() | ![]() 「それなら心配はいりません。最悪の場合、私が腹を切れば良いのでしょう」 ![]() ![]() ![]() |
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「閣下が腹を切ることはありません。仕事をしなかった者が腹を切れば良いだけです」
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10月、神戸の川西飛行機の工場である。川西清兵衛はできあがってきた図面を眺めている。● ● ![]() | |
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「いやはや大きな飛行機だ。幅40m長さ33m、エンジンは二つで行こうかと考えていたが、余裕と安全を見て4発にした。合わせて6000馬力の飛行機なんて世界最大だろう。 計算では23トンの飛行機に燃料と積荷を19トンを積み、時速450キロで5000キロ飛べるはずだ。戦闘機だってこれには追いつけないだろう。 来春には試作機の初飛行も叶うだろう。輸出も考えたいところだが、輸出するならエンジンを供給できないとあの伊丹という女が言っている。それは当然かもしれないが、いささか残念だ。10機で終わっては困るから、拡販を考えねばならない」 |
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12月、鎌ヶ谷に新しく建設された下総飛行場である● ● 簡単な舗装であったが2000mという国内最長の滑走路に皆驚いた。 そして飛行場の一部に大きなプールのような池が作られていた。縦横50m深さは3m以上ある。このプールが何のためなのか、誰も分からない。 群馬県尾島町にある中島飛行機の工場で作られた各部分を、ここの格納庫に運び込み1か月かけて組み立てられた。 今日は第一回の試験飛行である。依頼主の政策研究所からは後藤議員、米山中佐、幸子が来ていた。他に陸軍航空隊の幹部、海軍航空隊の幹部など30名ほど集まっている。 なぜか川西清兵衛 ![]() ![]() | |
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「中島社長、頼みますよ。我らの期待の星ですから」
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「要求は安全に飛びあがり安全に降りるというだけでしょう。ご心配召されるな」
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![]() 中島社長が言うように一号機は500mも滑走するとスッと浮かびそのまま上昇していった。水を満載したときはどれくらいで上がるものだろう。飛行機は飛行場を数回旋回したのちに、また心配など微塵もさせずに安定した着陸をした。 ![]() | |
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「放水とかはおいおい実験していきます。とりあえず本日はこれでよろしいでしょうか?」
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「結構、結構、満足だ」
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![]() 海軍 |
「この飛行機は爆撃機として使えないのか?」
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「このままでは使えませんね。というのはこの機体は消防専用で、航続距離も速度も度外視なのです。もちろん航続距離や速度が必要なら、そういう飛行機は作れます」
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「これが10機も飛んでいけば大火も収まるだろう」
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「そんな甘いものではありません。この飛行機が運べるのは10トンの水です。木造建物の消火には平米当たり0.6トン、つまり坪2トン必要といいます ここから帝都まで15分、現地で放水に10分、戻るに15分、着陸して給水と燃料補給に30分、都合70分。8時間として7往復で70トン、10機で700トン、つまりここに配備する消防飛行機10機で消火できる広さは350坪ですな」 |
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「それじゃ焼け石に水だ」
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「でも消防車もいけないところに放水できる。なによりも陸軍と海軍が消火に全力を挙げていることを市民に見せる影響は大きいでしょう」
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![]() 海軍 |
「消火に水が大量に必要と聞くと、川からポンプで消防車に送水するということも、非常に重要だと認識しました。以前から要請されていた水雷艇などへの消防ポンプ設置を一層推進しましょう」
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「この飛行機は爆撃で言うと水平爆撃だが、命中率を上げるには急降下爆撃の方が良いのではないか |
![]() 海軍 |
「往復の時間節約には、下総からではなく東京湾に降りて水を補給できる飛行艇が良かったかもしれませんな」
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「みなさんにアイデアを出していただき、計画に反映したいですね」
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![]() 軍人や政策研究所のメンバーが去ってから、川西は中島に声をかけた。 ![]() | |
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「中島さん、話しかけていいかな」
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「どうぞどうぞ」
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「あの飛行機は余裕を持たせたというか、性能を抑え気味にしたのか」
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「ああそういうことですか、川西さんも伊丹という女に会ったでしょう。あの女のことを知っていますか?」
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「いや全く知らん。どういう立場なんだろう。女が重要な仕事に就いているというと、帝族とかなのか?」
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「私もよく知りません。政策研究所のことをご存じかと思いますが、あそこでは軍の優秀な佐官や将官に対して教育をしているそうです。伊丹女史はそこの教官をしているとか」
