本日は前回の続きで文書の標準化を語る。
前回は文書の標準化の一般論と、標準化の対象とは何かを考えて終わってしまった。とはいえ元々、取り立てて体系化した話でもないから、今回も頭に浮かんだことを書き連ねていく。
ルールは文書化しなければならない
そもそも手順を文書化しなければならないのはなぜだろう?
なにごとでも声に出して言えば、その言葉が消えるのに数秒、記憶しているのも数日だろう。じゃあ紙に書いたら残るのかといえば残るだろうが、その威力というか有効性はあるのだろうか?
IOU |
会社またはその部門が決めた様式で書かれた指示であった場合は、それに従うことは妥当だろうと考えるだろうか?
だが、それ1枚だけ見てはちょっと信用ならない。会社のルールとして一つのファイルになっていれば、そのファイルにとじてある書面は信用できると考えてもおかしくない。
こうなって初めてその書面に書かれたことは信頼に値するとみなされる。
注:手順とルールは違うのか?
手順とは日本語ではなくprocedureの訳である。英英辞典によるとprocedure とはa particular course of action intended to achieve a result. つまり「結果を出すための定められた工程」とでもいえようか。手順と言われればそうだが、言い換えれば行動の命令でもある。組織内において手順とは命令である。
上に述べたように何事かルールを作らなければならないとなったとき、問題となったことだけのルールを決めても座りが悪い。もちろん必要なものはそれだけだといっても、そうもいかない。
昔のこと、私のいた職場で、物を置いたり積んだりするとき、水平・垂直・直角、高さ1.5mというのは常識だった
常識とはいうもののそれが何に決まっているのかというと、決まっていなかった。昔からの言い伝えと言えば良いのか、安全を考えれば当たり前だろうと言えば良いのか。
今までそれで問題はなかったのだが、あるときリレイアウト(配置換え)があって、ある場所で高さ1.5mでは不都合が起きた。そこの積み高さを1.4mにしようということになり、壁に1.4mのところに線を引いてそれ以上積むなと大書した。
この線以上に積むこと禁止する |
||||
work | work | ↑ |
||
1.4m |
||||
↓ |
||||
そこで私は疑義を呈した。それはいかなる効力を持つのか?
課長は「この職場の責任者は俺だ。俺が決めたのだから有効だ」という。問題が起きれば課長の責任なら、課長が命令できることは間違いない。だがその命令はいかなることによる裏付けられるのか? 言ったときだけ有効な一過性なのか?
そして壁に直書きされた文言だけで効力を持つのか?
なんだかんだと議論があり、結論から言うと課のルールを定めることにした。それで課内の置き場や積み高さについては、その場所に表記し、表記した時に課内に通知し、その旨を課のルールに書き加える。課のルールを定めた記録は課員がいつでも見ることができるとした。
いろいろ穴がありそうなルールだが、いかなるものでも発祥とはそんなものだ。
だがすぐに次なる疑問が出てきた。イレギュラーなことだけでなく、今まで常識だと運用されていた、水平・垂直・直角、高さ1.5mを基本的なルールとして定めなければならないのではないか?
