私の身の回りの人たちが、ことわざとか四字熟語などで間違えたのかふざけたのかわからないけど、正しい言い回しでないとか、本来の意味でないとかときどき聞くことがある。その中には筋違いだけど納得したこともあるし、まったく変だと思ったこともあり。そんなもので気になったものを書いてみた。
てんびん座という星座があるが、いまどき重さを測るのは商店でも家庭でも電子秤だから、天秤など見たことのない人のほうが多いだろう。注:三瓶とか二瓶という苗字は福島県に多い。ある三瓶さんが東京に引っ越したら、名前を正しく読まれたことがないとぼやいていた。
舌切り雀ではスズメを見たことがない人も多いだろうし、「つづら」なんてわからないでしょうね。「のり」もわからないだろう。
こぶとり爺さんに至っては、こぶのある人を見たことのある子どもはいないだろう。今は医療が発達したから、問題があれば処置してしまう。
かさ地蔵のお話を聞いても、お地蔵様を知っているだろうか?
子供に昔の生活を教えるために昔話を聞かせるのか、子供に躾とか善悪を教えるならお話を現代流に直すのか、考えなければならない。
私が引退してから水泳に凝っているのはご存じの通り。ただフィットネスクラブは数回変わった。理由は不衛生だとか、設備が壊れているとか、いじめをする爺がいるからとか、つまらないことである。
70過ぎてもいじめられているのかと言われると、残念ながらその通りである。とはいえこの歳になって殴り合いの喧嘩をすることもない。
相手を変えることができないなら自分が対応するしかない。ということでフィットネスクラブを変えた。昨年暮のことである。
尻尾を巻いて逃げたと言われればその通りだが、猫を追うより皿を引けともいう。ともかく私は嫌な気分になるのは防げたし、嫌がらせをした爺はいじめる相手を一人失っただけ。フィットネスクラブは会員を一人減らしただけ。
損したのはフィットネスクラブだけという気もするが、それはフィットネスクラブとプールガードの怠慢だからしょうがない。
プールガードはスマホをいじったり文庫本を読んでないで、しっかりとプールで溺れていないか、トラブルが起きてないか監視しろ。そしてフィットネスクラブは従業員の躾をしっかりしろ。
フィットネスクラブを変えるのも悪いことではない。何事も淀むとろくなことはない。新しい仕事、新しい住まい、新しいフィットネスクラブも良いだろう。我が家には一枚も畳はないし、新しい妻とは言わない。
新しいプール友もできた。その中の一人が話が面白くて泳いだ後でお話を聞いたりしている。
彼は私より年上でいい歳である。いい歳とは「〇んでもいい歳」の省略形という話もあるが、定かではない。
彼は勤めていたとき水泳クラブに入っていたそうだ。クラブの仲間からは手足の動かし方が悪いといつもダメ出しされていたそうだ。あるとき大会にクラブから数人出場したが、結果は彼だけが入賞していつもダメ出ししていた人たちは全滅だったという。
彼はそれを「わしは我流天性だ」という。初めに聞いたときは「
ところが話をしていると、彼は自分を「
真面目に考えるとすごいこと、素晴らしいことだと思う。基礎ができてないとスポーツも仕事もダメというのが普通の考えだろう。だが習わずとも自分の創意工夫で結果を出すなら、それは基本と言われている
私もISOMS規格など習ったことはない。見よう見まねでやってきたが、おかしなことを騙る審査員は未熟だと思っている。
私も我流天性と称してもよろしいでしょうか?