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「ほう!あの女が・・」
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「とにかく優秀らしいです。そして思ったのですが、川西さんもエンジンの供給を受けたでしょう。あの女は我々の腕前を見ているように思いました」
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「腕前をみるとは?」
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「あのエンジンを使いこなせるかどうか、向こうが提示した仕様通りに作り上げるかどうか。 川西さんが言ったように、設計次第でもっと速くもっと積めると思います。でも燃料消費とかいろいろ考えると、向こうが示した仕様通りで燃費を良くした方がお眼鏡に適うのかなと思いました」 |
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「それでわざわざ抑え気味にしたというのか」
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「想像ですが、川西さんはあのエンジンを四つ使って示された仕様を超えるものを作っているのじゃありませんか。抵抗は速度の2乗に比例します。エンジンが増えれば空気抵抗も増えます。4発にしても双発に比べて、燃料消費は倍、積載量も速さもほんの少し増えただけという結果になるでしょう。 まあ、そんなことを考えましてね、いかに無駄を少なく仕様を実現しようかと考えたわけですよ |
![]() 川西は中島の話を聞いてなるほどと思った。もちろん中島の言うことが正しいとか本音とは限らない。ただ伊丹という女がこちらの値踏みをしているかと思うと、エンジンを4つ付けて伊丹の鼻を明かしてやろうと思ったことが恥ずかしくなった。 中島の言う通りならあの女は曲者だな。とりあえず言われた通りの仕様を満たす方法を再度考えた方がいい。海上を長時間飛ぶから4発なら保険になると思ったが、それならエンジン3基という方法もありそうだ。 | |
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「中島さんはどうしてワシにそんなことを話してくれたのかな」
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「川西さんが三菱や川崎に淘汰されては面白くないですからね。お互いに切磋琢磨して扶桑国の航空機業界を押さえましょう」
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12月、ここは南葛飾郡、錦糸町駅から北に2キロほどのところで、21世紀なら空にはスカイツリーがそびえているはずだ。区画整理によって空き家になったしもた屋が縦横200mほど立ち並んでいる。● ● ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() トラックの荷台に立っている隊長らしき者が号令をかける。 ![]() | |
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「それじゃ戦車が横に並んで微速前進」
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![]() 戦車が横に並んで空き家に向かって進む。当時の長屋は柱が3寸角くらいで、戦車がぶつかると家はバラバラと崩れ落ちる、最初の1軒目は良いが、3軒目くらい進むと戦車の上には破壊した家の屋根や木材が積み上がる。 見物人から笑い声が上がる。 「止まれー」と隊長が叫ぶ どうも真正面から突っ込むとうまくいかんな、どうしたものか ![]() ひとりの爺さんがトラックの荷台にいる隊長のところに行って声をかける。 | |
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「兵隊さん、火消しをするつもりかえ?」
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「ワシは兵隊じゃない。士官だ」
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「火消しならああいった方法ではなかなかうまくいかんぞ」
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「何かいい考えがあるのか?」
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「ワシは元町火消しだった。昔はこういう機械はなかったが建物を壊すのは同じだと思うぞ」
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「どうすればいいのだ?」
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「ワシらは家を押し倒すのではなく、引っ張り倒したものだ」
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「そうか。オーイ、ワイヤーロープをかけて引っ張れ」
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戦車にワイヤーロープを付けて、その先に鳶口代わりに大きな鉤を付けて家の柱に引っ掛ける。そして戦車が後退する。家が崩れ落ちその上に屋根が乗っかる 見物人が歓声を上げる。 ![]() | |
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「おお、いい塩梅じゃないか」
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「しかしこれでは並んで一度にというわけにはいかんな」
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「真横に並ぶのではなく、前後にずれて五月雨に崩していけばいいじゃないか」
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その後、ブルドーザーが崩れた廃材を撤去して道を作る方法などを検討する。 隊長が一休みしていると先ほどの爺がやって来た。 ![]() | |
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「あのさ、兵隊さん、ワシは昔は町火消しだった。それも平人(ひらびと)とか土手組(どてぐみ)じゃねえ、纏持ちだったんだぜ」
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「ほう、頭の次だったのか」
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「そうさね、それで話があるんだが、もし大火が出たとき火消するならワシも参加していなあ。まだ仲間が大勢生きている。役に立つぜ」