それはまっとうな理屈だ。
しかしそれだけに限らない。構内の通路は右側通行とされていた。でも書面で決めていない、ならば…………
そんなことを言えば切りも限りもないと言われるかもしれない。しかしそういう仕組みがなければ問題が起きるだろうし、その責任は一般従業員ではなく管理者にあることは間違いない。
ちなみに日本国内において、知らずに法を犯せば有罪になる。日本では官報に載ったものは国民が知らなければならないことになっている。
それはひどいと言っても通用しない。だから学校や家庭で盗みはいけないよ、交通信号を守りなさいと教えるわけだ。大人になれば自分が関わる法規制を学ばなければならない。
法律を知ることは国民の義務である
となるとルールを文書化することは重要である。
手順書とルールは同じなのか? という疑問を持つかもしれない。
法律はこれをしてはいけない、これを守らなければならないということの羅列で、手順とは言えない。ISOMS規格も同様の記述である。そういう意味でそれらを要求事項である。実際にISOMS規格のタイトルは要求事項である。
他方、会社の手順書は、これをこうしろ、こうしてはいけないという羅列であり、だから手順書なわけだが、仕様書であろうと手順書であろうと指示されたことをする、禁止されたことをしないという観点では同等である。
手順書、つまり組織のルールとか手順を決めた文書(通常は規定とか規則と呼ばれる)にはどんなことを書くべきか、それは重要なことだ。というかそれを知らなければ始まらない。
一般的法律の構成
法律では書くべき事項とかその章立てが決まっているわけではない。しかし法律のレベルによって大体似たような構成になる。
法律は一つ一つ独立しているわけではなく、多くの場合親というか基本になる法律があり、○○基本法などと名付けられている。基本法とは基本的に国(省庁)がすべきことを定めるものであり、我々一般国民と縁がない。だからISO14001の該当法規には環境基本法は関係ない。どこの認証組織でも環境基本法を盛り込んであるのは七不思議である。
なお基本法といっても一階層でなく基本法の下に基本法があることもある。例として「環境基本法」の下に、「循環型社会形成推進基本法」がある。なぜ上下がわかるのかといえば、循環型社会形成推進基本法の第1条に「この法律は、環境基本法の基本理念にのっとり」とあるから、その子供(子分?)であることがわかる。ほとんどの法律の第1条には「○○法に基づき」という語句がある。
章立て | 項目 | 内容 |
総則 | 目的 | 基本法の目的 |
定義 | この法律で使われる言葉の意味 | |
役割/責務 | 関係する機関・組織の役割 | |
基本的施策 | 指針 | 目指す方向を示す |
施策 | 施策の概要を示す | |
機関 | 機関 | 設置する組織、会議などを決める |
体制 | 推進体制を決める |
企業において基本法に類似なのは、「品質に関する規則」とか「環境管理の規則」といったものになるだろう。
更に言えばそのもっとも基本となるのは「会社組織規則」であり。定款で定めることを実行するために、会社に設置する本社組織、工場、研究所、事業部などを決め、それぞれが担当する事業や業務を定める。工場などの部や課の設置やその業務を決めるのは多くの場合、この規則で決める工場や研究所が定めることになる。
ISO認証で、このレベルの決まり事を決めることはまずない。会社の仕組みを作ったと豪語するISO事務局のお方もいるが、会社組織規則を書いたのかどうか教えてほしい。私は全社レベルの規則を何十回も制定改定したが、すべて環境管理関係で、会社組織規則など恐れ多くタッチしたことはない。
そういうものを作るのは社長室とか取締役会直下の部署だろう。
普通の法律は基本法を展開するものだから、その構成は大所高所からみたものでなく、実務的内容である。
章立て | 項目 | 内容 |
総則 | 目的 | この法律は何に基づき定めるか |
定義 | この法律で使われる言葉の意味 | |
規制 | 規制事項 | 定める内容 |
規制基準 | ||
届け出 | ||
立入検査 | ||
罰則 | 罰則 |
我が愛しき「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の第1条は「この法律は、廃棄物の排出を抑制し、及び廃棄物の適正な分別、保管、収集、運搬、再生、処分等の処理をし、並びに生活環境を清潔にすることにより、生活環境の保全及び公衆衛生の向上を図ることを目的とする。」とある。
第1条に「……に基づく」がないててなし子であるが、この法律が制定されたのは1954年であり、まだ公害対策基本法などない時代で、必要なものが個別に制定された時代だ
今制定されたなら、環境基本法に基づきとなることは間違いない。
蛇足だが、環境基本法の子供に廃棄物処理法があることに違和感はないが、その前身である公害対策基本法の子供に廃棄物処理法があるのは落ち着きが悪い。
JIS規格にも「JISZ8301 規格票の様式及び作成方法」というものがある。
JIS Z8301の構成は
社内規定であれば前述した「品質に関する規則」などの下に具体的な手順や規制を定めた「受入検査規定」「検査員認定規定」「調達先品質監査規定」「内部品質監査規定」などが該当する。企業の手順書の9割はこのようなたぐいあろう。
