老化の話

21.01.28

年を取ると体のあちこち具合が悪くなってくる。時がたつほど具合が良くなるなんてことは間違ってもない。
それは人間だけでない、車だって、洗濯機だって、Tシャツだって、家具だって使っていれば、いや使わなくてもだんだんとくたびれて、やがては朽ちる。
それはしかたのないことだ。昔から形あるもの必ず壊れるという。
人間の場合、具体的にはまず目、耳といった感覚器官の性能低下が著しい。それと髪の毛、歯がどんどんと減っていく。そして体が小さくなっていく。
最近は長寿化に伴い四十肩が五十肩に、更には六十肩になったようだ。とはいえ時期が遅くなっただけでいつかは肩もヨイヨイになるのは間違いない。

老化現象もリニアではないようだ。私が現役時代はろくな運動もせず、スポーツなんぞ無縁の不健康な生活だった。63にして引退してからフィットネスクラブに通うようになり、現役時代より活力あふれるようになった気がした。
スイミング しかし65を過ぎ70を過ぎると確実に体力は低下している。5年前は連続2キロを泳いだのは事実だし、69歳でも毎日連続1.5キロ泳いでいたと日記に書いてあるが、72歳の今は連続1キロしか泳いでいない。疲れが残らないのはその程度のようだ。
一日に泳いだ合計も5年前は3キロくらいだったが、今は2キロ以下に抑えている。無理は禁物だ。

運動能力というより柔軟性なんだろうか、私は60くらいから、肘を曲げるとポキポキ音がするようになった。痛いとか動きが悪いという感じはないのだが、音がするのが困る。電車で吊り革につかまっている状態から手を下げると「ポキッ」と、けっこう大きな音がする。周りの人が振り向くと恥ずかしくい。ストレッチをしてもぜんぜん効果がない。
整形外科で診てもらったが、医者は悪いところはない、気にするなというだけ。
理学療法士は老若男女だれでもなるといって、自分が首を曲げたりして音を出して見せた。何かコツがあるのだろうか。その療法士は、老いるにはオイルとか……ダジャレ言ってんじゃねー


古希を超えてから運動能力の低下だけでなく、感覚器官の衰えを感じる。そして老化している自分の体になじめずに戸惑うことが多い。

目

老眼になったといっても、もう車の運転をすることもなく、バードウォッチングが趣味でもなく、ゴルゴ13のように狙撃で飯を食っているわけでもないので、特段暮らしていく上で困ることはない。本も読めればパソコンも不自由しない。パソコンやスマホはデフォルトでは見えずらいので大きめに表示させている。

しかし目を近距離から遠距離に焦点を合わそうとすると時間がかかるようになった。それと私は中近両用の眼鏡をしているが、どちらでも見えないこともある。 そんな不自由でイライラすることが多い。
例えば足の爪切りだ。そんなの新聞紙を広げて爪切りでチョンチョンと切ればいいじゃないかと思うだろう。ところがギッチョン、畳の上に腰を下ろして足の爪を切ろうとすると、眼鏡の近視の部分では見えずらく中距離の部分では近すぎ、切ろうとするあたりが良く見えない。要するに眼鏡が中途半端なのだ。
めかんで見当をつけて切れば、深爪したり爪でなく皮膚を切ったりと、ろくなことがない。結局自分で切るのはあきらめて、まだ老眼になっていない家内に頼むしかない。
もっとも頼むたびに、汚い足に触りたくない、風呂上りにしろとか言われ放題である。

耳もだいぶ劣化してきた。私は定年前に突発性難聴になってしまい、それ以降右耳はほとんど聞こえない。聞こえないといっても全く聞こえないわけでなく、いつも耳鳴りがしていて聞こえないよりもまずい状況である。キーボードを叩いている今も、キーンというかシーンというか、そういう耳鳴りがしている。
私はそんなに神経質ではないが、気になる人は耳鳴りが気になって大変らしい。耳が治らないのは仕方ないにしても、耳鳴りを止める方法はないものか?
幸い左耳はいまだ正常で、年を取ると高い音から聞こえなくなるといわれるが、健康診断でも高い音も余裕で聞こえる。

