*この物語はフィクションです。登場する人物や団体は実在するものと一切関係ありません。
但し引用文献や書籍名はすべて実在のものです。
磯原は総務部が本社ビルの清掃や、そこから出る廃棄物処理などを業務委託している子会社「スラッシュビル管理」にISO審査の説明に行った。するととんでもないことが発覚した。
それは業務委託にあたって仕事の範囲とか方法を指示していないことであった。それじゃそもそも仕事ができないじゃないか。
子会社のほうは苦し紛れに手さぐりで仕事してきた。だがその結果、廃棄物処理法からの逸脱が起きている。
事務所に戻った磯原は、さてどうしようかと考える。
年末のISO審査も問題であるが、それよりも遵法の方がISO審査より緊急で重大だ。まずは現状をしっかり把握して問題点を洗い出し、対策をしなければならない。行政に相談もしなければならない。
そして水平展開として支社や営業所の遵守状況の点検をせねばならず、問題があれば対策しなければならない。もちろん磯原の責任ではないが、誰も動きそうがないなら、見つけた磯原が動かなければなるまい。
心配はそれだけではない。今までの監査部監査では遵法を見ていたのか? 確信が持てる状況ではない。廃棄物だけでなく、それ以外の法規制についても不安だ。もしかして会計監査だけで、業務監査をしていないのか? 不安が募る。
まずは当面の処置だけでなく恒久対策というか再発防止として、総務部の意識改革も監査部の監査方法の見直しもしないとまずい。
人を変えることが必要かもしれない。うかつなことは言えないが、山本氏はちょっと信用できない。
問題の解決には、下手に取り繕うより、
時計を見ると16時だ。まだ時間はある。磯原は打ち合わせ場に佐久間とアメリアを集めた。
まずは簡単に状況をまとめたものを二人に配り口頭で説明する。
「状況は分かった。廃棄物の問題なら俺でも対応できる。しかし支社も営業所もとなると大仕事だね。すべてで点検するとなると20か所くらいあるだろう。移動も含めて一か所2日としてもふた月かかる勘定になる。
それとというか、対策より重大なことはなぜそんな状態になったのか、気づいた人はいなかったのか、気づいても是正しようとしなかったのかが大問題だね。それは俺の手に余る」
「問題の原因は総務部です。磯原さんは問題を提起して、総務部に対策させればよいのではないですか。そして問題を見逃していたのは監査部でしょう。監査部の責任として、本社はもちろん支社や営業所の再点検をしなければならないわ。
もちろんそれには施設管理課も協力し、必要なら法務部や工場の廃棄物担当に支援を依頼することもあるでしょう」
「アメリアの言うとおりだ。人手は多いほうがいい」
「アメリアさんの提案は良いアイデアだ。ただ否定するわけではないが、少し前に工場の問題を監査部監査で見逃したことがあり、監査部は環境法を監査する能力がないから施設課でしてほしいといってきたことがある。
アメリア案でいくにしても、我々が下案を作って山内さんに説明し、山内さんから関係部門に働きかけてもらわなければならない」
「なるほど、そこでやっとわしの名前が出てきたぞ」
三人はギョッとしてあたりを見回す。
山内参与が打ち合わせ場の通路に立って、紙コップのコーヒーを飲んでいる。
「お前たちなあ〜、そういう話はこんなところででかい声でしちゃいかん。会議室でドアを閉めてやれ。河岸を変えて順を追って話を聞かせてくれ」
みんなは立ち上がり、打ち合わせ場から空いている会議室に移る。
まず磯原が今日「スラッシュビル管理」での話し合いのいきさつを説明し、磯原が考えた対策案と水平展開の考えを話した。
「問題は理解した。まずは総務部の問題をはっきりさせてからだな。施設管理課の廃棄物担当は誰だ?、奥井? そいつにスラッシュビル管理に行かせて実情調査をさせろ。それと関係する法律は廃棄物処理法でなく、下請法、労働者派遣法、あと何がある?監査部に調査させなければならない。
法務部はなあ〜、特許問題とか商法は得意だが、廃棄物の遵法点検には不向きだ。
よし、私が総務部と監査部を集めて話をす。早急にしよう。磯原君は今の話をA4で1枚にまとめてくれ。
それから支社と営業所の点検は総務部がしなくちゃならんだろう。人手とか能力が足りないなら総務部が言い出すべきだ」
「承知しました」
その日の夕方、6時に生産技術本部の小さな会議室に総務部から 吉田課長、担当の 山本、監査部の早川、島田が集まった。
監査部のメンバーはみな部長級だ。というか工場や支社で役職定年になったが、出向先のない部長が監査部に配属されるのが普通だ。だから元営業部長、元経理部長、元設計部長などがたくさんいる。もっとも元環境部長はいない。というのは環境だけで部になることはまずないからだ。監査部の人たちは、関連会社を監査しながら出向先を探しているのだと陰で言われているが、その真偽はわからない。
