*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。民明書房からの引用はありません。
戦争名 | 動員数 | ★戦死★ | 備考 |
満州事変 (1931) | 30,000 | 3,000 | |
支那事変 (1937〜41) | 186,000 | ? | どこまでを支那事変とするかによる |
ノモンハン事件(1939) | 58,000 | 7,700 |
注: | 戦争別死傷者数その他の資料を参考にした。 但し中国の数字を見ると一桁違いめまいがするので除外した。 |
日本の損害 日本の資料による | ソ連の損害 ソ連の資料による |
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戦死者・行方不明★★ | 7,720人 | 8,000人 |
戦傷者 | 8,664人 | 16,000人 |
戦車喪失 | 30両 | 400両 |
航空機喪失 | 160機 | 350機 |
自軍で認めた損失機数 | 207機 | 162機 |
敵軍が主張する破壊機数 | 1,260機 | 645機 |
この本の著者がまとめた損失機数★ | 252機 | 158機 |
私は戦争省補佐官ホッブス准将の副官のミラー大佐である。士官学校を出て順調に昇進し、2年前はフィリピンの守備隊の連隊長をしていた。その後、満州で紛争が起きそうだということで
![]() 現場にいたときは命令を受けて戦闘を指揮するのが仕事の全部だったわけだが、今の仕事をしていると、戦闘に入る前にさまざまな準備をしなければならないと分かってきた。今まで自分がしていた仕事などほんの一部だったことを知った。今は日々勉強である。 ふた月ほど前に、我国の租借地である満州の国境線争いからソ連が侵攻してきた。2年前のソ連の侵攻より大規模なものであり、しかも戦いはだんだんと大きくなっている。 この仕事をしていると紛争ぼっ発前から、どこの奴らがどこで戦争を始めるというのは大体事前に分かっているのだ。もちろんいつどんなふうに始まるまでは分からないが、どこがもめているか、どこに火が付きそうかというのは分かる。そしてそれに対処するための我国の戦略・戦術、軍の配備、輜重の計画をしているわけだ。 軍では階級が一つ上がると情報量が桁違いなのは以前から知っていた。しかし軍の部門が異なればその知る範囲が大きく違う。ラインにいれば連隊長とか師団長といっても入ってくる情報は身の回りのことだけだ。しかし今の職では世界中でどんな争いが起きるか、我国はそれにどう対処するのかということも知ることができる。いや知らないと我国の作戦立案もできない。 さて、満州の戦いであるが、5月に始まった小競り合いから、時間と共に拡大し8月になるともう本格的な戦争になってきた。それも完全に消耗戦の様相を呈してきた。消耗戦とは交戦が長く続いているが双方とも決定的な優勢を得ることができず、戦力を投入し続け、そしてその効果が出ていない状態だ。 ただ対称的な戦いをしているわけではない。我が軍は扶桑国から購入した長距離高空飛行ができる飛行艇爆撃機で適地奥深く爆撃ができるが、戦闘機も戦車もわずかしかない。 そしてソ連軍はシベリア鉄道を使って補給が容易であるのに対し、我が方は本土から船で運ぶには20日かかり、武器弾薬そして兵員の補充もままならない。だから消耗戦といっても通常の消耗戦とは違う。ソ連は補充は容易だが輸送や保管時に多くの損害をだしているのに対し、我が方は輸送や保管での損害はなく、また戦闘による損害は少ないものの補充が困難なのだ。 戦いの進展とともに双方とも対策を考えるから戦い方はどんどん進化している。 我国が飛行艇による爆撃を最初に行った翌日は、早くも敵は国境線に早期監視網を設けて、爆撃機を発見したら飛行基地に連絡し、戦闘機が離陸して迎撃する体制を取った。しかしI-16の上昇限度が9,000mとあるが実際に戦闘できるのは、せいぜい5,000mで9,000mを飛ぶ我が方の爆撃機を要撃することはできなかった。また高射砲も届くのはせいぜい7,000mだ。 数日後に現れた戦闘機は、操縦士の後ろに斜め前方を向けて対戦車砲を載せて5,000mほどの高度で待機している。地上からでは高射砲の弾も届かないので、戦闘機に37mmの対戦車砲を積んだのだろう。最初にこの飛行機に遭遇したとき飛行艇は爆撃を中止して回避した。しかし1機が残り監視したところ数発砲撃してきた。しかしベースとなる機体が安定せず大きくばらついた。成層圏の飛行機を狙い撃つのは不可能のようだった。 とはいえこの機体が現れてからは爆撃高度を9,000から10,000に上げた。その結果、地上に落下した爆弾のバラツキが2割程度広くなった。こちらの被害をゼロにするためなら、多少効率が悪くなるのはやむを得ない。 そのうち高高度戦闘機なるものが現れるだろうが、それにはしばし時間がかかるだろう。 また敵戦闘機は無線機を搭載していないことが分かった。しかし地上から飛行機に命令を伝えるのに地上に白布で大きな文字を書いて伝えるという方法を編み出した 我が方もいろいろ工夫はしている。 P35の製造会社はニューヨークのロングアイランドにあるセバスキー・エアクラフト社だった。しかし急遽増産するためカリフォルニアの航空機会社に作らせることになった。体制を整えるのに時間がかかり、量産一号機がロールアウトは2か月後の予定だった。 それを聞いたさくらが来て、本体が概ねできたら輸送船に積み込み、太平洋を航海中に艤装を行えと言う。確かに運搬に20日もかかるのだからそういう方法もありかもしれない。
絵を重ねて表示する方法の練習です。
ホッブス准将のお声がかりで早速実行した。そのときまで完成していた30機と半完成50機ほどを載せて、太平洋横断中に操縦系統、計器、武装などを取り付けを行い、大連に着いたときには総勢80機がハルピンへと飛んで行った。確かにカリフォルニアで完成してから運ぶよりは早い。作業の効率は悪いが全体の工期を短くしたい場合は実行すべき方法かもしれない。 ●