耳
耳
ただ人の耳はなぜ2個あるかというと、目と同じく左右の音の差から発信源の方向と距離を把握するのだそうだ。
会議の録音がモノラルだと後でワープロ起こしする際に発言者がわかりにくいけど、ステレオ録音だと問題なくいくと聞いたことがある。

ともかく片耳しか聞こえないと困ることは多い。
まず車の音、消防車やパトカーのサイレンを聞いても、どちらから来るのかわからない。街を歩いていてクラクションは聞こえても、音の方向がわからずヒヤッとすることはときどきある。
日常生活で一番困ることは、一人の人が話しているだけなら十分聞き取れるが、そこにテレビの音が加わると全く聴き取れなくなる。理由はわからないが二つの耳があると、必要以外の音をキャンセルする働きがあるのではなかろうか?
新しい人と付き合ったり、新しい会合などに参加すると、最初に片耳が聞こえないから左側から話してほしい、大勢の人が話していると聞き取れないからそれを理解してほしいとお願いする。しかし他人の障害に配慮する人は少ないから、私が話を聞き取れず途方に暮れることは多い。

おばQ髪の毛は……私は30年も前からお化けのQ太郎であったから、年老いたからと心配することはない。
また親の介護は中高年者の悩みの上位にあるが、私の親父は私が29のとき、母親も35のとき亡くなったので解決済みである。嫁姑問題も介護も解決済みとはすばらしい……髪の毛も親も若い時になくなれば老後悩むことはない。これがほんとの悩み無用である。
じゃあ、お前も早く逝って子供に迷惑かけるなと言われそうだ。だがしかし、我が娘は子なし、息子は独身で、私は子供たちの老後を心配せねばならない。行く河の流れは絶えずして悩みも絶えず……

もうひとつ、重大なこと、
ちょっとどう言えば良いのかわからないが、時間に対する感受性というか感覚がどんどん衰えてくる。
自分が思っているより時間が速く過ぎていく。アッと気が付くと1日が終わっている、もう1月は終わりだ、また1年が過ぎた、そんなふうに時の流れに驚くばかりだ。
それは身体的な感覚が衰えてくるのか、 それとも意味あるというかちゃんとした仕事をしてないからだろうか?お掃除
確かに働いているときに比べると、同じ時間にすることが少なくなってきている。お掃除だって働いているときは忙しいから、パッパッとしてしまう。引退すると時間がいくらでもあるから、お掃除中に本を手に取って読み始めたりしてしまう。
本を読むにしても、忙しいときはものすごい集中力で読んだ。今はお茶を飲んだり、読んでいて気になることがあると、本を放って別なことをしたりする。それを余裕があるとみるか能率低下とみるか?
ともかくそんなことなのかどうか、体感的には時間の進み方がどんどん速くなっていく。


体力はどうか?
ほぼ毎日2キロ泳いでいる。もちろん速く泳げないから、ゆっくり長くだ。でも連続1キロ泳いでも息切れもドキドキもない。終わった直後に普通に話ができる。いや脈拍があがらないよう、1キロ26分くらいで泳いでいるので当たり前か。
持久力は低下しないようだが、柔軟性は毎日自宅でストレッチをしていても、確実に可動範囲が狭くなっているのを感じる。運動しようとストレッチしようと、改善はもちろん維持もできず、退化するのを遅くするだけかもしれない。

ゴミ出し こういうことは他人との比較ではなく、過去の自分の記憶があるから、以前のようにできないと衰えたと実感する。
ただ衰えたから困るということもない。握力がないと困るのは相手の柔道着をつかむとか、やすりがけのような力仕事だけだ。大根おろしやゴミ出しするには困らない。
瞬発力がなくなったといっても、電車に乗り遅れそうな時、カバンを抱えて電車に突進することもない。老人いや紳士は次の電車を待てばいい。