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吉田課長 | 山本 | 山内参与 | 磯原 | 早川 | 島田 | ||
総務のメンバー | 生産技術本部のメンバー | 監査部のメンバー |
「ISO認証の事前点検的をしていて、総務部が委託している廃棄物処理で、法に関わる問題が見つかった。それで総務部は責任部門として、早急に本社の業務委託の文書の作成、現行での廃棄物処理の遵法上の確認をお願いしたい。もちろんその後に原因究明と再発防止措置をしてほしい。
監査部には支社、営業所の総務が関わる法律の臨時監査をお願いしたい。
それから行政に話をするかどうか考えなければならない」
「実はもう既に大ごとになっているのです」
「と言いますと?」
「本日の打ち合わせに陪席していたウチの猪越という女性事務員が、あの後すぐにコンプライアンス部に駆け込んでしまったのです。今年夏に宮城工場の予算流用問題(第8話)があったため、公正と正義にはピリピリしていますから、もう役員まで話が行ったとか」
「彼女はちょっとエキセントリックなところがありますからねえ〜」
「何を言っているんだ君は! この問題は君の職務怠慢が原因と自覚しているのか、まともに仕事をしていないからこうなったのだ」
「そんなことを言われましても……」
「ともかく問題が原因は総務部にあるのは間違いない。しかし過去5年間状況は変わらなかったといいますから、監査部も過去5年間には少なくても2度は総務部の監査をしていたはずです」
「そう言われると辛いところですが……例の一件でその後監査部の20名中13名が異動となりまして、私も島田も監査部に来たのは今年の夏、この仕事を始めてまだ2か月です。過去のことを追及されましても……」
「監査部も大変だな。ともかく異常があったのだから、本社総務部隷下の部署については再確認をお願いしたい」
「現実に問題があったわけですから、同じ業務をしている他部署を含めて臨時の点検は当然です。ISO審査前にというと語弊がありそうですが、ともかくそれまでに点検を終えるよう実行しましょう。
ただ知識の問題もあり、生産技術本部の施設管理課の応援をお願いしたい」
「了解した。鈴木課長に話をしておきます。不具合を直すだけでなく、発生防止を確認してほしい」
「承知しました。ISO審査は不適合があっても当面処置と恒久処置を行っていれば適合と聞いておりますので、不適合にならないようにしたい……もちろん総務部のご協力を得てとなりますが」
「もちろんでございます。支社・営業所に行かれるときは、私どもからも一人お供を出すようにいたします」
「ISOはともかく、行政から指摘される前に早急に対処しましょう」
「ええと……早川さんと山内さんへお願いしたいのですが、私どもが既に点検に入っていることから、コンプライス部で対応する問題ではなく、通常のこととして職制で処理するとコンプライス部に話をしてもらえませんかね」
「うーん、その猪越さんですか、彼女がコンプラに駆け込む前ならそれもあったかもしれませんが、今からではいかにも揉み消しに見えてまずいです。
彼女は一般職の女子社員から絶大な支持を得ているそうです。もう社内では彼女の武勇伝でもちきりです。今更なかったことにすれば反発を受け、これからの管理に支障がありそうです。ましてや社外に漏れたりすればダメージは大きいです。
吉田さんは猪越さんに余計なことを言わないでくださいよ。ますますおかしくなりますから」
「さようですか……山本君、君の使命は今回の問題となった契約書、手順書、指揮命令系統の明確化、費用や現物の対処を早急にすることだよ」
「僕一人では手に負えません。あのう〜、山内参与、お宅の廃棄物担当の協力はお願いできませんか」
「山本君、止めなさい、そういうことは総務部で考えよう。
では山内さん、早川さん、支社の点検は弊方で調整しますので、明日にでも連絡いたします。ええと、この議事録は作られますね?」
「はい、できれば今日中に山内参与の確認を受けて、明日朝には総務部長、監査部長宛と出席者に写しを送ります」
「それじゃ、解散だ」
「ああ、磯原さん、ちょっとお話が」
「何でしょう?」
「施設管理課の廃棄物担当は奥井さんでしたね。奥井さんに点検と手順書の作成をお願いできませんか」
「組織表では私は施設管理課所属なのですが、私の上長は鈴木課長ではなく、山内参与なのです。それでお宅の吉田課長から鈴木課長に話してもらった方が通りが良いですね。
ただ今の話で奥井さんが監査部に応援となると、できるかどうか……」
「山本君、それは総務とスラッシュビル管理との話し合いの後で考えよう」
施設管理課に戻ると奥井がいた。奥井がこんな遅くまでいるなんて珍しい。
「奥井さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
「ハイ、なんでしょう?」