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「よし、わかった。ワシも一番偉いわけじゃない。上官に相談する。 ただよ、爺さんが纏をもって走るのはもう無理だろう。そんときは戦車に載って纏を振りな」 |
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小型の水雷艇が隅田川を浅草寺付近をゆっくりと下っている。● ● 甲板で話しているのは米山中佐と東京府の役人そして陸軍士官と海軍士官である。 三人は甲板から潜り抜ける橋を下から眺めてはいろいろ話している。 ![]() | |
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「まず橋の数が少ないですね。それとほとんどが木造ですから火災になると焼け落ちてしまうでしょう。となると川を渡れずに焼死する人がでます」
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「川を渡れないのは人だけでなく、消防車もだ。大勢が逃げまどうだろうから橋の幅も重要だ」
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「コンクリート製の万年橋にするしかありませんね。しかしそれは一朝一夕ではできません。橋を一つ作るのに1年や1年半はかかります。場合によっては土地の買収もしなければなりませんし」
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「上流から千住大橋の付け替え、白髭橋の付け替え、言問橋新設、吾妻橋付け替え、駒形橋新設これは今計画があるはずですよね。厩橋の補強、永大橋、蔵前橋の付け替え、両国橋の付け替え、そんなところですかね」
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「戦車とブルドーザーが渡れるように頼むよ」
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「2年間で橋を10個もかけ替えるのですか? 無理ですよ」
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![]() 海軍 |
「米山中佐、お話を聞くと2年後に大地震が起きるようなお話ですが、それは本当ですか」
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「いえ、2年後に大地震が起きても大丈夫なようにするということですよ」
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![]() 海軍 |
「実を言いまして今度家を建てようかと考えているのです。お勧めの土地はありませんかね」
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![]() | ![]() 「皇居から東は徳川家康がこちらに来て埋め立てたところです。日比谷公園の名は海苔を取る日比から来たって言いますし、築地は文字通り築いた土地、八丁堀もそうですね。昔は市川の国府台までは湿地だったそうです」 ![]() ![]() ![]() |
![]() 海軍 |
「下町悪し、山の手良しですか」
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注1 |
「天災は忘れた頃に来る」とは寺田寅彦が関東大震災後に語ったとも、弟子の中谷宇吉郎が作った言葉とも言われているが定かではないらしい。それ以前からあった表現かもしれない。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注2 |
『新約聖書』マタイによる福音書第6章34節 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注3 |
「太平洋ひとりぼっち」堀江謙一、文藝春秋、1962 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注4 |
明治になって大名火消は廃止され、町火消しは消防団となりそれを警察が所管した。消防が警察から分離したのは敗戦後である。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注5 |
関ヶ原から大政奉還までの267年間に江戸の大火は49回あったといわれる。 大火とはなんぞやとなるが、明確な定義はないようで、被災者数、焼死者数、延焼面積、記憶に残ったかなどで大火と呼ばれたようだ。 主要な江戸の大火
![]() *印は江戸三大大火と呼ばれる。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注6 |
海上自衛隊下総航空基地は所在地が柏市になっているが、建物の部分が柏市にあるだけで滑走路など敷地の大部分は鎌ヶ谷市に所在する。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注7 | 消火には通常の放水でも空中投下でも、平米当たり0.6〜0.7トンの水が必要らしい。 「水の文化 20号 消防力の志」 「建物火災における消火水量の分析調査」 自治体の消防が持つヘリコプターの吊り下げられるのは0.5トン程度で、大規模火災となれば7トン程度吊り下げられる自衛隊の大型ヘリコプターの出動を要請する。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注8 |
急降下爆撃を初めて行ったのは1919年アメリカであった。1920年には世界中が知っていたと思われる。 ![]() それに対して急降下爆撃は水平爆撃に比べて命中率が高いが、飛行機の運動性、強度が要求され、また大型機には無理なため大きな爆弾を落とせないという欠点もあった。 第二次大戦後は爆弾照準の発達や誘導ミサイルの出現により、急降下爆撃は行われなくなった。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注9 |
エンジンだけでなくプロペラはどうした? 木材のプロペラで1500馬力だと!、定速ピッチプロペラのないとき馬力ばかりどうこういってもしょうがないと突っ込まれるのが見える。 いや、それを言われるとジュラルミンはどうした?、有機ガラスは?、とツッコミどころは無数にあり、ここは小説の世界のオヤクソクということで・・ ちなみにアルミプロペラの出現は1932年頃、定速プロペラの実用化は1939年、アクリル樹脂が工業生産されたのは1934年でした。1920年頃に1500馬力のエンジンがあっても宝の持ち腐れでしょうね。 ![]() | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注X |
参考書籍 「自然災害ハンドブック」アシトチエ・プレス、山と渓谷社、2004 「防災完全マニュアル」河野太郎、講談社、2016 「防災教本」村岡治道、技法堂、2015 「防災リテラシー」太田敏一・松野 泉、森北出版、2016 ![]() |