歯はどうか?
昔、中学校で成人の歯の数は門歯4個、犬歯2個、小臼歯4個、大臼歯6個で上下で32本が正常だと習った。(私は習ったことは完璧に覚え、古希を過ぎてもほとんど忘れていない)実際に私も家内も32本生えてきた。
しかし最近は親知らずと呼ばれる奥の大臼歯が生えない人が多くなり、歯の数は28本が正常になったようだ。正常とはあるべき姿とか正しいことではなく、多数とか普通のことをいうそうだ。
娘は大人になっても親知らずが生えず、歯医者に行ったら中で横向きになっていると言われ抜いた。とんでもなく大手術だったようだ。娘は40になっても歯医者でギャーギャー泣いたに違いない。いや本人はそんなこと言ってない。

さらにさらに最近は歯並びを良くするために歯列矯正する人が多く、たいていの場合小臼歯を1本抜く。上下左右で4本抜くから、なんと24本しかない人が多い。私より8本も少ない。32本のうちの8本だから25%も少ないのだ。大いに驚く。
それほど歯の数が少なくて生活に困らずよく噛めるのか?

だがそれは杞憂のようだ。昔はうじゃうじゃと32本も歯が生えて、八重歯になったり乱杭歯になったりして歯をよく磨けず虫歯になりやすく、歯槽膿漏で抜けたりして、高齢になると総入れ歯というのが相場だった。おやじは67で亡くなったが、そのはるか前に総入れ歯だった。
そういえば私が塗装の仕事をしていたとき、定年前の人が来て、耐水研磨紙をくれという。歯医者に行って入れ歯を調整してもらうと金がかかるから、自分で研磨して合わせるという。そんなことで大丈夫かと思ったが、#800か#1200くらいのペーパーをあげた記憶がある。当時の定年は58だったが、そのときすでに総入れ歯だったのだ。

歯 最近は歯ブラシだけでなくフロスや歯間ブラシでお手入れをしっかりし、定期的に歯医者に通ってメンテナンスする、タバコを吸わない人が増えた。それで虫歯が大幅に減った。今は老人でも総入れ歯という人は減る一方。
1990年ころは8020運動というのがあり、それは80歳になっても自分の歯が20本残るようにしようというものだった。2016年には80歳の人は平均して22本も残っているようだ(注1)
親知らずが生えず歯列矯正した人はそもそも24本しかない。そういう人は、8020ではなく8016なのだろうか? やはり8020なのだろうか? どうなんだろう。

さて、一般論はおいといて、私の歯はどうだろう?
私は子供の時から歯並びが悪くて、噛むのに支障もあったし見た目も悪く劣等感があった。でも70過ぎると昔の仲間に総入れ歯はまだいないけど、部分入れ歯とか歯抜けは何人もいるわけ。歯並びよりも虫歯がなく本数があったほうが良いと思うようになった。
しかし問題もある。もう30年くらい前になるが、ご飯に小石が入っていてガリッと音がして門歯が欠けた。それ以降そのまんま。その他に噛むときの癖で歯が片減りしているところもあり、そういうところがみっともない。

外人は歯列矯正している人がほとんどなんだろうけど、写真などを見ると高齢になっても歯並びがきれいなのはどうしてだろう。トランプ前大統領の写真を見ると歯並びがキレイ、歯も摩耗してない。彼は私よりみっつ年上だが、歯が減ってないのだろうか? まさか総入れ歯でもあるまい。
もし欠けたり摩耗した歯を修正できるなら、金をかけても良いという気もする。

ボールベアリング 機械の回転部分とか摺動部は、長年使えば摩耗するのは必定。ベッドの上にしっかり給油していても10年も使うと指でなぞると摺動する部分がわずかにへこんでいるのがわかる。油膜があっても金属部分は減るのだろうか?
ともかくボールベアリングは定期交換、ベッドは研削すれば初期の精度に戻すことはある程度可能だ。