8月19日 22:30(アメリカ東部時間)● ● 8月20日 12:30(扶桑国時間) 8月20日 11:30(中国東部時間) ![]() 夜遅くもう今日はなにごともないだろうと帰ろうとしたとき電話が鳴る。受話器を取ると、満州の司令部からでソ連戦車約300台が国境を越えてきたという。概要を聞いて受話器を部下に渡して聴取を引き継ぐ。 まずはホッブス准将へ報告、幸い彼はまだ戦争省の建物の中にいた。彼から戦争省長官と大統領に報告してもらう。 それから電話を引き継いだ下士官から戦闘状況の詳細の報告を受ける。敵地上軍侵攻の前に砲撃もなく空爆もなかったという。まあ、そりゃそうだろう。こちらは偵察機が空も地上も監視している。敵が射程内に大砲を設置したとか、爆撃機が離陸すればとっくに察知して報告があったはずだ。 そんなことをしていると、ホッブス准将が部屋にやってきた。 ![]() | ||
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「状況はどうか?」 | |
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「敵は事前に砲撃も空爆もせずに地上軍を侵入させてきたといいます。ちょっと現代戦の定石を踏んでませんね」
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「まもなく霜の季節になる。スターリンに雪が降るより早く我々を追い出せと厳命されたのだろう。ソ連じゃスターリンに従わないと死刑かシベリア送りだから、言われたらやるしかない。 砲撃にしても爆撃にしても我が方の偵察機に早期に発見され爆撃を食らうから企てるだけ無駄と考えたんだろう。 対戦車砲の用意はいいか?」 | |
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「はい、しかしうまくいくもんでしょうか?」
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「戦場で戦車兵が青くなるのは敵に対戦車砲があると知ったときだっていうぜ。ましてや事前に砲撃も爆撃もしていないなら敵の戦車も対戦車砲も無傷だから腰が引けちゃうね」
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「只今入った連絡では敵飛行機は飛行場を離陸したそうです」
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「飛行機が到着するまで1時間、戦車隊が50キロラインまで1時間、到着を合わせた訳か。事前の空爆というよりも直協機だな。 敵戦車は対戦車砲が撃ちだせば逃げ帰るかな?」 | |
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「准将閣下もご存じでしょうけど、ソ連には督戦隊がいるし、戦車兵は戦車に鎖で括りつけられ、狙撃兵は木に縛り付けられていると聞きました | |
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「ああ、聞いたことがある。兵士は哀れだ」
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「といって我々の戦いが変わるわけではありませんね」
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「もちろんだ。国を愛して戦っても、鞭うたれて奴隷のように戦っても、敵に変わりはない。我々がベストを尽くすのは当然だ」
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「もし対戦車砲作戦が当たれば敵戦車隊は全滅、対戦車砲隊が成功しなければ空爆の実施とどちらでも大丈夫でしょう」
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「今の現地時間は?」
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「正午です」
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「8月の正午か、気温も日差しも暑いだろう」
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イギリスの6ポンド戦車砲は良い働きをした。数年前までは戦車砲も対戦車砲も37ミリがメジャーだったが、スペイン内戦で現れたソ連の戦車は45mm砲装備となり装甲も37ミリ砲弾を跳ね返すようになった。 さくらの意見に従い口径57ミリの対戦車砲を用意していたのは良かった。 それにしても敵の戦車砲が届かないところから、こちらは対戦車砲撃ちっぱなしとは無双だね。 敵飛行機が約300機飛来したが、こちらが新たに本土から補給されたP35と扶桑国の97戦100機合わせて350機、終始こちら側有利で推移した。 最初で最後の大地上戦は夕暮れ前に片が付いた。 8月20日の大会戦以降も地上でも大空でも散発的な戦いはあったが、もう峠は越えたのは誰にもわかった。空からの偵察ではソ連も今では飛行機も戦車も補充はしていないという。 しかしこのとき我々は欧州の状況を監視するのを怠っていた。 ●
8月28日● ● 戦争省 ![]() さくらと石原教授がホッブス准将に面会に来た。私ももちろん出席する。 最近私も気が付いたのだが、さくらと石原の話は新しい情報が多いし、示唆に富みためになる。ホッブス准将がさくらのコメントを尊重していた訳が分かる。 ![]() | ||
