あらま様 毎度ありがとうございます。
一体どうしたのでしょう? 私を誉めても何にも出ませんよ。
おっしゃることはどれもまったく同意です。
国旗を揚げろというのも、官公庁のウェブサイトに国旗を揚げていないことは私も以前指摘しています。
でも、あらま様、問題は簡単です。
卒業式で国旗を敬わない教師が国旗を敬う、国旗掲揚を誇らしく思う子供を次代の国民を育てることが出来るでしょうか?
できるはずがありません。
そして、先生が日本の国旗をあげるときは起立して敬意を表することを教えれば、確実に国旗を揚げる人たちが育つでしょう。
私の商売、環境監査の最終目的は問題を起こさないことであり、それは是正処置としてシステムを改善することです。
もぐら叩きではどんな仕事でも改善は出来ません。
日の丸を揚げないことは非常に遺憾なことです。日本人が日の丸を揚げるようにするには嘆くことではなく、そういう教育を学校ですることを求めるしかありません。
そして求めてできないなら、させるように仕組み、教員、教育方法を変えていくしかないのではないでしょうか。
あらま様のページの、一番最後の文章「そんなことを、富士山を見ながら考えてみました。」、今日になって気づきました。注意力散漫で申し訳ありません。 私が富士山を直接自分で見たのは一度だけです。あの日、私は祖母とともに寝台車で神奈川へ向かおうとしていました。朝、祖母が「富士山が見えるよ」というので窓の外に目をやると、なんとその通り、目の前に富士山が…!! あの当時まだ10歳にも満たなかった私でしたが、感動に包まれましたね。実際に富士山をこの目で見たわけです。 現在も私は富士山を神聖な所だと信じております。小倉百人一首でも山部赤人の「田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」が一番好きです。あの山は人が登るべきではないとすら思っています。 それなのに、最近富士山にポイポイゴミを捨てる連中がいる。私としては大変嘆かわしく思うことです。戦時中、米軍は日本国民に精神的にダメージを与えるべく、富士山に飛行機からペンキをまいて汚してやろうという計画を立てていたと聞きます。実際にそうなった場合の想像図ほどではないですが、富士山は汚されてい るのです。 そんなことを、ゴミの山を見ながら考えてみました。 あらま様の内村様へのまじめな反論読みました。今の私にあそこまで論理的な文章は書けません。もっと修行を積む必要があるとつくづく思いました。 |
保守の一大生様 お便りありがとうございます。 私も東北の生まれ、富士山など見たことがありませんでした。 ![]() その後、東京に出てきて天気がよければ富士山が見えるのに驚きました。高度成長以前の空が汚れていない時代には富士山はかすまずにくっきりと見えたのでしょうね。 富士山は富士山が見えない地方の日本人にとっても重要な位置を占めていることに違いありません。 いつかはクラウンなんてコマーシャルの文句がありましたが、いつかは富士山というのが日本人の心なのかもしれません。 |
佐為さま あらまです 保守の一大生から、小生の駄文についてのご感想をいただき、汗顔の至りであります。 さて、富士山に対する思いは、日本人なら誰でも同じ・・・だと、改めて感激しました。 今でも時々、車窓から富士山を拝む人を目にします。 小生のように、普段から富士山を仰ぐことが出来るものでも、あまりの美しさに、ハッとすることかよくあります。 その富士山を世界遺産に登録してもらおうと、大勲位を筆頭に、県民あげて運動しているのですが、なかなか取り上げてもらないようです。 最初は、自然遺産として登録してもらおうとしたのですが、遠くから見れば美しい富士山も、実際に登ってみればゴミの山。 現在ではその反省から、富士山クリーン運動が展開され、ずいぶんときれいになりましたが、相変わらず富士山のふもとに、産業廃棄物を捨てる不心得ものがあとを絶ちません。 それに、富士山のような形状の山は、世界にたくさんあるということで、自然遺産としては登録してもらえませんでした。 それでは、文化遺産として登録してもらおうと努力しているのですが、こうした山岳信仰は、世界的にも珍しいものではないということで、これもまた困難を極めています。 しかし、世界遺産に登録されていなくても、日本人の心の象徴として、不動のものとなっていることは事実であります。 このように、日本には、北から南まで、美しい自然があり、また永い歴史をもつ伝統・文化があります。 そんな日本に生まれてきてよかったと思うとともに、自国を貶めようとする日本人、あるいは正体不明の外国人から、皆様とともに守らなければならないという思いを新たにしています。 |
佐為さま あらまです 「日本人の誇りを憲法に託した鈴木安蔵」という見出し。 実は、これ『日本の青空』という日本国憲法誕生の映画のパンフレットでした。 今、その映画を見てきましたが、日本国憲法はGHQによる押し付けの憲法ではなく、日本人の意思が反映されたものである・・・という内容みたいです。 小生はそれを見て、失明するかと思いました。 捏造も甚だしく、史実に基づかないフィクションでありました。 でも、子供たちがそれを見たら信じてしまうかもしれません。 これはR18に指定すべきだと思いました。 いえ、きっとこれは「九条教」「平和教」という怪しい宗教団体の教宣映画に間違いない ! ! |
あらま様 お目目は大丈夫ですか!?
眼科に行ってしっかりと検査をしてもらってくださいね。
日本国憲法がGHQの押し付けでなく、自発的につくったというのは真っ赤なうそでしょうね。
だって、マッカーサーが業を煮やして云々というのは広く知れ渡っていますから・・・
とはいってもうそを100回言うと本当になるという人たちのこと、これは負けそうですね。
憲法改正するかしないかということは、誰が原文を書いたのか、誰が制定したのかとはもう無縁として考えるべきでしょう。
今の憲法が現実的なのか、役に立つのかという観点で考えるしかないのではと思います。
太田光のように、憲法に殉じようというのも一つの発想ではありますが、憲法のために死ぬのであれば、天皇のために死ぬのと変わらないと思います。
国民を生かすために憲法を変えようという発想が初めにあるべきでしょう。
ともかくカウンター攻勢をせねば・・・
どうしたもんでしょうか?