いやそう思っているという自慢にすぎません。
会うたびにお互いの進歩を確認するというか、お互い自慢話をするわけだ。
公共の施設は一つのクラブに週1回しか貸さない。それでもっとプレイしたいという人たちは仲間をいくつかに小分けして、それぞれが別のクラブを作りそれぞれが施設を借り、練習日には仲間大勢が集まって楽しむのが普通だ。仮にみっつのクラブに分けてそれぞれのクラブが施設を借りられれば、週に三日遊べることになる。
「袖触れ合うのも他生の縁というから、あなたは仲良くしなくちゃならないのよ」
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「はっ?」
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「私が欲しいものをプレゼントしてくれるとか」
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「へっ?」
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新人が語るには、ちょっとでも知り合ったなら縁があったのだから親切にしなければならない、例えば家内の持ち物がほしいと言われたら、それをあげなければならないとのこと。
それを聞いたとき、家内は理解不能でフリーズしてしまったそうです。新人は家内にだけでなく他のメンバーにも同じようなことを言ったため、周りから縁を切られたそうです。多少の縁もなかったようです。
これは……ことわざを誤解していたというより、ちょっとおかしな人だったのかもしれません。
当時は7割が中卒で就職したが、就職できない人も多数いた。1966年だと思うが、大手企業が一斉に採用をとりやめた年さえあった。就職希望者がほとんど就職できるようになったのは、1968年以降ではないだろうか。1968年私が就職したところでも、社員、工員、臨時工というヒエラルキーがあった。臨時工とはまごうかたなき非正規労働者であり、不景気になったら即解雇である。細かいことは忘れたが、工員と臨時工の待遇には歴然とした差があった。臨時工の人が給料が違うのはあきらめるけど、月給日が工員と違うのが差別されていると感じると言ったのを覚えている。もちろん工員と社員の月給日も違うのだけど。
その後、何年かして臨時工も正規の工員になった。そして月給日は皆同じになった。そのときみんなハッピーになったかといえば、工員の中には元臨時工の月給日が同じになったことに文句を言う人もいた。差別されることはつらいが、差別するのは気分が良いのだろうか?
おっと、叔父さんは毎日は仕事がないから、つてを頼っていろいろな仕事の手伝いをして小遣い程度をもらっていた。叔父さんは独身じゃない、妻子を養っていたのだ。大変だったろうと思う。
そういうのを見ていると「貧乏暇なし」と聞いても意味が分からない。叔父さんは貧乏だけど働く仕事がないから暇があるのだ。働くことができれば貧乏でなくなり暇もなくなるのに?
その辺に行って手当たり次第に仕事を探せとおしゃるか? 人手がいらない農家に行って仕事させてくれと言ってもダメなんですよ。貧乏暇なしというのは、仕事があるけれど賃金が安いから貧乏だという状態なのです。そもそも仕事がない状況においては、働けないから貧乏なのです。
このことわざは特殊解というか普遍性がないとしか思えない。
全く手がないとなれば東京に出ていくという選択もあっただろう。当時、田舎で食い詰めた人たちはどんどんと東京に出て行った。果たして東京でどんな仕事に就いたのかわからない。皆が皆、都会で成功したとは思えないが、一度出て行った人で戻ってきた人はいなかった。今から60年も前のことだ。
しかし大人になって、いや40を過ぎた頃、周りの人が悪友とは付き合ってはいけない悪い人、悪いことをする人の意味で使っているので驚いた。
お前、阿久悠を知らないのかといいたい。
まあ時代と共に言葉の意味も変わるからと、諦めも感じながら自分もそんな意味で悪友を使うようになった。
辞書を引いてみた。
1955年の広辞苑第二版では、簡単に「悪い友」とだけあった。
1980年の国語辞典では「悪い友達」と「悪さを一緒にするほど仲の良い友」とある。
2020年時点、ほとんどの国語辞典では「悪い友達、付き合ってはいけない人」とある。少し大きな辞書だと「親しい友人を呼ぶこともある」と載っているが、まあ二の次である。
これを時系列に並べると、元々は「悪い友達」のみを意味していたが、1960〜1990頃には反語的表現で「仲の良い友」の意味も併せて持つようになり、21世紀には先祖返りして「悪い友」の意味だけになったということなのだろうか?
それとも阿久悠が活動していた時代(1970頃〜2005頃)だけ、悪いイメージが薄かったのか?