ただ法律は規制を示し守るように指示するものであるのに対し、社内規則は手順を示し行わせることが目的なので観点が異なることに注意。観点が異なるとは視座が異なるだけでなく、法律やISOMS規格は仕様を示せば用が足りるが、手順書は5W1Hを示さなければならないことは大きく異なる。
このようなレベルの規定は、大上段に構えた文書構成とか理念などの内容だと笑われる。具体的なこと、その通り実施すれば仕事ができるものでなければならない。
大事なこと
手順書は親子関係が明白でなければならないのかといえば、そうではない。しかしお互いの相互関係が明白でなければならない。
会社の手順書なら、ジグソーパズルのようにできるはずだと思う。イメージを書けば下図のようなものだ。
注:上図は模式図である。言いたいことは業務全体を過不足なく関係規定がカバーしなければならないことである。
実際私は会社のレベルでなく工場のレベルだが、まったく新規に書き上げたことがある。そのときは工場全体の業務をどう切り分けて文書化するかを決定し100本近い工場規則を重複や隙間ができないように設計し、各担当に割り振り作成した。
あれは新興の工場でしがらみがほとんどなく、私がフリーハンドを持っていたからできた。
本来ならどの会社でも後付けであろうと、そういう取り合いというか守備範囲というかをビジブルにしたものを作るべきだと思うが、一度も見たことがない。そんなものを作るまでもなく、規定の重複や漏れなく取り合いが立派なものが作れると考えているのだろうか? 現実の会社の手順書は長い歴史によってすり合わせが行われた結果、過不足なくなっているのが現実だろう。
ISO9001:2000でプロセスなんて言葉が表れてあちこちで悲喜劇があったようだが、こういうベン図というかプロセス図があれば、これが当社の業務プロセスだ、文句あるかといえば終わりだったように思う。
なお、法律の場合は、取り合いが非常に複雑怪奇だ。法律は体系よりも前に所管省庁があって、それぞれが必要な法律を書くから仕方ないのかもしれない。だから環境法規制といっても、環境省(化審法)、総務省(消防法)、経産省(省エネ法)、厚労省(安衛法)、農水省(肥料取締法)など所管省庁は多数にわたる。
注:肥料取締法とはコンポストなどを行うと該当する。
手順書はいかにあるべきか
基本的に必要十分な記述、つまり最低5W1Hがあり、それを理解するための定義なり解説が盛り込まれていて、それを読んだだけで仕事ができるものでなければならない。
あとはその組織の文化に合わせてとしか言いようがない。
ISO規格に書いてあるように「組織の管理下で働く人々の力量(ISO14001:2015 7.5.1注記)」次第なのだ。
本日の思い
ISO14001というものは、客がこうあって欲しいと望むことの羅列にすぎない。だから会社の現状からみれば職務と対応するはずもなく、業務のプロセスとも当然会社のルールとも対応するわけはない。
企業は現実の仕事や法規制を考慮して組織を作り運用していくわけだから。
ということはISO14001に基づいて組織や業務を考えることは全く間違いだ。ISO14001は環境という切り口で求める最低条件であるわけで、企業は独自の考えで組織・機能を決めるしかなく、それがISO14001を満たしていることを説明する以上のことはできるわけがない。
そして審査員は組織の現実を見て、それが規格要求を満たしているか否かを判定することでしかない。決して規格あってルールがあるのではない。会社の現実を定めた会社の規則が、ISO規格要求を満たしているか否かでしかない。
それを理解してない人が、企業側にも審査員側にも多すぎる。いや、理解している人がいかほどいるものか?
注1 |
常識とは元々は日本語じゃなくて「common sense」の翻訳語です。その意味はロングマン英英辞典によると「the ability to behave in a sensible way and make practical decisions」つまり「気が利いた行動や、現実的な判断ができること」なんです。 はやりの歌とかテレビドラマを知っているとか、有名人の不倫報道を把握していることが常識じゃありません。筋道立てて考えて、妥当な判断・行動ができる力が常識です。知識でなく知恵でしょう。 とはいえ、ここでは一般に理解されている「一般人が共通に持っている、または持つべき知識」という意味です。 ![]() | 注2 |
憲法31条 「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」 ということは法律の定めるものを守らなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられるということだ。 ![]() |
注3 |
基本法の嚆矢は「教育基本法」で1947年制定である。 基本法の特質として、まず、それが憲法と個別法との間をつなぐもの。国の制度・政策に関する理念、基本方針を示すもので、具体的規制ではなく訓示規定・プログラム規定と呼ばれる。 参考:参議院法制局 基本法の解説 ![]() |
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