一般的に生産に使っている機械が劣化してきて生産能力が落ちたなら、それに生産量を合わせるなんて発想はない。減価償却とは、機械の能力低下する前に投資額を回収するという発想だ。
しかし人体は関節を人工物に交換しても、初期状態に戻らない。歯もインプラントにしようと若い時と同じにはならない。
実際問題、性能が低下しようと、それと折り合いをつけて死ぬまで使い続けるしかない。
そこが辛いところだが、つらい理由は自分が使う方でなく、対象が自分自身そのものであるところだ。


古希を過ぎたばかりの私でもいろいろと体力低下、感覚器官の性能低下を感じるわけで、傘寿、卒寿となれば感じるところはまた大でしょう。
自転車 といいながら私の義母は既に卒寿を過ぎたがまだ元気だ。健康状態すこぶるよく、目は遠距離・近距離とも私より良く、電話でも会話でも耳は地獄耳、部分入れ歯はしているが、自前の歯はまだ在庫豊富だ。
自転車には義弟が拝み倒して止めたので今は乗らないが、少し前まで歩道のない国道を走って遠くまで買い物に行った。
もちろんお茶飲んでテレビを観ているなんてことはない。今でも毎日畑をいじって、採れた農作物は我が家に送られてくる。
歩いて10数分の医院まで毎週 通っているが、目的は診察でなく待合室での会話である。病気になったら医者に行けないと心配する。大丈夫、孫が車で送り迎えするから。義母が生きているうちに彦が免許を取るだろう。

高齢になればなるほど個人差が大きいから、平均余命に限らず平均といういうものに意味はないと思う。そしてまた人によって価値観が違うから、結局のところ自分が納得できる生活をして納得できる寿命を全うするしかない。人との比較は無意味なのだ。
実は高校の友人が、市の年代別の長距離走に出て順位がどうだったという年賀状がきた。それは偉業だと思うが、私は瞬発力より持久力、体力より病気にならないことを目指そうと思っている。

私と家内の兄弟姉妹とその配偶者合わせて13人の中に、既に亡くなった人が3名、脳出血や脳梗塞で重い後遺症ある人が2名いる。21世紀においてすら、70まで生き残るのは大変なことだ。統計では男の2割、女は1割が70前に亡くなっている(注2)

生存曲線

しかし性差で70までの生存率が1割も違うのがすごいね!
個々人のばらつきはあっても、総体としてみればバスタブカーブ(注3)から逃れることはできない。

長生きするだけでなく、健康で長生きしたい。そのために努力しなければ。
もちろん頭も衰えないように鍛えたい。
そしてできれば世の中に貢献したいものだ。


 本日の言葉
「(人が永遠に)住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからん(徒然草)」
「一度生を得て 滅せぬ者のあるべきか(織田信長)」
「形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉(良寛)」
「おもしろき こともなき世を おもしろく 住みなすものは 心なりけり(高杉晋作)」
偉人は死ぬのは必定、死は意味のあること、良く生きるには心・気持ちであると語る。
よって私のことば「良く死ぬためには楽しく生きることと見たり」




注1
注2
注3
バスタブカーブとは機械の不良率は、使用開始時には機械製造時の不良が多く、それを過ぎると偶発的な不良発生のみで低い値に落ち着く、やがて機械の寿命が近づくと摩耗故障などが増えてきて不良が増えるということをグラフにすると西洋のお風呂の形に近いカーブとなることからバスタブカーブ(bathtub curve)と呼ばれる。
人間も同じで1〜4歳児は多いが、5歳以降は安定し、15歳から緩やかに死亡率が増えていく。これを見ると、人間の場合初期不良は非常に低いこと、医学の進歩で救済されていると思われる。
機械も設計や製造の品質管理が向上すれば、人間のように初期不良を極限まで低下させることができるだろう。しかし摩耗故障は決して解消されないはずだ。
令和元年 人口動態統計月報(概数)の概況 9ページ参照





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