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「さくらが語ったことはみな当たったな。世間では石原教授を予言者と呼んでいるが、私はさくらを予言者と呼ぼう」
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「お褒めいただきありがとうございます。でも、これで戦いが終わりではなさそうです。欧州が又きな臭くなってきました」
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「欧州か……情報部から聞いているが」
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「貴国でも既に把握していましたか。私どもが余計なことを言うことはありませんでしたね。それなら安心です」
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「おいおい、話を聞かせてくれよ。さくらがそう言うと安心できん」
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「既にドイツはベネルクス侵攻の準備が完了しました」
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「この航空写真をみてください。兵士の数は100万とも言われています」
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「えっ、ベネルクスだって! ポーランド侵攻じゃなかったのか?」
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「外交交渉だけからみればポーランド侵攻もありえますが、偵察機の撮影した映像を見る限り数日後にはベネルクス侵攻を開始しますね」
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「へえ! 数日後だって!」
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「それは知らなかった。その先はフランスか」
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「そうです。ベネルクスが侵攻されればイギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告するのは明白ですが、そんなこと気にせずにフランスに進むでしょう。 アメリカはすぐには動けず当面様子見でしょう。そしてソ連もドイツと不可侵条約を結んだところですから、当分はドイツとは敵対しないでしょう」 | |
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「ということは我国とソ連が、どうノモンハンの決着をつけるかということになる。停戦するなら最低限、我々の考えている国境まで戻って、そこから数十キロは非武装地帯にしたいね」
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「ソ連はノモンハンの戦いを終結せず放置するかもしれません」
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「そして満州の戦いをほっといて、ドイツの代わりにポーランドソ連が侵攻するわけか」
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「満州の草原より、欧州の農地の方が価値あるのは明白です」
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「さくら、そのベネルクス侵攻というのはいかほど確実かな?」
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「100%間違いありません。ヒトラーが急死でもしなければ」
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「ベネルクス侵攻はマジノ線を避けるため、ベルギーを経由してパリを目指すと…」
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「なにをするにも軍備が必要だ。我々はまだまだ次の戦争は起きないと考えていた。満州の戦いでさえ扶桑国の支援を必要とした。 軍艦、飛行機、戦車、すべてが不足してる」 | |
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「貴国もここで軍拡すれば不景気は一挙に解決ですわ」
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「そんなこと言うなよ……ドイツ軍の偵察写真はいただけるのか?」
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「ここにあります。過去半月ほどのものがそろっています」
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![]() ミラーは厚めの紙封筒に手を伸ばした。 ![]() | ||
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「マジノ線は無意味でしたか…」