「今日、スラッシュビル管理にISO審査の説明に行ったのですよ」
「ああ、業務委託契約書の中身がプアで、更に廃棄物処理の方法を教えずに仕事をさせていたという件ですか」
「よくご存じで。それだけでなく廃棄物法違反もあったわけですが」
「もうその話は女性事務員の間に広まって、大騒ぎになってますよ。お局キヨちゃんはヒーロー扱いですよ」
「それで対策しないとならないのだが、山内さんは奥井さんを監査部監査に応援に出すと約束した。明日でも話があるだろうからよろしくお願いします。
更に総務の山本氏から点検と是正のため、奥井さんにヘルプコールが来ているんだ」
「うーん、ご遠慮したいですね。もう2・3年前になるけど、私も問題だと気が付いて山本君に言ったことがあるんだ。そしたら心配無用と笑い飛ばされたよ。今更、助けてと言われてもねえ〜」
「それはどうなの?、猪越さんは問題だと認識して、すぐコンプラ窓口に飛んで行った。奥井さんが見過ごしたのは問題じゃないですか?」
「私の不作為を脅迫するのですか!」
注:作為とは行動することで、不作為とは行動しないこと。
法律によっては不作為が犯罪となることもある。例えばお釣りが多いことに気づいても、黙って受け取った場合は詐欺として犯罪になる。
企業において不具合や不正を見つけても何もしなければ、職務怠慢あるいは背任とされるだろう。
思い起こせば3年前に、企業犯罪は犯行した人だけでなく、それを知っていて問題にしなかった人も同罪だと書いた。悪事を見逃すのは犯罪なのだ。
「脅迫しているつもりはない。会社の問題なのだから、能力のある人は支援しなければならない。
それと今の話は聞かなかったことにします。奥井さんも口外しないように。墓穴を掘ることになります」
「確かに。山本君が忘れていればよいが…」
「とりあえずの仕事はスラッシュビル管理に委託している業務の手順書、廃棄物処理業者との契約とか現地調査とかマニフェストとか帳簿関係とかを頼みたい。
明日にでも総務部から課長宛てに君の応援依頼が来るだろうから、支社と営業所を監査部の臨時監査に同行することになるだろう」
「ありがたくないなあ〜、僕は今 業界団体で資料作りをしているのですよ。今日も午後一杯打ち合わせと作業で、今 帰ってきたところなのです」
「いろいろあるだろうけど、会社の大問題だから頼むよ」
「ハイハイ」
そのころ監査部
「監査部なんて言われても、俺たち環境関係の法律なんぞ素人同然だぞ」
「会社のルールから言えば、当社の業務に関わる法規制は会社規則に展開することになっている。だから会社規則で廃棄物処理をどのように決めているかを調べて、現場で会社規則が定める文書と記録があるか、その通り実行しているかを点検すれば良いことになる。
もちろん会社規則が法規制をしっかりとブレークダウンしていることが条件だが。会社規則が法規制を展開していないなら、それを我々が指摘すればよい」
「ああ、そうだよね。俺が廃棄物など素人だからパニックちゃった」
生産技術部長室
大川常務はまだ席にいた。山内が大川常務に今日発生した問題を簡単に報告する。
磯原の作ったA4の報告が良くまとまっているので常務もすぐに理解してくれた。女子事務員に広まっているから、他の役員から大川常務に問い合わせが来るかもしれないと申し添えた。
大川常務は山内の説明を聞いて、磯原がなかなか気が利く男だと頭に書き込む。
施設管理課
奥井が退社して一人だけになった施設管理課で、磯原は今回の問題の対策をWBSにまとめている。今日中と言ったものの議事録はまだ山内参与に出していない。このWBS案を添付してメール送るだけでなく、プリントアウトしたものを山内参与の机に置いてから帰ろうと思う。
本社に転勤してから、家族三人そろって夕飯を食べるのは休日だけだと磯原は反省する。片づけてから帰ると娘は寝ているだろう。
本日の異見
なんだ、当たり前のことを書いてるだけじゃないかと言われるかもしれない。
まあそうなんですけど、何事も素晴らしい解決方法なんてありません。困難にぶつかったとき、素晴らしいアイデアが浮かんだり、ウルトラマンが現れることは現実にはありません。どんくさいと思われても、しなければならないことをひとつずつしていくだけ、仕事とはそういうものです。
「相棒」も「科捜研の女」も「古畑任三郎」も「水戸黄門」も、みな時間通りに解決しますが、現実は世田谷区殺人事件をはじめ殺人事件の20件に1件は未解決です。
テレビドラマは理想を描いているのです。殺人事件でなくても、現実に病気の人を介抱したら社長だったとか、ハイヒールのかかとが取れた女性を助けたら、お金持ちのお嬢様で、恋に落ちたなんてことはまずありません。
サラリーマンはただひたすら愚直に働くしかありません。私は45年間働きました。
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