ところで私はずっと「天地無用」とは天地がいらないことだ、だから上下を気にしなくてよいと思っていた。その後倉庫で段ボール積みをしたとき、「天地無用」は上下があるから逆さにしてはいけないことだと教えられた。しかしなぜ「天地無用」がそういう意味なのかは分からなかった。
50歳くらいになって、「天地無用」とは元々は「天地入替無用」と書き、「逆さまにしてはいけない」という意味だと知った。それが短縮されて「天地無用」と書くようになったという。
漢語として「天地無用」を読めば、「天地が無用」ゆえに「逆さまにしても構わない」という意味で、短縮されたいきさつがなければ初めに私が考えたことが正しい理解とのこと。
現在は「天地無用」は誤解しやすいので、使わないそうだ。現在では正しくは「この面を上に逆さま厳禁」とか「この面を上にする」と表記するらしい。JIS規格では文字ではなく「↑↑」と表示するのが正しいとのこと。
現場で「天地無用」を見て頭をひねる人がいなくなることは喜ばしい。
私も時々家内から借りて読むが、時代物というのはストーリーがパターン化されていて皆似たようなものだ。1冊読めばシリーズ物はもう読まなくてよい。
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| これは黄昏じゃない 日が沈んで黄昏です |
ところで「あらた」という会社があります。以前私が通勤の京葉線で市川塩浜あたりで看板を見ていたので覚えている。ひらがなで「あらた」とはと、気になった。
社名の由来は中国の古書「大学」からで、現代語にすれば「自分を向上させようと日々励めば、自分は新しくなる」のだそうです。
ところで「あたらしい」の古い言い方は、「あらたしい」で「あらためる」の派生語だったらしい。それが平安時代に「あたらしい」となったそう。そして元々あった「あたらし」とは「惜しい」の意味であるが、「あらたし」が「あたらし」と言われるにつれ使用されなくなったとのこと。とはいえ今でも「あたら若い命を散らす」などに残っているとのこと。
「だらしない」が元は「しだらない」でその元は「ふしだら」だというから、言葉なんて流動的、正しいも正しくないもない。「ら抜き言葉」が50年後は正統日本語になっているかもしれない。私自身「い抜き言葉」を使っているから「ら抜き言葉」を批判はできない。「たそがれる」いいじゃないですか(謎)
でも同じ日本語といっても、50年も経つと語彙が変わってしまって話が通じなくなりますね。
でもねえ〜、「絶対大丈夫だよ」「おられますか?」「やばい」などは、ビジネスで使われる言葉とは思えません。
というわけで耳鼻咽喉科に通いました。診察室の前に座っていると、中から「扁桃腺肥大ですよ」と医者の声が聞こえました。扁桃腺肥大とは扁桃腺、つまりのどちんこの左右がはれていることをいいます。扁桃腺は外から入ってきた細菌によってはれてしまいます。特に抵抗力の低い子供ははれやすい。それだけの話でたいしたことじゃありません。
なぜ私が知っているかといえば、半世紀以上も前に小学校の身体検査で、風邪が流行っているときは扁桃腺肥大というのはクラスの半分以上いたからです。
ところが医師の言葉の次に聞こえてきた母親らしい声が
「扁桃腺左ってなんですか? ちゃんと右もありますよ」
まあ、それだけなのですが、扁桃腺肥大という言葉を知らなければ、扁桃腺左と聞こえるのかもしれません。
ところで私の喉は耳鼻咽喉科でも治りませんでした。しかしそれから間もなく私が大チョンボしたので管理職を首になりました。そしたらどうでしょう、あっという間に喉の痛みは消え、声も正常に戻りました。
その後、町でパートの人に会いましたが、その人に「以前は(私は)鬼のような顔だったけど、今は仏様のようになったね」と言われました。私も当時はつらかったのでしょう。
四字熟語の朝と暮れ二つが同じなので、この二つをごちゃまぜにして覚えている人がいる。それも単なる間違いでなく自分なりに納得している。私もそれが通用するような気がする。
なお、次のような四字熟語はれっきとして存在する。
| 漢字 | 読み方 | 意味 |
| 朝雲暮雨 | ちょううんぼう | 男女のかたい契りのこと |
| 朝改暮変 | ちょうかいぼへん | 朝令暮改に同じ |
| 朝開暮落 | ちょうかいぼらく | 朝開いた花が夕べに散ること。人生のはかないこと |
| 朝種暮穫 | ちょうしゅぼかく | 方針が定まらないこと。慌ただしいさま |
| 朝真暮偽 | ちょうしんぼぎ | 真実と嘘が定めがたいこと。朝と夕で真と嘘が入れかわる |
| 朝生暮死 | ちょうせいぼし | 生命がきわめて短いこと。人生のはかないこと |
| 朝朝暮暮 | ちょうちょうぼぼ | 毎朝、毎夕 |
本日の反省
ダジャレを集めようと思って始めました。でも私の人生を思い出すと、笑って済ませられるようなことばかりではありませんでした。
まあ笑ったり泣いたり怒ったり、いろんなことがあったということで。