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「時代は機動戦に代わりましたね。アリジゴクや蜘蛛のようにトラップをしかけて待っていれば良い時代は過ぎました。スペイン内戦でドイツ軍は、兵士の移動は歩行からトラック、大砲の運搬は畜力からトレーラーに革新しました。ドイツはスペイン内戦で機動部隊の運用を十分に練習したようです | |
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「スペイン内戦を良く研究しておくべきだった」
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「その新しい機動戦は、科学技術も工業生産力もないとできませんね」
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「貴国は自動車産業や航空機生産が進んでいるからうらやましいです」
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「何をおっしゃいます、ノモンハンで貸与を受けた無線機、飛行機の表示装置、偵察機の電波探知機、それに飛行機そのものが扶桑国の方がはるかに進んでいるじゃないですか」
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「先日、大統領と閣僚の会合で扶桑国に技術支援を要請したいという話が出たと聞く」
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「まずは科学的管理法を導入したいですね」
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「科学的管理法とは貴国のテイラーが発案したものでしょう」
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「テーラーが唱えたことだけでなく、工程管理や品質管理など扶桑国がとても進んでいると聞いてます。いや飛行機などが無故障で動いているのを見れば品質がとんでもなく高いということは誰でもわかります。 実を言ってP35を輸送船の中で艤装しろと言われたことですが、後で考えるとあれはPERTのクリティカルパスをいかに短縮するかということだったのですね」 | |
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「アハハハ、バレちゃいましたか。工程計画をしている人なら誰でも思いつく方法です」
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「ミラー君、さくらからもらった写真と資料から、ドイツ侵攻の予測を一枚にまとめてくれ。すぐに戦争省長官に報告せねばならん。 ドクター石原、それにさくら、欧州の戦争についてアドバイザー契約をしたい」 | |
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「契約なんていりません。また私たちが扶桑国の非公式窓口になるでしょう」
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注1 |
「ノモンハン航空戦全史」D.ネディアルコフ、芙蓉書房、2010他 ![]() | |
注2 |
「ノモンハン事件の真相と戦果」小田 洋次郎/田端 元、有朋書院、2002 ![]() | |
注3 |
無線機がないために命令を地上に白布で書いたというのは「ノモンハン航空戦全史」に書かれてあり史実である。 第一次大戦時、小型機は無線機を搭載していなかった。無線電信を搭載したのは1920年以降、無線電話は1930年代末である。 ・Welcome to the old lovely aircraft 1939年にソ連機が無線機を搭載していなかったのはいささか時代に遅れていた。 飛行機に斜め前方を向けて小口径の砲を付けたのは日本もドイツも第二次世界大戦末期に行った。この時代にはまだない。 ![]() | |
注4 |
督戦隊とは軍隊で、自軍兵士が命令無しに勝手に戦闘から退却或いは降伏する様な行動を採れば射殺する部隊のこと。 敵前逃亡は死刑というのはどこの軍隊でも共通のルールだが、戦車に鎖で括りつけるとか狙撃兵を木に縛り付けるとなると、もう奴隷兵だろう。 ノモンハン事件では撃破したソ連戦車の中に、鎖で縛られたモンゴル人とかロシア人の遺体があったそうだ。日本のサヨク作家が、鎖は体を縛っていたのではなく、シートベルトだと説明している小説があったように記憶している。共産主義とソ連のものはなんでもいいという宗教かもしれない。残念ながらソ連崩壊後そういった資料はすべて公開されてしまった。 とはいえ、ソ連は督戦隊だけが常識外れではない。ノモンハンもそうだが、ドイツとの戦闘に敗れた司令官や士官クラスは死刑やシベリア送りになった。兵士も無罪ではなく全滅間違いない戦場に送られることが多かった。 ジューク将軍がドイツが設置した地雷を片づけるのに、歩兵に地雷原を歩かせたというのは非情というより、スターリンが怖かったということだろう。 そう考えると終戦後に、日本兵のシベリア抑留とかドイツ軍捕虜も寒冷地で強制労働させたなんてのも、ソ連の価値観とか常識から言ったら異常なことではない。もちろんソ連が異常なわけだが。 ![]() | |
注5 |
機動部隊とは海上なら空母を主体とする艦隊、陸上では戦車、装甲車、トラックなどを主体とする部隊。陸上では機動部隊による作戦を電撃戦といった。この戦闘教義は第二次大戦初期にドイツが編み出したもので、21世紀の今は陸上ではすべてが機動部隊である。 支那事変(日中戦争)で兵隊が何百キロも歩いたなんて信じられない。やっと着いたときには疲労困憊でしょう。 ![]() |